第2話 複製された女

昨夜、うなされるほど不快かつ不可解な夢の中にいたとき、このダンゴムシに追い回されていたのだ。気合いで目を覚ませばその隣にこいつが寝ていたというわけである。


ただのダンゴムシが大きくなっただけならば、勇敢に立ち向かうのも一つの手であろう。しかし、このダンゴムシ、人を食おうとする。何度も強靭な顎と鋭く尖った牙で貫かれそうになったか。まぁ、夢の中であるが。

そしてダンゴムシは、夢の中のとおり、しっかり人を食らっていた。よりによって僕の家で。いや、僕の頭から出てきたのだから当然なのかもしれない。分からない。

もじょもじょびちゅりと音がしていた。布団の上が血塗れである。僕はまた夢の中に連れていかれたのだろうか。

ダンゴムシの前に立つと、細い腕で人間を組み敷いて顔の肉を貪り尽くし強靭な牙で穿った頭骨から露出した脳を啜っていた。布団の端に見えたゼラチン質のそれはきっと内臓なのだろう。

僕の部屋に来る人なんて一人だけである。つい先日からセックスのみを前提にした清い交際をしている三嶋恵さんだ。彼女は苦労人であった。なんと、僕と同い年で既に僕より倍の借金、それも全て学資金を得るためにした借金であった。元から貧しい家の子で、何度も父親から受けた虐待で消えない痣があると太腿の内を見せてくれた。

ということは、あぁやっぱりだ。ダンゴムシの絡まった足の間から見える左の二の腕に繊細な花模様のタトゥーがあった。昔の恋人に連れられて京都で人気の彫り師に入れてもらったと自慢していた。

ところで、今、季節は冬である。私は就寝のときも暖房はつけたままの癖があり、そんな私がダンゴムシから逃げるとき悠長に暖房を消してからだなんてあり得るだろうか。当然、ない。

恵さんがいつ来たのか知らないが、暖房をつけたままであるからにはきっと腐敗も早いに違いない。いや、既に。

ドアホンの音が響いた。扉が叩かれる音だ。

「水狐さん、帰ったんでしょ。さっきからお友達が煩いし、なにか変な臭いもさせ続けててたまったもんじゃないんですけど、水狐さん聞いてますか」

ドンドンと扉を叩き続ける音。声の主はお隣の美愛ちゃんだ。たまにアパートの庭のガーデニングに付き合わせようとする。今日もそのつもりなのかもしれない。僕は開けるべきだろうかと迷っていた。なにせ、このダンゴムシ、出自は僕の夢である。きっと土いじりしていた記憶の滓がこのような幻影を産んだのだ。つまり、頭の病んだ僕が馬鹿でかいダンゴムシと恵さんの残骸を妄想しているだけなのではないか。あぁ、とこの場からいかに逃げるかを思案していたときである。

「お嬢さん、少しどいてもらえませんか」

「水狐さんの、お知り合いですか。ってちょっ何やってるんですか」

男の声がした。ただの大学生である美愛ちゃんをお嬢さん呼ばわりとは、なかなか頓狂な男だ。

痩身かつ天井に頭をぶつけそうなほど長身な男が姿を見せた。

「ずいぶん変なものを呼び寄せてますね」

「早く逃げてください。あんたも食べられますよ。ちょっ、恵さんが」

「まぁ、よく分かりませんが、一人くらい仕方ないですかね」

「はぁ?」

男に背負われて部屋を出ていく私たちを、美愛ちゃんは唖然とした顔で見送るのであった。

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