第31話 千代と六等星

 春川先輩と話したのは、たった数回。

 あの時も、たったその一部だったんだ。


 最後に春川先輩と最後に会話をした時、春川先輩の事を聞いた。どうやら残り僅かな命だったらしい。


「それから一つ、千代ちゃんにお願いしたい事があるの」


 それは、春川先輩が亡くなった後で千歳に手紙を渡して欲しい、というものだった。

 手紙の事は、既に両親に伝えてあったらしい。そして、その両親を通して、今、私の手元にある。中身を見る見ないは言われていないが見ていない。見るのが怖いから。

 丁寧に洋封筒に入れてあり、表面に『千歳君へ』と書かれている。裏面には、『春川沙奈』より、と書いてある。正式な礼儀正しい書き方でない部分を見るに、二人の仲の良さが窺える。


 千歳は亡くなったと知った時から、以前よりも重症を負った様に見えた。きっと、今は一人の時間が必要なはずだ。それ故、渡すタイミングも考えなければならない。

 考えて過ごしてはいるものの、無情に時間だけが過ぎ、冬休みに入り、もう終わろうとしていた。

 結局、遊ぶ約束もなくなった。せめて手紙だけでもと、心に決めた。


「手紙を、置いて帰るだけ、うん」


 千歳の家の前で、頭の中を整理する。

 もう、十分時間がたった。立ち直れきれなくても、この手紙が立ち直るための薬だと考える。そう考えれば、渡さなければならない、という義務感が強くなるからだ。


「よし」


 インターホンを押して、いつもの様にお邪魔する。

 階段を上っていくと、少し寒気がした。暖房もつけずに部屋に閉じこもっているのだろうか。


「千歳、あけましておめで、と……う……」


 考えるよりも先に体が動いていた。何をしようとしていたか、すぐにわかったから。


「だめぇぇぇぇぇえええっ!!」


 後ろから思いっきり抱きつき、腰が低くなった隙を見て、素早く首輪を取り外す。


「絶対、死なせないんだからっ!!」


 千歳を見下ろすと、やはり気力が抜け落ち、生きる抜け殻とはまさしくこの時の為の言葉だと思った。目にも力がなく、光がない。

 脱力しきっている千歳を何とか引っ張り、部屋の中に入れ、ベランダ扉を閉める。


「なんで、あんな事しようとしたの」


 千歳は黙ったまま、床の一点を見つめていた。


「ねぇ、聞いてるの!?」


 無理やり千歳の顔を両手でこちらに向かせる。

 一瞬、目が合う。そして、怯えるように私の手を振り払った。


「どうして止めたんだよっ!」

「言ったでしょ! 私は千歳を死なせない!」

「もぉ、ホッといてくれよ!」


 ヤケになっている。誰が見てもわかる。わかるのに、どうしてこんな奴を私は好きになってしまったんだろう……。

 先ほどから涙が溢れて止まらない。見ていられない。でも、見ずにはいられない。


「ふんっ!」


 言葉が出る前に、強く握ってしわくちゃになった洋封筒を突き出す。

 こうなりゃこっちもヤケだ。


「んだよ、コレ」


 そんな態度をとっていた千歳も、送り主の名前を見た途端、封筒を私の手から奪うようにもぎ取った。

 先ほどとは違う形相。信じられない、と思っているのが丸分かりだ。


「どうして、千代が……?」

「私が春川先輩に頼まれたの。あ、ちなみに、中身は見てないから」


 私の言葉を最後まで聞く前に、千歳は封筒の中から手紙を取り出して食い入るように読み始める。

 正直、気にならないといえば嘘になる。いったいどんなことが書かれているのか、どんな言葉を選んでその手紙に敷き詰めたのか。──どうやって、千歳を救うのか。

 手紙を読み進めるたびに、表情が滲んでいくのがわかる。

 手紙を読み終えたのか、仁王立ちの私をチラリと見て、再び目をそらす。


「結局、救われないんだから『助けて!』とか言っても意味ないじゃん……」


 小さく、呟くように言った。

 全てに諦めをもたらすような台詞以上に、その声音が強く響く。

 細かく鼻をすすり、春川先輩への想いがぽつりぽつりと床に滴っていく。

 千歳の言葉通り、私は助け出す言葉を持たなかった。この想い一つで救えたなら良いのにと、人の心というものを恨んだ。

 だから、言葉以上に、想い以上に必要な事をするしかなかった。


 ──私は、腰を落として、膝をつき、千歳を抱きしめた。


 これしか思いつかなかった。私の身勝手かもしれない、エゴかもしれない、それでも、言葉と想いで救えない私はただ寄り添って抱きしめる以外の事を知らなかった。

 千歳が求めているのは私じゃない、春川先輩だ。それでも良いから、救いたいのだ。


「大丈夫、大丈夫だから……」


 未だに千歳はすすり泣いている。

 救いたいのに、救えない歯痒さが、自分を追い詰めていく。

 あぁ、ダメだ。ここで私も泣いてしまったら、これは単なる同情になってしまう。それこそ私のエゴだ。悲しいことを悲しいと受け止めるだけではダメなんだ。だからこうして、こうして……。


「なんでよ……」


 涙が溢れて、ついに溢れてしまった。もらい泣きという現象が存在するのなら、全部そのせいにしてしまいたかった。

 自分の感情を優先してしまうなんて最低だ。悲しいのは私じゃない、千歳なのだ。それなのに、私じゃ救えないからって、その感情を優先してしまうなんて最低だ!

 無意識の内に抱きしめる腕に力が入っていた。

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