第32話 悠真のケジメ

 冬休みが終わり、再び学校が始まった。

 僕はずっと体が重いままだ。千歳との対立、千代との仲違い、生徒会長の圧力、解決しなければならない問題は多い。

 この登校中ですら、両手両足に重りがのしかかり、おまけに頭も重い。


「悠真く〜ん! おはようっ!」

「あー、結衣か」


 相変わらず結衣は元気だなぁ、と感心する。

 正直、この明るい笑顔を見ていると、自分の暗さが身をもってわかる。


「テンション低いですねぇ、あけおめだよ! あ・け・お・めっ!」

「あぁ、あけましておめでとう」

「何かありました?」


 急に声色を変え、心配そうな顔になる。


「あっ、いや、その……」


 ここで話すべきなのかどうか迷っていると、話の本人が後ろから声をかけてきた。


「悠真」


 おもむろに振り返ると、そこには千代が立っていた。


「あ、千代ちゃん! おはよー! からのあけおめー!」


 結衣の明るい挨拶に表情一つ変えず、千代は僕に言い放った。


「あなたの学校を楽しくする計画、手伝ってあげる」


 その真意として、どういうことなのかはわからなかったが、放課後一緒に帰って欲しいとのことだった。


 呼び出されるままに、放課後校門前に向かうと、既に千代が俯いて待っていた。


「お待たせ」


 千代が何気ない風(というよりちょっと冷たい?)に合わせて演技をしたつもりだが、内心では罪悪感と後ろめたさが尾を引いている。


「着いてきて」


 そう言うと、千代は歩き出した。

 言われるがままに、僕も後に続く。


 空を見上げると、夕焼けはもう夜迎える準備を始めていた。下弦の月がそれを追いかけるように西へ消えていく。今日の夜は月がない、ということがわかった。

 今の千代は、この空を見ても同じ事を考えるのだろうか。少しでも、こんな僕と同じ事を考えていたらいいな。なんて、そんなありもしない期待は、この状況には似合わない。

 ふと周りを見渡すと、見覚えのある道という事に気がつく。


『あなたの学校を楽しくする計画、手伝って上げる』


 千代に言われた言葉を思い出す。もし、僕の予想が正しければ……。

 行き先を聞いてもいいのだろうか? でも、こんな態度を取っている千代に気安く話しかけるのは──いや、違う。


「千代!」


 強めに呼び止めなければこの先の言葉は出てこない、出てくるはずがないと思った。もちろん、自分を奮い立たせる意味もある。

 立ち止まって振り向く動作の前に、僕は頭を下げていた。


「ごめん! 今のまま千歳のところに行くのは、辛い」


 千代に対して特別が想いがある以上、嬉しい事や楽しい事をして、喜んで笑顔にするのは僕の役割だと思っていた。しかし、それだけではダメだ。何かを間違えてしまった時、先にあやまるのも僕の方からでなければならない。そうでなければ、この気持ちに嘘をつく事になる。


「だから、ごめんっ! まずは千代と、仲直りしたい」


 あの時、千代がなぜあんな風になってしまったのか、想像はつくが、確信がない。それ故に、何に謝っているのかと言葉を求められれば、ただ頭を下げ続けるしかない。


「はぁー……」


 やや深いため息を聞いて、頭を上げる。

 そこには、いかにも「やれやれ」という吹き出しが似合いそうな表情で、立っていた。

 いつもの、僕の知っている千代だった。


「私だって、意地張ってると疲れるし……」


 そっぽを向いて口を尖らせながら呟く。


「良いんだ。僕が悪い事はわかってる」

「私も、感情任せに言いすぎた。ごめん……」


 お互いに目があって、笑けてしまう。どうやら、気まずかったのはお互い様のようだった。

 さて、次は……。


「今の、千歳の前でも忘れないでよね」

「あぁ、わかってる」


 僕にとっては、千代の言葉は自分の確認作業だった。


 今度は並んで歩き出すと、必然的に二人の話題になる。


「悠真って、小学校の頃いっつも宿題とかねだられてたよね!」

「まぁ、当時は周りに良いようにされてたかも?」


 少し冗談めいて言ってはいるが、正直、あの時の僕は今の僕とはまるで違う人間だった。

 宿題を見せて、と言われるのに、遊びや会話のグループには入れなかったのだ。そして、授業参観の日、親の目の前で大恥をかかされた。当時の事は、未だによく覚えている。


「千代がいなかったら、きっとあのままだったと思う」


 そして、そんな僕に手を差し伸べてくれたのが千代だった。それ以降、僕は勉強に運動に全てを努力し、一人でもいじめられない抑止力を作ったのだ。

 中学に上ると、別の学校になったが、高校に入ってから再開したのだ。


「いやいや! 私の冬休み前に助けて貰ったのに比べたら、全然!!」


 千代が言っているのは、冬休み前、千歳が登校してきた時の話である。千歳の事を腫れ物扱いするクラスの雰囲気を責め、学年でちょっとした話題となった。しかし、僕が介入し、「校内の学校に登校しやすい雰囲気作りが不十分だ」と主張した。当然、学年トップの成績と人柄の良さ、人望の厚さで有名な僕のことなのに加え、理解のある先生が多い学校でもあるだけに、僕の主張は認められた。そして、終業式に校長自ら千代の行動の正しさを全校生徒の前で訴えたのだ。


「ううん、あの時の僕を助けてくれなかったら、今の僕はいないし、千代を助けられたどうかもわからない。千代が救ってくれた僕だから、なんとかしてみせる! って、強く思った」

「い、いやぁ、そんなに言われると、照れるから……」


 手で顔を伏せながら、顔を少し赤らめる。僅かに見える口元ははにかんでいるように見える。

 もっとも、僕は本心なので笑い場が無い。──照れるその姿を見て、可愛いと思う事でしか。


「あー、でも、高校で再開した時はびっくりした!」


 自分も照れくさくなって話題を変えてしまう。勿論、少しいい雰囲気だっただけに不本意であった事は、言うまでもない。


「びっくりしたのはこっちの方だよ! だって、悠真が新入生代表挨拶をしてるんだよ!?」

「あの、って何だよ! あのって!」

「だって、背伸びてるし、声変わりしてるし、眼鏡だし……」

「そりゃあ、僕だって背は伸びるし、声変わりするし、眼鏡だってかけるよ」


 一拍おいて、再び無意識の不本意が働く。


「ただ、その変化に気づいてくれた千代が、好きだなぁ」

「へっ!?」

「え」


 入った瞬間に反射的にこちらを振り向く。

 振り向かれた事で、言葉の重大さを悟る。


「あ、いや、えっと……」


 僕が口ごもっている間、千代は少しも目を逸らそうとしない。確実に次の言葉を、間違いかどうかを正そうと待っている。

 その覗き込むような瞳が、やばい。


「ひ、人としてっ! 人として、好きって意味だから!!」


 しどろもどろしながら、言い訳がましい。カッコ悪い。

 千代は「ふーん」と、先に歩き出した。


「もぉー、びっくりしたなぁ」


 違う。こんな事で終わってしまったら、二度と同じ事は言えない。今、言い切ってしまわないと、「人として好き」以上に行けない気がする!


「男としても! ……好きだから」


 目をギュッと瞑って呼び止めた声は、尻すぼみになっていった。僕の言葉は、気持ちは、最後まで届いただろうか。

 目を開けると、左右に振られていたポニーテールがふわりと舞っていた。

 千代は振り向くと、目を丸くしながら瞬いた。そして、うつむいた。


「……ごめん」


 それが答えだった。さっきしていた僕の予想が、確信へと近づいた。


「ありがとう」

「うん、私も、ありがとう。でも、ごめん」

「よしっ! 僕はこれで千代を気にせず、千歳と向き合う事が出来るぞー!」


 両手を伸ばし、伸びのポーズをする。

 その気の変わりように、千代は少し驚いたが、その様子を見て安心したように小さく笑った。


「さ、早く行こっ! 暗くなるの、すぐなんだから!」


 再び勇ましく千代は歩き出した。

 その背中を追いながら、僕は見つからないように、静かに泣いた。まるで、下弦の月しかない夜空の闇に隠すように。

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