第30話 千歳の漁火
いつの間にか冬休みが始まり、そしてもう少しで終わる。気がつけばそんな時期になっていた。
先輩が亡くなったと聞いてから、その後の記憶がない。
頭も目の前も真っ白になった。小さな虫が身体中を這い回っているような悪寒がした。やっと正気に戻ったのは、自分の部屋のベッドの上だった。
虚ろな意識の中、千代から聞いた話だが、元々先輩は不治の病により余命宣告をされていたらしい。先輩自身、約束を果たせるかどうかもわからなかったのだ。勝手に期待して、勝手に明日も会えると思っていた。僕は一体、どうすれば良かった?
落ち着いてから冷静に考えを巡らせてみる。しかし、はけ口のない衝動が、眠れない夜が延々と引き連れてくる。
次に、ベッドの中に先輩の面影を探す。徹底的に調べれば、髪の毛や匂いが残っているかもしれないと思ったからだ。しかし、そんなものを見つけたところで、先輩は帰ってこない。僕の目の前には現れない。
「私に会いに来て」
僕が先輩に対して最後に信じた言葉だ。
僕が、信じて、騙された、裏切られた。そんな言葉で怒りに奮いたてるのなら、この悲しみはなんだ。悲しくて、虚無で、真っ暗だ。
いや、よく考えてみれば、先輩なりのサインを出していたような気もする。
同じ引きこもりと確認した時、お互いを“奴隷”だと言い合った。その時……。
「あるものから逃げられなくて……でも逃げたくて、現実逃避、って言うんだろうけどさ、私は逃げている時がとても幸せなの」
先輩が逃げていたもの。それは、死へと誘う不治の病。
「私はね、世界は大きいと思う」
先輩は、この世界についてそう語った。その理由が、私たちは奴隷だから壁に囲まれた世界しか見えていない、とも。
その時感じた、僕の中にあった先輩との違いははっきりした。僕は閉じこもることに何ら抵抗はなかったが、先輩は理不尽に幽閉させられていたのだ。
「私を解き放ってくれる?」
僕はそれができなかった。そのやり方を知らなかったから。──いや、違う。
そんなのは言い訳だ。僕自身が自ら望んで、壁を作って閉じこもったのだ。自分で壁の外へ出ることを考えない僕が、どうして他人の解放の仕方を知ってる?
「この世界の果てを全て見てしまったような、そんな感じ」
際限なく広い世界を見られないと思ったのは、この時に余命宣告を受けたからではないだろうか。
僕は、この言葉に対して無責任に回答してしまった。「また歩き出せますよ」そんな、カッコつけたセリフでさえ、救われたかのように微笑んだ先輩は、どんな気持ちだっただろう。
毛布を頭かぶり、膝を抱える。
そしてまた、先輩の言葉を思い出し、先輩の声で再生される。今にも聞こえてきそうになって耳を塞ぐ。
もう一度だけ、あの笑顔に会いたい。先輩に会いたい。
苦しい気持ちは、先輩に会う前も、先輩がいた時も、今も変わっていないのに、今がとても辛い。
こんなことなら、先輩に会わないままで良かった。そう、会わなければ良かったのに! 苦しいこと、辛いこと、悲しいこと、全部、あの時のままで良かったのに……。
そんな風に思い切れたら、楽なのに。出会ってしまった事実も、一緒に過ごした時間も、いなくなってしまった虚無も、どっしりと僕の目の前に現実を叩きつけてくる。
なぜ、にーちゃんも、沙奈先輩も、僕の人生において大切だと思う人はいなくなってしまうのだろうか。こうなることがわかっていたら、僕はこの人生を呪ってこの世から消えていただろう。
いや、今でも遅くないかもしれない。
夢が消え、愛が消えた。生きる希望にすがれないのだから、絶望だけを抱えて生きる意味などないのだから。
この息苦しさをさっぱりさせる方法を、僕は知っているじゃないか。ちょっと痛いかもしれないけど、最後には楽になれるはずだ。
僕は暗い部屋の中でゆっくりと立ち上がる。ベッドが小さな音を立て、頭にかぶっていた毛布がスルリと落ちた。
その毛布の端を右手で握り、引きずりながら一歩、また一歩と歩を進める。
ベランダの扉を開けると、冬の冷気が一気に部屋に流れ込み、寝巻きの体にチクリと刺さる。
ほぉー、っと、口をすぼめて息を吐けば、淡い息が白く靄る。
今年の初雪は、先輩と見たかったな。なんて、まだ過ぎたことを気にしている。今にそれも感じなくなるというのに。
ベランダに出て、毛布を捻って細くし、輪っかを作る。反対側の端は、ベランダの柵にくくりつけた。
さすが、真冬の寒さだ。もう、つま先と指先の感覚が薄れてきた。これならばきっと、より早く逝けるかもしれないな。──何の知識もないけど。
体の震えが止まらない。先輩との初めても、こんな風に震えてたっけな。なんて考えてしまうのは、性の宿命か。
毛布で作った輪っかを首にかけ、柵に手をかけた。
「だめぇぇぇぇぇえええっ!!」
それは、完全に不意打ちであった。
抱きつくように、お腹の前辺りを細い腕でロックされる。
僕はとっさの事で、腰が引けてしまう。
その隙に、奇襲を仕掛けた主は、首に巻かれた毛布を取り去った。
「絶対、死なせないんだからっ!!」
荒げた声の主を見上げる。
白い息が細かく吐き出され、その目には涙が通った跡が見て取れた。いや、今も泣いているのかもしれない。
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