第23話 千歳が失った理由
お父さんとお母さんが帰ってくる時間は、少しずつだが、確実に遅くなっていった。稼ぐ事は大変な事と学んだのも、この時だったかもしれない。
僕が中学三年生となって高校受験を控えると、兄は少しではあるが、気持ちの変化が現れた。
「俺、少し働いてみる」
家族の中で反対する人は、当然いなかった。当時の僕は、少し悲しくなったと思う。夢を追いかける兄が好きで、頑張る兄が好きで、ずっと見ていたかった人が、夢を諦めた瞬間だと思った。
しかし、そうではなかった。
「千歳、これから高校、大学って、お金かかるだろ? 俺も少し何とかしてやらなきゃ、って思ってさ。それに、働きながらでも声優は目指せると思うし」
兄は、僕のために働く事を決断してくれたのだ。やはり僕の知っている兄だった。
兄の働く発言の後は、僕が親の顔色を見る必要なく、兄と近づく事が出来るようになった。
しかし、再び影は迫ってきた。
声優になるための努力しかしてこなかった兄に、この社会で務まる仕事が存在しなかったのだ。事に面接に置いて、「なぜ、三年間も働いていなかったのか?」という質問に関して、答える術を持たなかったからだ。誰が採用面接で「アニメを見たり、漫画や小説、ライトノベルを読んだり、歌を歌っていました」などと言えるだろうか。
ならば、アルバイトだと、意気込んでいたようだったが、シフトの時間が不規則だったため、規則正しい生活を送っていた兄には、長く続かなかった。
継続している声優への夢も開かれないまま、ただただ時が過ぎていった。
「良い加減、夢を見る事を諦めなさい!」
「夢を見て、それに向かって努力する事の何が悪いんだよ!」
「悪い事じゃないが、現実を見ろ」
「お父さんまで! 何言ってんだよ!」
「世の中やりたい事が全てじゃないだろう。お前は声優になるために十分頑張った。それだけで良いじゃないか。頑張る事が、お前の立派な財産なんだぞ」
「そんなの、何の価値も無い! 俺が捨ててきたものに比べたら、鉄くず同然だ! 俺の頑張ってきた事が財産だって言うなら、その財産はどこで還元されんだよ! 声優になる事でしか、俺の努力は財産になり得ない」
「違う、努力の中身じゃない。努力する事自体が大切なことだったんだ。それに、一つの事をずっと続けるという事も立派なことだ」
「だから意味ねぇって言ってんだろ! 俺は、他の大切なものを捨ててきた。そして、一つの事を続けるという苦しい事をしているかもしれない。だったら、もっと他の沢山のものを大切にして、こんな苦しい事を最初からしなけりゃ良かったよ」
兄は声優になるために、勉強も運動も最低ラインで過ごしてきた。部活にも入らず、友達も作らず、学校が終われば真っ直ぐ帰って、遊びにも行かず、声優の特訓をしていた。
きっと、何となくでも、勉強も運動も部活も友情も遊ぶ事も大事だとわかっていた。それでも、声優という道を選んだ兄だから、僕には光って見えたのかもしれない。
気がつけば、毎日のように口論が繰り広げられていた。
そして、その時は訪れる。
僕が高校に入学して、数日の事だった。
僕はいつもの時間に起きて、食卓の前に目をこすりながら出向く。
既にお母さんが、朝食の準備を整えていた。
「千歳、あのニート起こしてきて」
僕は返事はせずに、兄の部屋に向かう。
「にーちゃん、お母さんが起きろ、って……」
そこには、首を宙に吊ってピクリともしない兄の姿があった。
僕は金縛りにあったように動く事が出来ない。目線も、真っ直ぐ兄を捉えて離さない。少しして、朝日が窓から差し込み、兄の亡骸を白く照らす。
これが、兄の最後……。そして、ここが最後にたどり着いた場所……。
そう思った瞬間に、静かに瞳から一筋の滴が頬を伝った。不思議と悲しいという感情ではなかった。おかしいと思うかもしれないが、僕はその姿を美しくてかっこいいと思ってしまったのだ。
夢を追い続け、行く末に夢に敗れても、その生き様みたいなものに、僕は心を打たれた。最後の最後まで、僕は兄の事が好きだった。
兄は自殺だった。ズボンのポケットから遺書が見つかったのだ。
葬式や告別式はあっという間だった。僕は、今までの自分を省みた。そして、兄を手本として、目標として、希望として生きていこうと心に決め、兄の姿を心に刻んだ。
兄が親と対立していた内も、親といざこざがなかった僕は、親からの信頼もそれなりに高いものであると確信していた。その為、僕の事を応援してくれるだろうと思っていた。
しかし、今度は僕に影が取り付いた。
それは、ある日の夕食の時の事。
「はぁ、隼人、何もせずに死んでしまうなんて……」
「あいつなりに頑張っていたんだ。ちゃんと支えてやれなかった俺たちの責任だ。だから、これを二度と繰り返さないようにしよう。俺たちには千歳がいる」
「そうね。でも、隼人はいないのに、ここまで苦しめられるなんて……」
お母さんの言葉に、引っかかる部分を感じた。どこかまるで、兄が死んだ事によって苦しんでいるかのような……。
「自殺は良くない、という原因の一つは、当人が自分の事しか考えていない、という事なんだなぁ」
「そうね、奨学金の返済もずっと私たちで立て替えていたし、もう老後のお金だって無くなったのに……」
衝撃的だった。右手の箸も、左手のお茶碗も落としそうになった。
大事な家族が自殺したというのに、この親ときたらお金の話をしているではないか。
「隼人に働いて返してもらう予定だったのに……自殺だと保険料おりないしなぁ」
「そうねぇ、隼人は親への感謝とか、ありがたみとか、感じてなかったのかしら」
次々に出てくる二人の言葉が信じられなかった。目の前がグニャリとねじ曲がって見えるほど、僕は混乱した。
少なくとも僕は、兄を見続けていて、人が生きる意味は“夢”だと確信していた。それなのに、この二人はそう思っていない。
親が子供を育てて、大人になった時にその見返り貰う事を必然とするものなの? 子供を育てるということは、奴隷を育てるということなの? 僕の生きる意味も、こんな二人の為……?
──違う。
「いい、千歳。絶対に隼人みたいになるんじゃないわよ? あんな恩知らずで人に迷惑ばっかりかけるような人になるんじゃないですよ?」
僕は黙ったまま立ち上がり、目一杯に叫んだ。
「にーちゃんはそんな人間じゃない! ずっと真っ直ぐで、かっこいい人だった! 二人の頭、どうかしてる!」
僕は勢いよく自室に飛び込んだ。兄の事が好きで、その生き様を真似ようとして、二人に否定された。
僕はどうしたら良いのかわからなくなった。
よく考えれば、兄のような情熱は無く、親のような冷たい生き方もしたくない。だから、僕は何かに火を灯したいと思った。とりあえずは情熱を持てる何かを探し出し、それを夢とする事にした。
その時から僕は旱魃に喘いだ。何も無い砂漠を果てし無く進む事しか出来ないのに、だ。
そして、兄が残した漫画などを読んだ。アニメのDVDを観た。すると、その時だけは、その渇きが潤されていく気がした。
*
「不登校になったのは自分の意思なんだ。あんな親の奴隷になるもんか、って抵抗したかったんだ。例え、僕自身がゴミになり下がろうとも」
僕は過去の話を終えた。
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