第24話 千歳の美しい接点
恋というものに甘え、怠惰を増幅させるだけのゴミに価値なんて無い。わかっている。それを受け止めた上で、僕は先輩とともに個室にいるのだ。今更理性の声など聞こうとは思わない。
涙はとっくに枯れていて、今は沙奈先輩の膝枕で、頭を撫でられている。まるで、幼い子供に耳かきをする母のようだ。
黙ったまま頭を撫で続ける先輩は、今何を考えているのだろうか。そんな疑問が浮かぶ度に、理性の声が高鳴っている。だから、ここで体を起こしたのも、理性に対する妥協と言えよう。
「先輩、何も言わないんですね」
「何か、話して欲しいの?」
「いや、その、いつも唐突に何か話始めるじゃ無いですか」
「それは、まぁ、そうかもだけどさ……」
突然呼び出して「優しくしてください」と言われたかと思えば、僕が先輩を呼び出した理由と過去の話をされる。流石に手一杯といったところか。僕のマイナス面を全て先輩に浴びせていた。それは少し戸惑いもするというものだ。
「私さ、ちょっと混乱してる、かも」
「すみません、勝手に、色々と……」
「千歳君の過去の話をしてくれて嬉しかったのに、悲しいお話で、どういう顔したら良いかわからなくて」
先輩が気にしていたのは僕の過去の話だった。同情や共感ではない、僕を受け止めるための表情を、先輩は探していたのだ。
どうやら、僕は少しふくざつに考え過ぎていたらしい。
「正直、どういう表情されても、今の僕には悪い方に映ると思います。ですからもっと、心に残る話をしましょう」
「心に残る話?」
「はい」
僕には、聞かずにはいられない事があった。
僕がつい漏らしてしまった、世界一無駄で、無謀な言葉。叶うはずない、それを願う事すら遠い言葉。
「あのっ! 僕の、好きという言葉の返事を聞かせて欲しい、です……」
しっかりと、沙奈先輩の大きい目を見張ってまっすぐと伝えた。
先輩は一瞬困惑した表情を見せ、俯いてしまった。
どさくさに紛れた言葉かもしれない。先輩もただ頷いて相槌を打っていたのかもしれない。それでも、想いの欠片は確かに先輩に投げかけられていて、忘却の彼方に葬り去られる前にサルベージしなくてはならないと思った。
「そういう事が、千歳君の、心に残る話なの?」
声が少し震えていたが、俯いている顔は前髪でよく見えない。しかし、どんな言われ方をしようと、怯むつもりは全くない。
僕は、ひとつ息を吸い込んで、慎重に言葉を選ぶ。
「人によっては違うかもしれません。でも、僕にとっては今、この瞬間も心に残る出来事です。これで失恋したとしても、きっと心に残るだろうと思います」
正直な気持ちだった。
僕はこの恋を忘れない。例え失恋だったとしても、僕が見て聴いて感じた、沙奈先輩は確実に心に刻んである。それで満足と思うのは、気持ち悪いだろうと思う。となると、やっぱり失恋というものは辛い……。
そして、唐突に先輩の口が小さく開く。
「……好き」
「えっ……」
「私も、千歳君の事が好き……」
予想外、という言葉では測れないほど、上を行く言葉だった。僕に向けられた言葉ではないような、そんな感覚。でも、きっと、そんな事はなくて……でも……。
「どう、して……?」
「どうして、って、千歳君が先に言った事なのに……」
「すみません、なんか、信じられなくて……」
現実、という事で間違いはないようだ。
心にもない言葉ばかり浮かんでくるのは、慣れていないからだ。浮かんだ言葉は、どれも気が利いているとは言えないものばかりで、ただただ会話を間延びさせる事にしか効果がない。
そのせいか、先輩は少し不機嫌な顔になる。
「信じられないって、何それ……」
「えっと、なんか、先輩らしくない、みたいな……」
「じゃあ……」
先輩は、スッと体を寄せたかと思えば、僕の頬に触れて、優しく唇に触れた。
動揺しているはずなのに、体は石のように硬くなって、動く事も、揺れる事もなかった。
柔らかい唇の感触、先輩の良い匂い、ふわりとくすぐる先輩の髪、感じるものはあれど、真っ白な事以外何も浮かばない。
数秒の後、ゆっくりと唇が離れていく。
「……どう、かな? 信じて、くれた?」
顔を紅潮させながらそっぽを向く先輩。あからさまに恥ずかしいと、言葉以上の反応を見せる。
僕はというと、いつも唐突なところは、いつもの先輩という証明をしていて、この口付けの意味からも、先輩の言葉を信じるのに十分な効力があったと言える。
「ありがとう、ございます……」
少し考えた挙句の返事がこれだった。言葉の持つ意味以上に、心は荒れ狂い、溺れるような苦しさがある。それでも、激情とも呼べるような嬉しさや喜ばしさが渦を巻いて、気恥ずかしさが体温を上昇させている。
一度にこんな感情を抱いたものは初めてだ。きっと、こうして考える以上に、もっと多くの気持ちが交錯している。
「千歳君、大丈夫?」
「え、あ、何がですか?」
「だって、涙が……」
言われて、目の下を触ってみる。
触れた手が湿っている。その湿り気は時を待たずして、すうっと空気中に溶けていく。
僕は、泣いていた。
手の平から、再び沙奈先輩に視線を戻すと、何故泣いているのか、細胞の一つ一つに染み渡っていくような気がした。
これはきっと、恋の美しさへの感動だ。恋が叶うという意味もあるかもしれないが、僕という存在だから、感動という言葉を使うのが適切だろう。
僕には光がない。何も無い。空っぽだったのに、恋という潤いが僕の心に降り注いだ。旱魃に降り注がれるそれは、とても綺麗に見えた。僕というゴミくず、ひいては美しいの対極に位置する者が、こんな美しいものを見て、今、手にしてしまった。
こんなに美しいものを見せる先輩はとことん、ずるい。
しかし、それ以上に、救われないとわかっているのにも関わらず、美しいものに手を伸ばしてしまった僕は、更に罪深いのだ。
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