第20話 悠真の間違いと正解の間


 僕は何か、間違ったのだろうか。

 難しい問題だという事は初めから分かっていた。不登校というものは、あらゆる専門家でも手を焼いている事は把握している。


「しかし、自ら間違いを犯していると知りながら、その道を歩き続けるだなんて……」


 千代が泣いている。細かく息を吸い込み、小さな声も出ている。

 僕は、殴り合いで吹き飛んだ眼鏡を手に取り、かけ直す。

 かけてから気がついたが、左目のレンズにひびが入っていた。別に伊達眼鏡だから、気にはしない。

 それよりも千代だ。


「千代、大丈夫か?」


 千代はただただ頭を垂れて泣き崩れている。僕の声が届いて知るのかどうかもあやしい。


「なぁ、千代?」


 今度は肩に触れて呼びかける。

 しかし、触れた瞬間に手が払いのけられる。


「千代……?」

「なんで、あんな事言ったの!」

「いや、それは……ごめん、勢いで」

「それだけじゃないよ! 学校に来るのが楽しくなる取り組みを考える為の参考人として千歳に話を聞くはずだったでしょ!? それなのに、なんでこんな事になるの!?」


 必死に訴えている言葉は、僕に重くのしかかる。そう、僕は千代の期待に応えられなかった。ましてや、対立して、喧嘩をして、暴言を吐いて。今までの僕なら考えられないことだった。


「私、ずっと怖かった。悠真が言ってたことを言ってしまうのが。だって、こうなるってなんとなく感じてたからなんだよ。だから、なるべく当たり障りのないように接してきたのに……」

「そんなことしても、千歳は変わらないよ」

「良いの! 千歳は、春川先輩と出会って、変わり始めたから」

「春川先輩と!?」


 意外な繋がりだった。いや、どこでどのように出会ったかはともかく、別にお互い学校に来ていない者どうしだから、意気投合もする事もありえなくはない。


「私、千歳が春川先輩と出会ってからは、結構変わったって思ってた。だから、今の千歳なら悠真の話も聞いてくれると思った。悠真、私より頭が良いから、言葉の引き出しも豊富で、言葉選びも上手いと思った。会わせようと思った理由がそれ」

「ごめん、期待に応えられなくて」

「謝らないでよ。私だって、何もできなかった……」


 そうやって、千歳を考えている事、千代の心を把握している事、そして心配している事。それは、僕に向けられたことのないものだ。いや、向けられても意味が違う。

 僕は千代の事を可能な限りずっと見ていた。しかし、千代は千歳をずっと見ていたのではないだろうか。だからこんなにも、苦しそうに泣けるのではないだろうか……。

 こういう時に限って、ジェラシーというものは──全く。


「ねぇ、千代は、なんであんなこと言ったの!? って言ったよね。僕はどこを間違えていたのかな?」


 とてつもなく意地悪だと自分でも思う。

 それでも、千代に自分のことを見損なってもらう訳にはいかない。千歳と対立し、千代を悲しませても自分を正当化させる為の、最悪な質問。


 再び高く乾いた音が響く。千代の平手打ちだった。その音が、僕の中にだけ反響してこだまする。正しい回答だと思った。


「正しいから良いとか、間違ってるからダメとか、そういうのじゃない! この結果を見て、まだ自分を正しくて良いと思ってるの!? 千歳を言い負かすことが目的だったの!? この結果に満足してるっていうの!?」


 矢継ぎ早に胸を指す言葉は、刃物となって僕を切り裂いていく。ここで求められているのは、正しさなんかじゃない。わかっているのに、こんなことを聞いてしまうのは、きっと千歳と違って間違いを認めたくないからなんだ。

 しかし、僕のことを間違っていると否定しないのは、ある意味救いだった。間違いではない。でも、正解でもない。そういうことなのだ。


「僕は、千代が言えなかったことを言ったんだ。それに、きっと僕が言わなくても誰かがこの先言ったことだと思うよ。なんなら、もう親に言われているかも……」

「そうかもしれない。でも、悠真は千歳を知らなさすぎる」

「確かに、そうだね。僕から言うのはお門違いかもしれない。でも、大義名分がない訳じゃない。ちゃんとした目的を持っていた。取り乱してしまったけど……」


 僕にも反省するところが洗い出されていく。自分でも、こんな特殊な人に出会ったのは初めてだった事も、このような原因だったかもしれない。


「もっと、千歳の事が知りたい。教えてくれないか? 次はこんな事に絶対させないから」

「やめて、次なんて、あるかどうかわからない。今後も、私が千歳に近付けるかどうか、怪しいし……」


 僕一人だけでは千歳に近づく事は難しいだろう。何としても千代の協力が必要だ。しかし、それは同時に想い人に、負担を掛けさせる事に他ならない。今だって、こうして悲しんでいるのに、またさらに苦しめるなんて事は、僕自身が許さない。

 つまり、見返すチャンスすら、与えられる事はなかったのだ。


「そっか、ごめん……」

「もういい、遅いから帰ろ」


 千代はおもむろに立ち上がって、階段を降りる。階段に沈んでいくポニーテールを、突っ立ったまま見送る。自分も帰らなければならないというのに、千代と一緒にいるのが怖かった。

 きっとこれは罰だ。何でも知っている、わかっているつもりになって、いい気になっていた。できるかどうかもわからない事を“できる”と言う、それこそ怠惰だ。そして、千代に良いところを見せたいという下心。

 僕は今、その報いを受けているのだ。

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