第19話 千代の立ち位置は見えない
千歳の家に来て、悠真は足元の整理から始めた。
私は黙ってただそれを部屋の外から見ている。散らかった漫画、ゲーム、DVD……。私が触れられなかった千歳の小さな城を悠真はためらいなく改築していく。
これは、一般的にこれは正しいことなのだろうけど、背筋に感じる冷たさはなんだろう……。なんだか、怖い……。
「とりあえず、こんな感じで。部屋の整理は心の整理って言うし、少しは腹を割って話せるかな」
満足そうにふぅと息を吐く悠真、その表情は一仕事を終えて満足げな表情だった。
部屋を見渡せば、足の踏み場もない程だったのに、今はそれが綺麗に片付けられた。──とは言っても、量が量なので重ねた程度だが。
「それにしても、すんなりと入れるとは思わなかったよ。千代は、渡波千歳君と仲が良いんだね」
「幼馴染みだし、そりゃあ、ね」
玄関のドアの開く音がして、続いて階段を上ってくる音に変わる。この部屋の主が、帰ってきた。
「あ、あのね、ちょっと千歳と話したいっていう人がいて……」
「小平悠真と言います。千歳君の話を聞かせて欲しくて、千代に協力してもらったんだ」
部屋から首を出して堂々と自己紹介をする悠真が、私には宣戦布告の様に見えた。
千歳は、何も言わずに部屋の中へ入っていく。一瞬、眉がピクリと跳ねた様に見えたのは気のせいだろうか……。
「単刀直入に聞くけど、君はどうして学校に来なくなったの? 何か、来れない理由があるのかな?」
悠真は、部屋に入ってそのままベッドに腰掛ける千歳を目で追いながら質問した。その優しい口調は、まるで迷子になった幼い子供に親を尋ねるかの様な話し方だった。
しかし、千歳は俯き加減で黙ったままだ。いつもの千歳なら、当然と言える。私も苦戦してきたことだ。
「僕が君に話を聞きたいって思ったのは、今生徒会で学校に来るのを楽しめる様な活動を始めようと思っているからなんだ。そのために、君が学校に来たくないと思うものを知って改善していきたいんだ」
ここに悠真がいる理由を述べる。何も言わずとも自然と浮かび上がってきそうな質問に答えていく。悠真は、勉学以外でもそういうところでも頭が良い。
それでも黙っている千歳。私は二人のやりとりを見守ることしかできない。
「流石に、学校に来なきゃいけない事は、わかっているんだよね?」
まずい……。
直感的にそう感じた。何か理由があるわけではない。強いて言うのならば、雰囲気とか、そんなものだろう。
どうする……止める……?
私がとった行動は、拳を強く握りしめ、少し歯を食い縛る事だけだった。
「学校に来ないというのは、一種の避難かもしれない。でも、なぜ避難しなければならなかったのか、何から逃げたかったのか、何が嫌と感じたのか、それが解決できなければ、君は学校に通えるようにはならない。ずっと不登校という罪悪感に囚われてしまう」
「悠真、君に、何がわかるっていうんだよ……」
「えっ?」
「いつ僕が、不登校の罪悪感に苛まれてるって言った? いつ、学校で嫌なことがあったって言った? 君は学校の雰囲気を良くしたいからと言って、僕を利用しているようにしか聞こえない。だから、不登校の理由が学校にあると思い込んでるんだ」
「じゃあ、どうして……」
少し怯んだ悠真は、絞り出すように言った。しかし、悠真にはまだ余裕が感じられる。きっと、不意打ちで驚いただけなのだろう。
千歳の方を見やると、俯いていた顔が悠真を捉え、二つの目が眼光を放っているように見えた。そして……。
──その瞳は、私でも見たことがない輝きを放っていた。
「僕は僕を、コミくずだってわかってるんだよ。不登校の罪悪感は無いって言ったら嘘になるけど、そこまで考えて生活してない。なぜなら、自分を蔑む時間が長いからね。学校に行く行かないのレベルで悩んでる不登校じゃない。むしろ、学校で嫌なことなんてほとんどない」
「君は、それをわかっていて、なぜ学校に来ないんだ?」
「言ったはずだよ、僕はゴミくずだと。自分が悪い、間違ってるって自覚できるのに、それをやめられない。毎日堕落を謳歌して、渇き続ける日々を潤しているんだよ」
私にも、それは少し話してくれた事だと思う。ただ、そういう千歳を見る事が辛くて、間違い続けて欲しくなくて、辛くて……。
春川先輩という存在が救世主になると思っていた。現に、目の前にある光景は、少なくとも春川先輩という存在を知る前の千歳とはまるで違う。今までならば、間違いなく口を噤み続けていたはずだ。ここまで、強く出る事はなかった。
「きっ、君はお金を払って学校に来ているんだぞ!? 親のお金を何だと思ってるんだ!? 必死に働いて稼いだお金だぞ! 親への感謝とか、考えた事ないのか!?」
悠真が声を荒らげる事も無理はない。不登校の原因が“怠惰”だったのだから。
千歳がなぜこうなってしまったか、正確な理由はわからない。ただ、心当たりが無い事も無い。私は、その本質に触れる事をタブーにしてきた。その本質を考えず、目の前の現象だけを見るならば、悠真のようになるのかもしれない。
「……もういい」
プツリと糸が切れる音がした。
千歳は立ち上がると、そのまま部屋を出ようとする。
「ちょっ、話はまだ終わって……」
悠真が肩を掴んで引き止める。
無理やり振り向かされた千歳は、そのまま悠真の顔に平手打ちをかました。
乾いた高い音が部屋に響く。
「な、何すんだよ……」
悠真は、親指と中指、薬指で眼鏡の位置を直す。
「話は終わった。話す事がないから、それをあげる」
「お前……何やったか、わかってるよな?」
今度は、悠真が千歳の胸ぐらを掴んで壁に叩きつける。
ドンッと、今度は低い音が響く。
「……やめて」
恐怖と悲しみで声が小さく、かすれてしまう。
そうしている間に、二人の取っ組み合いは続く。拳を上から、横から、足を蹴り上げ、それが腹に、顔に……。
その殴り合いは徐々に我を忘れさせ、エスカレートしていく。主義も名誉もない、ただの二匹への野獣へと変貌していく。そして、自分が相手を負かすという、単純明快な決着へとシフトしていく。
私も、静止の声をかけるが、届かない。この距離でも届かないほど、私は怯えている。目の前で起きている事を見たくない。止めなければならない。心が叫んでいるのに、声が出ない。
そして皮肉な事に、二人が争えば争うほど、内側から感情の高鳴りが大きくなっていく。それが勇気に変わり、言葉となって声に力を宿らせた。
「二人とも、やめてぇぇぇっ!!」
二人はお互いの拳が、お互いの顔面を捉える一歩手前で止まる。
時計の音が響く部屋で、二人は止まった。そして、勢いをなくした拳がゆっくりと戻される。
再び部屋を出て行こうとする千歳を、これまた再び悠真が呼び止める。
「おい! これだけは言っておく!」
千歳は首だけ悠真の方に振り向く。
光をなくした瞳に戦意は感じられない。しかし、何も映さないかのような漆黒の瞳は、希望の光をも通さない。戦意とは別の、失って欲しくない光までも消えていた。
「そんな考え方を貫きたいなら、三つの方法がある。一つは君が、政治家となって君の望む通りに国を変える。二つ目は、君の考え方が通用する国へ行く事。少なくともこの国で、君の考え方は通用しない。そして三つ目、この世界にそんな奴の行く場所なんてない……死ね」
「悠真っ!!」
悠真の言う事は正しい。非の打ち所がない程完璧で、反論の余地すらない。それでも、千歳を徹底的に否定する言い方は、聞きたくなかった。ただただ自分の感情に振り回され、千歳を正しい方向に導く事と千歳の側にいる事が矛盾している。
千歳は、部屋を一歩分出てから、背中で答えた。
「僕はゴミくずだ。だから、殺してくれよ」
静かに階段を下りていくと同時に、私はその場に足をハの字にして座り込んだ。全身の力が抜けていくのを感じる。徐々に頭が冷やされ、目の前が滲んでいく。そして、どうしてか、全く関係ないところで確信を感じた。
千歳が初めて春川先輩の事を隠さずに私に話してくれたのは、あの時私の方が春川先輩より千歳に近かったからではない。
──元々、私が眼中になかったからだ。
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