第18話 千歳の願う慰めは、世界に響かない


 気持ちを打ち明ける事、それは自分で自分を認める確認作業だ。決して人に聞いてもらいたいわけではない。だから、千代に言った沙奈先輩への感情も、僕が納得するためのものだ。


「今年の初雪って、いつぐらいかなぁ?」


 呑気にしているその人は、空を見上げながらブランコに小さく揺られている。その隣にいる僕は、未だ地に足をつけたまま止まっていた。


「今年は例年より遅いみたいですよ」

「そっかぁ……」


 初雪を待ち遠しく思っている先輩。叶えられるならば、今すぐにでも雪を降らせたい。ただ、僕にはそんな魔法を使えるわけも無い。


「ねぇ、君って願いとかある?」


 いつもの唐突な質問だった。こういう切り出しだから、議論に発展すると思いきや、話題が逸れたり、話したいことだけ話したりして終わっていく。


「ある……とは思います。ただ、どれもこれも叶わないものばかりです」

「ふーん、例えば?」


 少し俯いていた僕の顔を、先輩の大きな目が横から覗き込んで来た。

 僕は横に目をそらす。その瞳に見つめられてしまうと、心の奥底まで読まれてしまうそうだったから。

 そして、何気ないふうに答える。僕の気持ちを少しまぶしながら。


「叶わない前提ですからね? 少し物語調になってしまいますが……」


 僕は、自分の世界を現実に写し出したいと思うんです。そして、それが世の中に受け入れられるようなもので、自分の世界を共有してくれる人が欲しいと思っています。更に、共有してくれた人達を満足させるため、僕は再び自分の世界を拡張するんです。その繰り返しの中で、生きていきたいって、そう思うんです。

 こういう考え方は、やっぱり独裁者のそれです。エゴです。独り善がりなんです。現実には全く無意味なもので、存在しないものなんです。探そうとしても絶対に見つからない。

 だから僕は、自分一人の世界に閉じこもろうと思ったんです。自分の思う場所を求めた結果、世の中のゴミになってでも、守りたいものがあったんです。


「悲しいね」


 僕の話を聞いた先輩はポツリと言った。


「哀れみたいなら笑ってくださいよ。何言ってんだコイツって。でないと、僕というものが浮かばれてしまいそうです」

「浮かばれても良いじゃない。それに、哀れみじゃないよ。この世界のこと。悲しいなって、思ったの」


 僕は先輩の表情を窺う。

 遠くを見るような目は、一体何を見ているんだろう。こんな自然の摂理に反することを語っても、まるで僕の味方であるかのような言い方が、心を震わせる。

 それと同時に、忘れていた罪悪感が僕の心臓を鷲掴みにして、胸の辺りが苦しくなる。


「一人残らず誰もが生きていかなきゃいけない世界なのに、息苦しくなったり、辛くなったり、死にたくなったりするもんね。でも生きるために、必死に何かをするって考えれば、他の動物と変わらないのかもね」


 案に僕の嫌いな話をするのは、わざとなのか、無意識なのか……。

 でも、言っている事は間違っていない。間違っているのは僕の方だ。


「生きるために必死でも、他の動物には死というものがあって、何も感じなくなります。でも、何があっても生きる事を前提としているこの世界は、苦しくて辛くて、悲しい事が多すぎるんです」


 悲しい事が多すぎる。自分でそれを言って泣きそうになるのは、きっと僕が自分に酔ってしまっているからだろう。ほんとにゴミクズだ。現実を批判して、悲観的な見方と対照的な夢を見ては、涙を流している。そんな夢など、どこにもないのに。


「君は、人の悲しみを拾うのが上手いんだね。でも、悲しみばかり集めていたら、自分の悲しみを受け止める場所まで失くしてしまうよ」

「別に、他人の悲しみを受け止めたいわけじゃないです」

「じゃあ、もし、私が泣いていたらどうする?」


 そういう質問はずるい。まるで、僕の気持ちを見据えて、おちょくっているかのようだ。

 そして、答えるべき内容も、僕自身か沙奈先輩のどちらかを傷つけるという悪問だ。

 僕はブランコのチェーンを強く握りしめ、表情だけを確かめて、顔を逸らした。一瞬僕の目に映った、先輩の表情は笑っていなかった。


「僕には誰にも救えません。自分自身でさえ、こんなんなのに」

「ごめん、私の質問がわるかった……」


 何かを察したかのように謝られるのも、正直心地悪い。先輩は、一体どこまで僕をみているんだろうか。


「先輩はどうなんですか? 願い、とか……」

「私? 私はねぇ、世界に認められたい、みたいな?」

「認められるって、何でですか?」

「あぁ、別に世界で戦うとか、そういう意味じゃなくて、世界に必要とされる、みたいな、そんな感じ」


 そう言って、ブランコから腰を上げると、2、3歩前に出る。僕からは、先輩の表情を窺う事が出来ない。

 しかし、後ろ姿からでも僕には、再び遠くを見ているような目が想像できた。そして先輩は、希望に向かって手を伸ばしているかのようで、そのまま空に羽ばたいて行きそうで、先程とはまるで違って、完全な明暗が見て取れた。


「世界に、必要とされる……?」

「うん! そう! 私は多くの“誰か”の為に生きていたい。それが多ければ多いほど、自分の輪郭が形作られていくから。そうやって、みんなの私が出来上がったら、私満足なんだと思う。生きているうちに満足出来る事なんて、そんなに多くないから、私にはこの程度かな」


 ゆっくりと振り向く先輩が夕日と交差して、オレンジ色に輝く。切なげに笑うその姿が、無性に悲しみを誘うのはなぜだろう。先輩の言葉を借りれば、僕は気づかないうちにまた悲しみを拾っているのだろうか……。


「君と同じ、叶えられない夢物語だけどね」

「そんな事ないです。先輩の願いは叶えられますよ。だって、先輩と僕は違いますから……」

「違う、か。そうだね……」


 本音とはいえ、口に出そうと思ったわけじゃない。先輩との違いが深まる事は避けねばならないから。沙奈先輩への気持ちがジワリと僕を締め付ける。


 そう。僕は寂しさを覚えてしまった。もう、一人には戻れないほどに。

 これは沙奈先輩のせいだ。僕には何もなくて良かったのに、何も感じられなくて良かったのに、考える先が、心の求める先が、沙奈先輩を捉えて離さない。

 この世界は、やっぱり、苦しくて辛くて、悲しい事ばかりだ。


 重い感情をぶら下げたまま帰宅すると、玄関に靴が二人分多い事に気づいた。一人は千代だろうが、もう一人は一体……。

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