第15話 千代の遭遇会談


「あれ……?」


 進行方向正面から、うちの制服を着た女子がこちらに向かって歩いて来る。

 その悠真の声音の変化は、知り合いということが原因だろうか。


「どうしたの?」

「あー、中学校の時の先輩が……」


 その人は、案の定、こちらを見るなり立ち止まった。


「あれー! 悠真君!?」

「春川先輩! お久しぶりです!」

「お連れちゃんも、こんにちはー!」

「こ、こんにちはー」


 悠真の言う通りの人だったらしい。そして、悠真と私は同級生の為、必然的に私の先輩ということになる。


「初めまして、春川沙奈です。よろしくね!」


 はるかわ、さな……どこかで聞いたことある名前だ。確か、千歳がこの前出会って、最近よく会っている人。ということは、この人が今一番千歳に近い人……。でも、本人という確証がない。


「あ、綾上、千代、です……」

「千代、露骨に硬いよ」

「そうだよー、先輩だからって、そんなに緊張しなくて良いから」


 つい、身構えてしまった……。

 見れば、結構明るい人な気がした。こういう、明るい性格なのが良いのかな……。


「春川先輩は中学校の時にお世話になった先輩でね、生徒会で色々と教えを請いていた人なんだ」

「ちょっ! 言い過ぎー! 私からはそんなに教えてないし、むしろ悠真君は一人で何でもできちゃう派の人でしょ!」


 そうだったんだ、確か小学校高学年の時もそんな感じだった気がするけど、中学校でもやっぱり凄い人なんだなぁ。よくよく考えたら、悠真と一緒に帰ったり、結構仲の良い友達だったりするのって、貴重なことなんだよね。

 そんな関心をよそに、悠真の質問によって私の疑念が確信に変わる。


「先輩、もう外で出歩いて、制服も着ているという事は、そろそろ学校に戻ってくる練習ですか?」


 戻ってくる……?

 という事は、現在進行形で先輩は登校していないことになる。じゃあ、やっぱり……。


「いやぁー、まぁそんな感じかなぁ〜!」

「学校で会える事を楽しみにしてます!」

「うん! ありがとう!」


 悠真と春川先輩の会話がひと段落ついたところで別れの運びとなった。


「それじゃあ、またねー! 千代ちゃんも!」

「はい、ではまた!」


 私は無言で手を振った。想像するその人と確信を持った瞬間、妙な力が全身にかかった。鞄が重くなり、肩が重くなった。そして、引きずられるように、表情の筋肉が硬直し、笑えなくなった。先輩は、あんなにニコニコしていたのに……。


「先輩はさぁ、本当に明るい性格してるけど、中学の時は結構わがままでさ……」


 悠真の言葉は私に届かない。先輩と別れてからも、自分の世界に吸い込まれていく。そして、巡ってくる思考の先にはいつも千歳がいた。その千歳と先輩が見えない糸で結ばれている。その糸は千歳にとって良いもの、なのだろうか……?


「ごめん! 忘れ物思い出した! 先帰って!」

「あ、うん……」


 私は来た道を走って戻り始めた。別れてからそこまで時間は経っていないはずだ。二回曲がってきた角を戻ると、先輩の姿はない。しかし、遠くへは行っていないだろう。辺りを見回し、春川先輩の姿を探す。

 この辺りは、あまり複雑な道ではない為、曲がった先に注意していれば良い。しかし、この辺りに住んでいるとなれば話は別だ。なんとか、今日中に話をしたかった。


「どこにいるのよ……」


 別れた場所から通り得る道、移動可能な地点を自分なりに想像してが、見つからなかった。どうやら、全く当てが外れたようだ。もう諦めて帰ろう、そう思い始めていた時──。


「あ……」


 それは偶然、だったのかもしれない。

 先輩は帰る途中と考えていた。それ故に“道”にいるものだと思って走り回っていたが、そうではなかった。

 先輩と別れたところから、一つ角を曲がったところの公園のベンチに、先輩は腰掛けていた。よく見ると、膝のところで猫が丸くなっている。

 私はゆっくりと先輩に近付く、その接近に真っ先に耳を立たせて気付いた猫は、春川先輩の膝からピョンと跳ねて、どこかへと走り去ってしまった。

 猫の動きによって私の姿が先輩に認められる。


「千代ちゃん? どうしたの?」

「渡波千歳、ご存知ですよね」

「うん、知ってるよ!」


 少し威圧的に言ったつもりだが、春川先輩は全く表情を崩さない。


「次いでに言うと、私、千代ちゃんのことも知ってたよ」

「え?」

「千歳君から聞いたんだけど、幼馴染みなんだってね」


 千歳が、私の事を、春川先輩に……。

 どうでも良い事のはずだった。私が千歳から先輩の事を聞いたように、先輩が千歳から私の事を聞いたって、何もおかしくない。それなのに、なぜか胸がざわついて、ささくれができたようだった。


「あ、もしかして私の事も、千歳君から聞いていたり?」

「はい、少しは……」

「なぁ〜んだ、それじゃあ、初めましてって言うのもなんか変だったね」

「あの、私の事、どれ位知っているんですか……?」

「うーん、とりあえず隣、座りなよ」


 先輩は右手でベンチの空いているスペースをポンポンと叩いた。私はその言葉に従って、先輩の右隣に腰掛ける。

 腰掛けると、ひんやりとベンチの冷たさが伝わり、体に力が入る。


「えっと、さっきの質問に答えると、どれ程も知らないよ。ただ、幼馴染みで、千歳君とよく話す人、それだけかなぁ」


 多分、色々端折って話しているんだろうけど、話した内容とは大差ない気がした。もっと端的に言うならば、裏も表もないかのような……。


「千代ちゃんは?」

「はいっ!?」

「いや、だから、千代ちゃんは私の事、どれくらい聞いたの? 千歳君に」


 なんだか、私だけ深読みし過ぎてバカみたい……。それに、何を競おうとしてるんだろ。敵う相手じゃないのに……。それに、私自身も会いたいと思っていたじゃない。


「私が聞いた話だと、先輩と僕はどこか違う、って言ってました。僕は罪悪感を感じているのに、先輩はまるで感じていない、みたいな……」

「なるほどねぇ〜、確かに、初めて会ったときは完全に表情死んでたもんなぁ、思わず、頬っぺたグイって、引っ張っちゃったりしてさ」

「先輩、すごいです。私には、とても……」


 本音だった。千歳に変革をもたらしてくれるのは、間違いなく春川先輩だ。会う前から分かってはいたけど、実際に会ってみるとますますそうだ。私にはできない事が、先輩にはできるんだ。


「ねぇ、千代ちゃん」

「はい、なんですか?」

「そろそろ強張った表情、やめない……?」


 それは、不意を突かれた言葉だった。今まで先輩と千歳のつながりばかりを気にしてしまっていた。

 私は慌ててそっぽを向く。今までどんな顔で先輩と会話をしていたのか考える事が怖くなったからだった。


「うーん、そうだなぁー……」


 チラリと先輩の方を伺う。

 先輩は少し考え込むように空を見上げた。もう、辺りは暗くなり始めている。公園の街灯も、私が座るタイミングで光を灯した。

 夜になりゆく空に、どんな答えを求めているのか、私にはわからない。そして、一つの答えを導き出すように私に向き直る。


「じゃあさ、千代ちゃんが最近嬉しかった事って何?」


 それは、街灯に照らされながらでもわかる程の、好奇心をくすぐられた小学生のような瞳で、本当に裏も表もない人だと、確信に変わった。


「私が、嬉しかった事。そうですね……ない事はないですけど、悲しい事と一緒になってるんです。おかしいですよね……。」

「別におかしくはないけど、一つの事で嬉しくなって、悲しくなるのは不思議だよね。なんでなんだろう?」

「えぇ、全くです」


 嬉しい事、話の内容はそうあるべきなのに、私の中で嬉々として振り切れない感情が、悲しみに引っかかってしまい、奥深くへ沈んでいく。


「聞いても良い?」

「はい、どうぞ」

「千歳くんの事?」


 図星だった。最近、千歳は変わってきている。絶望の底で眠り続けている彼は目を覚まし、確かに動いている。進んでいる先が海面なのか、差し込む光なのかはわからない。しかし、動いていればきっと……。そんな期待をしていたのだ。


「はい……ごめんなさい……」

「え! なんで謝るの!?」

「私、春川先輩に感謝しているんです。千歳に光が戻っている気がするから。でも、千歳が離れていくんじゃないかって……」


 先輩は言葉を噤んだ。何か、言葉を探しているんだろうか……。

 私は先輩の表情も見れず、うつむいてギュッと目を瞑ったまま動かないでいた。

 それから何秒か過ぎた時、目を開けようとした、その時。


「大丈夫だよ」

「へ?」

「大丈夫。だって、千歳君が言ってたんでしょ? 違う、って。私もその通りだと思う。だから、変わらずにそばにいてあげてほしい」

「でも千歳は……」

「いつか!」


 私が肝心な部分まで言いそうになってしまったところを、先輩は強い口調で被せて、言葉の先を遮る。

 そして、元の口調に戻り、先輩の言葉を続けた。


「いつか、千歳君の言う違いがはっきりする時が来る。その時、千歳君は私を置いていってしまうの。そしたら、千歳君は一人になる。だから、千代ちゃんがそばにいてあげてね」


 先程の強い口調が余程印象的だったのか、弱々しい口調にも聞こえた。私と先輩には追いつけない差があると思っていた。しかし、その声音では、まるで同じ立ち位置のように感じた。

 そして、先輩は続ける。


「千代ちゃんの、その悲しみはきっとなくなる。ただ、ものすごく辛くて、苦しい思いをさせてしまうかもしれない。ごめんなさい……」


 春川先輩が何を言わんとしているのか、全くわからなかった。それ故に、「大丈夫」という言葉の無力さ、無責任さを肌で感じる。ただ、言葉にする事が出来ず、尻込みしてしまう。


「ねぇ、また会おうよ」


 いつもそうやって、半ば強引に千歳との約束を取り付けていたのかな、と思ってしまうのは、とっても惨めな嫉妬からだろうか。

 それに、私とまた会いたいだなんて、どうして思ったんだろ? そして、私も私で……。


「良いですよ」


 私たちは連絡先を交換して立ち上がり、公園の入り口で二手に別れた。

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