第9話 千歳は違いを感じる、変化を感じる。
「先輩って、なんでいつもそんなに明るいんですか?」
契約や約束という訳ではないが、お互いにお互いの事を話す、という事は了承済みの事だ。よって、聞きたい事は何でも聞いてみる事にした。
「えー? 私、明るいかなぁ?」
「なんか、楽しそうだったり、嬉しそうだったりに見えますけど……」
「うーん、それだと、何か問題ある?」
「いや、別にないですけど……」
実際、今日も歩いていると先輩は鼻歌を歌う程の上機嫌だ。僕の斜め前を歩き、こちらを度々振り返りながら会話が展開される。僕が突き放そうとしても無駄と思うほどには、不思議さに包まれ、興味をそそられるような人だった。それを解き明かしたくなる事は、本当に自分でもわからない。
「普通、自分の意思で不登校する人のイメージは……荒れた性格しているものかと。後は、いじめ、とか? どちらにせよ、学校へ行けないという事に対してしこりがあるように思います。でも、先輩からはそれがまるで……」
「気にしてない?」
僕が最後まで言い終わる前に、先輩に塞がれた。一瞬呆気に取られるものの、僕は言葉を続ける。
「はい……。まるで、学校という存在を忘れているような、そんな感じです」
「まぁ、実際そうだしねー。行く事がないんだから、気にしなくて当然でしょ?」
「じゃあ、何で学校の制服を着ているんですか?」
この質問は少し先輩の笑顔を歪ませた。怒り、というより悲しみの方に揺らいだ表情は、すぐに元の笑顔に戻った。
「そんなにいっぱい聞かないで欲しいなぁ。君だって、聞かれたくない事ぐらいあるでしょ? そうだなぁ……例えば、君は自分の親の事をどう思っているのかな? 先生や、学校の友達の事は? 好きな人とかいるの?」
「ちょっ、そんなにいっぺんに……」
「同じだよ。だからさ、お互いを知るためにこうして顔を合わせて、お互いに自分の事を話すけど、デリカシーは守ってねっ!」
我が身に降りかかればなるほどと思う。徐々に知る、というのが人間関係の基本だ。僕だってそれぐらいはわかる。まぁ、仲良くするかはさておきだが……。
「一応質問には答えると、学校の制服が可愛いから! この制服を着るのは学校だけって、もったいないと思うんだよねー!」
「はぁ……そう、ですか」
純なのか不純なのかわからない理由だと思う。それでも、先輩は生き生きしている。やはり、僕の中でどういう人なのかを括れずにいる。そして、僕は何かの枠に収めたがっている。
「じゃあ、今度は私から質問! 私と家族以外にお喋りする人はいる?」
「あぁ、えっと、千代……幼馴染みとはたまに話したりするかもです」
「女の子? 男の子?」
「女の子、です……」
「そっか! 君には幼馴染みの千代ちゃん、って子がいるのか〜!」
つい口が滑って幼馴染みの名前を言ってしまった……。しかし、よく考えたら千代には既に先輩の事を話しているので、平等という考え方が心の平穏を保つ。
「ふーん、そっか! ちょっと会ってみたいかも!」
僕の幼馴染み、女の子という事だけで会いたいと思うものだろうか。それにしても、興味深々な事もまた不思議だ……。
「私、家族しかいないからさぁ、そういう存在がいるって、何か羨ましいなぁ」
なるほど。不登校になると人との縁が無くなりがちだ。先輩は確かめたかったのかもしれない。僕が先輩と同じで、一人という事を。それで、僕と出会えた事を喜んでみたかった──というのは、流石に深読みしすぎか、自意識過剰だな。
「会ってみますか?」
「会えるの!?」
大きな瞳が一層の光を吸い込んで僕に放射される。表情からも、喜びの前の期待みたいなものが見て取れる。僕はその表情に少したじろんでしまう。
「あぁ、うちで待っていれば、多分来ますよ……」
言ってから「しまった」と思った。先輩とはいえ、まだ数回しか会った事の無い女の子を家に誘うなんて、いくらなんでも馬鹿げている。
「君、ほんとに面白いね」
クスクスと口元をで隠しながら笑われてしまう。
ほら見ろ。自分で揚げ足を取られに行ってどうすんだよ。
一時は先輩から視線を逸らして抵抗を試みるものの、結局罪悪感に負けてしまい、右手で顔の半分を覆い、仕方がない風にため息をつく。
「すみません、急に誘うのは酷かったです。もう少し仲良くなったら、来て下さい」
「うん、わかった!」
この先輩といると、本当に自分でも信じられない言動が多くなってしまう。一人が良かったはずなのに、家に人を招こうとするなんて、今まではありえなかった。
そしてもう一つ、先輩の謎が知れば知るほど深まっていく。一体なぜ、「千代に会いたい」と思ったのか……。
不意に先輩が立ち止まり、こちらを振り向く。そこは、偶然か狙ってなのか、あたりに誰もいない高架橋の下だった。
「君は一人じゃないのかぁ。私が君に与える影響なんて、ほとんどないんだろうねぇ〜」
先輩が初めて弱い部分を見せてくれたような気がした。緩い表情と声音でも、それが自分の傷を隠すかのようなものにしか見えなかった。
「僕に、影響を与えなきゃいけないんですか?」
僕は先輩の顔が見られなかった。今まで全くわからなかった傷が、今は表情だけで隠されている様に思えたから。何なら、表情から透けて何か見えるかもしれなかったからだ。
「君は、本当の一人になったこと、ある?」
僕は、その問いに答えることが出来なかった。先輩はきっと、一人だったんだ。それが、不登校になった理由と何か関係しているのかもしれない。僕には千代という存在がいて、一人ではなかった──と思う。
「あ、あの……」
「んー?」
先輩が不登校になった理由を問いかけたとき、頭上で電車が通り過ぎる音が大きく響く。その大きさに、つい耳を塞いでしまう。それと同時に先ほどの言葉、「デリカシー」が歯止めをかける。
「すみません……何でも、ないです」
「そっか」
暫く黙り込んでしまう。私では影響を与えられない、先輩は確かにそう言った。でも、実際のところは、先輩は僕を大いに変えていると思う。今、まさしく、この瞬間も。そして、きっと受け取ってはいけない温もりも。
「ちなみに答えておくと、君に影響を与えたいのは、私が先輩だからだよ? 先輩としては、後輩のために何か先生まがいのことをして、頼もしいと思われたいからね!」
そうやってまた、先輩は普段の姿に戻った。僕には、やっぱり先輩の事がわからない。この人の事を、どうやったらもっと知る事ができるだろうか……。
「へぇー、先輩もちゃんと先輩したいんですね」
「ん? それ、どういう事かなぁ?」
「すみません……」
「あー! 何か謝るような意味だったんだぁ!!」
こうやって、明るさを装いつつ、自分の弱みを奥の方にしまい込んでいる事はどれだけの人が知っているのだろうか。僕は、それを……。いや、それ以上考えてしまうのは、ゴミクズの僕ができる範疇を超えている。できるとか考える事自体おこがましい。
僕は、先輩に触れられないんだ。
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