第8話 千代は変わっていく姿に届かない


 千歳から「春川先輩と会った」とメールが来たので、夜に電話をしてみることにした。


「ふーん、結局ただただ喋りながら散歩しただけなんだ」

『まぁ、ね』


 少なくとも、千歳の前では春川沙奈という先輩の話をしても良いという事はあらかじめわかっている。春川先輩の事は、千歳から切り出した話だからだ。ただ、私はその人の事を知らない。千歳にどんな影響をもたらす人なのかもわからない。だから、千歳本人から聞いてみるしかない。


「その春川先輩も、その……学校へ来て無い人なの?」

『あぁ、そうだね……』


 少し踏み入った質問だと思ったが、答えて貰えた。春川先輩も不登校、という事はあまり良い影響にならないのかもしれない……。


「どんな話をしたの?」


 これも少し突っ込んだ質問だ。しかし、今日声の感じだといつになくオープンな感じがする。それか、面と向かってではない会話が、私の方をオープンにしているのかもしれない。


『なんか、それぞれが見ているものとか、見えているものについて話した』

「ん? 見ているものって?」

『先輩はさ、僕と同じ不登校でも違う人種だよ』

「違うって?」


 理解が話の流れに追いつかない。小さな疑問を投げるものの、千歳は話を続ける。この小さな質問に答えて貰えないのは正直どうでもよくて、ただ千歳が話し続けてくれる事が嬉しくて。こんなに話す千歳は久しぶりだった。


『僕は、自分に対して不登校という事に引け目を感じているし、罪悪感だってある。それこそ、ゴミだとも思ってる』


 否定したい。「千歳はそんな人じゃない!」って言い張りたい。でも、否定すれば、「千代とは違って」を枕詞に反論してくるだろう。だから私は、その言葉から救う言葉を持たない。

 スマホを持つ手に力が入る。下唇を噛みしめる。

 尚も千歳の言葉は続く。


『でも、彼女はまるでそれがない。不登校という状況を受け入れて、楽しんでいる感じなんだ。かと言って、非行に走っている訳でもなくてさ』

「不登校なのに生き生きしてる感じ?」

『うん、そんな感じ』


 確かに、千歳は不登校への罪悪感を感じているようには見えていた。証拠も何もない、私の直感だけど……。

 それに対して、生き生きしている、というのはどういう事だろう。


「そっかぁ、また会うの? 先輩と……」

『うん、会ってみようと思う』


 千歳の中の春川先輩は、私がたどり着きたい域まで到達していないのだろう。もし、到達していれば、きっとこんなふうに話したりしない。少しは隠したりするはずだ。

 それでも、春川先輩の方が千歳に近いのだろう。多分これからも。私は春川先輩が開けた扉を通っているに過ぎない。春川先輩が近づいた時につけた足跡をたどるしかない。結果的に、春川先輩が最も千歳に近いんだろう。


『……でさ、急に頬っぺたを抓ってきてさぁ』

「なにそれぇ〜!」


 声だけは笑ってみせる。今日は私がオープンではないという事に気づく。だって、こんなにも、吐き出したいのに無理やり押し殺している感情があるから。


 春川先輩──こんなにも簡単に千歳の扉を開けられるなんて……。


「あ、ごめん、そろそろシャワー空くみたいだから……」

『あ、うん。それじゃあ』


 向こうで先に電話を切ったのを確認する。

 ツー、ツー、と私と千歳のつながりが切れる。


「いっぱい話してくれてありがとう」


 届くはずのない声をスマホに吹きかける。

 立ち上がって、バスタオルと着替えを持って浴室に向かう。


 やっぱり、千歳越しにしか春川先輩のことがしれないというのは、わからないことが多い。実際に会ってみたいけれど、正直怖さもある。


 シャワーの蛇口をひねり、頭からお湯を浴びる。体は温まるのに、心の芯が冷えたまま。汚れは洗い流してくれるのに、拭えきれずにこびり付いたものは綺麗にならない。


 春川先輩は、間違いなく今の千歳を現在進行形で変えている。変わるだけでも十分な進歩だ。ただそれは、どこに向かっているんだろう。私の思い通りに進んでくれるだろうか。春川先輩は、千歳と同じ不登校、でも千歳は「僕とは違う」と言った。それでも、千歳が変わっている事は事実な訳で……。

 私は、ただ見ている事しか出来ない。待つしかない。また一緒に登校して、授業を受けて、おしゃべりをして、そんな日が来るのを信じて、待つしかないんだ。


「いつか、会ってみたいな。出来れば、早いうちに……」


 頭を通らず言葉が溢れる。そして、ポロリと転がった言葉の中に、自分でも不思議なところがあった。

 一体何の尺度でいう「早い」なのか、何を焦っているのかを考えてみる。その先でたどり着く所は、奥の方にしまい込んだ私の、一番のわがままだった。


「私、ばか、だね……取られても、仕方ないじゃない」


 考える前に溢れ出る言葉が、私の中に跳ね返って柔らかい部分をチクリとする。

 春川先輩は千歳を救えるのかもしれない。それに伴って、二人の親睦が深まるのは間違いない。その結果、千歳の一番近くにいられるのは私ではないのだろう。

 千歳を変えて欲しい、救って欲しいと願うのに、それでも千歳が欲しいとか、私はわがままだ。千歳が救われるだけでは、満足出来ないのだ。千歳がこのまま弱り続ける所を見ているか、救われて別の人と睦まじくなる所を見ているのか、どちらにせよ私の気持ちは報われない。だったらせめて千歳だけでも、と思ってしまう事にしたんだ。


 私は、また固く作り上げた私を被って、浴室を後にした。


 自室に戻ると、スマホからメールを受信したというアイコンが点滅している。ついさっきまで話をしていた千歳からだ。まだ何か言い足りない事でもあったのだろうか。

 早速メールを開いてみる。


「ぷっ……ばーか。急に人変わりすぎ」


 そのメールの内容に思わず吹い出してしまう。

『僕ばっかり話してごめん。話を聞いてくれてありがとう』というメールだった。


「ったく、今までそんな事言った事ないくせに……」


 一応、「どういたしまして」と返信しておいた。

 散々私に気を使わせて、話題を提供させて、自分の時だけこんな事言うなんて、ずるいじゃない。全く、もう……。


 まぁ、まだあの二人がくっ付くって決まったわけじゃないし、もうちょっと気楽になろうよ、私……。

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