第3話 千歳が歩けば棒に当たって怪我をする
季節はもう冬だ。気がつけば11月も中旬に差し掛かっている。
止まった空間にいる僕には、全く関係のない事だけれど、窓から見るに他の家の屋根が雪を被っていると季節感を感じる。いつから引きこもりを始めたかは覚えていないが、確か学校の規則では、理由なく3分の1の出席がない場合は留年、だったか。今は大体2分の1ぐらいだろうか。一応、新学期早々に引きこもっていたわけじゃないから、少しの出席日数はあるだろう。しかし、それを考える事を放棄している自分がいる。そしてそんな現実から逃げている自分が何よりも悪い。間違っている。わかっている。今の自分はきっと苦労をただ先送りにしているだけなのだろう。
そんな、マイナスに傾いた気分を晴らすときは決まって目的を定めず外に出る。別に考え方や気持ちが変わるわけではないが、気分的に軽くなる。時計を見ると丁度12時を指していた。起きて朝食兼昼食を食べたので、外で飲み食いするつもりは無い。そして、弟が帰ってくるまで大体3時間ぐらいか。それまでには帰ってくるようにしないと。
一歩外に出ると、さすが冬の寒さ、肩に力を入れなければ、根こそぎ体温を持っていかれかねない。身につけたマフラーを口元まで覆うようにする。それでも、マフラー越しに白い息が飛び出していく。今日は何となくちょっとした小川沿いに歩いてみることにした。
左に車道、歩道ときて、右に柵がある。柵の向こうに小さな川が流れている。川の両岸の雑草は雪を被っても健在のようで、見る限りでは本当に川があるのか疑問さえ抱きそうになる。
「あ、すみません……」
「あ、いえ! こちらこそっ!」
川に気を取られていたせいか、正面から歩いてきた人とぶつかりそうになる。
ボーっと歩いていた僕が圧倒的に悪いのに、彼女の押し倒されそうな勢いで謝られると、僕の方が悪いことされたみたいだ。
言葉を交わしたのはそれだけで、お互いの進行方向に向かって再び歩き出す。しかし、思い至ることがあり、数歩進んだところで振り返る。思い至る事──彼女は、僕と同じ学校の制服を着ていたのだ。
「あの……」
「はい?」
まだそこまで距離が離れていない事もあって、ひ弱な声音も彼女の耳に届いたらしい。くるりと振り向いて、僕の言葉を待つ。
僕はぶつかりそうになった時に見れなかった彼女の顔を、まじまじと見つめてしまう。黒いロングヘアーを身体にまとわらせて振り向く彼女、輪郭が程良い小顔、美形だ。大きな目と眉は外側に垂れ下がるようにカーブしている。鼻も口元もやや小ぶりで、目の魅力が存分に引き出される。
当然、こちらが見つめているのだから、向こうも不思議に思ってまじまじと見返してくる。
「あ、ひょっとしてナンパ?」
「なっ!?」
何を言おうか考えている隙に、あらぬ罪を着せられそうになる。確かに、何気ない道でぶつかりそうになったぐらいで、男性が初対面の女性を呼び止める理由など、ナンパぐらいだろう。そもそも僕が声をかけたのがいけないのだが……。
「別に、ナンパとかではなくて……」
「じゃあ、何で呼び止めたんですか? ナンパじゃないって、証明できます?」
「同じ、学校だから、その制服の……」
たどたどしい理由ではあったが、本当だった。僕と同じように学校をサボっている人というのは、当然ながら初めてだし、制服も着ていたりすれば気になりもする。──声をかけるのは、自分でもどうかと思うけど……。
「ふーん、それじゃあ、学生証見せて下さいよ」
「あ、その、今は持ってなくて……」
「そうですか……」
彼女は顎に手を当てて、考え込むようなポーズをとった。その様子を黙って見ていると、何かを閃いたのかこちらに向き直る。
「電話番号、教えて下さい」
「はい?」
正直、耳を疑った。ナンパを疑われている僕に対して、どうして電話番号を教えてと聞くのか。彼女の考えが、僕には全く理解できない。そうしている間に彼女はスマホを取り出し、僕のリアクションを待っている。先ほどから不思議なのだが、彼女の態度や表情がずっと穏やかなのだ。普通、初対面の人と接する時は身構えたり、警戒したりするものではないのだろうか? ましてや、今僕はナンパしていると思われているのに、こう……どこかフレンドリーなのだ。
「まさか、携帯まで持ってないとか言うつもりですか?」
「あ、いや……」
僕は慌ててスマホを取り出し、番号を告げる。それを彼女は画面上に打ち込んでいく。人との関わりはほとんどない為、人に電話番号を教えるのは久しぶりのような気がする。それにしても彼女は、僕がナンパではないということを証明するプロセスとして、電話番号を聞いている、ということをわかっているのだろうか。
「はい、入力完了しました」
「何で、電話番号なんて聞いたんですか?」
その瞬間、カシャリと音がして、呼吸が止まりそうになる。しかし、彼女の右手に握られていたスマホのレンズがこちらに向いていることに気付き、写真を撮られたのだと悟る。
「な、んで……」
プルルルル……
今度は僕のスマホが着信を知らせるメロディーを奏でる。これまた咄嗟のことで、突然大きな音を耳元でバチンと鳴らされたかのような反応になる。画面を見ると、『非通知』の文字が書かれていた。わざわざ非通知でかけてくる人の電話に出ることはないだろう。僕は無視することにした。
「どうぞ、気にすることないので出てください」
「いや、いいんです」
「出てください」
先ほどまで、豊かだった華が急に棘を持ったような声音に変わる。どうしてそこまで鋭い口調になるのか。でも、彼女の棘を取り除くには出るしかない。「内容次第ではすぐに切る」と伝えて、彼女に背を向けて通話ボタンを押し、耳元につける。
「やっと出てくれましたね」
聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。そう、つい数秒前まで聞いていたような柔らかい声。僕は確信に近い予想を抱えて、振り返る。
「電話番号、ちゃんと教えてくれてありがとうございます。明日のこの時間は空いていますか?」
スマホを耳元に置きつつ、目の前にいる僕に話しかける。彼女の直接の言葉と受話器から発せられる声が、微妙に重ならない。そして、その二つの声も別人のように感じられる。僕は、疑問を投げかけられていることにさえ、気付いていない。
「あのー、聞いてます?」
「あ、えっと……」
「明日、この時間、この場所で会えますか?」
「は、はい……」
この時の僕は、彼女に蜘蛛の巣に絡まる蝶のごとく、絡め取られていた。
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