第2話 千歳の幼馴染みと日常

 朝に体が重いのはいつもの事だ。目覚める時も、眠る時も希望なんてないのだから当たり前だ。しかし、普通の人も普段から希望を持って眠り、希望を持って目覚めるとは思えない。一体、どうのようにして一日を終え、一日を迎えるのか。考えたところで、僕のクズは変わらない。


 見えない何かの圧力に負けて仕方なく上半身を起こす。すると僕を起こす為に圧力を放っていた主がいた。


「やっと起きた……」


 千代だ。いつからいたのかはわからないが、僕の部屋で起きるのを待っていたらしい。と言う事は、今日は土曜日か。千代は、俺が散らかした物の間を縫って器用に体育座りしていた。ダボっとしたパーカーとホットパンツ、黒いストッキング、髪は後ろで一つにまとめたポニーテールだった。


「お父さんもお母さんも仕事だって」

「知ってる」


 僕は誰に対しても言葉を発しない訳ではない。話したい事があれば話す。都合が悪くなれば黙秘する。親に殴られながら「お前はずるい」と言われた事は記憶に新しい。きっとその事を千代も理解している。それをわかっていると思っているからこそ、僕も親と接する時と同じように話す。最も、同級生であり、幼馴染みという点で別の扱いをしているのかもしれないが……。


「これから何するの?」

「僕がどうするかより、千代は何で俺の部屋にいんの?」

「良いでしょ、毎週こうしてる訳じゃないし」


 別に構いはしない。物心つく前から一緒にいた僕たちは、もはやお互いが空気のような存在になっていると思う。理論的には無くてはならないものだが、現実問題として普段の生活からは意識の対象ではない。つまり、存在して当たり前で意識の外にあるもの、もっと言えば距離感の概念を逸したものであると言えると思う。


「まぁ、来るのもいるのも良いけど、とりあえず部屋を出てってくれる?」


 突き放す目的ではないものの、千代は苦虫を噛み潰した様な顔をする。言った後にその意味を理解しても、僕の心の中に、罪悪感はまるでない。自分が酷い、最低の人間と知っているからだ。そりゃあ人を悲しませる事もあるだろう。


「千代は僕の裸体に興味あるの?」

「えっ!?」

「目が覚めたから着替えたいんだけど……」


 ようやく僕の言葉の真意に気がついたらしく、顔が紅潮して顔をキョロキョロとし始めた。僕は追い打ちをかける様に、着ているTシャツに手をかける。


「ちょっ! バカぁぁぁあああ!!!」


 怒涛の勢いで部屋の出口へ向かう。両手で両目を塞いでいた為、漫画本に足を滑らせ、それこそ漫画の様に前から頭をぶつけて転んだ。しかし、痛がるでも無く、そそくさと部屋を出て、扉を勢いよく閉めた。


「いっったぁぁぁあああ!!」


 どうやら、回避行動が完了してから自分の被害が神経に到達したらしい。ただ出て行ってもらいたかっただけなのに、Tシャツに手をかけて急かしたのは、流石にちょっと悪い気がした。


「大丈夫かぁ?」


 服を着脱しながら、扉の向こうで頭を抱えているであろう千代に向かって安否を問うてみる。


「うるさいっ! 千歳のバカっ!」

「ごめん、急かして悪かった」

「なっ、なによ……バカっ……」


 謝罪の後の言葉は尻すぼみになっていた。その口調からは、どこか許しをもらえるとも捉えられるものだった。これは感覚十割で根拠などないのだけれど。そうやって、優しい人と思われるところが千代の良いところだ。自分が悪かったらすぐに謝り、相手が謝ってくれば快く許す。言葉はそうではなくとも、口調からその感情が漏れている。聞いた話では、男子からの人気もそれなりに高いのだとか。


「お待たせ」

「良いよ、勝手に待ってたの私だし」

「暖房つけたから、部屋に入りなよ。廊下も寒かったでしょ」

「……ありがとう」


 僕は千代を受け入れている部分が、他の人よりも多いのかもしれない。空気としての存在、という事もあるのだろうが、それは親しみとも違う何かを感じる。かといって、特別なものとも思わない。やはり、空気たる所以な事なのかもしれない。まぁ、結論が出なくても別に困る事はないか。


「どうしたの?」

「いや、何でも」


 千代が僕の空間にいる時は、落ち着かなくなる。しかし、その落ち着かない事が、僕の嫌悪の塊を手品の様に消してくれる。要は暇潰しになっているという事だろう。一人が良いとわかっているのに、僕は本当にズルくて、非道で、最低だった。


「で、なにすんの?

「別に考えてない」

「じゃあさ、ゲームでもする?」


 僕の部屋に千歳と二人だけの時間が過ぎていく。

 僕にとっては無意味で生産性のない時間なのだが、それがとても心地良かった。

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