結局、救われないんだから「助けて!」とか言っても意味ないじゃん!

芦ヶ波 風瀬分

第1話 渡波 千歳(わたりなみ ちとせ)

 僕は、弱肉強食という言葉が嫌いだ。


 強いものに淘汰される弱者。強者のみが残っていく世の中。そんな世の中を変えようと人は社会というシステムの中で、弱者救済に取り組んでいる。だが、それは新たな概念での戦いの始まりだった。ただ単に物理的な腕っ節の力としての強さではなく、知能、弁論、お金、人脈……様々な分野で強い者と弱い者が生まれた。その結果、強者は強いままで世の中を闊歩しているのに、弱者は複雑化し、救う為の手立てが追いつかなくなっていく。もはや、社会という生き物は、強者としての区別は出来るのに、弱者という区別を限りなく難しくしていた。人々を救う為の社会システムが、結果的に把握しきれない程の弱者を生み出した。結局は本末転倒だったということだろうか。

 そして、根底にあるもの。所詮、この世は弱肉強食だった。


 僕は学校へ行かなくなった。どこにいても強い者の隷属になるしかなくて、自分は弱いのだと自覚した。その時、弱肉強食を嫌悪する僕が思いつく方法は、逃げる事しか知らなかった。家の二階の自室に篭り、他の人の干渉を拒む。初めは、親や先生も色々と人としての美学や人生についての綺麗事を聞かされた。しかし、全く心に響かなかった。強い者が弱い者に「奮い立て!」と言って死地に送り込むような言葉に聞こえたからだ。案の定、その口調は徐々に鋭く尖ったものになっていった。


 それ以降、僕は自覚できるほどに、弱者よりも下の「ゴミ人間」とか「クソ野郎」とか「負け組」のそれだった。朝起きたら両親が共働き、弟は小学校へ行く為、家に一人。朝食兼昼食を食べて、自室でゲーム機を起動したり、アニメを見たり、漫画を読んだりした。時々外へ散歩に出たりもする。夕食までは自室で時間を潰す。家族が揃った食卓でも一言も発さずに、食べ終えたらそのまま自室へ戻る。明日への希望も無いまま眠りにつく。全く未来など見えないまま、無色透明の日々が過ぎていく。


 今でも時々口論が繰り広げられる、と言っても、自分でもゴミ人間だと思っているので、相手の気が済むまで口を挟まない。殴られようが蹴られようが構わない。全てを受けてやった上で、相手が諦めるのを待つだけだ。人としてダメなことをしているとわかっていてゴミ人間をしているのだ。親や先生はさぞかし胸くそが悪いだろう。だが、今この瞬間をやめるつもりはない。僕にとっては今が一番、好きな時間であるから。


 一つ言い忘れていたが、僕を咎めるのは先生と親だけではない。


渡波わたりなみ千歳ちとせ、また学校サボったわね?」


 綾上あやかみ千代ちよ、僕の幼馴染みだ。家も近く、親同士も仲がいい。もはや家に上がるための条件などは存在しない。インターホンのカメラに顔を収めるだけで、二つ返事だ。

 しかし、今の状況はやはり腐れ縁と呼ぶには相応しすぎる状況と言えよう。


「……また黙ってるのつもり?」


 部屋の電気を消しているため、廊下の明かりが影となって、千代がどんな表情をしているのか、どんな格好をしているのか、ほとんどわからない。

 そして僕は何も答えない。間違った行いをしているとわかっているし、高校に入学した以上、学校に行かなければならないというのは義務だと知っている。そこを責めるのは当然の事だ。


「はい、今日の宿題と、授業のノート、ルーズリーフに書いておいたから」


 千代がゲーム機やら漫画やらが散らばった俺の部屋を、器用に爪先立ちで渡ってくる。俺はベッドに座ってその様子を目で追っていた。


「これ、机の上に置いておくから」


 見事、足場の悪いところを渡って見せた千代がこちらに振り向く。半分の表情しか見えなかったが、その目や口元には、変わらないとわかっている現実に、変わる事を渇望しているような、極僅かな期待を含ませたような表情だった。

 そんな表情でも、僕の心は全くもって動かない。


 千代が、再び爪先立ちでちょっとした剣山を進む。今度は無言でベッドに腰を下ろした──そう、僕の隣に、だ。

 お互いに顔は合わせない。合わせようともしない。いつからか、千代は宿題やノートを取ってくれるようになり、その次にこうして隣に座ってくるようになった。ここから先は、言葉を発したりするかどうかはまちまちなのだが……。

 二人並んで座り、静寂が包み込む。机に置いてある小さい置き型針時計の音がここまで聞こえてきそうだ。しかし、僕の好きな空間に、今は千代がいる。自分の空間に他の人がいるというのは何とも落ち着かない。


「私、そろそろ帰るね」


よっと、と立ち上がり、ワルツを踊るような華麗なステップで廊下にたどり着く。


「部屋、片付けてよね。宿題もやりなよ。ノート、しっかり見ておいてね」


 面倒見の良いお姉さんのようなことを言う。千代は、毎回最後はそんな事を言って部屋を出て行くのだ。しかし、最後の一言で、同級生という存在に自覚する。


「学校、来るの待ってるから」

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