まほう少女クルード

茅田真尋

まほう少女クルード

 お座敷の至る所で同僚たちの喚声が上がる。皆、すっかり出来上がっているようだ。私もジョッキに残るビールを一気に飲み干し、気合を入れなおすように息を吐く。だいぶ酔いが回ってきたな。火照った体を冷そうと手元の水を飲み、壁にもたれた。

「稲村さ~ん、祝福系まほう少女アクアって知ってます~? そりゃ、知ってますよね~ あーはっは」

 とつぜん、隣にいた同期の上田が話を振ってきた。この調子だとこいつ、かなり酔っているな。

「すまない、上田、魔法少女なんだって? 聞いたことないと思うんだが……」

 私が遠慮がちに言うと、上田は血相を変えた顔をこちらに向けてきた。そんなにまずいことを言っただろうか、私は。

「知らないんですか⁉ 今、子供だけでなく大人にも大人気の、あの祝福系まほう少女アクアを知らないというのですか⁉」

「あの、と言われても……知らんもんは知らん。小児向けアニメなんて、いい大人の見るものじゃないだろう」

 正直な感想を上田にぶつける。

「いくつになっても面白い物は面白いんです~。 悪の軍団に立ち向かうアクアちゃんを見てると、あ! 僕も頑張らないとな、彼女みたいにたくましく、日々を生き抜かないとな! と、こう鼓舞されるんですよ~」

 上田は満足げに語る。さっぱり理解できない。いい大人が子供のヒーローに感化されてどうする。

まあ、酔いのせいで口走ってしまっただけのことだろう。素面でこんなことを突然言い出すようなやつではないと私もわかっている……たぶん……。

 上田は私の同期であるが、十歳ほど年下である。彼は新卒採用だが、私は中途の段階で転職し、今の会社に入社したのだ。だから彼は私に対して、いつも敬語を使う。ため口でよいと言っているのだが、上田にとって十の年の差は大きいものらしい。職場での立場よりも、年の差を優先するなんて子供みたいだ。(悪い意味ではない。年上の者に対する礼儀は大切だ)そういえば、さっきのように小児向けアニメなんぞの話題を振る点も子供らしさの表れかもしれない。(こちらは悪い意味である。もう少し大人になりなさい)

「え~ 稲村さん、ほんとに知らないんですか~? だって、○○系まほう少女シリーズは九年前に始まり、徐々にその認知度を上げ、今や乗りに乗ってる大人気アニメですよ~? もう~、洋画ばかりじゃなくてアニメも見ましょうよ~」

「うーん、わかった、わかった。今度時間があったら見ておくよ」

 と私は適当に相づちを打つ。お前は九年も前から、そのシリーズを見続けているのか。飽きないもんなんだねー。

「そろそろ、お開きにしましょうかー」

 部長が全体に向けて声をかけた。うー、だいぶ飲んだな。気を付けて帰らねば。

 二次会の予定があったが、私は先に帰らせてもらうことにした。上田が、一緒に行きましょうよー、とやたらに誘ってきたが、他の同僚が何とか引きはがしてくれた。

 二次会はカラオケらしかった。別れるとすぐに上田の下手くそな歌が背中越しに聞こえてきた。店まで待ちきれなかったのだろう。妙にちゃらちゃらした歌であった。おそらくあれが、その何とか系魔法少女何とかのテーマソングなのだろう。振り向きこそしなかったが、いい年こいた親父が公衆の面前で声高々に、アニメソングを熱唱する様子は、想像するだけでいたたまれない気持ちになった。



 道が悪いのか、車内が大きく揺れる。泥酔していたからといって、安全のためにタクシーを拾ったのは失敗だった。さっきから吐き気を催してしまい気が気でない。だが、運転手に迷惑をかけるわけにもいかないから、深呼吸をして何とかやり過ごした。

 ようやく自宅にたどり着いた私はすぐにトイレへ直行した。吐き気なんて我慢していてもろくなことがない。

 一段落した後、冷たく心地よい夜気のなか、ベランダで煙草を一服ふかした。私の自宅は台東区の外れに位置するワンルームマンションの二階にある。都心でありながら、あまり都会の喧騒に悩まされることがなくて私は気に入っている。

 一息つくと、ほんのりと眠気を感じた。たまには早く寝てしまうのもいいかもしれない。そう思った私は煙草の火を消し、部屋に戻った。

 壁際に敷きっぱなしにしてある布団にもぐりこむ。掛け布団を首元まで上げて寝返りを打つと、この狭い部屋の全体がよく見渡せた。といっても、仕事用のデスクと小型の掃除機、それと備え付けのテレビぐらいしか置いていないのだが。

 再び寝返りを打った。目の前の白い壁には、不格好な首飾りがかかっている。丸い、お菓子の空き缶にひもを通した、手作りの品である。缶にはたくさんの色の折り紙が切り貼りしてあった。懐かしいものだ。あいつも、もう十七になるのか。早いもんだなぁ。私はその首飾りを手に取ってぼんやりと見つめた。だが、すぐに元に戻した。

 布団にくるまっていると眠気はますます押し寄せてきた。私はそのまま眠りに落ちた。



 どこからか耳障りな雑音が聞こえる。はて、いったい何の音だろう。私は寝返りを打って、重い瞼をこじ開けた。

 見ると、テレビ画面にスノーノイズが表示されている。俗に砂嵐と呼ばれているあれだ。先ほどから聞こえる雑音は、それに伴うノイズ音だった。

ここで寝ぼけた頭に一つの疑問が浮かんだ。スノーノイズはアナログ放送に特有のものなのだ。だから、目の前のテレビにスノーノイズが表示されるはずないのである。それに、そもそも電源を入れた記憶がない。

 私は布団に入ったまま、しばし砂嵐の映るテレビ画面を見つめていた。

 とつぜん、砂嵐がぱっとかき消えてどこかの風景が映し出された。

大理石の舞台上から撮影したものらしい。辺りを取り囲む円柱が数本確認できる。古代遺跡か何かだろうか、以前にネットで見たパルテノン神殿の写真に少し似ていると思った。

 だが、妙に色味が平坦である。こうも陰の少ない風景は違和感を覚える。私は布団を抜けだしてテレビ画面に顔を近づけた。

 すぐに違和感の正体はわかった。映っていたのは絵だったのだ。それもルネッサンス期の写実絵画のようなものではなく、普通のアニメーションに使われているようなものであった。私が幼少のころに見ていたアニメよりはだいぶ丁寧な描写がなされていると思った。だが、昨今話題になるようなアニメ映画と比べるとだいぶ雑な印象である。(CMでしか見ていないから確かなことは言えないが)

 映像に動きがあった。画面正面、舞台のへりから銀色の髪をした女の子がひょっこり顔をのぞかせたのである。イラストだからよくわからないが、一応中学生くらいなんだろうか。というか、今から始まるのか? こんな時間にアニメなど流していったい誰が見るというのだろう。

 ……ああ、上田みたいな種類の人間か。夜中にこういうものを生き生きと見ているのだろうな。ご苦労なこった。……いや、今の時代なら撮りためておいて、休日にでも見ているのだろう。

 女の子が舞台に上り切った。服をはたいてほこりを払っている。のんきなアニメだなぁ。

 彼女は真っすぐこちらに向かって歩き出した。つまり、撮影カメラに近づいていることになる。はっはー、なんとなく展開が読めた気がするぞ。どうせこのまま画面の真ん前までやってくるんだ。そして顔を画面いっぱいに近づけるんだな。で、最後に男が喜びそうなセリフを甘い声でつぶやく。すると、上田みたいなやつらは大喜びと、そういう寸法だろ? なんだか、新手の風俗営業みたいだな。呆れを通り越して笑いが漏れる。

 案の定、女の子は画面の真ん前までやってきた。彼女の胴体がテレビ一面に映し出される。あいつらは、こういうのも嬉しいのかね? 私は一人鼻で笑った。

 そしてこれまた案の定、女の子はかがみこんでこちらを覗き込んできた。彼女と私がスクリーンを通して睨み合う形になる。そこでふと私は我に返った。私はこんな時間に何をやっているのだろう。

 私はテレビの電源を切ろうと、スイッチに手を伸ばした。すると、その手をとつぜん何者かにつかまれた。

 恐る恐る自分の右手に目を向けると、テレビ画面から突き出た腕が私の手首をすごい力でつかんでいる。アニメの女の子の腕がこちら側にやってきているのである。

 恐怖に支配された頭で私はぼんやり考えた。そういえば昔、テレビから髪の長い女が出てくるホラー映画を見に行ったな。今のこれはもしかしてそれか? もしそうなら私はこのまま殺されてしまうのだな。でも待てよ、映画では呪われてから一週間の猶予があったような……。いきなりやってきておしまいだなんて不条理にもほどがあるだろ!

 今度は恐怖の代わりに怒りがふつふつとわいてきた。目の前の女はすでに両腕をこちら側によこし、上半身もほぼこちら側だ。テレビの中には下半身を残すのみになっている。私は渾身の力を込め、ヘビー級ボクサーよろしく、女の鼻っ柱に左ストレートをお見舞いした。

「ふごっ⁉」

 女は情けない声を上げてその場に伸びてしまった。助かったのか? 私は大きく安堵の息をついた。

 さて、こいつをどうしようか。画面からは女の上半身だけが飛び出ている。残る下半身はまだ画面の奥だ。ここでテレビの電源を切ったらどうなるのだろう? 上半身だけがこちら側に残るのだろうか?

……それは嫌だな。よし、まずは胴体をスクリーンの奥へ返そう。そして電源をオフにしてプラグも抜いてしまえばよい。テレビも気持ち悪いから、明日にも粗大ごみに出してしまおう。

 決心を固めた私は、気絶した女の両肩をつかんで画面内に押し戻そうとした。しかし、向こう側へ女の肩が入った時点でそれ以上動かせなくなった。当然のことながら私の手は画面の境界を越えられなかったのである。

 今、女は腕と顔面だけが外に出ている状態だ。うーん、顔を思いっきり突き飛ばせば、腕もそのまんま中へ戻ってくれないだろうか。

 そんなことを悠長に考えていたら、女が気を取り戻してしまった。まずいこの女、さっきの握力からするに、すさまじいパワーだ。本格的に動き出す前に、もう一度ノックダウンせねばなるまい。私は手近にあった掃除機を握りしめ、それを女の脳天めがけて振り下ろそうとした。

「待って、まってよー! もう殴んないで、おどろかして申し訳なかったですー」

 女はとつぜん、鼻水まみれの顔で許しを請いてきた。若い女にありがちな耳にさわる声だった。思わず、私の動きも止まる。なんなんだこいつは?

 わあわあ泣きながら、女はテレビの枠に手をかけて上半身をこちら側に乗り出してきた。ちょっと待て、なに勝手に入ろうとしている。私は無言で相手の肩をつかみ、再び押し返そうとする。

「手を放してください、乙女の体に無作法に触れるなんて、どんな神経してるんですかー」

 あろうことか、女が文句を言ってきた。

「人の家に勝手に上がり込もうとするお前も一体どんな神経をしているんだ? 不法侵入で訴えるぞ」

 私はさらに腕に力を込める。

「ここで引き下がるわけにはいかないんですー。あなたに手伝ってもらいたいことがあるんですよー」

「黙れ! 私にお前を手伝う義理などはない‼ 今すぐ、アニメの世界へ帰れ!」

「ちゃんと話を聞いてくださいよー。あなたはきっとボクの助けになってくれるし、ボクもあなたにとって悪い存在じゃないはずですからー。お願いですよー、稲村純一さん」

 なぜこいつ、私のフルネームを知っているんだ? 思わず腕の力が緩んだ。それがいけなかった。女はこのすきを見逃さず渾身の力で体をねじ込んできた。あまりの力に私は後方へよろけて転倒してしまった。

「うおー、勝ったどー!」

 女は床にへたり込んでいる私に対して、勝鬨を上げている。真夜中の集合住宅なんだ。もう少し配慮をしてほしい。

 しかし、これでこいつは完全にこちら側の世界へやってきてしまった。どうしたらいいだろうか。……幸い、画面内ではイラストだったこいつも、今となっては普通の人間と変わりないように見える。警察に突き出してしまえばいいか。私はふところからスマートフォンを取り出した。

「あー! 通報する気だなー‼ そうはさせませんよー」

 女は私に飛びかかり、スマホを奪い取ろうとする。だめだ、もう。私はこのアニメ女から逃げられそうにない。

「わかった、通報はしないからひとまず落ち着きなさい。話だけは聞こうじゃないか」

 私は観念し、しぶしぶ女の相手をすることにした。すると、女は居住まいを正した。急に礼儀正しくなったな。

「実は、ボクは……」

 女は言葉を切って目をそむけた。何か言いにくいことなのか? 私の胸にも不安がよぎる。

「おっおー!」

 女が唐突にうれしそうな声を上げた。どうしたというのだ。

「なんだ、なんだ、やっぱり純一さん、ボクのことを知っているんじゃないですかー。素直に言ってくださいよー」

 意味の分からないことを言って、私の肩を肘でつんつんしてくる。私は相手の腕を乱暴に振り払った。

「お前みたいに、ちゃらちゃらした小娘の知り合いなんぞおらん」

「えー、ボク、そんなにちゃらちゃらしてるかなー? 次世代の子たちに比べたら、だいぶおとなしいデザインだと思うんだけど」

 あごに手を当てて、女は考え込むような姿勢をとった。

「いや、私は見た目ではなく言動のことを言ったのだ」

 実際、女の服装は、そう悪趣味なものではないと思われた。うっすら桃色がかった長袖ブラウスの上に、半袖の上着を合わせてボタンで閉じている。上着は、朝方の空のような青味のある黒で、末広がりな、膝丈ほどまでのスカートも上着と同じ色だった。胸には白いリボンをつけている。個人的には西洋の女学生のような印象を受けた。

「そんなことより」

 女はぱっと私に向きなおって、いきなりあらぬ方向をびっと指さした。

「あそこの壁にかかってるやつ。あれ、ボクの変身コンパクトですよね? あんなの持っててボクのこと知らないわけないじゃないですかー。ほんとはボクのファンなんでしょ? 恥ずかしがらなくていいですよー。いじらしいなー」

 そう言ってまたこいつは私をつつこうとする。私は素早く横に身を避けた。女は勢い余って絨毯の上に倒れこんだ。

「あれは、昔、娘が小学校の工作で作って、私にくれたんだ。お前のコンパクトなどではない」

「あ、娘さんの作品だったんですね。じゃあ、きっと娘さんはボクのコンパクトをモチーフにしたんですよー」

 そう言って、女は上着のポケットから丸いコンパクトを取り出した。確かにカラフルな色合いは娘の作ったものにそっくりだった。

「似ている……。どういうことだ、これは? 娘はお前のことを知っていたとでもいうのか」

「うん、そうだと思いますよー。娘さんがあの首飾りをくれたのって九、十年前じゃないですか?」

「あんたの言うとおりだ。なぜ分かった?」

「ボクのアニメが放映されてたのが、ちょうどその時期なんですよー。だから娘さんが当時、ボクのアニメを見ててくれてたとしてもおかしくはないと思いますよー」

 なるほど、最近のアニメーションと比べて、イラストが少々雑だったのは、制作時期が原因か。

「あー、今、道理で古そうな絵とか思いましたよねー」

 おっと、内心が顔に出てしまっていたか。

「で、あんたは結局、何の作品の、何のキャラクターなんだ?」

 私が尋ねると女は待ってましたとばかりに、がばっと立ち上がった。

「よくぞきいてくれました! ボクこそ、悪をこらしめる正義のまほう少女クルードちゃんだよ!」

 威勢よく叫んで、自称魔法少女は決めポーズと思しき奇妙な姿勢をとった。顔にはどうだと言わんばかりの自信が満ち溢れている。だが……

「誰だ?」

「えー‼ 正義のまほう少女クルードちゃんを知らないんですかー⁉ 今大人気の○○系まほう少女シリーズの初代ですよー」

 クルードは私の肩をつかんで、ぶんぶん揺さぶってくる。何をされたって知らないものは知らないんだがなぁ……ん? でも○○系魔法少女シリーズというのは聞き覚えがあるぞ? さっきの飲み会で上田が言ってなかったか?

「あー、待て待て。そのシリーズなら私の友人にファンがいるよ。だから、名前ぐらいは知っている。だが、お前が本当にそのシリーズの初代なら、あんたはいったい何系魔法少女なんだ?」

「ボクはただのまほう少女ですよ。アニメのタイトルもシンプルに『まほう少女クルード』ですし」

「初代なのに、肩書がないのか?」

「初代だからですよー。ほら、仮面ライダーだって二作目は仮面ライダーV3、三作目は仮面ライダーXですけど、一作目はただの仮面ライダーじゃないですかー」

 ああ、そういうもんなのか。納得できないこともない。

次にクルードは近くにあった紙とペンをとり、歴代魔法少女を列挙しだした。

「二代目リリカル系まほう少女ナノハ(CV村田友梨佳)

三代目地獄系まほう少女アイ(CV富野眞子)

四代目狼系まほう少女ホロ(CV三越愛純)

五代目ペット系まほう少女マシロ(CV矢野藍華)

六代目中二病系まほう少女リッカ(CV内蒔田彩)

七代目うさぎ系まほう少女ココア(CV姉倉沙也)

八代目勇者系まほう少女ユウナ(CV春出瑠衣香)

九代目忍び系まほう少女チドリ(CV芹野未伊那)

十代目祝福系まほう少女アクア(CV宙間綾美)

ってな感じになってますー。露骨なパクリ感が癖になるって、もっぱらの評判なんですよー。全員覚えました? CVも込みですよー」

……私にはいったいどれが何をパクっているのか皆目見当がつかない。CVも俗に言うキラキラネームばかりで覚えられるはずもない。無論、覚える気もない。(私はCVが何の略かもわかってない)

「ちなみにボクの声は滝江楽夢里さんって声優が担当してくれてますー。つけくわえちゃお。

初代まほう少女クルード(CV滝江楽夢里)っと」

 どうやら、CVとは声優を表しているらしい。なるほど、キャラクターボイスの略か。

「せめて、ボクの名前くらいは覚えてくださいよー。他の子たちはどうでもいいですからー」

 どうでもいいのかい。さっきは声優も含めて覚えこませようとしたくせに。

「それで、その魔法少女クルードさんが私に何の用があるんだ?」

「あ、そうですよー。話がずれちゃってましたね」

頭に拳骨を当てて、ペロリと舌を出した。あざとい女。

クルードは舌をしまって、いささか落ち着いた様子で話しだした。

「ボクは――」

 だが、彼女の言葉はけたたましい音にとつぜん遮られた。騒音に導かれるがまま振り向くと、ベランダの窓ガラスが粉々に割れている。

「あちゃー、こりゃ、さっさと本題に移るべきでしたかねー」

 狼狽する私をしり目に、クルードは何事もないかのようにひょうひょうと言った。

 ガラスの破片を踏みしめて中に入ってきたのは、全身黒ずくめの男だった。その姿勢に一切の隙がないことは素人目にもわかる。顔までも真っ黒な点を除けば、昔映画館で観たメン・イン・ブラックのエージェントに少し似ているかもしれない。あ、待った、スターウォーズのダースべーダーのがいいかもしれない。とにかくあの辺のキャラクターのイメージだ。焦りが高じてまともに考えられない。

「ひとまず、ここは逃げるしかないです。ボクにつかまってください、早く!」

 訳も分からず、おろおろする私に銀髪の魔法少女は強く言い放った。おお、急に頼りがいが出てきた気がする。クルードの肩に手を置き、期待を込めて私は言った。

「お得意の魔法で何とかしてくれるのか?」

「そんなの無理ですよー。魔法がつかえるのはテレビのなかだけですからー」

 期待した私がバカだった。

「あんまりがっかりしないでくださいよー。ちゃんと逃げ切ってみせますからっ!」

 次の瞬間、クルードは天井に向かってアッパーカットを放った。ものの見事にきれいな風穴があいた。ここ借家なんだけどな……修理費どうしてくれるんだ。

「上から逃げましょう。早くボクにおぶさってください」

「なっ、いい大人が少女におぶされるわけがなかろう」

「見た目で判断しないでくださいよー。確かに魔法はつかえないですけど、変身中、ボクの体は数段強化されてますから。戦闘美少女物ってたいていそういうシステムなんですよー」

「私が言いたいのはそういうことじゃない。少女に担がれる中年男って……その、絵面的な問題だ!」

「つまんないこと気にしてる場合じゃないでしょー。こんな時間ならだれも見てやしないですよー。ほら早く、あいつが来ちゃいますよっ」

 クルードは抵抗する私をひょいと担ぎ、天井の穴から外へ飛び出した。私はなおも手足をばたつかせたが、この女の力には敵いそうにない。体が強化されるのは嘘ではないのだろう。

 私を担いだクルードは、風を切って家の屋根から屋根へと飛び移っていく。轟轟と耳に打ち付ける風鳴りからして、かなりの速度だ。これなら、あのトミーベーダー(結局、私はあの黒い男をそう呼ぶことにした)も追いかけては来られまい。

 しかし、それは甘い考えだった。なんと、トミーベーダーも同じ穴から外に飛び出し、我々を追跡し始めたのだ。奴はクルードのように屋根を渡ることはしなかった。まるで水中を泳ぐように腕を振り回して、宙を進んできている。しかも、その速さはすさまじく我々との距離は縮まっている!

「おい! どうするんだ、すぐに追いつかれてしまうぞ、もっと速く走れ」

 私は裏返った声で叫ぶ。

「これが精いっぱいですよー。追いつかれたらその時はその時です。男らしくドカッと構えててくださいな」

 ああ、ダメだ。もう覚悟を決めるしかないのか。はぁ、死ぬなら、せめてもう少し穏やかな幕切れを期待したかった……。

 こうしている間にもトミーベーダーはぐんぐん、ぐんぐん迫ってくる。ひたすら迫ってくる。

……迫ってくるだけで何もしてこない。あの風貌なら遠距離用の武器の一つや二つ持っていそうだが、奴は猛然と宙を泳ぐだけである。いきなりガラスを割られたせいで、取り乱してしまったが、もしかしてこいつ見掛け倒しなんじゃ……。まだあきらめる必要はないかもしれん。こちらには怪力の魔法少女もいるのだし。

 などと、私の心に再び希望の光が宿り始めたころ、二十メートルほどに迫ったトミーベーダーが我々に向けて手をかざした。クルードはその動きを見るや否や、片足を軸にして進行方向右へ急旋回した。奴はいったい何をするつもりだ?

 向きを変えたクルードが、近くを通る鉄道の線路に降り立った直後、背後からベニヤ板をへし折ったような騒音が耳をつんざいた。何だ? ここは開発の進んだ都会だ。ベニヤ板などなかったはず。

 振り向いた私の目に飛び込んできたのは、クレーターのようにべっこりとへこんだ金属製の看板だった。ビルの屋上に取り付けられている宣伝用のものだ。あれが見るも無残に損傷している。いったい何をどうすれば手も触れずに鉄看板を壊せるんだ? そして、その得体のしれない力をもろに浴びていたらと思うと……言葉も出ない。

「大丈夫ですよー、自分から巻き込んでおいて、怪我させるようなことはしないですからっ」

 私の不安を察してか、クルードがつとめて明るい調子で元気づけてきた。こんな小娘に心配されるようでは、大人として立つ瀬がないと思うのだが返す言葉が見つからない。

「必ず逃げ切ってみせます!」

 しゃべる間にも、クルードは石だらけの線路上をひた走る。黒ずくめの男も潜水するように地表すれすれのところを追いかけてきている。さきほど上野駅を通過したところだ。よもやこんな形で構内を走行することになるとは。

 再び男が手を前に突き出した。それを見たクルードは、今度は勢いよく飛びあがって建物の屋上に戻った。もちろん、黒い男は空を掻いて浮上してくる。

 捕まるのは時間の問題に思われた。我々とやつの間はすでに十メートルほどにまで狭まっている。十、九、八、七とまるでカウントダウンのように、奴は周囲の物を手当たり次第に破壊しながら距離を詰めてくる。

 突然クルードは逃げるのをやめ、真後ろを向いた。黒い男はそのままの勢いで突っ込んでくる!

もう終わりか、私が自身の冥福を神に祈ったときだった。クルードは発声練習をするみたいに、澄んだアルトの声を響かせた。

 何のつもりだ? 死にゆく私への鎮魂歌か? などと縁起でもないことが脳裏をよぎる。しかし数秒待っても何も起きない。私は歌い続けるクルードの見据える先に目を向けた。

 そこには、動きを止めて縮こまっているトミーベーダーの姿があった。縮こまっていると言うと語弊があるかもしれない。正確には縮んでいる、体そのものがスライムみたいに小さくなっているのだ。私は驚きを禁じ得なかった。

 パッとクルードの声が止んだ。

「さあ、これでしばらくは追って来られないはずです。今のうちに隠れましょう。後できちんと事情は説明します」

 そう私に告げてクルードは再び走り出した。



「うーん、迷うなー。どれもおいしそうですねー」

 浮ついた声でひとりごとを言うクルードは、料理の写真の並んだメニューを片手に、かれこれ二十分は悩み続けていた。

「おい、あんまり頼みすぎるなよ。食べきれなかったらもったいないだろ」

「大丈夫ですよー。ボクの胃袋、相当でっかいですから。ぜったい平らげてみせますよー」

 クルードはメニューから少しも目を離さずに答えた。今は食うこと以外、頭にないのだろう。しかし、こいつはどれだけの量を食べるつもりなのだろうか。助けてもらった恩もあるし、できる限り要望には応えてやろうと思うが、私だってそんなに金を持ってるわけじゃないんだぞ? 見た目通り、女子中学生らしい注文であることを期待しよう。

「決まりましたよー」

 クルードの合図を聞いて、私は呼び出しボタンを押した。

 店員はすぐにオーダーを取りに来た。

「ご注文をお伺いします」

「私はこのオージービーフハンバーグのAセットをください」

「はい、オージービーフハンバーグ、Aセットですね。そちらの方は」

 店員はクルードの注文を取りにかかった。さあ、どう出る?

「あ、はい。ボクは……このデザートメニューにあるやつ全部持ってきてくださいっ」

 そう来たか! 確かに女子中学生らしいと言えばそうかもしれんが、私が期待したのはそういうことではない!

 店員は予想外の注文に一瞬固まったが、すぐにマニュアル通りの笑顔を作り直し、引き上げていった。

「はー、楽しみですねー。はっやく来ないかなー」

 クルードは満面の笑みを浮かべて言った。私は引きつった笑いで、それに答えた。

 トミーベーダーから逃げ切ったあと、我々は二十四時間営業のファミレスに身を隠すことにした。これだけ人の多い場所なら、奴も簡単には姿をあらわせないだろうと思ったからである。

「じゃあ、料理が来るまでにある程度の事情を教えてくれ。あの黒いやつはいったい何なんだ」

「はい、順を追ってお話します」

 クルードは落ち着いた声音で話し始めた。

「まず謝らせてください。ごめんなさい!」

 ほう、最初は私を巻き込んでしまったことへの謝罪からか。殊勝な心掛けだ。

「あの黒いのを生み出してしまったのはボクなんです!」

 お前はなんてことをしでかしてくれてるんだ。

「お前があの化け物を生み出した? どういうことだ?」

「いやーそのー、ちょっとしたおまじないを試してみたんですね。こっくりさんやキューピット様みたいなもんですよ」

 その二つは同じものだ。まあ、そんなツッコミはさておいて。続きを聞くとしよう。

「そのおまじないをすると、異次元から魔物が現れて人々に災厄をもたらすと言われていました」

「なんでまた、そんな物騒なおまじないを。やってみる価値なんてないじゃないか」

「あっ、いや、その……」

 クルードは口をもごもごさせてうつむいてしまった。何をする気だったんだ?

「言いなさい」

 私は娘に言い聞かせるように強く言った。

「はい……」

 クルードはしおらしく返事をした。

「突然ですけど、あの化け物を退治した者がいたら、その人は英雄ですよね?」

 クルードはすがるように聞いてきた。その様子で大体のことはわかった気がした。

「まさか、自作自演で活躍の場をつくろうとしたのか」

「はい……。いい格好をして、ファンを増やしたかったんですよ。ボク……」

「なんだ? お前は人気者なんじゃないのか? そうじゃなきゃシリーズものとして十年も続きようがないだろう」

「そりゃ確かに当時、人気はありましたし、今だってファンの方はいてくれてます。だけど……」

「何か問題があるようには思えないが?」

 私は少し苛立たしげに聞いた。忘れられてしまったのならともかく、今でも目をかけてくれる人間がいるならそれでいいではないか。

「あのとき、子供だったファンのみんなは、もう大人なんです。それに、放送からしばらくして、ファンになってくれた人も全員大人でした。もちろん、その人たちへの感謝の気持ちはありますよ。でも、ボクは元々子供たちのヒーローなんです。 やっぱり、子供からの応援が欲しいですよ……」

 そう言って、クルードはすすり泣いた。

 そうか、同じファンでも、それが大人であるか子供であるかで、その意味は大きく変わってくるのだろう。私にも上田という、クルードファンと思われる友人がいるが、あいつの言う「好き」と子供たちの言う「好き」は同じ言葉でこそあれ、その気持ちは大きく異なるに違いない。私は目の前の哀れなヒロインに幾らかの同情心が芽生えてきた。

「私は現実の世の中を生きるただの人間だから、アニメの主人公であるお前の気持ちはあまりわかってやれない。だが、やはりお前のしでかしたことは大きな間違いだ。それだけは自信をもって言える」

「ごめんなさい……」

「だから、お前はその責任を取らなくてはならないわけだ。だが、きっと一人では少々困難だろう。だから、微力ながら私も協力させてもらう」

「えっ、」

 クルードは間の抜けた声を漏らした。

「私もお前と一緒にあの黒いのを何とかしてやると言ったんだ。お前に悪気がなかったことはわかったし、助けてもらった礼もあるからな。それに、あんな怪物を野放しにしていたらおちおち通勤もできまい」

 私がそう告げると、クルードは拳で涙をぐしぐしと拭いて、せいいっぱいの笑顔を見せた。

「ありがとう……。ボク一人じゃ、とっても不安だったんだよー」

クルードは再び泣き出し、私に飛びついて来ようとした。しかしその拍子にグラスの水をテーブルにこぼしてしまった。

「あー、何やってんだ、もう」

 私はすぐに紙ナプキンをとって、水を吸い取った。

「ごめんなさい……。なんだかボク、謝ってばかりですね。でもうれしくて。占いを信じてあなたを頼ってよかったです」

「占い?」

 私は机を拭きながら聞いた。

「はい、ボクは魔法少女ですから。占いなんかもできるんですよー。その結果、あなたのもとに行くのが一番良いと出まして」

 私は呆れたように笑っていった。

「よくそんな物に頼ろうと思ったな」

「むー、ボクの占いはよく当たるんですよー?」

ふくれっ面でクルードが文句を言う。

「どんなもんだ?」

 クルードは自信満々といった様子で胸を張って答えた。

「三回に一回です! 巷の占い師なんて相手にならないですよー」

「……それでも的中率は三十三パーセント……。逆らったほうが良い結果になりそうじゃないか?」

「固いこと言わないでくださいよー。それに、逆らうほうがいいってことは絶対にないです。ボク、ここは自信あります」

 そうなのか? どれ、たとえば道が二つに分かれていたとして、進むべき道を占ったとしよう。的中率三十三パーセントの占いで、もし右の道へ行けと出たら、それはすなわち左の道が正しい確率が六十六パーセントということになるのでは?

 ……ん、この場合は話が違うのか。この世に人間はごまんといる。こいつの進む道は幾通りもあったのだから、結果に従うのが賢明なのか。

「うー、あんまり難しいこと考えるのはやめましょうよー。ボク、算数嫌いなんですよー」

 クルードは机の下で足をばたつかせて不満を言った。つま先がすねに当たって痛い。

「そうだな、お前の選択は正しかったのだろうし、結果オーライか」

「そうそう、終わり良ければすべて良しですっ」

 まだ終わったわけじゃないんだがなぁ。まあいいか。

「お待たせいたしました」

 ちょうど店員が料理を運んできた。大量のスイーツが台車に所狭しと並べられている。まさか、ファミレスでキッチンワゴンを目にするとはなぁ……。



「ごちそうさまですー」

 クルードは頬についた生クリームを舌でぺろりと舐めとった。彼女は注文したスイーツを見事に完食していた。残されても嫌だが、こいつは甘い物ばかりで飽きないのか?

「あ、そうそう」

 クルードは思い出したように、上着のポケットから何かを取り出した。

「あ、お前いつの間に」

 クルードの手には、娘が私にくれたあの首飾りがあった。彼女は黙ってそれを差し出してきた。私も言葉を発さずに受け取って、しばしそれを見つめた。

「……だが、どうしてわざわざ持ってきてくれたんだ? 別に家に置いといてもよかったろうに」

「いや……なんとなくですよー。娘さんからのプレゼント。大事なものですよね?」

「ああ、それはそうなんだが……」

 我々はしばらくの間、言葉を交わさなかった。私はどう反応すればよいかわからなかったのである。クルードのほうも何かを言いかけては、二の句を継げずにだんまりとするばかりであった。

 結局口火を切ったのは私のほうだった。

「さっきも言ったかもしれないが、娘の秋がこの首飾りをくれたのは十年前のことでな。あの子曰く、幸運のお守りなんだそうだ」

「そうだったんですか、優しい娘さんですね」

「ああ、そうだな」

 私は力なく笑った。

「いま、娘さんはどうされてるんですか? ……もう立派な大人になっているんでしょうね」

 クルードは少し寂しげに言った。

「立派ってこともないんじゃないかな。あの子はまだ十七歳だ。今ごろはきっと高校に通って勉強や部活に勤しんでいることだと思う」

「きっと?」

 クルードは不思議そうに聞いてきた。私はその意図を察してこう答えた。

「ああ、秋とは一緒に住んでいない。九年前に離婚して、親権は妻に頼んだからな」

「あ、……変なこと聞いてごめんなさい」

「いや、別にかまわないぞ。離婚を切り出したのは私のほうだったし、悪いのも全部、私だ」

「そうなんですか? 悪いことをしそうには見えないですけど……」

「もちろん、悪気はなかったさ。でも結果的に私は、家族を不幸にしてしまった。……少し身の上話をしようか」

「いいんですか?」

「ああ。さっきお前の間違いを責めたが、かく言う私だって大きな過ちを犯しているんだ。つまりはお前と同じだ。なら、お互いにその罪を告解しようじゃないか」

 私は一口、グラスの水を飲んでから話し始めた。

「かつて私は都内の大学で、工学を専攻している学生だった」

「へー、すごいですねー。ボクなんて算数は割り算が出てきたぐらいで諦めましたよー」

 それは、あまりに早いリタイアじゃないか? 日々の授業にはさぞかし苦労しているのだろう。

「大学を卒業した後は、一般のメーカー企業に入社した。元妻とは、大学時代からの付き合いでこの三年後に結婚した」

「なるほどー。でも今のところは順調じゃないですかー」

「そうだな。だが学生のころから、私はいつか自分の会社を持ちたいと思っていたんだ。それで、入社五年目で退社して起業したんだ。そのころはまだ秋はいなかったし、妻も以前から私の考えを応援してくれていたからな」

「いい奥さんじゃないですかー」

「ああ。そしてその二年後に秋が生まれた。会社の経営も上々とはいかずとも、それなりに軌道には乗り始めていたからな。家族を養うことくらいはできた」

「理想的な生活ですねー。ボクも将来、お嫁さんになったらそんな風に暮らしていきたいなー」

「いや人生、そんなにうまくはいかないんだよ。起業から九年目で私の会社は倒産した。あれだ、リーマンショックのあおりを受けたんだ」

「りーまんしょっくってなんですー?」

「ん? 今の子はリーマンショックを知らないのか? そうか、かれこれ十年も前の話だものな。お前はまだ幼稚園児か?」

「あ、いやそうではなくて。ボクにはボクの、アニメの世界がありますから。外で起きたことには疎くってですね」

 そうだった。こいつは子供向けアニメのヒロインなんだったな。こうしてずっと話していると、普通の女の子と何ら変わりないように思えてきてしまう。

「それなら、知らなくても当然だな。まあ、とにかくリーマンショックっていう企業がいっぺんに倒産した時期があったんだよ。そのあと、私は多額の借金を抱えることになった。こうなってしまったら、私が家族と共に暮らしたところで厄介者にしかならないと思った。だから、私は妻に離婚を申し込んで借金の重荷から家族を遠ざけることにしたんだ」

「そういうことだったんですねー。でもそれって純一さんが悪いのかなー?」

「妻子がありながら、自分の夢など追ってはならなかったんだ。私が何もせずに最初の会社に勤め続けていればこうはならなかっただろう」

「うーん、でも夢を追うことってそんなにダメなことかなー? ボクだってやってみたいことはいろいろありますよー?」

 口調から心底疑問に思っているのがよく分かった。そうだよな、まだこんな話理解できなくても無理はない。私もなんでこんな話を子供相手にしているのだろう。

「すまなかった、今の話は忘れてくれ。そうだよ、夢を見ることは悪いことじゃないさ。むしろ良いことだとすら思う。お前は自分のやりたいようにやればいいのさ」

「でも」クルードは笑顔で言った。「それなら、やっぱりあなたは悪くないじゃないですか。夢を追うことは良いことなんでしょう?」

「それは……」

 私は言葉に詰まった。

「ねえ、そうなんでしょう?」

 クルードは身を乗り出して迫ってくる。

「……大人には責任ってものがあるんだ。確かに夢を見るのは悪じゃない。だが、それには相応の責任を背負わなくてはならないんだ。そして、私はそれをきちんと果たせなかった。借金から家族を守るために離婚をしたといったが、その実、私は家族を見捨てたんだ……」

 私はうつむいて押し黙った。クルードは何を言えばいいかわからなくなってしまったのだろう。そわそわと身じろぎしているのが視界の端に見える。

自分から語っておいて、このザマでは世話ないな。結局場の空気を悪くしてしまっただけだった。本当は少しでも、こいつの慰めになればと思ったんだがなぁ。

「やっぱり、そんなことないと思います」

 クルードはきっぱりと言った。

「そんなことって?」

 私はかすかな声で問い返す。

「あなたは家族を見捨ててなんかいませんよ。ボク、見捨てるとか見守るとかって気持ちの問題であって、結果は関係ないと思うんです。そして、あなたは今でも、奥さんと秋ちゃんのことを愛しているのでしょう? なら、あなたは家族をまだ見守り続けていることになるんじゃないですか?」

 私は顔をゆがめて悲痛に笑った。

「お前の言うことも一理あるかもしれない。だが、思いはきちんと形にされなくては意味がないんだ。私の気持ちはだれにも確認することはできない。それは私自身とて例外ではない」

「えっ? あなたの思いはきちんと形になってるじゃないですかー」

 私は顔を上げてクルードを見た。さぞや、情けない表情をしていることだろう。

「どういうことだ?」

 私が問うと、クルードは私の手をすっと指さした。私も自分の手元に目を向ける。そこには、秋のくれた首飾りがあった。

「そうですよ、その首飾り。十年たった今でも、あなたは大切に飾っていたじゃないですか。それは、あなたの家族への思いが形になったものではないんですか?」

 私は手のなかの首飾りをじっと見つめた。次第に視界がにじんで、首飾りの輪郭もあやふやになってきた。気づけば私は声を殺して泣いていた。

「ね、だから言ったじゃないですかー。あなたは悪くないって」

 クルードは私の手から首飾りをとって首にかけてくれた。

 目の前がぼやけていてよくわからないが、クルードはにこにこと笑ってこちらを見ているようだ。

まさか大の大人が少女に慰められてしまうとは。大人の想像以上に、子供はずっと立派なのかもしれない。私のなかでは幼いままでいる秋も、もしかしたらとっくに立派な大人になっているのかもしれないとたわいもない妄想が頭に浮かんだ。



「ボク、コーラ持ってきますねー」

 クルードがコップを片手に席を立つ。これでたぶん五杯目だ。いくらなんでも飲みすぎじゃないのか。とはいえ、私もすでに三杯目のコーヒーを飲み終えたところだ。他人のことは言えまい。

 今、我々はトミーベーダーを止める算段をつけようとしている。さきほど見た様子だと奴は力も強く、動きも速い。何か決定打となる弱点をつかまぬ限り、我々に勝機はないだろう。

「お待たせしましたー」

 なみなみとコーラの注がれたグラスを両手にクルードが戻ってきた。

「いちいち取りに行くのめんどくさいですから、二杯持ってきちゃいましたよー」

「そんなところで横着しなくてもいいだろうに」

「まあまあ、いいじゃないですかー」

 クルードは席に座った。

「さて、そもそもあいつは何者なんだ? つまり、お前と同じ魔法使いなのか? それとも怪物や妖怪の類なのか?」

「どちらかといえば妖怪だと思いますよー。人間じゃないことは確かですしー。あいつ、殴っても蹴ってもホログラム映像みたいにすり抜けちゃうんですよー」

「それでは物理的に殺すことはできないということだな?」

「そうだと思います。うーん、でもただのホログラムってわけでもないでしょうねー。実体がなきゃ、物を破壊することはできませんよー」

「そもそもあの化け物は、なぜ外の世界に出てきたんだ? どうしてアニメの中で完結しなかったんだ?」

「そこなんですよねー。ボクにも分からないのが。じっさい、今ボクはここにいますけど、それは使用禁止の扉を勝手に使ったからなんですよー」

「おい、それはそれで問題なんじゃないのか?」

「外に出てったあいつを放っておくわけにはいかないじゃないですかー。非常事態の特例ですよー」

 それでも「勝手に」はまずいだろうに……まあいいや。

「でも、あいつはそんな出入り口には立ち寄っていないです。ですから、あいつは元々自由にアニメの世界と、この外界を行き来できる存在なんだと思います」

「それも、奴の正体を暴く助けになるのかねぇ」

 私はため息まじりにコーヒーを一口すすった。

「あ、でもいい知らせもありますよー」

 クルードが一つ目のコーラのグラスを空にして、上着からピンク色の古ぼけた手袋を取り出した。

「なんだ? その小汚い手袋は?」

「むっ、小汚いとは失礼な! これを使えば、ボクの魔法を一度だけ繰り出すことができるんですよー?」

「何? 早く言え! さっきもそれを使って逃げればよかったじゃないか」

「一度だけ、なんですよー。あれくらいのことで無駄使いするわけにいかないんですー」

「そこまで言うとは。さぞや強力なんだろうな、お前の魔法は」

「もちろんですよ!」

 クルードは自信満々に言い切る。ほう、頼もしいな。奴と即座に決着をつけられはしないだろうが、大きな助けとなるのは間違いなさそうだ。

「ボクの魔法はコピー能力なんです。現実にあるものなら、なんでもそっくりそのまま写し取ってみせますよー」

 ……コピー能力? それ、何かの役に立つのか? もう少し話を聞いておこう。

「具体的にはどんなことができるんだ?」

「具体的にですかー? そうだなぁ、たとえば今ここにあるコーラのグラス。これをコピーすれば七杯目を取りに行く必要がなくなります。めっちゃ便利じゃないですかー?」

「ほかには?」

 いらだちまじりに私は問う。もっと画期的なことはできないのか。

「なんかあったかなあ。あ、ボク、ダーツは百発百中ですよー。プロの動作を寸分の狂いもなくコピっちゃいますからー」

 そう言ってクルードはけたけたと笑う。平和な能力だなー。この非常事態には何ら役立ちそうにない……私は心の中でひっそり泣いた。

「まあ、物は使いようですよー。どこかで役立つときが来ますって」

 物は使いようって……。お前自身、魔法が役に立たないことはわかってるんじゃないか。

「そんなパッとしない魔法じゃ、アニメではどうやって戦ってるんだ? お前」

「普段の戦闘に支障はないですよー。ボクは肉弾戦のが好きですから。魔法なんてほとんど使いませんよー」

 なんと野蛮な。魔法少女らしさなど皆無ではないか。これも時代の流れなのだろうか。私が子供のころに人気のあった魔法少女物は、もっとおしとやかなイメージだったんだがなぁ。魔法のプリンセスミンキーモモとか、ひみつのアッコちゃんとか。でも見てはいなかったからな。案外、昔から武闘派魔法少女はいたのかもしれない。

「だから、今回はまいっちゃうんですよねー。たぶんあいつ、魔法じゃないと退治できませんよー」

 六杯目のコーラを飲み干してクルードが言った。

「そもそもお前は、なぜこっちでは魔法を制限されているんだ? アニメのなかですら魔法は一回ぽっきりの必殺技、ということはないだろう?」

「あー、別に制限されてるわけじゃないですよ。単に魔力が足りないんです」

「何とか補給できないのか? コピー能力とやらでも、ないよりかはましかもしれんだろ」

「いやいや、ボク自身の魔力はまんたんですよ? ただ、魔法を使うには補助が必要なんですよー。ほら、よくアニメの魔法少女の隣に小さい生き物がついてるの、見たことありませんか? プリキュアシリーズとか、しゅごキャラとか、最近だとプリズマイリヤとか」

 全く分からない。上田なら全部知ってそうだ。今すぐあいつに質問したい。だがそのようなくだらぬ欲求は押さえ、私はクルードとの会話を進めることにした。

「まあとにかくその補助者とやらがここにはいないから、お前は魔法を使えない。だが、そのピンクの手袋は一度だけ補助を担ってくれるから、一回だけは魔法を発動できると。それでいいんだよな?」

「はい、そういうことなんですー」

 しかし結局、クルードのコピー能力が役立つかどうかも、あの黒い化け物の正体いかんとなるのだろう。ここまでの情報から、何とかあぶりだせないだろうか。私が懸命に推理を働かせていると、とつぜんクルードが立ち上がった。

「もう、うじうじ考えてても始まらないですよー。外の空気でも吸って気分変えましょ」

「今、外に出たら奴に見つかってしまうかもしれんぞ」

「だからって、ずっとファミレスにいるのも、ボク飽きちゃいましたよー。もうおひさまも登って、いい天気ですよー。散歩してればそのうちに何かひらめきますって」

 窓を見るとすでに朝になっていた。こいつの言うように息抜きも大切だとは思うが、どうも不安だ。

「それにボク、窓から見えてる楽器屋さんが、さっきからずっと気になって仕方ないんですよー。この辺って楽器屋さん、たくさんありますねー」

 なんだ、そういうことか。それなら隠れ場所を楽器屋にすればいいだけの話か。

「分かった。じゃ、向かいの楽器屋に場所を移すか」

「やったー」

 クルードはおねだりを聞いてもらえた子供みたいにうれしそうな声を上げた。

私は伝票を手に席を立った。



ファミレスを後にして外に出ると、クルードが言ったように、楽器屋が何軒も立っていた。わりかし遠くまで逃げてきたんだな。私は深いため息をついた。

ここは文京区である。私の住むマンションがある台東区の隣に位置している。とりわけこの界隈は御茶ノ水と呼ばれていて、数多くの楽器屋が軒を連ねている。今から我々はその中の一軒に身をひそめるつもりである。

「わー、いろんな楽器がありますねー」

 店に入るなり、クルードがはしゃぎだす。

「おい、店のなかだぞ。もう少し静かにしなさい」

「はーい」

クルードは不満そうに間延びした返事をしたが、言われた通りに静かになって、楽器を物色し始めた。素直なところもあるじゃないかと内心、満足した。

ふと気が付いた。私もなぜ、赤の他人に偉そうに注意なんてしているのだろう。そしてなぜ注意を聞き入れてもらえて、少しうれしくなっているのだろう。相手は見ず知らずの少女、しいてはただのアニメのヒロインだというのに。

「おおー、ほらこれ、見てくださいよー」

 店の奥からクルードが小声で私を呼んだ。だが、気分が高揚していることはその声音ですぐにわかった。

 彼女が指さしていたのは、何とも奇妙な形状のギターだった。三日月形のボディーの上を四本の金属弦が走っている。

「これ、エレキですよねー。かっこいい……ボクも欲しいなー」

 クルードがせがむように私を見てくる。そんな目を向けても駄目だ。私は買ってやらんぞ。

 だが、念のため値札をチェックする。

なっ、四十万円だと。こんなおもちゃみたいなのにそんな高い金が出せるかっ!

「そうだなー。確かにかっこいいなー。おれもいいとは思うよー」

 適当な相づちを打って、弦楽器売り場のほうへ足を向けると、すぐにクルードが私の袖を強引につかんできた。やはり逃げ切れないか。

 クルードのほうを振り返って私は言った。

「そんなに高価なものを買ってやれる余裕はない。第一、お前楽器なんて弾けるのか?」

「これから練習するんですよー。メキメキ上達してみせますからっ」

 クルードははきはきと言って、右腕をハチャメチャに上下させた。どうやらストロークのつもりらしい。だがリズム感の片鱗も感じられない。これでは上達の見込みもなかろう。

「……お前はエアギターのほうが向いてるんじゃないか?」

「むっ、なんですかー、その言い草はー。あ、さてはボクのあまりに華麗なギターさばきに嫉妬してますね?」

 華麗なギターさばきって、まだ手にも取ってないだろう。だが買わずに済むならこの際、なんでもいいか。

「そうだな、お前の右腕の動きは素晴らしいよ。おれにはとてもまねできそうにない。だから、お前にこいつを買ってやるのは悔しいなー」

 実際、そんな雑なストローク、まねできそうにない。

「おお、素直ですねー。かわいいところあるじゃないですかー」

 こいつ! 人が下手に出れば調子乗りおって! もう絶対買ってやらん。私がティアドロップピックよりも堅い決心を固めたとき、隅に立てかけられた、小さなクラシックギターが目に入った。木製のボディーは傷だらけで、光沢もとうの昔に失われているようだった。明らかに中古品である。値札を見ると、八千円とあった。

「おい」

 私はクルードに呼び掛けた。

「なんですかー? 私の華麗なストロークをもう一度見たいんですかー?」

 私はクルードの軽口を無視して、店の隅のクラシックギターを指さした。

「あれなら買ってやってもいいぞ。一万円を切ってるし」

 それを聞いたクルードは不満そうな眼つきで、じっとりと私をにらんできた。

「ボロボロじゃないですかー。それにあれ、種類が違いますよー。ボクが欲しいのはエレキギターですー」

「嫌なら別にいいんだ。さあ、もうここを出よう。我々は外の空気を吸いに来たんじゃなかったのか」

 私が出口へ向かおうとすると、クルードは再びすぐに私の袖をつかんできた。まだ駄々をこねるつもりか。

 クルードのほうを振りむくと、

「もうボロいのでいいですから、買ってくださいよー」

 待っていたのは予想外なセリフだった。



 店の外に出るとクルードはさっそく、オンボロクラシックギターを鳴らしてみた。ポポロン。哀愁ある音が御茶ノ水の通りに響く。それを聞いたクルードは大げさにため息をついた。

「あー、パンチのない音。こんなんじゃ、ちっとも心がときめきませんよー」

「贅沢言うな。手元に楽器があるだけいいだろ」

「わかってますよー」

 たわいもない会話を交わしていると、辺りが急に暗くなってきた。

「これは一雨きそうだな」

 私が言うと、隣にいたクルードがはっと息をのむのが分かった。

「なんだ、どうした?」

「雨はやばいです。あの怪物は空気中でもかなりのスピードで動けますけど、水中はもっと速いんです。雨が降ると、空気中の水分が増えるだけ、あいつの動きは加速します」

 クルードは青ざめた顔で言った。だが、私はもっと別の場所に関心が向いていた。空気中よりも水中のほうが速く動ける……。もしかして奴の正体は――

 気が付いたときには、私はクルードの手を取って走り出していた。

「どうしたんですかー? 急にー」

 クルードは困惑した声で聞いてくる。

「あの化け物を倒す方法が分かったかもしれん。それには一つ必要な道具があるんだ。それを手に入れに行く」

「本当ですか⁉ で、ボクたち、今どこに向かってるんですか?」

「御茶ノ水駅だ。そこから電車で秋葉原に向かう。詳しいことは電車の中で話そう」



 我々は今、秋葉原方面に向かう総武線の車内にいる。不安は的中し、先ほどから雨が降り始めている。奴に見つかる前に早くあれを手に入れたいところだ。

「純一さん、これからボクたちは何をするんですか」

 いつもと変わらぬ様子で話しかけてくるクルードの声にも焦りがにじみ出ている。

「まず、結論から言おう。おそらくあの化け物の正体は音波だ」

「音波?」

「そう、音波だ。だからあいつは空気中よりも水中のほうが速く動ける。お前に殴られても蹴られても、その体が損傷することはない。物体を破壊するのには共鳴現象を利用したんだろう。そして、奴がこちら側の世界にやってきた理由。それも体が音でできているのならば納得だ。アニメの世界で鳴った音はすべて、アニメの鑑賞者に届くだろう? アニメの世界の音であるあいつが、こちら側にやってきたのは何も不思議なことではない」

「なーるほどー! 名推理ですねー。それで、ボクたちはどうやってあいつを退治するんですかー?」

「ああ、ここから大事だ。よく聞いてくれ。奴の討伐には、お前の助けが不可欠だ。まずは――」

「うわぁ⁉ なんだあれは」

 突然、乗客の一人が騒ぎ出した。

 話を中断して車窓を見ると、遠い空にぽっつりと黒い人型の影が浮かんでいる。奴だ。まだ私たちには気づいてないらしく、こちらに突っ込んでくるそぶりはない。

 車内は大混乱だった。乗客はみな、UFOだの宇宙人だの言って騒いでいる。確かにフライングヒューマノイドってあんな感じなんだろうな。錯乱して狭い車内を逃げ惑う人もいれば、スマホを片手に奴を連写する人もいる。反応って本当に人それぞれだ。

「いつあいつがボクたちに気付くとも知れませんから。ボクにつかまって逃げる準備をしといてください」

 クルードがそっと耳打ちしてきた。ここは人目をはばかっている場合ではないな。もし奴が向かって来れば、この車両ごと木っ端みじんにされてしまうだろう。私はクルードにおぶさった。トミーベーダーに注がれていた視線がいくらかこちらに移ってきた気がする。ええい、見るな! これは致し方のないことなんだ。

「あ、買ってもらったギターどうしましょう? ……置いていくしかないですかね?」

 クルードはもの惜しそうに聞いてきた。だが私はきっぱりとこう答えた。

「いやその必要はない。しっかり持っていなさい」

 クルードは意外そうな目で私を見たが、すぐにしかとギターのネックを握った。

「それと、あのピンクの手袋。いつ必要になるかわからんからはめておけ」

「はーい」

クルードは上着から手袋を取り出し両手にはめた。

 再び車窓の外に目を向けると、彼女の全身に力が入るのがよく分かった。

「気づかれました!」

 叫ぶと同時にクルードは、走行中の電車のドアをおもいっきり蹴り飛ばし、外に飛び出した。

 トミーベーダーは我々をロックオンして猛然と迫ってくる。

「右へ逃げろ! 右へ‼ 電気会館はそっちだ」

 私はクルードの背中でどなるように叫んだ。

「電気会館? なんだかよくわからないですけど、了解です!」

 クルードは素早く右へ方向転換した。

 すさまじい勢いで風が耳元を通り過ぎ、雨粒がわらわらと顔に当たる。後ろを振り向くと奴は晴天時の数倍の速さでこちらに向かってきている。直線ではすぐに追いつかれてしまうだろう。だが、御茶ノ水と秋葉原の駅間はすさまじく短い。捕まる前に秋葉原電気会館たどり着くのは十分可能に思われた。



 思惑通り、秋葉原の街はすぐに見えてきた。巨大な宣伝用モニターと、巨大な美少女キャラパネルに支配された街である。私が学生の頃は決してこうではなかった。工学部所属だった私はよく、かつて電気街と呼ばれていたこの街に実験機材などを買いに来たものである。今ではその見る影もなく、唯一秋葉原電気会館だけが、かつての電気街としての秋葉原を彷彿とさせるのみである。

 秋葉原の駅前が見えてきた。駅前の宣伝用モニターでは、でかでかとアニメ映画のCMが流れている。嘆かわしいことである。

 だが、私はしばしそのCMに気を取られた。アニメなど全く見ていないはずの私がその映像に既視感を感じたのである。さらに近づくと、かすかにモニターから流れる音声が聞こえてきた。

「○○系まほう少女シリーズ、十周年記念映画、歴代まほう少女全員集合!」

 既視感を感じたのはモニターに映し出されていたクルードの姿だった。なるほど、それなら覚えがあって当然か。

 しかし、最近こういう映画多いよな。大怪獣バトルウルトラ銀河伝説だとか、平成ライダー対昭和ライダー仮面ライダー対戦feat.スーパー戦隊だとか。無論、私が昭和ライダーをしきりに応援したのは言うまでもない。

 などと、くだらぬことを考えていると間近に迫ったトミーベーダーが、共鳴現象による破壊攻撃をはなってきた。すんでのところで、我々はその攻撃をかわした。代わりに音波をもろに受けた巨大美少女パネルは見るも無残にぐしゃぐしゃになった。哀れである。

「あそこの建物だ!」

 私は電気会館を指さして叫んだ。クルードはすぐさま会館に面した通りに降り立った。

その拍子に、ちょうど通りを歩いていた若い女性にぶつかりそうになった。その女性は年の割には質素な服装をしていて、いくつかの紙袋を腕に下げていた。

この街では、若い女性アイドルに活躍の場がよく設けられているらしい。彼女たちは同年代の女の子にも人気があるらしいから、この人もそういったイベントの帰りなのかもしれない。

彼女は唖然とした顔でこちらを見つめている。

「驚かせてすまなかった。だが、今は急いでいるんだ」

 私は申し訳程度に女性に謝り、クルードとともに電気会館へ駆け込んだ。すぐに奴も追ってくるだろう。

 女性が何か、言ってきたような気もしたが、今は相手にしている余裕はない。



「ここにあいつを倒すための道具があるんですかー?」

「そうだ、この会館のどこかに、たくさんダイヤルのついた直方体の箱みたいなのがあるはずだ」

 私は焦りに任せて早口で言った。

「アバウトすぎてわからないですよー」

「ああ、とにかく、店員にオシロスコープはないかと聞いてくれ。店の人間なら必ず分かってくれるから」

 本来、オシロスコープは回路に接続して電圧を測定する機械だが、代わりにマイクをセットすることで、観測された音の波形も計測できるのである。

「おしろすこーぷ、……おしろすこーぷ、ですねー」

 たどたどしく名称を繰り返してからクルードは走り出した。が、すぐに止まった。

「でも、それなら純一さんが探したほうが良くないですか? あいつはボクを追ってくるはずです。外で引き付けておきますよ」

 こいつにしては名案だな。奴の妨害がなければ私も動きやすい。クルードのことは心配であるが、彼女にとっても私がそばにいては戦いにくいだろうから、お互いのためだと判断した。

「分かった。では手分けをしよう。すぐに連絡が取れるようにこいつを互いに持っておこう」

 私はそばにあった店でトランシーバーを二つ買った。

「おー! なんかかっこいいですねー」

 クルードは歓声を上げる。

「オシロスコープが手に入ったら、すぐにこいつで連絡する。落ち合った後に、お前には頼みたいことがあるからな」

「了解です。……あ、そうそうボクがあいつをひきつけてる間、ギター持っててくださいよー」

 クルードはボロボロのクラシックギターを差し出してきた。私はそれをしっかり両手で受け取った。

「それじゃ、行ってきます」

 こうしてクルードはトミーベーダーを、私はオシロスコープをそれぞれ探しに向かった。



 電気会館内は天井が低く少々歩きづらい。天井にはむき出しの配線や通気管が張り巡らされていて、まるで秘密基地のような雰囲気を醸している。男子小学生ならこれだけでたまらないだろう。電気会館の店舗は基本的に店主の居場所と陳列棚しか持たない。駅の売店を想像してもらえるといい。

私は会館内の店を一軒一軒見てまわった。しかしなかなかオシロスコープを取り扱っている店には出会えなかった。確か、売ってたと思うんだけどなぁ。必死に学生時代の記憶を探る。

電気会館は三階建てであり、電気器具売り場は一階と二階である。一階には三つの通りがあり、それぞれは分岐してつながっている。

一列目の通りを網羅した私は二列目に移り、同様に店を巡り歩いた。しかし結果は同じだった。三列目も言うに及ばずである。

最後の望みをかけ、私は二階に向かった。一階とは異なり、通りは一つである。二階の店舗はきちんと陳列スペースを備えているため、店内を歩いて物色しなくてはならない。一階の店のように一目で在庫を確認することはできないのだ。

 今頃、クルードは奴と交戦中だろう。できるだけ早く戦いを終わりにしてやりたい。

 二階には通路の突き当たりに二つ、真ん中に一つ販売スペースがある。まず中央の店を訪ねたが、やはりオシロスコープは見つからず、次に突き当たりの店の片方を覗いたが、そこにもなかった。

 残る一つの店に向かう。もうここが最後である。私は必死に目を凝らして陳列棚を物色した。無論、オシロスコープはかなり大きなものなので目を眇めずとも、見落とすことはないだろうが、やはり外で奮闘している、あの魔法少女の身を思うと幾分力が入る。

 そしてついに、私はそれを見つけた。たくさんのダイヤル。十字に区切られたブラウン管。紛れもなくオシロスコープである。値札を見ると五十万円。高価なこと極まりない。だが背に腹は代えられぬ。

 購入を決意し、オシロスコープを抱えようとして気が付いた。

クラシックギター、どうしよう。トミーベーダーをひきつける際の足手まといになってはならないと、クルードから預かったはいいが、私の足手まといにもなってしまった。仕方がない。店員にレジまで運んでもらうか。

私は大声でカウンターの奥の店員を呼ぼうとしたが、そのときたまたま私が購入しようとしているオシロスコープの隣にあった小型の機械に目が留まった。手に取ってみるとこれまたオシロスコープであった。

「ほう、こんな小さなやつもあったのか。知らなかったな」

 実験室で用いられる大型の物にしか覚えがなかったのである。値札を見ると一万円。これなら余裕をもって買える。

 私はすぐに小型のオシロスコープをレジに持っていき代金を支払った。品物を受け取り、クルードにその旨を伝えようとトランシーバーを取り出すと、いきなり向こうから連絡が入った。

「まずいですっ、あいつがなぜかそっちに向かってます! ボクも今、全力で追いかけてますけど、早く逃げてください!」

 聞こえてきたのは焦燥しきったクルードの声だった。奴が私のほうへ?

 ふと顔を上げると、通路の突き当たりに見覚えのある黒い影が死神のように立っていた。しまった、もう遅かったか。奴は勢いよくこちらへ滑空してきた。私は死を覚悟しぎゅっと目を閉じた。

「あああああああああああああああああ‼」

 突如、少女の断末魔のような悲鳴が私の耳をつんざいた。

「クルード?」

 私ははっと目を開ける。奴の姿はもう見えない。クルードの叫びは下の階から、そしてもちろんトランシーバーからも聞こえた。トランシーバー? はっとして私は自分の手のなかの無線機を見つめた。



 私は全速力で一階へと続く階段を下りている。まるで生きた心地がしない。

 おそらく奴はトランシーバーの音声として、私のいる場所からクルードのところまで瞬間的に移動し、あの子に奇襲をかけたのだ。

 電気会館一階は惨憺たるありさまだった。トミーベーダーの共鳴音波によって、先ほどまで普段通りに営業していた店舗は滅茶苦茶に破壊されていた。だが、負傷者は見えなかった。きっと何とか外に逃げのびたのだろう。

 そしてクルードの姿もまた見えなかった。やられてしまったのなら地面に横たわっていると思ったが、そうでないところを見ると、あの子もまだ戦っているのかもしれぬ。

 近くで何かが崩れる音がした。そちらに目を向けるとクルードが後ろ向きに飛び出してきた。

「おい、無事なのか、クルード!」

 私は彼女の元へ駆け寄ろうとしたが、クルードは私を手で制した。

「危ないから、近寄らないで、ください。奴はまだ、その辺に、います」

 何とか発せられたクルードの声は息絶え絶えだった。やはりさっきの奇襲でかなりのダメージを負わされたのだろう。

「さっきは、ごめんなさい、みっともない声を、上げてしまって」

「そんなことは気にしなくていい! 生きててくれてよかった‼」

 そして私は、小型のオシロスコープをクルードに投げてよこした。

「なんですか? これ」

「それが奴を倒すために必要な道具というやつだ。四角い箱から飛び出てる端子があるだろう? それを奴の体に引っ付けるんだ。できるか?」

「もちろんですよ……ボクは正義のまほう少女クルードちゃんですよ?」

 そう言って彼女は精いっぱいの笑みを見せた。

 その直後、奴は音もなく、がれきの隙間から染み出るようにクルードに襲い掛かった。クルードは素早く身をかわし、オシロスコープの端子をトミーベーダーの体に押し付けた。

「なんか、変ななみなみが表示されましたよー?」

「よし! それでいいんだ。それが奴の体を構成する音波の波形だ。クルード、まずはつまみを回して波を一つずらせ。そしてその波形の音を魔法でコピーするんだ。コピーした音の声で歌うんだ!」

 近頃の工業製品に頻繁に応用されているノイズキャンセリングという技術がある。雑音に対しそれと逆位相の音波をぶつけて干渉現象が起こし、雑音をかき消すのである。昨晩クルードが歌声で、奴を一時足止めしたが、それはきっと彼女の声と奴を構成する音波が逆位相に近い関係にあったのだろう。

 トミーベーダーは矢継ぎ早に拳を突き出してくる。一度でも当たればアウトだろう。まずいな、音声をぶつける隙などありそうにない。苦々しく双方の攻防を見つめていると、私はあることをひらめいた。

「クルード、今からこのクラシックギターを投げる! 苦しいだろうが、受け取ってくれ!」

「はい!」

 クルードは攻撃をよけながら器用に返事をしてくれた。私はオンボロクラシックギターをクルードに向かって投げた。彼女は見事にギターをキャッチした。

「さっき言ったように音をコピーしろ! だが音を出すのはお前自身ではなくそのギターだ。お前の自慢の右ストロークを奴にお見舞いするんだ!」

「合点承知ですっ!」

 クルードは勢いよく後ろへ飛びのき、トミーベーダーと距離をとった。奴は猛然とクルードに飛びかかる。クルードはさっとクラシックギターを胸の前に構え、渾身の力を込めて右腕を振り下ろした。

 電気会館に力強いギターの音色が鳴り響いた。同時にトミーベーダーの姿は一瞬にしてかき消された。あっけない最期だった。

「……終わったのか」

 疲れ切った声でつぶやくと、全身の力が抜けて私はその場にへたり込んだ。クルードが小走りでこちらにやってくる。全身傷だらけで、奴の音波のすさまじさが伺えた。

「ありがとーございますー!」

 感謝の言葉とともにクルードは私に抱き着いてきた。誰も見ちゃいないが、なんだかとてもこっぱずかしい。

「これで全部終わりましたー。あなたのおかげですよー。ボク一人じゃ絶対にあいつを止められなかったですー」

「すまなかったな。お前には危ない役割ばかりやらせてしまった」

 私が謝ると、クルードは何度も首を横に振った。

「ボクのほうが強い体を持っているんですもの。当然のことですよー」

「だが……」

「もう、気にしないでください。終わり良ければすべて良しですよー」

 クルードは以前どこかで言ったのと同じ言葉を私にかけてきた。だが、彼女の言うとおりだ。今度こそ今回の一件は終わりを迎えたのである。

「あ、そういえばまだ、秋ちゃんの首飾り掛けてたんですねー。戦ってる間に壊れなくてよかったですー。その首飾りになんかあったらボク、責任とれませんよー」

 私の胸元を見てクルードが言った。秋の首飾りは傷一つなく私の首から下がっている。

「これは、お守りだって言っただろ? こうして身に付けておけば、お前と私を守ってくれるんじゃないかって気がしてな」

「なるほどー。じゃあ、ボクたちが無事あいつを倒せたのは、秋ちゃんのおかげかもしれませんねー」

「そうかもしれんな」

 そう言って我々が笑いあったとき、建物全体が激しい揺れに襲われた。

「何だ⁉ 地震か⁉」

 今の衝撃で天井のパイプが破損し、漏れ出た空気がシューシューいっている。

「ここにいちゃまずそうですね。ひとまず外に出ましょう」



 建物の外はまさしく阿鼻叫喚のさまを呈していた。秋葉原駅前に並んだ街灯はへし折られ、周囲のビルも半壊状態。通行人は右往左往と逃げまどっている。かろうじてラジオ会館に備え付けられた宣伝用モニターだけは普段どおりのCMを放映し、日常をとどめている。

無数に増殖したトミーベーダーが無差別に街を破壊して回っていたのだ。

「なんで、あんなに増えてるんですかー⁉」

 クルードは頭を抱えて叫んでいる。一方、私には思い当たる節があった。

「奴め、さては戦闘中、いたるところで回折しおったな」

「かいせつ? あいつは言葉なんてしゃべりませんよー?」

「違う! 解説ではなく回折だ! たとえば細かい隙間があいた壁に音波をぶつけると、音波はそれぞれの隙間に入り込み、結果的に壁を回り込んで伝わって行くんだ。つまり、隙間の一つ一つが新たな音の発生源になると思っていい」

「それじゃあ、あいつは自分の一部を物陰に送り込むことで、分身したってことですか?」

「ノイズキャンセリングで奴を消せた今、その正体が音波であることは確定だ。ならばそれしか考えられん」

 数体のトミーベーダーが上空から滑空してくる。しかしクルードは堂々と私の前に立って、クラシックギターを構えた。

「心配いりませんよー。何体いたって同じです。倒し方はもうわかってるんですからっ」

 クルードは右腕を勢いよく振り下ろしギターの音色をトミーベーダーの群れに浴びせた。先ほどと同様、奴らは霧のようにかき消された。

 しかし、こうも数が多いとギター一本ですべてを討伐するのは不可能だろう。何かいい手を考えねば。クルードもそれはわかっているようだった。

「純一さんは隠れててください。良い手が思い浮かぶまでボクが時間稼ぎします」

 私が言われるがままに、損壊した建物の陰に身を隠した。

 あのクラシックギター一本では奴らを全滅させられない。だが、トミーベーダーを消せるのは、クルードの魔法のかかったあのギターだけである。ならば、巨大な拡声器か何かにギターの音色をのせれば……いや、ダメだ。音波は遠くに行くにつれて減衰する。減衰した音では奴を殺せないだろう。

思い返せば、奴が遠距離攻撃を持たないのはそのためなのだろう。おそらくクルードの歌声も、あの至近距離でないと意味をなさなかったに違いない。ならば、奴らを一か所に集めて、一斉に駆除するほかなかろう。

 私ががれきの隙間から身を起こそうとすると、クルードの困惑した声が聞こえてきた。

「わー、純一さん、なんかあいつら一か所に固まり始めましたよー。どうなってるんでしょう」

 その声につられてそちらを見ると、無数のトミーベーダーが蛍光灯に群がる蛾のように集積し始めていた。その数たるやすさまじく、巨大な蚊柱のようだった。何たる幸運。あとは音波をぶつけるだけだ。

「様子がおかしいです! 一匹、一匹が一緒くたに引っ付いてってるみたいです!」

 クルードの呼びかけに応じて再び、トミーベーダーの群れを見ると、その個体数は徐々に減少しているようだ。一つの塊になろうとしている!

 瞬く間に奴の群れは、一体の黒い巨人となった。

「なんなんですか……あれ……」

 絶望的な光景に唖然としたクルードが力なく言った。

「干渉現象……。仕組みは奴を倒したボイスキャンセリングと同じだ。ただ、やっていることはまるで逆だ。逆位相の波をぶつければ音波は減衰し消滅する。だが、同位相の波が重なり合えば、音波は増幅し巨大化する。すでに奴の体を構成する音波は初期の数千倍の振幅を有している。もう、そのギターの音色も役に立たない……」

「そんな!」

 漆黒の巨人と化したトミーベーダーはこちらにのっそりと体を向けた。暗闇に覆われた奴の目が邪悪な光がちらりと光ったような気がした。

 クルードは必死に、使い物にならなくなったクラシックギターをストロークしている。

「消えろ! 消えろ‼ きえろー‼」

クルードの悲痛な叫びが、すでに思考停止してしまった私の頭にかすかに聞こえてくる。うまくいったと思ったんだがなぁ。やはり今回も駄目だったか。人生とはそうそううまくいかない。願ったとおりには歩めないものだ。ごめんな、クルード。やっぱりお前の占いは間違っていたのかもしれない。

私がすべてを投げ捨てたその時だった。

「助けに来ましたよー。せーんぱーい!」

 突如、上空から複数の少女の声が聞こえてきた。なんだ? 天使が私を迎えに来たのか?

見上げると大小約二十ほどの影が、次々とラジオ会館の大型モニターから飛び出してきているところだった。

「このデカブツ! クルード先輩をいじめたら承知しないからなー」

 声の主は天使などではなく、アニメの世界からやってきた歴代の○○系まほう少女たちだった。

 モニターに目を向けるとそこには、○○系まほう少女シリーズ十周年記念映画とある。そうか! あのCMだ!

 現実の世界に降り立った、小麦色の獣耳を備えた少女がクルードの肩に手を置いてねぎらいの言葉をかけている。あの子は何代目なのだろう?

 まほう少女達はかなり個性的な見た目をしていた。

青を基調にした衣装に青い髪の女の子。胸には青緑色のリボンをつけている。きっと青がこの子のイメージカラーなのだろう。

白い布地に青の縁取りが施された衣装の女の子。この中では、私の魔法少女のイメージに近いかもしれない。

そして、みな魔力を補うために小さな何かを連れていた。うさぎや子牛のような小動物を連れてる子が多いように見える。。さすが子供向けアニメ。メルヘンチックでほほえましい。

 だが、中にはいささか疑問に思う子もいた。豪奢な着物を身にまとった市松人形のような女の子。傍らの補助者は藁人形。朝からこんなの見たくない。

 ちょっととぼけた雰囲気の女の子。身だしなみが整っておらずパンツが見えてしまっている。私が親なら速攻でチャンネルチェンジだろう。

 なぜか片目に眼帯をしている子もいる。不思議なデザインだ。

 ちょうどそのとき、漆黒の巨人が眼帯の子めがけて拳を繰り出した。しかしその子は一切慌てることなく静かにその眼帯を外しただけであった。

 次の瞬間、眼帯の奥に隠された目で睨まれた巨人の腕が木っ端みじんに吹き飛んだ。すごい! いったいどんな目をしてるんだあの子。まるでX―MENのサイクロプスのようだ。

 そのすきをついて、忍者装束をまとった小柄な女の子が奴に飛びかかった。その剣さばきたるや、あっという間に奴を散り散りにしてしまった。やっぱ魔法がつかえると強いんだなー。

 しかし、奴らはすぐに巨人の姿に戻った。しぶといやつだ。これを見るやいなや、十人のまほう少女たちも一か所に固まった。

「みんなの力であいつをぶっ飛ばすよ!」

 全体に声をかけたのはクルードであった。

「はい!」

 残りの九人の威勢のいい返事が一斉に発せられた。彼女たちは円陣を組み、中央で手を合わせた。すると、頭上に七色の強い輝きを放つ光球が生じた。おお、色こそ違えど元気玉みたいだ。私はひそかに興奮した。

「せーの‼」

 掛け声とともに、七色の球体から強烈な光線が発射された。巨人はそれをよける間もなく、まほう少女たちの力の結晶は見事に巨人の胸部を貫いた。巨人はくずおれるように倒れ、次の瞬間には、何事もなかったかのようにその姿は消失していた。

 漆黒の巨人が完全に消滅したのを確認して、少女たちは円陣をほどいた。辺りを逃げ惑っていた人々は、この突然現れた風変わりなヒロインたちに視線を注いでいた。そして、次には歓声が巻き起こった。大人も、そして子供も、街を救った魔法少女たちに惜しみない感謝の言葉を投げていた。私も彼らに乗じて思わず喜びの声を上げてしまった。普段なら人目をはばかって大声を出すことなどはしないが、今回ばかりはそれも許されると思った。

「純一さん」

 クルードは少女たちの集いを抜け出して、私のほうに歩いてきていた。

「やっぱり、ボクの占いの力は本物でした。あなたを頼って本当に良かった」

 そう言って彼女は手を差し出した。私はその手をがっしりつかんだ。

「そう言ってもらえると私も嬉しい。助けられてばかりだったが、少しでもお前の役に立ってやれたのなら満足だ」

 クルードはくすりと笑って握手をほどいた。

「それじゃ、ボクはみんなと一緒にアニメの世界に帰りますね。もしよかったらこれからもボクのこと覚えててくださいよ」

 もうお別れなんだな。そう思うと胸中にすきま風が入り込んだような感覚がした。たった一日の付き合いだというのに。私はこのまほう少女のファンになってしまったようだ。もう少し話をしてみたいが、大人がわがままを言って子供を困らせては良くない。なにより、こいつには帰るべき場所があり、活躍を心待ちにするファンがいるのだ。だから、私は毅然とこう言った。

「ああもちろんだ。この際だからお前のアニメを全部見てみることにしよう。私ももっとまほう少女クルードの活躍を見てみたくなった」

「えへへー、なんだかこっぱずかしいですよー。でも、それならまたすぐに会えますねっ」

 クルードは満面の笑みを浮かべ、少女たちの元へ戻っていった。

 一人、また一人とまほう少女たちがアニメの世界へ帰っていく。九人の少女がモニターの奥へ飛び込んでいった。そして最後の一人、クルードの番になった。私は黙って彼女の背中を見ていた。

クルードは両ひざを曲げて跳躍の体勢をとった。しかし飛び上がるかと思った瞬間、彼女は顔をこちらに向けた。

「そうそう、やっぱり純一さんは家族を見捨てるような人ではないですよ。一緒に行動して確信しました。あなたは立派なお父さんですよ。今からでも遅くないです、秋ちゃんと仲良くしてくださいね。それでは今度こそ、さようなら!」

 そう言い残し、クルードは帰るべきアニメの世界へと戻っていった。はて、クルードはなぜ最後にあんなことを言ったのだろう。ファミレスで身の上話をした際の私はよほど痛々しかったのだろうか。なんだか申し訳ないことをしてしまったな。もう少しくらいかっこいいところも見せておきたかった。

「すみません」

 突然背後から、声をかけられた。何事かと振り向くと若い女性が立っていた。秋葉原に到着した際、危うくぶつかりそうになったあの人だ。

「ああ、先ほどは失礼しました。きちんと謝れなくて」

 しかし彼女は、私が頭を下げるのを無視して言った。

「お父さんですよね……? その首飾り、小学校の時にわたしがプレゼントした……」

 私は耳を疑った。私の目線はおのずと首飾りに向けられる。

「秋なのか……?」

「やっぱりお父さんだ。わたし、ちっちゃかったけどちゃんと覚えてるんだよ?」

 そう言って、秋は私の元へとことこと駆けてきた。

「もう一度、みんなで暮らそう。お母さんも待ってるよ」

「本当に、本当にいいのか。お前たちはこんなふがいない私を許してくれるのか」

「ふがいなくなんてないよ。お父さんはいつも一生懸命だった。それはクルードも言ってたじゃない」

「ありがとう……」

 私は娘を抱きしめてひたすらに泣いた。だがその涙は昨夜クルードに見せたものとは違って、とてもあたたかなものだった。

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まほう少女クルード 茅田真尋 @tasogaredaru

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