2-2 フロイド・カット

 生前クラブに行った事はある。通っていた程ではないが、場の空気に馴染むのは苦手ではなかったはずだ。

 しかし、この外見で夜の社交場に入り込むのは、やはりそれなりに緊張するものだ。


「貴方、観光客?」


 英語で話しかけてくれた。

 長い黒髪、白い肌、はっきりとした目鼻立ち。フランス系? 普段ブラムと話しているから、話し方が似ているのが分かる。


「ちょっと背伸びした夜遊びさ」


 俺はそれらしく気取って笑って見せる。銀髪をオールバックにして、両耳に多数のピアスを付けている。


「この後、二人で遊ばない?」


「実は、約束があるんだ。とても大事な」

「そう……気が変わったら何時でも連絡して」


 そっと、ポケットに紙切れを差し込まれた。俺は愛想笑いを浮かべながら、美女をスルーする。


 ふぅ……。

 仕事だぞ、と。集中しろ。


 意識を心の深いところに潜航させる。この雑音だらけのクラブの中で、生命の歌を聞くのは少し難しい。耳ではなく、心だけでそれを聞く。


 生命の歌を……ニンゲンとそうではないものを聞き分ける。

 ……春の園の鳥たちのさえずり。


 そのようなものが聞こえる。あるいは怒り、あるいは求愛、あるいは歓喜、交わりに猛る声も少々、おっと、プライバシーには最大限の配慮を、遠慮遠慮。

 そのさえずりに混じって、別の歌声があった。数は二つ。


「ブラム」


 俺は無線で呼び掛けた。


『キセ、聞こえない』


 かすかにそう言っているのが聞こえた。俺は持たされた携帯電話でブラムの端末にメールを送信した。文面はこうだ。


『短い黒髪の男だ。喪服みたいにシックに決めている。俺は、怪しいもう一人を追う』


 すぐに返信が来た。


『見つけた。油断するなよ』


 俺は、そっと携帯電話を上着のポケットに仕舞った。もう一人を追う。女だ。かなり若いが、髪は銀髪で、胸が大きい。


 標的がバックヤードに入っていく。お花でもつみに行くつもりか? 好都合だ。

 後を追って、バックヤードに入る。


 一応図面は頭に入っている。ここは長い通路で、すぐそこにトイレがあるはずだ。ある。男と女の表示が入口の上についている。


 銀髪の女が女子トイレに入っていく。さて、非常に不躾だが、侵入するとするか。

 俺は、女子トイレに入り、中を確認した。個室が並んでいる。三列? 清潔感がある。


 まず手前から確かめた。誰もいない。人の気配は無い。二列目。やはりここにも誰もいない。となると、三列目か。

 三列目の通路に入り、すぐに一番奥に注意が向いた。水の流れる音がする。接近して確認する。ドアを開けて、中を覗く。


 ジョボジョボジョボ……。


 水が流れている。ご覧の通りに。誰も中にいない、ぞ?

 ふと、背後に気配を感じた。突然腕を取られて、壁に押し付けられた。咄嗟とっさに身をよじって、相手の背後を取った。銀髪の女。こいつが当たりか?


 女が肘打ちを鳩尾みぞおちに入れてきた。一瞬悶絶して、気を失いそうになる。それでも何とか防御姿勢を取り、女の掌打と蹴りのコンビネーションを捌く。だが、髪型は乱れて、何時ものツンツンヘアーに戻ってしまった。


「……」


 女が手を止めた。何故?

 視線を上げて、女の顔を確認する。


「……キセ?」


 不意に名を呼ばれ、俺はしばし唖然とする。誰だ? 相手の女は……。

 表情を見る。ゴールドに輝く琥珀色の瞳。俺と似ている。でも……。

 何て事だ……何故、彼女が?


水瀬みなせ……」


 そこにいたのは水瀬監察官だった。容姿の変化が激しいが、俺が見間違えるわけがない。


「何故ここに?」


 聞かれそうになったところでトイレに誰か入ってきた。咄嗟に水瀬監察官が俺に抱き着く。強引にキスされて、髪を搔き乱される。


オーなによシットヤダッ!」


 女子トイレに入ってきた女たちが、俺と水瀬監察官の絡みを見て、慌てて出ていった。

 水瀬監察官がそっと俺から顔を離す。


「……説明して」


 まだキスの余韻よいんも冷めやらぬのに、相変らずクールだ。


「CIAの仕事の手伝いさ。アメリカから持ち出された核の起爆装置の回収。ブローカーはホシビトらしいが」

「そう……」


 水瀬監察官は目を伏せて、そっと俺に告げた。


「そのホシビトは日本からアメリカに渡った人物よ。マイアミキングダム殲滅作戦に参加後、姿を消した」

「だから、君が?」


「日本政府は今回の件で言いわけを用意しなければならない。自分で捕まえて、アメリカに差し出せば、容疑は晴れる」

「分かった……だが、ブローカーはCIAに引き渡す。俺から向こうにわけを話す」


「条件をつけてくれるの?」


 水瀬監察官が俺をじっと見つめる。


「それも仕事を成功させれば、の話だが……」


 やれやれ面倒事だぞ、と考え始めたところで、音が聞こえた。


「発砲? 軽機関銃、突撃銃……」


 水瀬監察官が音を聞き分けている。

 ブルル、

 携帯電話が鳴った。電話に出る。


『キセ、標的を確保した。ビンゴだぜ! でも、今ちょっと立て込んでてさ』

「ロシア人か?」


『荒事専門の……ホシビトだな』

「よし。今バックヤードの女子トイレだ。ここから裏口に出る」


『女子トイレ? おいおい』

「勘ぐるな。相手は、水瀬監察官だ」


『あら、また運命的な』

「抜かせ」


 通話を切って、水瀬監察官の手を引く。女子トイレを出て、通路になだれ込んでくる客の姿をちらりと見た。裏口は反対側。二人で走り出す。

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