あなたを殺す花(短編)
碧音あおい
天乃花衣──あまのかい
ここから落ちたら挽き肉になっちゃうかな。
思いながら少し身を乗り出してみる。ここから見えるのは校門の方で、教師かもしれない別に誰でもいい車が脇の方に駐車されている。高いなあと漠然と思った。車の値段ではなく、自分の居るところがだ。
「死にたいの?」
後ろから知らない声がして、思わずビクッと身を震わせた。うっかり落ちるようなヘマはしていないけれど、さすがにバランスを崩すかと思った。
後ずさりしてフェンスに背中をぴったりと付けて顔だけで振り向く。フェンス越しに見えたのは同じ制服を着た明るい赤茶色の髪をした少女だった。自分よりも背が低い。
少女は猫のような緑の目を細めた笑顔をしている。
「ほら、いなくなってもいいって顔、してるよ」
「……何言ってんの、アンタ」
「否定しない。ってことは図星だね」
「てか、アンタ誰」
震えそうになる声を低めて見覚えのない顔に問いかける。
声が震えそうなのは──確かに、言われた通りだったからだ。あまりにも不愉快だから認めたくはないけれど。
「私は
「……悪いけど」
「あ、そっか。天乃さん転校してきたばっかりだもんね。なら仕方ないかあ」
警戒心からつい睨みつけてしまったかもしれないと思ったのに、里良という少女は両手を胸の前で合わせてからりと笑っている。なんだコイツ。あたしに一体何の用があるんだ。っていうかいま授業中だぞ。
「ね。そんなところから落ちたらきっとすっごい痛いよ。すっごい苦しむよ。やめた方がいいよ?」
「……別に、自殺願望なんて無いけど」
「そうなの? そんなに死にたそうな顔してるのに」
首を
不意に、車のエンジン音が校門の方から聞こえた。はっとなってフェンスをに手をかける。スカートがめくれるのも気にせずにガシャンガシャンと揺らして乗り越える。
「──痛くもなくて苦しくもない死に方、教えてあげよっか?」
降りたタイミングでそんな事を言われる。何コイツ? メンヘラ? 思いながら思い切り不機嫌な顔を作ってキッパリと言い放った。
「いらない」
花衣は黒い髪をなびかせて走り出す。
「またねー!」
少女は笑顔で手を振ったが花衣には見えなかったし見なかった。訳の分からない存在なんて、とっくに意識の外に追いやっていた。
一息に階段を駆け下りて校舎前の方に向かっていると、下駄箱で靴を履き替えようとしている姿に出会った。
「
「
振り向いた実羽の顔色は悪くない。肌が真白いのは変わらずだけれど。ふわふわの胡桃色をした髪の毛もパサついていないし同じ色をした瞳も潤んではいなくて、花衣は安心する。
小さな肩にそっと手をやって訊ねる。
「
「経過観察だって。学校も行っていいよって言われた。だからお母さんに送ってもらったんだ」
「そっか……」
安堵にほうっと息を吐いた。ら、ピンッ、と額を弾かれた。実羽の力では大して痛くはないけれど、その行動にちょっとだけびっくりした。
「花衣ちゃん、なんでここにいるの?」
「え? なんでって」
「いま授業中じゃないの?」
「──あ、っと。その……なんていうか、自主的な社会科見学ーみたいな?」
額を押さえながら言うと、ぷっと実羽が吹き出した。愛らしい、えくぼの浮かぶ笑顔だった。
「なにそれ」
くすくすと肩を揺らす実羽を見て花衣は胸が痛くなった。一瞬だけ強く唇を噛んで押し殺す。低い位置にある実羽の頭をぽんぽんと撫でた。
「一緒に教室行こっか」
「うん」
実羽が靴を履き替えようと靴箱を開くと、ばさばさばさっと音を立てて何通もの封筒が落ちてきた。
花衣も実羽も無言になる。
先に口を開いたのは実羽だった。
「花衣ちゃん、これ……」
「マンガみたい。本当にあるんだ、これ」
「……でも花衣ちゃん、うち、女子高だよ? なんで?」
「さあ? でも実羽は一番可愛いから」
花衣の言葉に実羽は思い切り顔を真っ赤にしてうつむいた。
「天乃ぉー」
「なに?」
「こないだの学年テストの結果見た?」
「見てない。でも一位が誰なのかは分かる」
「お、言ってみ?」
「天乃実羽」
「
教室で、自分の席ではない椅子にどっかりと座って向かい合う友人に花衣は肩を竦める。
「あたしの妹だからね」
「うわ、姉までよゆーっていう。そういえば今日来てるみたいだね、天乃さん」
「今日は調子いいみたいだから」
「……病気持ちなんだっけ? 確か」
「そ。でも昔からだからヘンに気にしなくて良いよ」
顔色を窺うように上目になった友人に向かって笑ってみせる。気遣われたくないのは本心だった。隣のクラスにいる本人だってきっとそうだろう。激しい運動などは止められているけれど、それ以外のことは大抵なんでも出来る妹だから。見た目だって可愛いし。
「でも似てないよね、天乃の
「二卵生だからじゃない? あたしの髪はお父さんかな。実羽のはお母さんで」
自分の髪の毛をいじりながら返事をした。友人は面白そうに目を輝かせている。
「なるー。あたし一人っ子だからそういうの全然わかんないや。ね、双子がいるってどんな感じ?」
「……普通だよ、多分」
そう、思いたかった。
翌日。
花衣は屋上に向かいながらカードを眺めていた。果たしてこの緑のカードは、自分にとって意味はあるのかと思いながら。
屋上に続くドアを開ける。いつものように校門側のフェンスへと歩いていると、誰かがいた。
何故かスカーフをしていないが自分と同じセーラー服。肩まである明るい赤茶色の髪。そして、ぱっちりとした緑の目が、フェンスの向こうから自分を見ていた。
「ハロー」
にっこりと笑って手をひらひらとさせてくる。訳の分からなさに溜め息すら出てこなかった。なんなのコイツ、ストーカー? あたしそんな
「今日も死にたくなった?」
「別に。アンタには関係ないでしょ」
「アンタじゃなくて、里良だよ。天乃さん」
長い髪を掻き上げて、はあ、とこれ見よがしに溜め息をついてやった。それでも、相手が怯む様子はカケラもない。
「ねー、天乃さん。魔法って信じる?」
「は?」
「だからー、魔法」
「……この年になって信じてる方がどうかしてると思うけど」
「ま、普通はそうだよね」
あはは、と里良は笑みを崩さない。変な
「天乃さんサボってるくらいだし、ヒマでしょ? ちょっと私と付き合ってよ」
花衣の思考が止まった。思い浮かぶのは実羽の下駄箱からあふれた手紙の数々だった。まさか。とは思うけれど、確認せずにはいられなかった。
「……それ、どういう意味?」
「あ。日本語間違えた。私に付き合ってよ、だねただしくは」
微妙にホッとしながら、それでも花衣は警戒を崩さない。というか、相手をするのが嫌になったので屋上から離れようと踵を返した。
「付き合う理由なんてない」
「魔法、見せてあげるって言ったら?」
ぴくり、と花衣の肩が揺れた。不思議と、つい、足が止まっていた。ガシャンガシャンとフェンスを越える音が聞こえて、パタパタと足音が近づいてきた。
くい、と手首を掴んで引かれる。その子供っぽい動きに、何故か実羽を連想してしまい、花衣は足を踏み出していた。
「じゃ、校舎裏までレッツゴー!」
強引に連れてこられた所には緑の植え込みがあって、その側には死体があった。猫の。茶トラの。
申し訳程度に制服のスカーフが被せられているけれど、猫は車に轢かれてしまったのだとすぐに察しがついてしまった。白いスカーフには赤色が滲んでいるし、足は不自然な方に曲がっている。その下の膨らみは呼吸による上下をしていない。
「……っ!」
とてもじゃないが見ていられなくて顔を背けた。押さえた口の中がヘンに苦い。唾液が不自然に分泌される。こんなの見せてくるなんてコイツやっぱり頭おかしい。逃げよう。
目の前にいる人間の形をした
「まーグロいけどさ、もうちょっと頑張って見ててよ。いま『咲かせる』から」
「……は?」
花衣は猫を見ないように里良に焦点を合わせる。里良はポケットからハンカチを取り出すと手のひらの上で広げた。
そこに乗っていたのは、いくつもの種だった。小さいひまわりの種にも似ていた。
里良はとっくに動かない猫に近づいてしゃがみ込むと、スカーフをめくって種をひとつ落とした。落としたのはつい見てしまったけれど、落ちた音は聞こえなかった。
いきなり、猫の身体が発光した。どくんどくんと脈打つみたいに色とりどりに点滅していて、規則的な光り方はまるでサイリウムみたいだと感じた。
光は猫を包むようになっていると思ったら、今度はその光の中心から花が咲いていた。目に痛いくらいに鮮やかな、ピンク色の花だった。
「……は?」
花衣は瞬きをしたが、目の前の光景に変化は無かった。あえて言うなら、猫の身体が失くなっていた。ただ、造花みたいに茎と葉が繋がっているだけの花がそこにあった。
里良はピンク色の花を手にして振り向くと得意げに微笑んだ。
「はい、これが私の魔法!」
「……て、手品じゃないの、こんな」
「あははっ! 天乃さんも普通の反応だね、手品で出来るわけないのに」
花衣が動揺して口ごもると、里良が手のひらの上のハンカチを差し出してくる。正確には、ハンカチに乗っている、種を。
「はい。好きなの選んでいいよ」
変わらない笑顔のままの里良を見て、その後ろの、猫があったはずの植え込みを見る。そこにはもう、血にまみれたスカーフしかない。花は里良が持っている。何が何だか分からなくて花衣は戦慄する。唇が震えて仕方ない。
「……アンタが、あの猫を殺したの」
里良がむーっと頬を膨らませる。
「違うよ。そんなことしない」
「じゃあなんで」
「たまたまだよ。今朝たまたま轢かれてるのを見つけただけ。そのままなのは可哀想だから、魔法で花にして綺麗にしてあげようと思って」
悼むように緑の瞳が細められる。手にしたピンクの花をそっと抱きしめるようにして。
花衣の頭がますます混乱して、目の前の存在がおそろしくて、一歩、二歩と後ろに下がっていく。
「魔法って、本気で言ってるの、アンタ……」
「当然だよ。だって私は魔女だからね!」
その言葉も笑顔もあまりに異質で、非現実的すぎて、だから花衣はそこから走って逃げ出した。
それから数日。
花衣は屋上に近付かなかった。雨が降っているのも理由だったが、一番は、またあの里良という少女が待ち構えているかもしれなかったからだ。
移動教室の時も不安だった。別のクラスに居るはずの少女と出会うかもしれないから。何故かすれ違うことすらなかったけれど。
そして花衣は実羽が突然に倒れたことを知る。
授業中に腹部を押さえてうずくまって、そのまま動けなくなったと聞いた。教師に呼び出された花衣は救急車を呼んでもらい、実羽に付き添ってかかりつけの病院に行った。
すぐに処置室に運ばれて、数時間後には面会謝絶になった。仕事を途中にして来た父も、パートを切り上げて来た母も、泣いていた。
花衣は、泣けなかった。
雨の降る中で、花衣は病院の屋上に立っていた。ずぶ濡れで服が身体に張り付いて冷やしていくが、そんなのはどうでもよかった。屋上に来ればきっとアイツが居る。予感も何もなく、ただそう思って来たのだから。
アイツの名前は、そう──。
「里良。いるんでしょ」
花衣の後ろにある屋上のドアが開かれる。里良はひょこっと顔を出して、降りつける雨にわずかだけ顔をしかめた。
「天乃さんから呼ぶなんてめっずらしー。明日は雨だね。もう既に雨だけど」
あはは、と本当に楽しいのかもよく分からない笑い声が聞こえて
里良は花衣の隣に立って、背伸びして顔を覗き込んでくる。その姿はどうしてか雨に濡れていない。
「ひどい顔してる。かわいそう」
言葉に同情の響きはなく平坦だった。やっぱり、何を考えているのか分からなくて、不気味で不愉快だ。
でも、花衣はもう決めていたから、確認をする。震えそうになる声で。
「……あたしの身体、あの猫みたいに失くなるの」
「失くならないようにも出来るよ。そういう魔法を追加すれば」
「……アンタって」
「ん?」
「魔女じゃなくて死神なんじゃないの」
里良が両手に腰を当ててわざとらしく溜め息をついた。
「よく言われるんだよねー。でも仕方ないんだよ。だってこの種は生物を糧にしないと綺麗な花を咲かせないから」
やっぱ電波だコイツ。花衣は辟易としながら里良を横目だけで見た。目が合うと、里良はまた笑顔になった。
花衣が口を開く。
「聞かないの」
「なにを?」
「なんであたしが死にたいと思ってるのか」
「天乃さん、えぇっと、実羽さんのためでしょ? 必要なんだよね、ドナーが。でも家族の誰も、親戚の誰も、適合性が低かった。天乃さん以外は」
花衣が目を見開く。今度こそ全身が冷えではない震えに襲われる。
「なんで……」
知ってるの。
言葉は声にならずに唇だけをわななかせた。
里良は花衣の前まで移動すると、笑顔を更に深めた。
「すごいでしょ、魔女って。結構アレコレ出来るんだよ。アレとコレしか出来ないとも言うけど」
目の前に在る里良の──『魔女』の異物感におそれて逃げ出したくなる足を、強いてその場へと踏みとどめた。かちかちと鳴る歯を食いしばって笑顔の相手を力一杯
「そんなに怖い顔しないでよ。これはー、そう、公平な取り引きみたいなものなんだから」
「取り引きって……」
「天乃さんは願いが叶う。私は綺麗な花が手に入る。ね? 悪いことじゃないでしょ?」
酷い話にも程がある。まして一体どこらへんが公平なんだ。あたしはこんなにも怖い思いをしてるのに。
里良が花衣の手を取る。
雨に濡れていない小さな手はあたたかくて、花衣はどうしても振りほどけない。
あどけない微笑みを向けられる。
「大丈夫だよ。言ったでしょ? 痛くもなくて苦しくもないって。ただ、綺麗な花が咲くだけだよ」
「……咲くって、どうやって? あたしは何をすればいいの?」
「何もしなくていいよ。天乃さんの感情で花は咲くから。天乃さんは……そうだね、ただ世界を恨めばいいの」
それを聞いた花衣の震えが止まった。初めて里良の手を握り返して、笑う。
「なんだ、それなら簡単じゃん」
言って、涙を少しだけ零した。
降りしきる雨がそれを洗い流す。
古矢里良は病院の出入り口から外に出た。
さっきまで散々雨は降っていたというのに、今はもう止みつつあるくらいだ。魔女である少女には関係のない話とも言えるけれど。
里良は勢いよく水溜まりを蹴飛ばして歩く。機嫌良く、鼻歌なんかを歌いながら。その足はこれっぽっちも濡れていない。
右手に持っていた藍色の花を鼻先に近付けて香りを楽しむ。何かを聴くように耳元に寄せる。
顔から遠ざけて全体をじっくりと眺め、里良は頬を染めて笑顔になった。
「──あなたの幸せを祈る、か。貴女らしくて綺麗な花だね、天乃花衣さん」
あなたを殺す花(短編) 碧音あおい @blueovers
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