第12話 裏切りの牙

スキンヘッドの男に連れられ、収容房に戻って二時間、茜の姿が見えないまま外はますます騒がしくなっていた。房の窓から外の様子を窺う二人は、お祭りのように流れる笛や太鼓の音をじっと聞いている。


戸部「始まってるんですね、継崇典」

倉見「…だな」

うつろな目をして林を眺める倉見。

戸部「茜さんも…行ってるんですよね」

そう呟く戸部に、何も答えないまま倉見は外を見続けた。


戸部「…上田さんが医者って、なんかしっくりきません…他にも色んな話を聞きすぎて、何がいいのか悪いのか、判らなくなってきました」

壁に背を流すように座り込むと、戸部は頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。その隣にゆっくりと座る倉見。

倉見「…どんな理由があろうとこれは犯罪だ善いわけがない…鹿子がどう思っていてもだ」

下を向いたまま戸部はコクリと頷いた。


~ドーーーーーン ドドドーン~


突然鳴り響いた爆発音に吹き飛ばされるように立ち上がる二人。

倉見「なんだ!?」


~ドドーンドドドーン!~


戸部「お祝いの花火…にしてはでかすぎますよね?」

止むことなくなり続ける激しい爆発音、窓の外を覗いてみると前の林の先から黒い煙が立ち昇っているのが見えた。

倉見「火事か!」


~ブーーーーーー ブーーーーーー~


今度は畳みかけるようにサイレンが鳴り、明らかに非常事態が起きている事を知らせていた。

戸部「何があったんでしょうか…」

パニックになる様子が手に取るようにわかるほど、あちこちで叫ぶ悲鳴が溢れていた。倉見はすぐに網扉のロック装置に手を掛ける。

倉見「ちきしょう!うんともすんとも言わねえ!」

扉をこじ開けようとしたその時、廊下の先から開錠音が鳴った。


~ピーガチャン~


網の中に顔を突っ込んだ二人の前に現れたのは、ふらつきながら歩く茜だった。息を切らせながら真剣な表情ですぐにロックを解除する茜。

倉見「何があった!?」

房から飛び出た倉見が急かすように問う。

茜「…ハァ、ハァ、グロウ管が爆発して…ハァハァ…本殿の一部が焼けて…原因はわかりません…」

背中を丸めるようにゼイゼイと吐きながらそう答えた茜の背中を、戸部が擦った。

倉見「グロウ管て、畑に張り巡らされてる栄養おくるやつか!」

茜は頷きながら、帯の間からスマートフォン出した。

茜「…これを」

それは静子に取り上げられた戸部のスマートフォンだった。


戸部「これボクの…」

戸部は電源ボタンを押し、画面を見る。

戸部「…充電が満タンになってる」

倉見も覗き込むが、電波は圏外の表示。

茜「ハァ…ここを出て、西へ…ハァ…ケヤキ並木の通りまで出れば繋がります…!」

倉見は膝を押さえながら息を上げる茜の肩を掴む。

倉見「茜ちゃん、これは誰が?」

茜「…し、鹿子さまが…ハァ、設定を変えたので…繋がります!」

大きく息を吸った倉見が戸部と目を合わせた。

戸部「鹿子さんはどこにいるんですか?」

茜「…本殿に!…この電話と…ハア…地下にある神の石を持っていけと…!」

その絞り出すように言った茜の言葉は、鳴り響く爆発音を遠ざけ、無気力になりかけた倉見の体にみるみる力を漲らせる。


倉見「わかった、その石は地下のどこにある?鹿子は無事か?」

茜は頷き、ようやく顔を上げる。

茜「くわしい場所は…わかりません…私はこれから本殿に戻って鹿子様をお連れします!」

そういって倉見を見る茜の目は、焼き付けるように強く光っていた。

倉見「頼む!…何が何でもアイツを連れて帰らないとだからな!」

倉見がそう言うと茜は深く頷いた。

倉見「よし、じゃあまずこのドアを開けてくれ、あとは何とかなる」

対面にあるドアを指さすと、茜は頷きすぐに開錠した。


ドアを開けて倉見が入り戸部も追うようにドアに手を掛けるが、ふと振り返り、胸に手をあてて見送る茜を見つめた。

戸部「茜さんも気を付けて…!」

そのままドアは閉まりバタバタと走る二人の足音を聞きながら、茜は何かを覚悟したように歩きだし、本殿へと向かった。



鹿の絵が掘り出された鍵のないドアを押し開け、コンクリートむき出しの地下室に出ると、倉見は迷わず壁の電子盤に近づいた。二種類のボタンといくつもの数字が並ぶ電子機器。

戸部「電子ロック…茜さんに聞いとけば…」

そんな心配をよそに、青いボタンを押す倉見、間もなくロックは解除され床下の扉が開く。地下へ続く階段を走り降りる倉見を、戸部は唖然としたまま慌てて追いかけた。


地下には主人を待ちわびるように、あの赤いフェラーリがキーをつけたまま光を滴らせていた。

戸部「…こんな所に置いてたんですね」

そこらじゅうの棚や物置きを片っ端から探し回る倉見の後ろで、ついその潤

しい赤に見入ってしまう戸部。

倉見「見てる場合か!お前も早く探せよ!」

そう言いながら空っぽだった物置の扉を勢いよく閉めた倉見。ぼけっと突っ立ったまま動かない戸部に檄を飛ばしてみたものの、石のありかなど見当もつかない。大きな車体を保管する為だけにあるようなこの場所の、一体どこを探せと言うのか…気持ちだけが焦る倉見はぶつけようのない苛立ちを募らせていた。


考え込む倉見をよそに、戸部は変わらず憧れのフェラーリをみて大興奮していた。シンメトリーに割れた二本の排気口、ボディーに食い込むように流れるサイドポッド、そして正面で見せる洞窟のような二つのグリル…見れば見るほど戸部を夢中にさせた。

戸部「先輩、これF三六〇スパイダーですよ!すごいですね」

壁を一か所ずつ叩きながら、倉見は何故か笑う。

倉見「は!適当いうな!それはA四五〇って車種なんだよ!この知ったかぶりが!」

したり顔の倉見に首を傾げる戸部。

戸部「間違いないですって、ボクプラモデル持ってますもん…そもそもA四五〇なんて車種存在しないですよ、これだから車音痴は」

倉見「どうでもいい情報だな」

倉見は背中を向けたまま呆れかえった。


その後も赤いマシンに見入る戸部、

戸部「先輩、これいくらぐらいするんですかね?」

戸部「フェラーリって買うより維持が大変なんすよ、部品一つもまあ高いですからね」

戸部「あ、タイヤのエアーちょっと少ないみたいですよ?」

全く聞かずに壁を叩き続ける倉見。不満気な顔をしながら、戸部は後ろにある物置を開けた。

戸部「あれ?空っぽじゃん。ちゃんとメンテナンスしてんのかな?」

倉見「お前も遊んでないで考えろって…」

振り返った倉見は物置の不自然さに思わず止まる。

戸部「考えろって行っても物置以外何にもないじゃないですかー」

倉見「何でこんなバカでかい物置が空なんだ?」

倉見はゆっくりと近づき、物置の奥を叩いてみた。


~ドンドン ドンドン コンコン~


音が軽くなったその場所をよく除きこんでみると、その真上には細い針金が飛びてでいる。

二人は顔を見合わせうなずくと、針金を思いきり引っ張った。すると奥の一面が丸ごとはずれ落ち、青く光るディスプレイ画面が現れた。

戸部「あ、あった!うっそ!」

倉見「…マジか…!」

画面の真ん中には数字とアルファベットが並び暗証番号を求めているようだ。


戸部「銀行のATMみたいですね…ブルーライト浴びちゃう」

倉見「…暗証番号かぁ…」

じっと画面を見つめながら考え込む倉見に、戸部はだらりと頭を垂らす。

戸部「せっかく見つけたのに…絶対わかんないですよ、鹿子さん探した方が早いです」

そんな言葉も届かぬほど、倉見はこれまでの事を思い出していた。


(香鹿「それはね、あと一時間後に崇守になる人しか知らない物だから」)

(鹿子「相変わらずばかで安心した…フェラーリの車種だよ」)

(戸部「そもそもA四五〇なんて車種存在しないですよ」)


倉見はハッとして画面に向かい、タッチパネルに指をついた。

戸部「ちょちょちょ先輩!?適当にいれて中のデータがどうにかなっちゃったらどうするんですか!?」

慌てて止めようとする戸部にニヤリと笑う倉見。

倉見「間違いない、あいつが言ったんだ!」

そしてA四五〇と打ちこんだ。


~ピピピピピ…カチャン~


電子音とともに斜めになったパネルが持ち上がり隙間ができた。倉見はその隙間から開き戸になったパネルをゆっくりと開ける。


中には、上蓋に鹿の絵が彫られた小さな箱がひとつ入っていた。倉見はごくりと唾を飲み込むと、鍵のない留め金を外し上蓋をゆっくりと持ち上げた。

ふかふかとした黒い底布に寝かせられるように、銀色の爪をつけたUSBメモリが現れた。隣で見ていた戸部も目を震わせながら見つめている。二人にとって親指ほどしかないそれが、やけに大きく重たく見えていた。


~パタ、パタ、パタ~


突然、背後の階段から足音が鳴る。倉見はすぐにUSBをポケットに仕舞うと、じっと足音の主を待った。

~パタ パタ…。~

背中で息をしながら、ハラハラと左右に落ちる髪の中に光る鋭い目。

静子「…こちらに…ゼイゼイ…おられたか…ゼイ」

息苦しさで鬼の様な形相の静子が、一歩ずつ近づいてくる。そのただならぬ様子に二人は後ずさりしながら警戒している。言葉を出すのも辛いのか、静子は首を横に振りながら手を出すと、その場にカクンとしゃがみこんだ。

静子「ゼイゼイ…伝え…箱を…ゼイゼイ…渡してく、下され」

必死に訴える静子を前に二人は目を合わせる。


倉見「伝え箱…?箱ならそこに転がってる」

倉見は物置の下で開いたままの箱を指さした。

静子「…中の…ものは?」

よく見ると、その顔には所々にすり傷を残し、着物には焼けたような煤がついている。


倉見「…中身は渡せねえよばあさん」

そう冷たく倉見が言うと、静子は倒れ込むように床を掴む。

静子「…それは構わんが…お前が持っておるのは神の石などではない…」

険しい表情で首を傾げる倉見。

静子「…本物は崇守さまである…鹿子さまがお持ちだ…茜に騙されたな」

苦痛に耐えながらにやりと笑う静子に、二人は少しずつ近づいた。

戸部「茜さんが騙したってどういう意味ですか?」

静子はさらに続ける。


静子「…それはダミーとしておかれておるもの…この爆発を仕掛けたのは茜じゃ…嘘の伝言でお前らを遠ざけ、鹿子様を亡き者にするつもりじゃ…!」

倉見はポケットからそっとUSBを出し、手の中で握りしめる。それをじっと見る静子。


静子「本物は…爪が金色になっておるが…ダミーは…銀色だ。お前達が知らないのを利用して…!」

ぐっと噛みしめた唇に血が滲む静子、倉見もショックを隠せないように立ちつくした。

倉見「…なぜ茜ちゃんが?鹿子を殺す理由なんてないだろ?」

静子は倉見を睨みつけたまま這いつくばった手を袂に入れ、一枚のカードを出した。


静子「…これを…!」

必死で伸ばす手からそれを受け取った倉見。

倉見「…何のカードだ?」

静子「本殿の…マスターキーじゃ。それがあればどこにでも入れる…」

村の心臓部へ入る重要なカギを手にして、思わず目を大きくする倉見。

静子「…神の石を狙う者は他にもおる…わしはもう動けぬが、ここでダミーを持ち囮になる、その間にお前さん方は鹿子様を助けて…くれ…もう時間がないんじゃ!」

鬼の目からは大粒の涙がこぼれ、コンクリートの床に顔を埋めた。それは言葉よりも細かく、そして深く、倉見と戸部の心に訴えかけた。


倉見はゆっくりと静子の前に屈みダミーのUSBを置いた。

倉見「あんたに言われなくてもあいつは連れて帰る…今どこにいるんだ?」

その言葉に背中を震わせながらまた涙する静子。

静子「…ならいの門に…そこにいるはずじゃ…!」

倉見は大きく頷くと、すぐさま壁のボタンを押して前面のシャッターを上げた。カタカタと外の景色が現れていく。


倉見「戸部!」

フェラーリの助手席に乗り込んだ倉見が呼び、戸部はキョトンとしたまま見返した。

倉見「何やってんだよ!早く乗れよ!」

戸部は焦ったように大きく手を振る。

戸部「ボク免許持ってませんよ!?」

倉見「…はー!?」

目を丸くして固まる倉見。

戸部「先輩持ってましたよね?前に覆面パトならファミレス行ってもバレないって自慢してたじゃないですか」

倉見は一瞬黙りこむと、車を降りバタンと閉めた。

倉見「オレのはオートマ限定免許だ、あんなコックピットみてーな装置わかんねえよ!」

完全に上がり切ったシャッターを抜け、二人は全足力で走っていった。



耳をつんざくような音に、時折揺れる本殿の最上階、鹿子は息を切らしながら父・守の部屋に駆け込んだ。

鹿子「お父さん!!」

守は椅子にもたれながら、壁に掛けられた鹿代子の写真をぼんやりと眺めていた。

鹿子「…お父さん、今すぐここを出て!」

息せきる鹿子とは対照的に守は焦った様子もなく、ゆっくりと振り向く。鹿子は一呼吸置いて守に近づいた。

鹿子「お父さん…!」


子どものころから変わらない穏やかな笑顔を浮かべ、鹿子の顔を見つめる守。そんな父の顔を前に、鹿子は言葉を失いうつむいた。守はゆっくりと立ち上がると、優しく頷きながら鹿子の頭を撫でる。

守「…怪我はないか?」

鹿子は唇を噛みながら、その温かい手をくしゃっと掴んだ。

鹿子「…お父さん、もうすぐここは…」

守「お父さんな、一つお前に謝らなきゃいけないことがあるんだ」

守は鹿子の言葉を遮るように切り出した。鹿子が少し顔を上げる。

守「お父さんは…お父さんは鹿子の本当の父親じゃない…」

鹿子は大きく目を見開き、守を見上げた。


守「鹿代子と…お母さんと結婚するときには、もう鹿子がお腹にいたんだ」

鹿子「…どういう事…?」

守「うん…。」

守はまた椅子に座ると、懐かしそうに目を細め鹿代子の写真を見つめた。


守「…お父さんは守野の家に生まれたから、子どものころから崇守と結婚する事は決まっていたし、そのことを疑問に思った事もなかった。夫婦になって、子どもができて、またその子どもが次の崇守になって、守野の男と夫婦になる…それが当たり前だと思ってた」

鹿子は口を押すように拳をあて、じっと聞いている。


守「でもね、鹿代子は違ったんだ。鹿代子と初めて顔を合わせたのはお互い二十歳のときだったんだけど…お父さん、思わず見とれちゃってね」

鹿子「…きれいだった?」

守は子どものような笑顔で何度も頷いた。

守「…すごくすごく、すっごくきれいな人だなって、飛び上るほどうれしかったな…。それでついぼけっとしてたら、鹿代子が怖い顔で、〝おかしいと思わないの?〟って。何で?って聞いたら、すごく嫌な顔してね」

守が噴き出すように笑う。


守「あなたは何も考えてないのねって、そう言ったんだ」

鹿子「…お母さんが?」

守は笑いながら頷いた。


守「それから鹿代子は、崇守になるまでの期間を勉強のために東京へ出て、今のお前と同じ年に村へ帰ってきたんだ」

今の自分と同じ…鹿子は若かりし頃の母に思いを馳せ、胸を熱くする。

守「鹿代子が戻ってすぐ結魂(ゆうこん)の儀(結婚式) があったんだけど…その夜、鹿代子が思いつめた顔で言ったんだ。

〝自分にはずっと前から大切に想っている人がいて、お腹には既に新しい命が宿ってるから、生まれてきた子をあなたの子だと偽って欲しい〟って…」

鹿子「…怒った?」

守は大きく首をふり、

守「おかしいかもしれないけどお父さん、それを聞いてすごく感動したんだ。なんかわからないけど…見たことのない新しい世界を鹿代子が持ってきてくれたって。…だから鹿代子のこともお腹の子も…必ず守るって約束した」

鹿子「…」


~ドドドン!ガラガラガラ!!ドーーン!~


外からまた爆発音が響く。鹿子が窓の外を覗くと、火の柱が少しずつ伸びてきているのが見える。

鹿子「お父さん!とにかくここを出て!」

守は鹿代子の写真をじっと見つめながら頷いた。

守「…うん、行こうか」

鹿子は急いでドアを開ける、廊下側にはまだ火の手がきていない。

鹿子「お父さ…」

そう言いかけた瞬間、背中に力強い衝撃を受け思わず廊下に倒れ込む鹿子。

鹿子「!?」

振り返ると、中でにっこりとほほ笑む守がバタンとドアを閉めた。

鹿子「お父さん!!」


すぐさま張り付きドアを叩くが、ロックされたドアは隙間すらない。

鹿子「開けて!お願いだから!」

絞り出すように声を上げ、両手を叩きつける。

守「お父さんはここに残るよ。」

中から守の声がした、鹿子は険しい顔で睨みつける。

鹿子「ここはもう崩れる!いいから早く…」

守「いいんだ、それで」

小さくそう呟いた守に、振り上げた拳が一瞬固まる。鹿子は何かを消し去るように首を振り切ると、また割れそうなほどにドアを叩き始めた。


~ドドーン!!ガラガラガラガシャーン!~


下から突き上げるように轟音が響き、粉々に落ちていく感覚を覚える。

鹿子「お父さんお願い!!」

そのうち悲鳴のように吐き出される声は、パリンと割れる音に虚しくかき消され、汗に紛れる小さな粒は、顎に向かってポロポロと流れていく。それでも動く気配のないドアに鹿子の両手は少しずつその力を失い、ついにズルズルと下がりだすと、ドアにもたれるように座り込んでしまった。


頭の中は落書きをした画用紙のように、真っ黒なペイントでぐちゃぐちゃに埋まって行く。そしてだんだんと激しくなる音から遠のく耳が、鹿子の足元を揺らし始めた。

自分が決断した事は本当に正しい事なのか…今目の前にある、かけがえのないものを壊してまで貫くべき事なのかと、まるで迷子になった子どものように、その場で泣き崩れる鹿子。


守「…鹿子」

ふと、ドア越しに聞こえた守の声。

守「…お父さん、全部知っていたよ」

鹿子は溢れる涙を拭いもせず、ドアを見上げる。


守「鹿子が東京に出る前の日、鹿代子と二人で話をしたろ?あの時、お前は〝わたしは絶対に正しいことをする〟って、そういったんだよな?」

鹿子「…聞いてたの?」

守「鹿代子が亡くなる間際に教えてくれた。そのまま戻ってくるなって伝えたことも」

鹿子「……」

守「…でもお前はこの村に戻って来た…大きくなって、大人になって、強くなって」

鹿子はドアに抱き着くように、守の言葉を聞いている。


守「そのときわかったんだ。…あの日の約束を守るんだなって」

鹿子「…ごめんなさい…」

絞り出すように、小さな声で鹿子はつぶやいた。

守「…謝らなきゃいけないのはお父さんたちだよ。重すぎる荷物をすべてお前に背負わせてしまった…悪かったね」

鹿子の目に、また新たな涙が浮かんでくる。


守「本当はもっと早く終わらせなきゃいけなかったんだ…でもみんな、変わる事が怖くて、見たこともない遠い昔の歴史を恐れて、動けなくなってた…」

守は大きく息を吐く。

守「…だから迷ったらだめだよ。いまお前がやろうとしている事は本当は皆も望んでいる事なんだ。悲しみと憎しみに呑み込まれて、何の痛みも感じなくなったこの村を鹿子は救うんだから…。お母さんも絶対そう言うはずだよ」

鹿子は泣きながらも頷き、食い縛るように顔を上げた。守もドア越しにそれを感じとり微笑む。


守「…お父さんは昔から弱虫でね。鹿代子みたいに外へ出る勇気もなかったから、守野の家で何の苦労もなく育ってきたんだ。だから何でも信じて疑わないし、気もきかないし…よく鹿代子に単純、頭悪い、嘘が下手!って怒られてた…そんなお父さんといて、鹿代子は幸せだったのかわからないけど、お父さんは鹿代子と一緒に居られて本当に幸せだったんだ」

鹿子「…お母さんもそう思っていたよ」

守「ハハハ、そうだね…ありがとう。」

鹿子「お父さんにそっくりな人を知ってるから…だからわかる」

守「…そうか…うんじゃあ、やっぱりお父さんは幸せ者だな」


~!グッシャー!!!ガッシャガシャ!!~


ガラスが飛び散り崩れる音が響いた、かなり近い。

鹿子は座りこんだまま、ドアを見つめる。

守「…お父さんとお母さんは、お前の親として生きられたことを心から誇りに思うよ…鹿子と過ごした時間は宝物だ」

その言葉の端々に詰まる温かさが、じわじわと鹿子の胸にしみていく。

鹿子「…お父さん…」


守「そうだ!小さい頃よくやった遊び…覚えてるかな?お父さんが十数える間にお前が思い切り走って。あれは…〝十鬼〟だ!じゃんけんして鹿子が負けてもいつも鬼はお父さんだったよな?」

鹿子「……」

守はドアの前で懐かしそうに微笑む。

守「よし、久しぶりにやろうか、十鬼」

鹿子「…え…?」

守「お父さんが十数えるからな…ちゃんと逃げるんだぞ?」

鹿子は震える唇をかみしめ、動けないままドアを見ている。

守「…さあ、立って。今日は特別に本殿の外もOKにしよう」

守の優しい声に言葉すら出せない鹿子。

守は昔のように屈みこんで、ドアを隔てた鹿子の前に座った。


守「…鹿子、お父さんとお母さんがお前を守りたかったように、お前にも守りたい大切な人がいるはずだ。だからもう泣くのはおしまいだよ…さあ立って。大丈夫、お前なら絶対できる」

耳元で響く守の声がじわじわと体を温め、鹿子はそうっと瞼を閉じた。涙でやけた目の中には、居るはずのない人々の顔がシャボン玉のように浮かんでは消えていく…鹿子はそれを掴むようにゆっくりと立ち上がった。

守「よし!じゃあ数えるぞ?…いーち…にーい…さーん…」


その声に押し出されるように、そして強い力に引っ張られるように、鹿子はドアを離れ走りだした。永遠に十にならなければいい…そんな気持ちを握りしめた。



長い廊下を抜け階段を飛び、所々が崩れ始めてきた壁を避けながら、鹿子は一階を目指していた。三階の踊り場に差し掛かると、窓の外にはすでに赤い炎が駆け巡っている…と、その壁を不安げに伝いながら昇ってくる女性が見えた。

鹿子「…茜?何故ここにいる!?」

茜は顔をあげると埃の舞う視界を払い、嬉しそうに微笑んだ。

茜「…あぁ!ご無事でしたか!…お探ししておりました」

鹿子は大きく息をつくとすぐに駆けよった。

鹿子「早くみんなの所へ…」

茜は強く首を振る。

茜「逃げろとおっしゃるならご一緒に。私は守野の人間です、最後まで崇守様をお守りするのが私の役目です!」

鹿子「…守野も崇守も、もう終わりなんだ。とにかくすぐに学校へ…」


~カラ…カラ…コロコロ…ゴロ…~


茜の頭上から小石がこぼれ始める…と同時に激しく揺れた壁が大きくはがれ落ちてきた。

鹿子「!!」


~!ガラガラガラッ!!グッシャー!!!~


煙にまかれ段差も見えなくなった階段。完全に崩落した壁からは、小石がパラパラと流れる音だけが、虚しく響いていた。

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