第11話 秘密

本殿に近い畑まで戻ってくると、林に囲まれた白い建物が見えてきた。コンクリートがむき出しの冷たい雰囲気が漂う手前の建物と、さらに渡り廊下で奥の建物が繋がっているようだ。

倉見「今度は何だよ?」

正面に車を止め、鹿子は自動ドアをさっさと入っていく。

倉見「無視かよ!」

倉見は脱げ掛けた帽子とサングラスをシートに放り投げると、慌てて鹿子を追いかけた。


室内は木の腰壁や丸太のベンチ、外装とは打って変わって温かい雰囲気だ。待合室と書かれたホールを抜けると、診察室や処置室、数人の村人が並ぶ薬局もある。どうやら病院のようだ。

倉見「ここ病院か?」

鹿子は振り返る事もなくひたすら奥へと歩いている。

倉見「また無視か!」

鹿子「会わせたい人がいる」

倉見「お、しゃべった!」

わざとふざけてみせる倉見に鹿子がピタッと止まり冷ややかに睨みつけた。

倉見「冗談だよ」

そういってバツが悪そうにうつむく倉見に、腕を組んだ鹿子が視線をそらしながら呟いた。


鹿子「…薬草をくわえた鹿」

倉見「ああ、あの色んな研究して村を救ったって医者の話?」

鹿子は前を向いたまま頷いた。

倉見「研究ったって、ヘロインの生産でぼろ儲けしただけの話だろ」

吐き捨てるように答える倉見。

鹿子「…土の改良、ヘロインの大量生産…そんなものは彼の研究のうちに入らない」

倉見「ふーん。まさか核爆弾でも作ってるとか?」

鹿子は一瞬の間をおくと、いたずらに天井を見る。

鹿子「できるかもな、あの人なら」

倉見「冗談だろ!?」

つまずきそうな勢いで立ち止まる倉見の前を、鹿子は無表情で歩き続けた。


鹿子「でも絶対に作らない。破壊力を追い求める者は自らを破滅させるって、香鹿先生の口癖だから」

思わず横の手すりに寄り掛かる倉見。

倉見「脅かすなよ、腰ぬけるかと思ったわ…で?その破壊しない研究って何の研究?どうせろくなもんじゃないんだろうけど」

すると鹿子が振り返り、じっと見ながら何故か大きく頷いている。

倉見「なんだよ、そんなにやばい研究なのかよ?」


不安丸出しの倉見が鹿子に近寄ろうとした瞬間、

戸部「先輩!!」

振り返ると、渡り廊下の入り口で頭に包帯を巻かれた戸部が大きく手を振りながら立っている。

倉見「お前…!無事だったのか!」

倉見はすぐに駆け寄り、そのまま勢いよく戸部に抱き着くと無造作に頭を撫でまわした。


倉見「死んだかと思ってたぞ戸部―!ったくバカ野郎が!」

戸部「いててて!先輩痛いです、縫ったばっかなのにもう~!…ていうか、鹿子さんの格好スゴイですね…」

両手で抵抗しながら、後ろに立つ鹿子を見つめる戸部。当たり前のように、鹿子がその場にいることを、あえて口には出さなかった。


倉見「縫った?そういえばどうしたんだその包帯は!」

戸部「ふつう先に気にしませんか?ていうか鹿子さん袴…」

倉見「だからどうしたんだっつーの!誰かにやられたのか?」

戸部の話を遮るように声をぶつける倉見。

戸部「いえ。お風呂のあと収容房に戻る途中、古びたドアを見つけて…茜さんが目を離した隙をついて開けて見たんです、ふふん」

まるで武勇伝を語るように勇ましい顔で話す戸部。


倉見「そこでやられたのか!?…でそこには何があったんだ?」

戸部「いえ、開けようとして躓いて、ぶつかった拍子にドアも開いたんですけどただの貯蔵庫でした」

戸部の肩に手をおいたまま言葉を失う倉見。

戸部「そのあと脳しんとう起こして倒れちゃって。気が付いたら病院で、念のために入院しろって事でここに。結構傷が深くて3針も縫ったんですよ?ほらほら!」

包帯で見えない傷口を指さす戸部に瞬きが止まらない倉見。


戸部「すっかり看護師さんと仲良くなっちゃって、今も喋ってたら先輩たちが見えて」

倉見「そのまま入院してれば?」

呆れた顔で倉見が呟く。

戸部「またそんな心にもないこといって!本当は心細かったんでしょう?わかりますよ!先輩の本心は」

一人満足げに頷く戸部を背に、鹿子と倉見はスタスタと歩き始めた。

戸部「あちょっと!けが人おいて行かないでしょフツー!」



長い渡り廊下をぬけると、分厚い金属の扉が構え、横のモニターが暗証番号を求めていた。慣れた様子で鹿子が番号を打ち込むと、ガタンという重い音のあとにロック解除の電子音が鳴った。

鹿子「入れ」

ビクビクしてなかなか足を踏み入れない二人を、後ろから回り込み容赦なくドーンと押す鹿子。

倉見「おいっ!そういうがさつなところなんとかならない…」


「よくきたね」


室内を見る余裕もなく鹿子に文句をつけていた倉見の背後から男の声がした。さらに慌てた戸部は鹿子にしがみつき、恐る恐る振り返る。


「神川村へようこそ」


部屋のどこからかコポコポと湯が沸くような音がしている。いくつものビーカーが陳列された棚、業務用の冷蔵庫、常に作動している機器の電子音。

真っ黒なカーテンが引かれた部屋は薄暗かったが、声の主ははっきりと見えた。

倉見「…何で?何で上田さんが……?」

そこには、いつもと変わらぬ地蔵ような笑みを浮かべた上田が違和感なく立っていた。唯一違うのは作務衣ではなく白衣を着ているという事。

鹿子「医師の香鹿政史郎(せいしろう)先生だ」

倉見「香鹿って…」

鹿子「さっき話した香鹿政二の曾孫にあたる人だ」

倉見「…曾孫?」

口が塞がらないまま、窓辺に立つ香鹿を見つめる倉見と戸部。香鹿は淹れたばかりのコーヒーを手に後ろのカーテンを開けた。


背丈をはるかに超える一枚窓には、あのケシ畑が広がっている。カップに口をつけながらそれを愛おしそうに見つめる香鹿。そんな優雅な光景はまるで切り取られた写真のように別世界に感じる。

倉見「…いったい何が本当なんだ?訳がわからねえ」

理科室のような机に両手を落とす倉見に、香鹿は微笑む。

香鹿「兼業農家だって言ったじゃない?」

入口で立っている鹿子の顔が翳る。


倉見の隣で部屋をキョロキョロと見回す戸部。唾を飲み込み香鹿に向く。

戸部「こ、ここは何をしてる村なんですか?」

香鹿は窓の外を指さすと

香鹿「まずヘロインを作ってる…それから命を救ってる」

堂々とした笑みを浮かべながら答える香鹿に、戸部は青ざめた顔を手のひらでパチパチとはじいた。


香鹿「世界中からくるよ、患者さん」

他人事のように淡々と話しながらまたコーヒーを啜る香鹿に、倉見は嫌味のように笑った。

倉見「患者は薬物中毒者じゃないのか?こんな大胆にケシをつくっ…」

ふと、言葉が止まる。

倉見「待てよ…こんな時期にどうして花が咲くんだ?ビニールハウスでもないのに…そういえばあの街路樹も…」

香鹿はにっこりと笑い、

香鹿「畑にも街路樹にも〝グロウシステム〟って栽培法を取り入れてるから、季節を問わず一年中花も咲くし葉も青いまま保てるんだよ。地下にグロウ管ていう管が張り巡らされていて、栄養分は勿論だけど温度を一定にする薬剤が調合されているんだ」

倉見「外気に触れた状態で温度を保つ?」

香鹿「そう。外から温めるんじゃなく植物自体が発熱できるようにしてるの。夏は反対に冷却させるから、ここでは季節関係なく収穫ができるんだよ」

全く信じられない話に首を振る倉見と戸部だったが、香鹿の背後には嫌と言うほどの事実が咲き誇っている。

戸部「じゃぁ、転移ガンの根治とかも本当に…?」

恐る恐る問いかける戸部に、にこやかに頷く香鹿。

香鹿「もちろん。だからこの村の死因にがんはない、ゼロ%だ」

倉見「でもどうやって??」

香鹿は頷きながらゆっくりと歩きだす。


香鹿「簡単にいうとガンの好物、糖を結晶化して〝匂い〟をつけたものを注射する。そこに一気に集まってくるガン細胞を全て取り出す…」

そう言いながら冷蔵室を開け、タールのような黒い物質が入ったビーカーをとりだし、コンコンと中身を指差した。


香鹿「取り出したがん細胞を、今度はさらにさらに悪質な細胞の中に放り込む。さてどうなると思う?」

倉見「どうなるって、死滅するんじゃないんですか?オレ医者じゃないからよくわからないけど…」

香鹿はにやけながら首を横にふる。

香鹿「この中で良質な細胞に変化するの」

眉間にしわをよせ理解に苦しむ二人。

香鹿「そして良性になった元がん細胞をもとの体に戻す。無毒化といえばわかりやすいかな?」

倉見「でも…そもそもがんを集めるって一粒残らず出来るものですか?」

香鹿「自分から集まってくるものは残しようがないでしょ?」

妙に納得してしまう倉見。


香鹿「がんは生き物なんだよ、我々と同じように生きてる。良いものを悪くするのがガンと思われがちだが、それは医者や患者の立場からみた場合のこと。この術式を考案した香鹿政二は、がんを主人公にして研究を進めたんだ。そしてある仮説をたてた…良いとされる細胞をガン化させるのはガンが自己主張をしているから。ならば、ガンより強い毒性をもった細胞の中にいれたら逆の反応を示すのではと」


戸部「自己主張…白の中では黒、黒の中では白ってことか…。ん?でも元の体に戻したら、またがん化しちゃうんじゃ?」

香鹿「するよ、いつかはね」

倉見「それなら戻さない方がいいじゃないですか」

香鹿は人さし指をワイパーのように揺らす。


香鹿「例えば50歳でがんになったとしよう。戻した細胞が再びがん化するには50年かかる」

倉見「は?」

香鹿「がんはもとから悪い奴じゃないんだよ、年月を経て悪い子になってしまった訳だ。つまり良い子に戻って、またがんになるまでには同じ時間がかかるということ。勿論、食生活や環境が変われば何年たっても発病しない場合もあるし、その逆もしかりだけどね」

戸部「どっちみち発病の可能性が残るならやっぱり戻さない方がいいんじゃないですか?」


香鹿は机の上にあったピンポン玉を握り、手の中で転がし始めた。

香鹿「そう思うでしょ?僕も初めはそう思った。でもね、細胞一つでも自分から切り離すって、ものすごいリスクなんだよ。例えていうなら、丸いボールの一か所を削ったら、うまく転がらなくなって、結局他の面が削れてパンクしちゃうでしょ?体も同じで、一つの細胞をとっただけでも全てのバランスが崩れて、結果新たながんを発症しやすくなったり、他の病気を発症するリスクが高くなってしまう訳ね」

倉見と戸部は受け入れ難くも言葉が出ない。


香鹿「香鹿政二も始めは摘出のみ行っていたんだけど、しばらくすると再発を繰り返す患者が出てきた。しかも再発したがんは物凄いスピードで広範囲に浸食する、悪性度の高いものに変化していたんだ」

倉見「それってがん細胞が取り切れてなかったってことじゃないんですか?」

香鹿は大きく首を横に振る。

香鹿「全て新入りのがん。前に摘出したがん細胞とは性質が全く違うものだったからね。何しろ進行が早いし広範囲に広がっていくもんだから抜いても抜いても間に合わない。それに生命を維持する為に必要な細胞量っていうのもあるから一度に抜ける量にも限界があった…結局再発した患者は救えなかった」

香鹿の手から、ピンポン玉が転がり落ちた。


倉見「それで無毒化して戻す方法を考えたわけですか」

倉見がピンポン玉を拾い上げ、大きく頷く香鹿に手渡した。

香鹿「例え命を食い尽くす恐ろしい奴でも、がんも自分自身なんだよ。だから切り捨てないで、また仲良くやっていける方法はないかと香鹿政二は考えたんだ」

二人は信じ難くも大きく頷いている。


倉見「がん死亡率ゼロか…本当に夢のような技術だな」

ぽつりと呟く倉見に、香鹿は思い出したようにフッと笑う。

香鹿「しかしね、この村で最後にがんで死亡した患者はなんと香鹿政二

本人なんだよ」

倉見「え?どうして?」

香鹿「この術式を考案しといて、政二自身は一切治療を受けなかったからさ」

納得したように戸部が頷いた。

戸部「いくら凄腕の医師でも自分の手術はできませんもんね」

香鹿「いや、その頃には長男の政道が十分な技量をもっていたから、いくらでも手術は受けられたんだよ」

戸部「息子は信用できなかったとか?」

噴き出すように香鹿が笑い、ゆっくりと首を振った。


香鹿「これは僕の想像だけど…おそらく政二は神川キヌと同じように死にたかったんじゃないかな?まだ治療法が確立されてない頃、先に患っていたキヌの痛み止めを作るためにケシを植えたんだけど、政二も最期まで手術は受けずに痛み止めだけ打ってたらしいから」

倉見「あのケシ畑はそのために…」

じっと聞いていた鹿子が目を伏せた。


倉見「その技術は…」

香鹿「もちろん企業秘密。私の曾祖父から一子相伝の技術だからね。がんだけでなく他の病気にも応用しているし、この村の生命線でもある」

予想していた答えに少しムッとした表情の倉見。


戸部「それにしても、そんな昔によくこんな凄い研究ができましたよね」

香鹿「そう、そこだ。がんがそんなに注目されていない時代だったからこそ、情報も入らず、先入観なく研究できたんだ」

戸部「情報がないのにがん治療って…逆に不可能に近いですよね」

香鹿の人差し指が大雨の日のワイパーのように激しく揺れた。

香鹿「まさに情報社会の代表みたいだねえ、君は」

褒められたと勘違いした戸部は照れ臭そうに首をすぼめたが、香鹿はすかさず、

香鹿「愚かさの象徴」

と吐き捨て、戸部の首はそのまま深く沈んでいった。


香鹿「いいかい?不可能とは結果の事ではなく諦めた瞬間のことを指すの。そして〝諦め〟とは、先入観や常識に囚われた脳が、自ら電源を落とすことで起きる。

現代は様々な情報が嫌と言うほど溢れているが、問題はその膨大な宝の山を正しく扱えるかどうかだ。自分のフィルターにかけ取捨選択できなければ、どんな情報も誤想と躊躇を生むガラクタにしかならない」

戸部「なんかボク、耳が痛いです」

戸部は両耳に人さし指を突っ込んだ。


倉見「それにしても、昔はガンになる人は少なかったはずですよね?神川キヌを救えなかった後もなぜそこに拘ったんですか?」

ニンマリと笑顔を見せる香鹿。

香鹿「香鹿政二は、がんは人間とよく似ているからいつか人類を脅かす病になるだろうと予測していたらしい…その読み通り、今やここにくる患者は後を絶たないからね」

何度も頷きながら香鹿に近づく倉見が、ますます顔を険しくした。

倉見「患者は多いが公にはしていない…つまり〝選ばれた人〟だけにその夢のような術を受けさせ、莫大な利益と沈黙を得ている…そういうことですか」

香鹿「…そういうことだね」

倉見「だねって……」

倉見は呆れたように首を振った。


香鹿「この世で一番大切なものは命だ。貧富の差、身分の差、性格の善し悪し、時代の変化…何がどうでも、命の順位は絶対に変わらない」

倉見「その技術がある限り、神川村も絶対安泰」

香鹿「そういうことだね」

間にいた戸部が、揺れる黒いビーカーを見ながら顔をしかめる。

戸部「でも、選ばれた人って…権力者がみんな転移がんになるとは限りませんよね」

倉見「本人じゃなくても、親、兄弟、家族がいれば、患者は一人でもその繋がりは広くなるし、地位の高い者ほど血族の繋がりを重んじるからな。さらにそれぞれの患者が持つルートを使って薬の横流し。秘密は守られたまま莫大な利益を得られる、怖いものなしだ」

香鹿は訂正するように倉見の前で手を振った。

香鹿「横流しじゃなく出荷ね、ここ原産地だから」

倉見は大きくため息をついた。


倉見「しかしなぜですか?そのケシはもともと神川キヌのために作られたんでしょう?愛する人を救いたいって純粋な気持ちを、なぜ金儲けの道具にしたんです?」

香鹿「純粋だったからこそ…だろうね」

香鹿は窓の方を振り返り、蜿蜒と広がるケシ畑をじっと見つめる。

香鹿「キヌの闘病中、政二は狂ったように研究に没頭したそうだ、昼も夜もなく。でも研究には多額の費用がかかる。特に政二は、普通なら机上の空論で終わるような実験も片っ端から試していたから余計ね。金も労力もさんざんかけて、それでもなかなか成果はでない。もっと整った設備を、もっと多くの実験をと何が何でも治療法を確立するという執念が、薬の売買に繋がってしまったんだな」


倉見「医者の執念で犯罪者になってりゃ世話ない。なんだかんだ言って結局は自分の欲望でしょ?そのせいでどれだけの人間が人生を狂わされたかわかってますか?」

香鹿「いやいや、欲望だけならそこまで出来ないよね。それにこの村に助けられた政二は罪を犯すどころか虫一匹殺さないような男だったそうだよ。清く厳しく、食事も質素、家も雨漏りしたってそのまんま、何の贅沢も望まなかったらしい…過去に自分がした仕打ちをかなり後悔していたから、贖罪の意味もあったんだろうけどね」

戸部「それが神川キヌのために贖罪すら捨てた…よっぽど好きだったんですね」

背中を向けたまま香鹿は大きく頷いた。


香鹿「結果的にはキヌを助ける事は出来なかったけど、彼女が望んでいた村の姿は叶えてやれたよね」

険しい表情のまま、香鹿の後ろ姿をじっと見つめる倉見。ふと振り返ると出口に立つ鹿子もまた唇をかみしめて同じ表情をしている。


そんな倉見に、戸部が思い出したようにコソコソと何かを訴えている。

倉見「なんだよ?」

普通に声に出す倉見に頭を抱える戸部、その声に振り返った香鹿。

香鹿「どうしたの?他に何か聞きたい事ある?」

戸部は作り笑いを浮かべながら、おずおずと前に出た。

戸部「あの…神の石っていうのは…?」

香鹿は納得したように何度も頷きニコっと笑うと、

香鹿「それはね、あと一時間後に崇守になる人しか知らない物だから、僕にはわかんないの、ごめんね」

と答えた。


倉見と戸部の視線が同時に集まると、鹿子は睨み返すようにじっと見つめ部屋を出て行った。

戸部「あ、鹿子さん!」

軽く会釈をして追いかける戸部、倉見は香鹿をじっと見つめている。

香鹿「倉ちゃんも行かないと…?」

出口に立つ倉見を不思議そうに見つめる香鹿。

倉見「上田さんの方が嘘がうまいですよ…鹿子よりもずっと」

倉見はそう言うと、コーヒーの香りが漂う部屋を後にした。



二人が病院を出ると、間もなく昼になろうとしていた病院は、いつのまにか人気もなくなっていた。その正面玄関に横付けされたフェラーリで待つ鹿子に、思わず反り返る戸部。

戸部「え!?何でフェラーリ!?」

そんな興奮を省略するように背中を押して歩かせる倉見。近くまでくると、鹿子は腕時計に目をやりながらエンジンをかけ、ふかし始めた。

鹿子「もうすぐ迎えの車がくる、お前らはそれで戻れ」

戸部「え?フェラーリ…乗れないのか…」

がっくりと肩を落とす戸部を跳ねのけ、倉見は運転席をがっちりと掴んだ。

倉見「神の石って何なんだ?」

そう覗き込むように言うと、鹿子は一瞬視線を落とした後、しっかりと倉見の目を見る。


鹿子「治療の代償として患者が払うのは金だけじゃない…」

目を細めながら倉見は顔を傾げる。

鹿子「香鹿医師が言った〝宝の山〟…神の石は名だたる権力者たちのトップシークレットが詰まったUSBメモリだ。それが明るみになれば、世界が一瞬で凍りつくような恐ろしい事実を知る事になる」

さらに目を細く険しくした倉見。

倉見「…でもよ、ガセネタで払う奴もいるんじゃねえの?」

鹿子は大きく首を振った。

鹿子「人は嘘をつくが、人間の体はうそをつけない…香鹿先生の口癖だ」

倉見「…?」

鹿子「一度の治療で完治しても、その後一生病気にならないって保証はない。むしろそのリスクは、年を重ねる毎に高くなり死に対する恐怖も増していく。だからその時に確実に助けてくれるであろう相手のことは何があっても裏切らない…強欲な者ほど、命を守る本能は強いのだと」

倉見「本能…」


足元を見つめながら絶句した倉見を、鹿子はまたじっと見つめ唇を噛んだ。

鹿子「…そろそろ行かないと」

その一言にふっと顔を上げた倉見。

倉見「お前はそれでいいのか?いいと思ってんのか?」

鹿子は黙ったまま車をふかし始めると、フレームに摑まる倉見の手を振り払い走り去った。バラバラのパーツが重なり合い絶妙なバランスに仕上げられた排気音は、どこまでも消える事なく倉見と戸部の耳に届く。間もなく見覚えのある黒い車が到着すると、二人は黙って乗り込んだ。

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