第10話 黒の目

~神川村の歴史~

その昔、〝重罪人〟と呼ばれた者達が集められこの地に囚われていた。

方々から何人もの人間が連れてこられたが、過酷な行路を食事も与えず延々と歩かされたため、たどり着く前に命を落とす者も少なくなかったという。


完全なる陸の孤島に生活できる設備など一切なく、飢えた人々は脱出を試みたが、迷路のような山の中を無事に下りられた者はいなかった。この地に留まった者たちは、草や木の枝をむしり、川の水で空腹を満たしながらなんとか生き延びていった。


その後人々は、枯れた土地にいくばくかの畑をつくり、何日もかけて素手で井戸を掘って、どうにか人としての暮らしを取り戻していったが、のちに監獄地としての役割を終えた後も村として認められる事はなく、この地は忌まわしき土地であるとして〝心己地区〟と呼ばれるようになった。



長い年月が流れた。子孫は増え時代は変わり〝一ノ前村字心己地区〟となった心

己は、そんなルーツは微塵も感じられない穏やかな集落となっていたが、他村も一ノ前村の人々も激しく心己を嫌悪した。

同じ村内でも地区から出る事は許されず、枯れた土の間にようやく育てた作物も汚染された物だと取り上げられ、食べる事さえままならなかった。


地区には学校がなかったが、一ノ前村は心己の子どもを受け入れることを拒否。それに倣って村の子どもたちは地区の子どもを毛嫌いし、地区の境にある川で遊んでいると石を投げつける始末。それだけではない、けがや病気で苦しむ者を一ノ前にいた医者は当然診てはくれず、それどころか連れて行く途中で集団に囲まれて命を落とした地区人も数えきれなかった…執拗な差別は根強く続いていたのである。


そんなある日のこと。心己のすぐ裏手で山火事が起きた。当然助けてくれる者などない。

心己の人々は必死で火消しに奔走したが、結局地区の半分以上を焼きつくし、何十人もの人々が亡くなった。驚いた事に焼け跡には油の臭いが充満…故意に火を放たれたことはあきらかだった。


そしてこの大火を口実に、一ノ前だけでなく隣村の者たちも心己地区を追い出しにかかる。嫌がらせはさらに激しくなり、畑は荒らされ井戸は埋まり、常に襲われる恐怖に怯えながら日々を過ごす事となった心己の人々は、ついに逃げる事を放棄し、過去からの憎しみと共に戦う事を決意する。誰にも手出しができない安住の地を築くという悲願を叶えるために、人々は弱者の仮面を捨て立ち上がったのだ。


その先頭にたち、後に魔物の村と怖れられる神川村を誕生させたのが、初代の崇守

となった神川キヌだった。キヌは若いながらも的確な判断力を持ち、地区長であった父親譲りの強力無比なカリスマ性も相まって、他村に怯む事なく人々を統率し新しい村づくりに尽力した。

 

そんなある日、村の川に一人の男が流れ着いた。驚いた事に、その男は一ノ前村の医師、香鹿政二(かじか まさじ)であった。香鹿は一ノ前村に新しい医師が来た直後、謂れのない窃盗の罪を着せられ村を追われたのだ。これまで地域唯一の医師だった香鹿は神川村の人間を激しく疎み、何の治療もされないまま亡くなっていった村人も少なくない。


瀕死の状態だった香鹿に近寄ろうとすらしない村人に対し、若き崇守となっていた神川キヌは〝死は自他ともに望むものではない〟と諭し、手厚く看病させた。

意識が戻り、自分の状況を知った香鹿はキヌに自分を殺してほしいと懇願したという。

しかしキヌは〝今の貴方に残されたものは医者とて癒せぬ深い傷のみ。その痛みをもって生きてゆきなさい〟と赦し、香鹿は自分の愚かさを呪うように泣き崩れたという。



その後、神川村に初めて診療所が作られ、キヌは頻繁に顔を出し香鹿と昼食をとった。それは訝る村人達に医療を受けさせるためのキヌの作戦であったが、当時の香鹿にとっては畏れ多くも、内側から湧き続ける強い衝動を唯一止める、かけがえのないひと時となっていた。そんなキヌの思いに、初めは近寄らなかった村人たちも次第に打ち解けるようになり、以降香鹿と二人で多くの村人を救った。


五年の月日が経ち、キヌは香鹿との間に二人の子をもうけた。しかし、もともと村の人間ではなかった香鹿は、正式な夫婦となることを自ら律し、あくまでも一医師としての立場を貫いた。

長男・政道(まさみち)は医師の跡取りとして父と診療所に、長女・鹿菜子(かなこ)は次代の崇守として神川家に。それぞれ別々の生活を送る事になった。


村を救ったという〝薬草をくわえた鹿〟は、香鹿政二のことだ。

香鹿はもともと腕のいい医師だった。神川村に来てからは、寝食を忘れ様々な研究に取り組み、次々と成果をあげた。


始めに取りかかったのが土地の再生だった。作物の育ちにくい村の土を改良するため、幾度となく山に登り、条件の悪い高地に根をつけた植物を土ごと持ち帰っては研究に勤しんだ。そして数ヵ月後には畑の端から端までを見事に芽吹かせ、川の水を引いて田んぼをつくり、その年、村で初めて米を収穫することができた。


香鹿が開発した特殊な栽培法はさらに応用され、畑や水田に張り巡らせた竹の筒を、陽の入りにくい家の床にも通して温め、真冬でも凍え死ぬ村人もいなくなったという。


その数年後、キヌが病に倒れたのを機に、香鹿は狂ったように医療に心血を注いだ。村人たちは長年の痛みや苦しみから次々と解放され、中でもがんを完全に消しさる根治術は、その後の神川村を大きく変える大発見となった。

神川村への恩と、自分を追放した一ノ前村への恨みが、香鹿に強大な力をもたらしたのかもしれない。



しんと静まり返る房の中で動くこともできない倉見と戸部。

静子「明日は、神川村の歴史がまたひとつ動く日になる」

そういうと、静子は何事もなかったように草履の音をたてながら去っていった。

倉見と戸部は目を合わせる事もなく、網扉に残る静子の余韻をじっと見つめている。お互いに何かを話そうと考えながらも、言葉にならない沈黙がいつまでも去ることがない。


間もなくパタパタと忙しない足音がそれを打ち破るまで、二人はじっと重苦しい空気の中を静かに足掻いた。


茜「お食事、済みましたか?」

お茶以外は殆ど手をつけていない二つのトレイを申し訳なく差し出した戸部、茜は気にもかけず笑顔で下げる。

茜「ではお湯の支度が出来ておりますのでお一人ずつご案内致しますね」

戸部「お湯って…お風呂ですか?」

思わず首が伸びる戸部。茜はニコニコと頷くと、直ぐに電子ロックを解除した。

茜「どちらがお先に?」

キョロキョロと顔を見合わす二人。そのうち戸部は横に避け、出口を明け渡す。

倉見「いや、オレは後でいいからお前行ってこいよ」

戸部「え、でも…」

倉見は扉を開けて待つ茜に顎を向ける。

戸部「じゃ、じゃあお先に…」

そう言って遠慮がちに出ていく戸部は、茜の後ろをチラチラと見ながら出ていった。


 廊下のドアがガチャンと閉じた後、ごろんと転がりながら天井を見つめる倉見、先ほどの静子の話が頭にこびりついて離れない。多苗から聞いた話とはまた別の心己、それがどちらも真実であろう事がとても虚しい。遠い遠い昔の悲劇が形を変えて今も生き続け、それは時間が経てばたつほど傷痕を深くし、渇くことなくより鮮やかなものに変えているような気がした。


 だんだんと天井が揺らぎ始めその色もぼやけてくると、灯された房は暗闇に覆われ、倉見はそのまま眠りに落ちた。



翌日、ふと胸にかかる何かで目覚める倉見。電気は消え窓から差し込む陽が、なめらかな明るさをつくっていた。

起き上がってみると、いつのまにか布団の中にいる事に驚く…が、隣に戸部の姿がない。

倉見「…戸部?」

すぐに網扉に張り付き、茜を呼ぶが反応はない。力任せにガシャガシャと扉を揺らしても、物音ひとつ聞こえることはなかった。

倉見「…どうなってんだよ」

重さの残る体をストンと落とし、扉の前で呆然とする。


どれくらい経ったのか、房に入る光が対面にあるドアを指し始めた頃、奥の壁にもたれていた倉見の頭上で、窓の外が騒がしくなった。

立ち上がって見るものの、視界には裏手の林が広がるばかり。しかし慌ただしく飛び交う人の声は微かに聞こえてくる。

「せーの!」「間もなくお着きになられます!」「ワインは百で!」「オーライオーライ」

活気のある村人の声、トラックのようなエンジンと荷台を開ける音が何度も響き、まるでお祭りのような雰囲気だ。


倉見「何が始まるってんだ…?」

遠くで聞こえる騒ぎにしばらく耳をすませて倉見は頭を傾げる。

倉見「……!」

ふと、昨夜の茜の話を思い出し、倉見はようやく合点がいったように頷いた。

(茜「明日には継崇典(けいそうてん)が行われますから」)


正式にこの村を背負う日、それは倉見が描く日常を永遠に遠ざける日でもある。

倉見「…これから親玉に成るわけか…」

ギュッと唇を噛みながら、倉見はポツリと呟き大きくため息をつく…そして再び襲い掛かるあの不快感。倉見はズキズキとうずく頭を押さえながら、滝の頂上に取り残されたボートのように、冷たい壁に額をつけたまま落ちていった。 


~ピピピピ ガチャン~


突然、網扉の前で鳴る開錠音。振り返ると反射した陽がその顔を弾く。

倉見「…?」

正面前に立つ人影、深い漆黒の袴が見える。

その袴に銀白の線が長い袂までグルリと縁取り、光沢のある白い帯はきれいな結び目を作っている。胸元にチラリと覗く銀白の半襟がゆっくりと近づいてきた。

鹿子「親玉って?」

後ろで一つに束ねた髪、そこから流れるようにさらさらとなびく黒髪は漆黒の背中の前でもくっきりとした光をおびている。昨日とは違う、いつもの鹿子がそこにいた。


突然現れたその姿に、今まであったはずの不快感は吹き飛ばされるようにすっと消えた。ふと、頭に当てていた手を見る倉見。いきなり失せた痛みが不思議で仕方がない…掌をじっと見つめながらなぜか瞳を震わせるが、他には何も浮かばない。そんな事よりも、そんなどうでもいい事よりも、もっと言いたい言葉があるはずなのに、どこかで詰まっているような苦しさが倉見を苛立たせていた。


そんな倉見を固まったように見つめる鹿子は相変わらず無表情だった。いつまでも掌を見ている倉見にゆっくりと近寄ると、網扉のロックを解除した。

鹿子「ついてこい」

その声にすぐに顔を上げ思わず立ち上がった自分の足に驚いた倉見、袂をひらりとさせながら背を向けた鹿子の後ろに続いた。鹿子は網扉の対面にあった左のドアを開け、中に入る。


そこには地下へと続く階段が煌々と灯りに照らされ続いていた。

二階分ほど降りた所で入り組んだ廊下の前に到着する。しっかりとコンクリートで覆われた通路には、さっきまでの喧噪も響いてこない。


五分ほど迷路のようなくねくねとした通路を行き、ようやく突き当たったドアは、今までのものとは違う表面に鹿の絵が掘り出された重厚な扉だった。鍵のついていないそのドアを鹿子はぶつかる様に押し出す。


冷やっとした空気がコンクリートむき出しの壁に漂う地下室。二〇畳ほどの何もない広々とした空間が不気味な雰囲気を醸し出している。

倉見「なんだここ…?頑丈な牢屋でもあんのか?」

ようやく声が出た倉見の前で、鹿子は黙々と壁の端にある電子盤を開ける。

鹿子「あぁ、ここは青だったな」

そう言いながら鹿子が青いボタンを押すと、真ん中の床の一部がパチンと浮き、床下収納のような扉が開いた。そこに現れたさらに地下へと続く階段をスタスタ降りてく鹿子を、倉見は慌てて追った。


数段しかない階段を降りきった所で倉見は絶句する。そこには、まるで夕焼けに染まる湖のようなボンネットを堂々と光らせたフェラーリが鮮やかに鎮座していたからだ。


あまりにもあっけにとられた倉見は、幽霊のような足取りでそこに近づくと、見事なボディの流線型にほろほろと跪いた。

倉見「おいおい…なんだよコイツは?」

オープンになった車内には、フロントガラスに守られるようにライトブラウンの座席がふっくらと座り、黒と茶色のツートンで仕上げられた室内を華やがせている。ステアリングの中央に浮かぶ跳ね馬は、黄色をバックにその活き活きとした姿を見せつけるように留まっていた。


いつのまにか運転席に座る鹿子が、つけっぱなしのキーを回しなんとも贅沢な轟音を響かせると、前面にある真っ黒なシャッターが躓くようにカタン、カタンと上がり始めた。

倉見はその甲高いエンジン音に酔いしれながら滅多に見れない車体を隅々まで見つめている。


倉見「すげえな、なかなか間近でみる機会ないしな」

黙々とシートベルトを引っ張り出す鹿子をチラリと見た倉見は、みるみる表情が和らいでいった。

倉見「しかし意外だな。お前にも遊び心ってあったんだな」

鹿子は怪訝そうな表情で首を傾げ、倉見は少しニヤつきながら車の前に屈んで指をさした。

倉見「ナンバープレート【四五〇】って〝しかこ〟だろ?お前もそんな事すんだな…なんか安心したわ」

そう言って一人で満足している倉見をじっと見つめる鹿子が、いつものように呆れたため息をつく。


鹿子「相変わらずバカで安心した」

倉見「は!?」

鹿子は鼻で笑う。

鹿子「【A四五〇】、フェラーリの車種だよ…よく覚えとけバカ」

高々と上がった鼻をいとも簡単にへし折られた倉見は、改めてプレートに目をやった。

倉見「車種?…あ、Aってあるな。いやAってプレートつけられないだろ普通」

鹿子「ここでは関係ない…普通じゃないからな」

その一言はまた重い沈黙を呼び寄せ、一瞬忘れかけた現実に倉見を引き戻した。


アイドリングのボリュームが急に上がり、二本ずつに分かれたマフラーから高音の地鳴りが噴き出す。

鹿子「早く乗れ」

そんな空気を唇に残したまま助手席に乗った倉見。躊躇なく踏み込んだアクセルがそんな顔に圧をかけ、車体を打ち上げるように地面を弾き飛ばした。


叩かれるようにぶつかる風に、思わず顔をそむけた倉見。あっという間に遠ざかる出口をまじまじと見た。

倉見「あれ?」

林に埋もれるように、上がったシャッターだけが不自然に見えている。ちょうどその裏には収容房らしき建物の一部が顔をだしていた。

前を向きなおすと、小高い丘の上に円柱形の黒曜石が、門のように両端に立つのが見える。


フェラーリは速度を落とすことなくその門を入って行く。

鹿子「ダッシュボードに帽子とサングラスがあるから被れ」

訳もわからず手を出して開けて見ると、深目の赤い帽子と、茶縁に真っ黒なレンズが入った大き目のサングラスが出てきた。

倉見「…この昭和のスターみたいなのを被るの?オレが?」

そういって眉をひそめた倉見に、当然の様に頷く鹿子。

鹿子「ここは本殿の西側にある〝ならいの門〟だ。ここから本殿の敷地に入る。もし誰かに話しかけられたら日本語が解らない振りをしろ」

倉見は帽子のツバを整えながら、

倉見「イエース…デスネ」

とあきらめたように呟いた。


ならいの門をくぐり進んでいくと、最初に見たあの巨大な神社が姿を現した。ここはちょうど建物の裏側になるようだが、四階まであるその神社は目の前で見ても恐ろしく朱く、所々に掘られた装飾が一層神々しさを引き立てているようだった。


その建物を右側に周り、林になった坂道を降りはじめると、だんだんと見えてくる畑。海の様に大きく広がる田畑には、小さな白い花が所狭しとそこらじゅうを埋め尽くしている。

倉見「すげぇな、花もこれだけあると迫力あるな」

感心する倉見の横で、前をみたまま動じない鹿子がさらに畑の間に入り、アクセルを踏む。


白く揺れる花畑に映える赤いフェラーリは、どこまでも続く道を縫うように走って行く。ふと、その真ん中あたりで減速し始めた鹿子、三六〇度が花になったその場所に車を止めた。


ボムッと閉まるドア、重いドアを受け止める柔らかな車体は軽々しく揺れる事もない。

遥か遠くまでぎっしりと広がる花、花、花。倉見はそれを見渡しながら、少し離れて鹿子の横に並んだ。

鹿子「きれいだろ?」

同じ方角を見ながら鹿子が言う、倉見はただ黙って頷いた。


鹿子「これな、ケシの花なんだよ」


一瞬、さらりと出た名前に流されそうになった倉見は、瞬きをしながら鹿子を見る。するとゆっくりと倉見の方を向き、鹿子は何度も閉じる倉見の瞼を真っ直ぐと見つめた。

倉見「…ケシって…」

鹿子「そう、ヘロインの原料だ」

頭がゆれるような衝撃が、さわさわと拭く風に乗る。いくつもの問いかけが頭を駆け巡りながらも一声もだせずにただ険しい表情を浮かべる倉見に、鹿子は背を向けまた車に乗り込みエンジンを噴かせた。


鹿子「時間がない、乗れ」

運転席に座りじっと見つめる鹿子を直視できないまま、倉見はゆっくりと助手席に座った。



広大なケシ畑に柔らかな朝陽が注いでいた。オープンで走る車には遮るものはなく、嫌味なほど爽やかな風が倉見を撫でている。今の倉見にはそれが洗い流す水の様に感じて心地いいようだ。

そんな恍惚とした表情を浮かべる倉見を鹿子は横目で見つめ、おもむろに話し出す。

鹿子「ケシの花言葉、お前知ってるか?」



しばらくして畑を抜けると、ようやく人の気配がありそうな建物が見えてきた。かなり横幅のある二階建てのログハウスはホテルのようにもみえる。青々とした芝生が広がる敷地も広い。


少し手前で車を止め、鹿子はじっと建物をみている。

倉見「…降りないのか?」

その様子を不思議そうに見ていた倉見。

鹿子「黙ってみてろ、そろそろ出てくる」


~キーンコーンカーンコーン~


間もなく少し篭ったような鐘が鳴り、しばらくすると中央の出入り口から子どもたちがぞろぞろと出てきた。鹿子はほころんだように小さく微笑みを浮かべながら車を降り、倉見は戸惑いながら後を追う。

60人くらいはいるだろうか、子どもたちは鹿子を見つけると、一目散に走ってきた。

迎える鹿子は急に腕を組み、少し厳しい顔をつくる。


倉見を警戒するように、小走りにペースダウンする子どもたち。手前で止まると何やらコソコソと打ち合わせ。

子ども「こんにちは」

子ども「お客様、こんにちは」

倉見「あ、こんにちは!げ、元気だね」

丁寧に頭を下げる子どもたちに驚きながらも挨拶を返す倉見。怪しげな帽子にサングラスをかけた倉見に子どもたちの視線は容赦なく注がれる。


そのうち男の子が手を上げて一歩前にでた。

誠「僕は小学部6年の山野誠です。お客様はどなたですか?」

倉見「お、お客様は鹿子の…」

子どもたちの視線が一気に刺さる。

倉見「あ、そうね。鹿子さんの友達の倉見豊です、よろしく」

声を上ずらせて作り笑いを浮かべた倉見にざわつく子どもたち。誠が下がるとまた一人、また一人と前に出る。


あすか「小学部1年、川野あすかです、よろしくおねがいします」

和也「小学部3年、畑野和也です、よろしくおねがいします」

次から次へと丁寧に挨拶をする子どもたちに圧倒される倉見。

倉見「いや、みんな偉いね。しっかりしてる!うん!」

そんな一言も虚しく、なぜほめられるのか理解できないこどもたちはピタッと沈黙を落とした。


倉見「あれ、なんか変なこと言った?」

助けを求めようと鹿子を見ても全く知らん顔だ。

倉見「あれ~あ、そうだ!君たちみんな苗字に“野”がつくね!発見!…っておもしろくないか。」

誠「の?」

倉見「そう!山野さんとか、川野さん?あと~」

唯一食いついてくれた誠に深く感謝する倉見は懸命に話すが誠は腕を組み、

誠「〝野〟がつかないのは崇守さまとお医者様の香鹿先生だけですよ?」

とバッサリ。


倉見「そう、そうなんだ…ん?香鹿先生?」

鹿子「その家の業が苗字になってる」

そっぽを向いていた鹿子がその痛すぎる光景に耐え兼ね近寄ってきた。

倉見「あぁ、茜ちゃんがそんな事言ってたっけな…」

鹿子をじっと見つめていたあすかが前に出る。

あすか「何で今日は黒いお着物なんですか?」

鹿子の袴を不思議そうに見るあすか。鹿子は少し困ったように微笑むと、

鹿子「…お仕事」

と言葉少なに答え、あすかの頭を優しく撫でた。その姿を複雑そうに見つめる倉見。


鹿子「さ、いくぞ」

軽く手を上げて子どもたちに笑いかけると、スッと立ち上がり車に戻る。倉見もズラリと並ぶ大きな目たちに見送られながら、

倉見「あ、じゃまたなえーと…ありがとな!」

と手を挙げ車に乗りこみ、二人は爆音とともに走り去った。


また生い茂るケシ畑を通りながら、まじまじと花を見つめる倉見。

倉見「この畑は畑野さんが育ててる訳か…」

目の前に広がるこの異様な光景と、無邪気な子どもたちが繋げられず混乱しているようだった。


倉見「…あの子達ずいぶん礼儀正しいよな、今時のこどもっぽくない。常に敬語だしずっと〝気をつけ〟してるし」

鹿子「お前らから見たらそうかもな。この村には現代にはそぐわない独自の教育があるから」

束ねられた黒髪をほどよく揺らしながら鹿子が言う。子どもたちとの少ないふれあいは、二人の重い空気をいくらか減らしてくれたようだ。

倉見「教育って崇守の教えみたいな?毎日正座してお経読ますとか冬空に朝から庭の掃き掃除させるとか?」

鹿子「お前根本的に勘違いしてる。崇守はただの村長だし、神川家は宗教じゃない。確かに村人たちは特別な存在として見ているようだけど、それはただ単に村の生活を担ってきた代表者だから。あほみたいに色々あるしきたりも、あくまでも神川家個人のルールに過ぎない」


倉見「ふーん、じゃあ独自の教育ってなんだよ?」

あきれ顔のまま不機嫌なため息をぶつける鹿子は、いつもの鹿子だった。

鹿子「年功序列。現代では死語だな」

倉見「子どもにか?」

鹿子「目上の人には敬意をはらえ。親も先生も近所のおばちゃんも友達じゃないって事。子どもだからこそ、教えなきゃいけない」

倉見は腑に落ちない表情。


倉見「敬意は大事だけど、なんか堅苦しいっつーか…今はほら、フレンドリーに関わる事で、子どもとの距離を縮めるみたいな流れだよな。敬語ばっかで戦争時代みたいじゃね?」

突然アクセルを踏み込み、思わずシートに摑まる倉見。

鹿子「子どもと同等になった大人が子どもを守れるか?戦時中の子どもたちは、貧しくわがままも許されない厳しい環境の中で、残酷な光景を嫌というほど見てきた。現代の様にカウンセラーがケアするどころか、守ってくれる親すらいない時代を送り、そして大人になった今、謙虚でまじめ、命の大切さを知っている優しい人間になってる」


倉見「じゃああの学校は、戦時中のような教育をしてるってことか?」

鹿子は大きく首を振った。

鹿子「この学校はわたしの母の代から、大幅に教育方針の転換をしたんだ。それからは過去も現在も、事実だけを教えている」

倉見「…事実ね」

そこに含まれた言葉を、倉見は呑み込んだ。

倉見「…お母さんて病気でなんだろ?大丈夫なのか?」

鹿子は一瞬息を止めたように黙ると、静かに吐き出した。


鹿子「母はわたしが警察学校に入って間もなく亡くなった…わたしが戻るまで村人たちを動揺させない為に、静子がその事実を伏せていただけだ」


厳しい表情で口を噛む鹿子の横で、あの雨の日の光景が倉見の頭に蘇ってきた。ずぶ濡れになりながら空を見ていた鹿子、あの悲しいまでに鋭い目が刺していたのは、側にいてやれなかった自分自身だったのかもしれない。

倉見「…静子さんから聞いた、この村の歴史とか、先祖のこととか…」

鹿子は変わらず前を見たままだ。

倉見「何も悪くないのに、土地のせいで酷い扱いを受けてきた訳だから、恨む気持ちも解るよ」

鹿子の眉がピクッと上がり不快感をにじませる。

倉見「だからといって、こんなやり方はダメだと思う。村を守る為の盾は大きな罪にもなってる。今この時代なら盾を無くしても同じ歴史は繰り返さないよ。万が一あったとしても、訴える方法がいくらでもある」


倉見はチラチラと横目で窺うが、変わらず無反応に見える鹿子を前に大きくため息をつくと、背もたれに寄りかかるようにふっと力を抜いた。

倉見「権田課長が言ってた…犯罪者の多くは心の奥に深い悲しみを持ってるって。それは姿をかえて憎しみに変わりいずれ爆発するんだと。この村には、オレなんかには想像もできないような哀しみの歴史があったんだろうな」

鹿子「歴史?」

突然、たっぷりの不快感を込めて鹿子が応え倉見はあわてて前のめりにうなずいた。


鹿子「静子がどう話したかは知らないが、そもそも伝えられている歴史こそ、間違っていたんだよ」

倉見「…間違い?」

鹿子「お前はここにくるとき、あの小さな鳥居を見たか?」

倉見は、古い鳥居に刻まれた文字を思い出した。

倉見「ああ、あれのお陰でここまでこれたからな」

鹿子「あの鳥居は、それこそ〝心己〟が生まれるまえにつくられたものだ」

倉見「てことは、お前らの祖先…」

アクセルを強く踏み込み、甲高い音がケシ畑に響き渡る。


鹿子「ワレシロサトニカエル…鳥居にはそう刻まれている」

倉見「おお、それは俺たちも見たよ」

鹿子はうなずき、ステアリングをぐっと握りしめる。

鹿子「当時、ここに連れてこられた者はみな農民だった。だからこそ、なにもないこの場所に井戸を掘り、畑をつくろうとした…そういう知識と技術をもっていたということだ」

倉見「農民?農民が何の罪を犯したんだよ」

大きく首を横に振る鹿子。


鹿子「歴史上では、大罪を犯した者がこの地に集められ監視下におかれたとされているが、現代に照らし合わせるとそれは違う。その時代の大きな罪は〝上に逆らうこと〟。奴隷のように農民を扱っていた政府に、彼らはただ〝NO〟をつきつけただけだ」

倉見「…それだけで…?じゃあ、あの言葉の意味って…」

鹿子「〝我々は潔白、必ず故郷に帰る〟…監視の目を盗んで何とか残したんだろうな。自分の子孫たちの尊厳を守るために」

倉見「…つまり、始まりからすべて間違っていたってことか」

鹿子は黙ってうなずいた。


倉見「でもよ、もうそんな時代は終わったんだよな。今はそんなことで罰せられることなんてないわけだろ?…悲劇の歴史はとっくに終わってんだよ、もう」

鹿子「歴史ならまだ続いてる。お前の言う〝罪の盾〟をなくしたら、この村はまた悲劇を繰り返す」

倉見「〝罪の盾〟って、そんな差別を受けてたのは大昔の話だ、いまはその盾こそが罪になるんだよ!」


~キキキキキー!!!!!ガックン!~


いきなり車がとまり、フロントガラスにボゴン!と鈍い音が響く。

倉見「痛って…!」

頭を押さえる倉見に見向きもせず、鹿子は勢いよくドアを開けると畑に上がった陽の前に立った。あきらかに不機嫌な鹿子の背中を、片目で見つめながら倉見は近寄る。


鹿子「母が言ってた、差別には三段階あると。それは永遠に続く魔のループのように、抜け出す事ができないまま繰り返されるのだと」

倉見「三段階?」


鹿子「…はじまりは恐怖差別。重罪人が集められた場所と聞き、不安と恐怖に支配された人々は、自分たちを守るためにその要因を排除しようとした…やられる前にやっちまえって心理だ」

倉見「恐怖差別…」

鹿子「時代が流れ、当時を知らない子孫たちがその偏見だけを受け継いでしまう伝承差別」

大きくため息をつき、鹿子が振り返る。


鹿子「…そして、これまで虐げられていた被差別者たちの、押し溜めてきたものが噴出し、自分たち以外の者を執拗に敵視する逆差別…それがまた恐怖を生み、伝承され…永遠に繰り返される」


倉見は言葉を失い、うつむいた。

鹿子「お前の言うとおり、この村はケシと同じように鬱蒼とした罪の葉を枯れることなく広げている…でもな倉見」

倉見が顔を上げると鹿子はまっすぐに倉見の目を見ていた。ケシの薄緑の葉が背にゆらゆらとなびき、長い髪は朝陽に染まりながら色白の鹿子の顔を波打たせている。 

鹿子「この葉はもう、ここに根付いてる…もとの土に返すことはできない」


じっと見つめ合う二人の間を、静かに風が通り抜けた。倉見はその光景に不思議な感覚を覚えた。恐ろしさのような、さびしさのような、なつかしさのような…。少しの間を置くと、鹿子は少し被さったような笑みを浮かべ、勢いよくエンジンを回した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る