第7話 白の目
【会員制高級リゾート 一ノ前リゾートクラブ】
パンフレットに目を通す二人が降り立ったのは、広大な山々に囲まれた村の外れに建つバス停。田園風景には不似合いな銀色の看板に、若干の物足りなさを感じる。
野杖(のづえ)「どうもご苦労様です、一ノ前駐在の野杖といいます」
ややぽっちゃりとした野杖が窮屈そうな自転車に乗って現れた。50代半ばくらいだろうか、いかにも田舎のお巡りさんといった風貌でニコニコと笑顔を絶やさない。
倉見「新宿中央署の倉見です、こっちは戸部」
戸部も後ろから会釈する。
倉見「早速なんですが…」
野杖「ええ!それなんですがね…」
じんわりと汗ばむ顔に整わない呼吸の合間で倉見の話を遮るように野杖はきりだした。
野杖「この先は地図には載っていないのですが確かにシンキと呼ばれる地区があるんです。この一ノ前でも、知っている者はほとんどいませんが」
ポケットから出したハンカチで額を拭う野杖。
戸部「あるけど知らない?お隣なのに?」
野杖「ええ。大昔に廃区になっていますし、廃屋すらない雑木林ですから」
倉見「人が入ることはないんですか?」
野杖「自然保護団体の方が調査で来ることはありますよ。環境保全のなんたらで、運んできた木を植えたりしているみたいです」
倉見「じゃあ車も通れるんですか?」
野杖「ええ途中までは。もちろん舗装はされていませんし、普段は道の手前でバリケードが張られているので入れませんけどね」
戸部「ずいぶん厳重ですね」
野杖「肝試しなんかでくる若者もいるので。国有地ですしね」
戸部はシンキへの手がかりとなった〝肝試し〟に有難く頷いている。
倉見「ここが国有地なんですか?」
野杖「ええ。辺鄙な土地だから廃区になった後も売却できないままなんでしょうね」
戸部「野杖さんは中まで入ったことあるんですか?」
顔の肉をぶるぶると震わせる野杖。
野杖「ありません。この村に着任した時バリケードの前までは行きましたけど、まあ薄気味悪くてすぐに戻りました。一ノ前の村民も近寄らない場所ですし、また村のおばぁちゃんが変な話をして脅かすもんだから」
野杖は頭をかいて首をすぼめる。
倉見「変なって?シンキ地区の話ですか?」
野杖「ええ。かなりご高齢のおばあちゃんなので、夢か現実かわからなくなってるんでしょうけど。私その手の話はめっきりだめでして、アハハハハ!」
野杖は照れ臭そうにまた頭をかき、さらに手汗を腰で拭いた。
戸部「ボクもだめです!なので内容は言わなくていいですから、アハハハハ!」
笑い合う野杖と戸部、気が合うようだ。
倉見「で?どんな話だったんですか?」
笑い声はピタリと止まり、二人が揃って倉見を見た。
倉見「おばあさんの話!」
野杖が咳払いをし、大した話ではないですよと前置きすると、戸部はすかさず人さし指で耳栓をした。
野杖「シンキ地区は魔物の集落だから近寄るなと。鋭い角をつけた恐ろしい怪物が住んでいて、よそ者が入るとたちまち命を吸い取られると…」
まるで怪談話でもするように話す野杖に倉見は苦笑いが絶えない。
倉見「魔物ね…うーん…」
ため息をつきながら考え込む倉見を見た戸部は、恐る恐る耳栓をした指をゆっくり抜き始めた。
―そのとき
~ビシッキシキシッミシッッ~
草木がひしゃげていく音が背後に響く。
戸部「でぇたぁー!!!!!!」
咄嗟に壁のような野杖の背中に隠れた戸部だったが次の瞬間、その頼もしい片腕に引っ張られ野杖の前面に追い返されていた。戸部が振り返ると、野杖はがっちりと目を瞑り胸に何度も十字を描いている。
戸部「以外にもカトリック!?」
野杖「南無阿弥陀仏!」
戸部「何教だよ!」
そんな見苦しいやり取りの中、一人冷静に草むらを見る倉見。
倉見「落ち着け!よく見てみろ!」
その声にさらに慄きながらも、びびりコンビは草むらを見る。
倉見「あれが怪物に見えるか?」
倉見が指した先には、足のある二頭の鹿が慌てて走り去る姿がはっきりと見えた。
戸部「…鹿?ですよね?」
薄目を開けて見る戸部の後ろで、ゆっくりと戸部の肩越しから覗く野杖。
野杖「あ…ああ!野生のニホンカモシカですよ!このあたりじゃ珍しくもないんですよ、アハハハハ!」
戸部「なんだ…なぁんだ!いやーシカですか、アハハハハ!」
おかしな空気のまま二人は笑い合い、同時に手汗を腰で拭った。倉見は呆れて言葉もでない。
野杖「そういえばあのおばあちゃん、鹿も云々言ってたなあ」
険しい表情に一変する倉見が食いつくように野杖に近寄る。
倉見「鹿…ですか?」
野杖「ええ。何でもシンキ地区を救った天の遣いだとかで祀られていたそうですよ」
倉見「シンキを救った鹿…」
口元を押さえながらじっと黙り込む倉見に戸部は頷きながらその姿を見ている。そんな二人の重い空気を察したのか、野杖は少しの沈黙を置いてから、
野杖「…何か参考になりそうなら直接会ってみますか?少なくともこの辺りでシンキの事を知っているのはそのおばあちゃんだけですし…」
と提案した。
倉見はしばらく考えた後、お願いしますと野杖に伝えた。
一ノ前の小さな介護施設。日当たりのよいテラスには、車いすに座らされた入所者たちが三時のお茶を無表情に口付けていた。
施設長を始め数名の職員で運営しているこの施設は、職員のほとんどが60代前半だという。
受付のあるカウンターへ向かっていると、
「助(たすく)ちゃん!」
しゃがれた声に振り返ると、裕に九十歳は超えているであろう老婆が、小さな歩幅で壁をつたいながら嬉しそうに近付いてくる。
老婆「助ちゃん!迎えに来てくれたのかい?」
ポカンとした倉見と戸部の前で、野杖は少し困った顔で屈み老婆の肩に両手を伸ばした。
野杖「今日はね、お迎えじゃないんだよ。お客さんを連れてきただけなんだ」
野杖は老婆を落ち着かせるように優しくそう言うと、後ろに転がった杖を持たせ、手を振りながら足早にその場を離れた。
倉見「…お母さん?ですか?」
歩きながら倉見が尋ねる。
野杖「いいえ、入所者さんなんですけどね。息子さんが遠方にいてなかなか会いに来てくれないらしいんです。私が着任したとき手帳を見せたら息子と同じ名前だって。それからだんだんと本当の息子だと思いこむようになってしまって」
そういってまた頭をかく野杖。
戸部「へえ、野杖さん助ちゃんて名前なんですね」
茶化すように戸部が突っ込む。
野杖「アハハ、そうなんです、五十にもなってお恥ずかしい……いやいやいや!ちゃんは要りませんよちゃんは!」
そんなやりとりをしながら歩いくてる三人を、カウンター越しに見ていた女性が軽く会釈をしながら出てきた。
施設長「こんにちは施設長の豊田です。お話は聞いています、こちらへどうぞ」
薄いブルーのエプロンをした施設長は、挨拶もそこそこに廊下を歩きだし、三人も後に続く。
施設長「東京からいらしたそうですね。はるばるご苦労様です」
倉見「いえ、お忙しいところお邪魔して申し訳ありません」
前を歩く施設長は首を横に振り軽く笑うと、
施設長「忙しくない時間なんてありませんから。ここにきて施設長室に座っていた事もないくらいです」
とため息をついた。
野杖「そうですよねえ、入所者は増えるばかりで職員の数は現状維持。また県の方から出向してもらえたらいいのにねえ」
施設長「お願いはしてるんですけどね」
その会話を後ろで聞きながら不思議そうな顔をする倉見。
倉見「職員は一ノ前の方ではないんですか?」
少し不満気に大きく頷く施設長。
施設長「職員どころか入所者さんもほとんど地元の方ではありません。契約した市町村の方が九割以上を占めています」
話が呑み込めない倉見と戸部の顔に、納得とばかりに頷きながら野杖が補足する。
野杖「人数に対して受け入れる施設は圧倒的に少ないんです。かといって新しく施設を建てるには莫大な費用と時間がかかる。だから既存の施設と各市町村が個別に契約して、一定数を常に〝予約済〟のような状態にしているんです」
施設長「ここでは九八%が予約済の契約ですから、例え空きがあっても地元の方は2%までしか入所はできません」
戸部が目を丸くする。
戸部「2%…地元にある施設なのに、よその人は入所できて地元民は入れないなんて変な話ですね」
野杖「そうなんですけど、ここに限らずどこも似たようなものみたいですよ。うちの嫁さんの母親も同じような状況で、面倒を看てる義兄がよくぼやいてますから」
戸部「ああ、だから詳しいんですね」
感心する戸部の前で施設長が首を振った。
施設長「それだけじゃないんですよ。野杖さんは一ノ前に着任されてからよく足を運んでくださって。入所者さんの話相手になってくださってるんです」
戸部「そうなんですか、野杖さん優しいんですね」
少し照れているのか、また頭をかきながら下を向く野杖。
施設長「特に多苗(たなえ)さんは寝たきりで、野杖さんが顔を出すと喜ぶもんだから時間があると来てくれるんですよね」
戸部「たなえさん?」
施設長「ああ、ごめんなさい。その2%しかいない地元の方、今回お尋ねの青木
多苗さんです。さあこちらです、どうぞ」
一番奥の突き当たり、大き目の引き戸を施設長が軽々と開けた。
陽あたりのいい窓に、カーテンがユラユラと揺れている。すぐ横には暖かみのある木製のベッド。
施設長「多苗さん起きてる?風が冷たいから窓閉めようね。…まったくまた開けっ放しにして、おそうじ鈴木さんかしら」
ぼそっと漏れた愚痴に倉見たちは顔を見合わせた。
ベットが大きすぎるのか、入り口からは人が寝ているようには見えない。近づくと布団の膨らみも僅かに、かろうじて髪と顔半分だけが空気に触れているのが見えた。
施設長「多苗さん、お客さんですよ。大好きな駐在所の野杖さんもいらしてますよ」
石膏のように閉じていた瞼が、ゆっくりと開き始めた。しかしそこから現われた眼光は驚くほど力強く、とても鋭い。
野杖はベッド柵の前に屈み、ニコニコしながら声をかけた。
野杖「多苗さんこんにちは、野杖ですよ」
多苗「…」
多苗は微動だにせず、天井を見つめたままだ。
倉見と戸部は、自動的に作り笑いをしながら施設長に目で訴えかける。会話ができるような状態にはとても見えなかったからだ。そんな二人に施設長は余裕の笑みを浮かべ、大きく頷いて返した。
そのうち、多苗はゆっくりと野杖の方を向くとかすれた声で「野杖さん」と口を開いた。
野杖「ああよかった、お休み中ごめんね」
野杖はさらに満面の笑顔。倉見と戸部もほっとしている。すると多苗は野杖の後ろで棒立ちしている見慣れない二人の姿をじっと見つめたまま、起き上がる素振りをみせた。施設長がリモコンを手渡すと、両手でボタンを押しながらリクライニングを上げていった。
野杖「こちら東京からきた刑事さんで、」
倉見「倉見です」
戸部「戸部です」
普段より大きい声でゆっくりと名乗ってみた二人。多苗は強く瞬きをすると、
多苗「聞こえとる!」
と答え、きょとんとした二人を不機嫌そうに横目で見た。
施設長「多苗さんは今年で八十五歳になったんですけど、耳はそう遠くないんですよ」
倉見「そうなんですか?すみません、失礼しました!」
慌てて頭を下げた倉見と戸部に、多苗は冷めたため息をついた。
野杖「体調はいかがですか?」
多苗「見ての通り。久しぶりじゃな野杖さん」
野杖「え?一昨日会ったばかりじゃないですか?避難訓練で」
多苗「しらないね」
即答する多苗を見て、倉見がコソコソと耳打ち。
倉見「思い出そうとすらしないな」
戸部「さすが2%の女ですね」
一見噛み合わない多苗と野杖だが、二人の表情には親しさがにじみ出ている。
多苗「で?今日も避難訓練かい?」
野杖「いやいや今日はね、この東京からきた刑事さんがね、前に私にしてくれた話ほらシンキ地区の、聞きたいんだって」
突然、多苗の目つきが変わる。
多苗「あそこには近付くな!」
二人に向かって興奮する多苗。
野杖「うんうん、それはよく解っているんですけどね。ある事件に関わる事で協力してほしいそうなんですよ」
倉見が前にくる。
倉見「どんなことでも構いません、シンキ地区について教えてください」
多苗は大きく見開いた目を倉見に向け、しばらく口を堅く結んでいた。
重い空気が漂う中、施設長は軽く頭を下げると、ベットテーブルの上にあった空のコップを手に、そっと部屋を出て行った。何もなくなったテーブルを恨めしそうに見つめると、多苗は大きくため息をつき、それを叩き始めた。
倉見「…なぜシンキに近づいてはならないんですか?」
その言葉を掻き消すように、バンッバンッとテーブルを叩く音はだんだんと大きくなり、同時にピンと張りつめた空気がそこらじゅうに流れだす。倉見は生唾を飲んで戸部をチラリと見てフォローを求めるが、戸部はパチパチと瞬きで返事をするのが精いっぱい。そんな状況を見ていた野杖がタイミングを計ったように咳払いをすると、多苗の手は不思議なくらいピタリと止まった。
背もたれに寄り掛かる多苗。またリモコンを握ると、少し楽な位置までリクライニングを下げた。
多苗「…あそこは呪われた土地。魔物たちが棲む恐ろしい場所」
倉見「なぜそう云われているんです?」
黙り込む多苗。
戸部「シンキを救った鹿っていうのは?」
ひょっこり顔を出した戸部をすかさず睨む多苗。その鋭い視線を遮るように、倉見が前をふさぐ。
倉見「さっき近くまで行ったら鹿を二頭見かけました。多いいそうですね、ニホンカモシカ」
多苗「あそこにいるのはただの鹿ではない」
倉見「というのは?」
多苗「……」
倉見は多苗の口が固まるたびに祈るような気持ちになっていった。頑なな態度、警戒心の強さ、信頼関係のある者には忠実であること…そういう人間ほど重要な情報を握っている事を過去の経験から知っていたからだ。
多苗はさらに大きくため息をつくと、今度は背もたれに深く体をうずめた。
多苗「…なぜシンキを調べる?」
倉見「ある事件の容疑者を調べていたら、その地名がでてきたので」
多苗「容疑者?」
一瞬驚いた顔をした多苗だったが、すぐに大きく頷き、からかうようにクスクスと笑い出した。
多苗「それは、諦めるしかないのう」
倉見「どうしてですか?」
多苗「魔物に化かされたんじゃ、どうやっても捕まえようがない」
笑い続ける多苗を見ながら、戸部と野杖は囁き合う。
戸部「やっぱりあのおばあさんから話を聞くのは難しいんじゃないですか?」
野杖「まあ…かなりのご高齢だしねえ。倉見さんはどう考えてんのかねえ…?」
戸部「いや、先輩はおばあさんが何かを知っていると踏んでますね、あの顔はそう!でも、あのお婆さんは喋らないな…あの顔はそう」
野杖は目を閉じながら頷く。
野杖「ガンコだからねえ…貝のように絶対口を割らないタイプ」
戸部「うーん…先輩も蛇のようにしつこい男だからなあ」
野杖「倉見VS多苗だね」
戸部「うわっ、その戦いは長くなりそ!早く帰りたいのに~」
戸部はペタンコになった自分の腹を擦った。
倉見「魔物ですか。魔物がわざわざ都会まで来て人を化かしますか?一体何のために?」
多苗「さあ、魔物に聞かなきゃわからんの」
窓を見ながらとぼけたように笑う多苗。倉見は窓際に回り込み、多苗の目の前に立った。
倉見「あなたの言う魔物とは、何も知らない若者を犯罪に巻き込み、薬物を横流して殺人犯を野に放つ実に人間らしい者のことですか?」
スっと笑みが消える多苗。
倉見「…魔物は人の心に巣食うものです、実体なんてない。いつの時代も罪を犯すのは生きた人間だけですよ」
真っ直ぐに差し込む倉見の目に痛みを感じたのか、多苗はその視線を切るように瞼を震わせ目を閉じた。
倉見「…話してください、あなたが魔物でないなら」
風の通らなくなった部屋に、しばし沈黙の音が流れる。
多苗「…しつこい」
倉見「生まれつきです」
多苗はひときわ大きいため息をついた。
多苗「…生まれつきじゃあどうにもならんなあ」
倉見は何度も頷き、すみませんねと笑った。
戸部と野杖は互いの目を合わせると、縦にした拳に親指を立て、倉見の勝利を静かに称えた。
多苗「…遠い遠い昔、ワシが生まれるずっと昔のことじゃ…」
多苗はゆっくりと話し始めた。
多苗「…シンキとは心に己と書いて『心己』と読む」
倉見「心己…変わった地名ですね」
多苗は頷く。
多苗「…心己は一ノ前村の中で風致地区として指定されておった。村人は誰も近寄らんかったがな…」
戸部が首を傾げながら野杖を見る。野杖は一瞬キョトンとしたが、すぐに口を開けて大きく頷いた。
野杖「風致地区は、歴史的な建物や自然を守るために宅地の造成やらを規制する地区のことですよ」
戸部はスッキリとした表情を見せると野杖に向かって手を合わせた。
倉見「一ノ前の村民は何故近寄らなかったんですか?」
多苗「…鹿を恐れておったからじゃ」
倉見「天の遣いとか言う鹿ですか?」
にわかに信じ難いと言わんばかりの三人の表情。
多苗「そいつは〝薬草をくわえた鹿〟だったと伝えられておる…正確には、それを象徴とする崇守一族(そうしんいちぞく)のこと」
倉見「そうしん?て苗字ですか?」
多苗「いや。心己の長となる者に代々受け継がれている尊称じゃ。崇守は人々を守り、地区を繁栄させる重要な役目を担ってきたことから、神のように崇められていたと」
倉見は眉間にしわを寄せながらため息をつく。
多苗「その一族が奉っていたのがその鹿で、崇守家の家紋も鹿の角だったそうじゃ」
屈んだまま頬杖をついていた戸部が、はっとしたように鞄をまさぐりだした。
戸部「先輩、これこれ!」
くしゃくしゃになったビニール袋を引っ張り出すと、中から数枚の写真を手渡す。事件現場に残されていたあの枝カードの写真だ。
戸部「これって、枝じゃなくて鹿の角なんじゃないですか?」
倉見「そうか…角か!多苗さん、これ見てもらえますか?」
じっくりと写真に見入る多苗、しばらくすると目を大きく見開き息を飲んだ。
多苗「…祖母が持っていた絵と同じじゃ」
倉見「多苗さんのお祖母さんが?」
多苗「子どものころ、仕置きに閉じ込められた蔵でみつけた…祖母の着物に挟んで隠すようにしまってあった…」
戸部「心己地区となにか関係があったんですかね?」
多苗「それはわからん…」
そのやり取りを一歩後ろで見ていた野杖が、せかすように戸部の背中を叩いた。
野杖「多苗さんのお祖母さんと崇守一族の関係はとりあえず置いといてですね、その人たちが恐れられる理由は一体何なんです?前によそ者がいったら殺されるような事言ってましたよね?」
多苗「…心己は、一度山火事に見舞われて土地の半分を失くしたことがあったそうじゃ。しかしその大火を境に、なぜか地区は繁栄し始め、力をもち、薬草を銜えた鹿と共にこの地一帯を支配したと言われている」
戸部「鹿は崇守の番犬みたいなもんだったのかな?…………かな?……ね!野杖さん?」
無反応の二人を背にして振り返った戸部に、お手上げポーズで返す野杖。
倉見「支配って、農作物を納めるとか?」
多苗「そんな必要はない。心己地区は山の斜面に位置していて元々作物が育ちにくい土地だったが、大火以降みるみる実りのよい土に変わり作物は有り余るほど、食糧には困っとらんかった。不思議な事に心己の作物は、酷い干ばつの年でも雨季の長い年でも、全く影響がなかったと言われておる。当時では珍しいが、地区内の学校では一年を通して食いきれんほどの給食が出されていたそうじゃ」
戸部「ふーん…」
力なく薄っぺらくなった腹をさする戸部に野杖が優しく肩を叩く。
多苗「その豊富な食料をもとに、遠くの栄えた村へ足を運ぶようになると、食べるもの、着る物、建築や医療に至るまで、その時代には考えられんような豊かな生活を手に入れていったそうじゃ」
倉見「外交か。そんな閉鎖的な時代に大したもんだな」
多苗は頷いた。
多苗「そうして着実に力をつけ、強大な集落へと変わっていった心己を人々は恐れ平伏すようになった。当時の暮らしといえば、畑を肥やしても自然の力に左右され、病に怯えるのが当たり前じゃったからのう」
倉見「心己から支援は?」
多苗は渋い表情で首を振る。
多苗「一切ない。それでも高価な反物や珍しい果物などを持って行くと、わずかな食料と交換することもあったそうじゃがな」
戸部「利益にならない事はしないって事か」
多苗「その通り。それどころか大火から数年後に起きた大飢饉の時には、飢えた他村の者たちに施す事もなく平然と見殺しにしたそうじゃ。地は枯れ、疫病が流行りだし、食べる物も薬もない村には、ただただ死体の山が増えていくばかりだったと…ワシの祖母もその時死んだ」
三人は黙って目を細めた。
倉見「一ノ前に医者はいなかったんですか?」
多苗「いたにはいたが…一人の医者は盗みをして村を追い出され、もう一人は村長の息子でな。口だけ達者な若造でろくな治療もできんかったが、誰も文句は言えんかったと。しかし皮肉なことに一番最初に疫病で死んだのはその医者だったそうじゃがな」
戸部「ひどい話ですね…」
戸部は眉をひそめる。
倉見「まあ本当に酷いのは心己だけどな。周りの人々がバタバタ死んでるのを黙って見てた訳だから」
戸部「それは全て崇守の命令でやってた事なんでしょ?心己の人達は崇守に逆らえないから仕方なく従ってたんじゃないんですか?」
多苗は首を大きく横に振り、息を吐いた。
多苗「…人々が恐れていたのは崇守家だと言ったが、そこに住む者たちもまた冷酷な魔物だったと言える」
倉見「というのは?」
多苗「心己の住民は、生涯地区から出て暮らす事はない…中にいれば困ることは一切ないからな」
戸部「ご飯は食べられるし、絶対的な権力に守られてますもんね」
大きく頷く多苗。
多苗「外にも出ないが中にも入れない…一度心己を出た者は外でどんなに飢えても二度と帰る事を許されないとか。地区で育ち、所帯を持って、生まれた子もまた地区で子を生む…そうやって血で繋いだ結束をつくり、裏切り者を出さんようにしていたんじゃろう」
戸部「じゃあ地区内みんな親戚って訳ですか?犯罪も起きないですね」
多苗「いいや…そこが魔物と言われる所以なのじゃ」
戸部「でた魔物」
茶化すようにつぶやいた戸部に、多苗は顔を近づけ
多苗「そぉぉう…魔物じゃ…!」
と低い声で威圧する。引き気味の戸部の頭が倉見の平手でドンと前に飛び出した。
多苗「…死んだ祖父母は、ただただ心己には近寄るな、関わるなとしか言わんかったが、父や母、大叔父や大叔母、年の離れたいとこたちが嫌というほど教えてくれた…」
倉見「どんな人たちだったんですか?」
多苗「…他村の者は心己には入れんかったが、心己の者はしょっちゅう一ノ前に降りてきたそうじゃ」
戸部「何しに?」
多苗「村の西に温泉がわいとっての…いつも5、6人で入っていきよったと。」
倉見の表情が険しくなる。
多苗「初めは村の女たちを〝世話役〟として差し出す事になるだろうとびくびくしたそうじゃが、そんな要求は一切なく、それどころか気さくに話しかけてくる地区の人間に、気味の悪さを感じたそうじゃ」
戸部「お殿様みたいに下駄まで履かせそうなイメージですけどね、意外とちゃんとしてたんだ」
多苗「ちゃんとしていた…そうじゃな、一見はそうじゃろうな」
そういって目を伏せた多苗は、また大きくため息をついた。
少し青ざめたような顔色を気にした野杖が、椅子にかけてあった膝掛けを多苗の肩にそっとかけた。
野杖「少し疲れたんじゃない?」
多苗「あぁ、ありがとうよ。こんなに喋ったのは久しぶりでな…まぁまだ大丈夫じゃ」
倉見「すみません気づかなくて…また明日にでも出直しましょうか?」
倉見も慌てて声をかけ、戸部は大きく頷いている。
多苗「本当に大丈夫じゃ…それになお巡りさん、この年になると明日が来るとは限らんからな、アハハハハ!」
周りの心配を吹き飛ばすように多苗が大声で笑った。ここへきて初めて聞いた多苗の笑い声にほっとする倉見、それとは対照的にがっくりと腹をさする戸部。
倉見「では無理のない程度に…。心己の人間が一見はちゃんとしてたっていうのは…?」
多苗「…しばらく…十年ほどそんな日が続いて一部の村人は心己の者を家に招き入れて酒を飲むほど親しく付き合うようになったそうじゃ」
倉見「ん?それって見殺しにされた大飢饉の後ですよね?」
多苗「そうじゃ。そうなんじゃが、当時は先ほどのお前さん(戸部)が言ったように、悪いのは崇守一族で、地区の者は泣く泣く従っているだけだと思っていたんじゃ…」
倉見「それにしたって安易すぎるというか…そんな簡単に受け入れられるもんですかね?」
多苗「…実際一ノ前に降りてくると、少なからず食料をもってきて、寄ってくる村人に渡していたし、危害をくわえる事もなかったそうじゃ」
戸部「うん、悪い人には思えないですね、確かに!」
空きっ腹が限界に達し意見が偏る戸部を、多苗は指をさし何度も頷く。
多苗「そうじゃ、お前さんの言うとおり」
戸部「え?ボク?」
意味が解らず戸惑う戸部に野杖が横から続けた。
野杖「一ノ前の村人も同じ心境だったんですよ。目の前に差し出された食料にありつくためには、見殺しにされた事実を正当化する必要があった。悪いのは全て崇守だから、地区の住民は同じ被害者で、その人から施しを受けるのは悪いことじゃないんだと、納得させていたんでしょうね」
倉見はようやく合点がいったとばかりに頷いた。
多苗「そうして不自然な交流が続いたある日の事。一番親しくしていた村人が死んだんじゃ。いつも来ていた心己の一人にやられてな」
倉見「殺された?」
多苗は険しい表情でゆっくり頷いた。
多苗「…その日も村人の家で酒盛りをしていたそうじゃが、酔った勢いなのか、顔もわからんくらいに殴り殺されたらしい」
戸部「ひで…」
野杖と戸部は顔を縮めた。
倉見「殺人事件ですよね、きちんと捜査はされたんですか?」
多苗「村では大変な騒ぎになったらしいが、当時は「お国の仕事」が最優先の時代、一人死んだくらいでと言わんばかりに話だけ聞いて後はうやむやじゃ」
戸部「人数の問題かって!」
野杖「命はお国に捧げて初めて価値が認められる…そういう時代だったんだよ…」
野杖はなだめるようにそうつぶやいた。
多苗「…このあたりは老いた者と女こどもしかおらんかったが、心己は老いも若きも関係なく、男たちも国から呼び出される事もなかった」
倉見「心己地区はそれほど特別だったって事ですね…それで、結局どう決着したんですか?」
多苗「何も。そのまんまじゃ」
戸部「そのままって、どういうことですか?」
多苗「死んだ者を葬って、心己の男たちはその後も変わらず村へ降りてきて湯を楽しんだと聞いている」
戸部「人を殺したのに?」
多苗「そうじゃ、何もなかったようにな。村の者達も腹の中は煮えくり返っていただろうが、黙っていたそうじゃ」
戸部「信じられない…」
倉見「警察からも見放された以上、下手に騒ぎたてて心己にたてつくのは得策じゃないと思ったんだろ」
多苗「…しかし、そんな態度は序の口じゃ。事件の後、そいつらは殺された村人の家に上がり込んで、家族になんと言ったと思う?」
野杖「普通に考えたら謝罪だけど…ね」
多苗「そいつは平然と、「いいじいさんだったのにくやしい、なぜ自分を怒らせたのか?本当に残念なことだ」と言いながら、まるで自分が被害者のようにその場でわんわん泣いたそうじゃ」
野杖「……」
言葉に詰まる野杖、倉見は背中にひんやりとしたものが通り抜ける感覚を覚えた。
戸部「…え?ちょっと訳わかんない。懺悔して泣いたって事ですか?それとも反省してるふりをしたって…」
野杖「…違いますよ。本気で悲しんでいたんでしょう、おじいさんを失ったことを…」
多苗「…そいつにとって、殺したのはじいさんのせい、自分が悲しい思いをするのもじいさんのせい、という事なんじゃ」
倉見と戸部は、全く理解の範疇を超えた話に戸惑うばかりだった。
多苗「その後も地区の人間が起こす事件は後を絶たなかったそうじゃ。女子どもにも容赦はなく、犠牲になった村人は数多く出たと…怒り出すと手が付けられなかったそうじゃからのう」
戸部「今で言うキレやすいって事ですね。しかも罪悪感が全くない…まさに魔物だ」
多苗は頷く。
多苗「その異常な〝荒さ〟は子どもも例外ではなかったようじゃ。村の境に川があるんじゃが、そこで心己の子どもと鉢合わせすると、とても子どもとは思えんようなギラギラとした目つきで、えらい勢いで川に入って追いかけて来たそうじゃ。村の子らは殺されると思ってな、無我夢中でそこらにあるものを投げつけて必死で逃げ帰ったそうじゃ」
想像力も限界に近い倉見と戸部は、重苦しく信じ難い昔話に、ただただ眉をひそめるばかりだ。多苗はフーっと一息つくと、テーブルに置かれたままの枝カードを改めて見つめる。
多苗「…祖母は心己の出身だったのかもしれん…山を彷徨っていた所を祖父が助けそうだが帰る所がないという祖母を、一ノ前に連れて帰ったと聞いた」
倉見「そのあと結婚した訳だから、おじいさんには自分の出生について打ち明けたんじゃないですか?」
多苗「いや、何も知らんと。あの大飢饉で死ぬまで何も語らずじゃった」
戸部「おばあちゃんも?」
ひょっこりと顔を出す戸部に、首を振る多苗。
多苗「もともと口数が少ない貝のような夫婦じゃったからの」
戸部と野杖が思わず顔を見合わせ、納得と言わんばかりに大きく頷いた。
倉見「…で、今の心己地区はどうなっているんですか?」
仕切り直すように倉見が聞くと、多苗は大きく手を煽いだ。
多苗「何もない…嘘のようにある日突然消えたんじゃ」
首を傾げる倉見。
多苗「いつ頃だったかははっきり知らんが、パッタリと村に降りて来なくなってしばらくした後、一ノ前の村長が様子を見に行ったそうじゃが、その時にはもぬけの空…人っ子一人いなくなっていたと」
倉見「いない?」
多苗は頷く。
多苗「当時は神隠しだと大騒ぎになったそうじゃが…その後も中に入った人間が消える騒ぎは続いてな、死人も出ておる。去年の夏にも若い男が心己に入った翌日に死んで川で見つかった…事故死だったと言われておるが、ワシは信じておらん…」
倉見と戸部は顔を見合わせ口を覆った。ネットで見つけたシンキの名前、更新されていなかったブログの主はその男だったのかもしれない…遠い昔話のように聞いていた倉見達は、それが導火線を走る火花のように突然自分のもとへと繋がったような衝撃を受けた。
~ゴホッゴホッゴッホン!~
急に咳き込みだした多苗の背中を心配そうに見つめながら、野杖が擦る。
倉見「大丈夫ですか?」
多苗はむせながらも大きく頷くが、野杖は倉見に向かって首を振り目を細める。
倉見「多苗さん、自分たちはこれで失礼します、ご協力、本当に感謝します」
と深々と頭を下げてドアに向かった。―が、その背中を追うようにベット柵をトントンと叩く音が倉見達を呼び止める。
多苗「…気を付けなされ!」
かすれた声を精いっぱい送る多苗に、また頭を下げながら二人は多苗のもとを後にした。
施設を出て数分後、遅れて出てきた野杖と合流した二人。
倉見「多苗さんどうでしたか?」
野杖「もう落ち着いて、少し寝るって」
にこやかに答える野杖に胸を撫で下ろす倉見。その隣で顔色が優れない戸部に気付いた野杖が声をかける。
野杖「戸部さんこそ大丈夫ですか?」
山の真上から照りつける太陽に青白く光る戸部は微かに頷くのみ。
倉見「さっきの話にビビってるんですよ。でも大丈夫、もう行くしかないですから、なあ戸部!」
バンっと力強く背中を叩かれ、その反動で頷いたように見える戸部。
野杖「そうですよね…じゃあ早速装備を整えて暗くならないうちに出発しましょう」
意気込む野杖を驚いたように見る戸部。
戸部「そ、装備?」
野杖「一応山に入りますからそれなりのね」
それを聞いた途端戸部はがっくりと頭を垂れた。野杖は戸部の背中にそっと手をあてると、
野杖「その前においしいご飯をね」
それを聞いた途端、今度は戸部の頬にほんのりと赤みが戻り、軽くなった足取りで歩き出した。
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