第6話 とぎれた糸

何の手がかりも得られぬまま三週間が過ぎた夜、二人は金谷にほど近い喫茶店にいた。

倉見「だから!高級クラブでオレンジジュースだけ飲んで帰るなんて無理だって!」

声を荒げる倉見。

戸部「高級クラブでオレンジジュース飲んじゃいけないって法律あるんですかっ!?」

強気で応戦する戸部。

行き詰まった捜査に、五軒のクラブをもう一巡しようと考えた二人は、お互いの体調を案じた結果醜い言い争いに転じたのである。


倉見「下戸に酒場の潜入は無理だと言ってるんだよ!この穴あきパンチが!」

ドリルのように人さし指を動かし、戸部の左肩を軽く突く。

戸部「なんですかそれ!名誉の負傷者への冒涜ですよ!」

指を振り払い口を尖らせる戸部に、腕組みをしてドカっと椅子に寄り掛かる倉見。

倉見「なにが名誉だ!オレたちがどんだけ心配したと思って…」


ふと、脳裏をよぎるあの日の記憶。

電話を受け動揺する倉見に〝大丈夫だから…行こう〟そう言って手を添えた鹿子の温もりが、今もここにより鮮やかに残る。


不自然な咳払いをして座り直す倉見、鼻を膨らませていた戸部もジュースを啜りながらその場を整えた。

倉見「とにかくだ、上司がだめだと言ったらダメ、警察組織は超縦社会だからな。オレが出てる間お前はおとなしく報告書でも作ってろ」

黙って膨れる戸部は唇を噛みながら顔をそむける。


数組の客がいたはずの店内はいつのまにかいなくなり、窓の外には飲み屋街へと流れる人々がどこか軽々とした足取りで通り過ぎていく。戸部は様子を窺う倉見に大きく鼻息を拭き掛けると、黙って店を出て行った。ガンコ親父の様に顔を固めていた倉見も、フーッとため息をつくと、人ごみのなかを逆走していく戸部の姿を見送った。


それから五日、一〇日と過ぎていき、倉見がそれぞれの店で入れたボトルは全て空になっていったが、鹿子へ繋がる手がかりは一滴も見つからなかった。



燦々とふる日光の下、金谷の地図を顔に掛け、署の屋上で寝る倉見。そこに呆れたようにやってきた戸部が、勢いよく地図を引っぺがす…が、倉見は何の反応もなく寝たままだ。


その青白い顔を見つめながら眉間にしわを寄せる戸部。

戸部「先輩、起きてくださいよ、風邪ひきますよ」

取った地図を丸めてメガホンを作ると、戸部は耳元で囁く。倉見は蚊を追い払うように片手をパタパタさせながら、ゆっくりと目を開けた。

戸部「…もう昼ですよ」

そんな倉見を見ながらため息を漏らす戸部。


一周した濃いクマで目は落ちくぼみ、痛々しいほどむくんだ瞼が曇った瞳に重く被さっている。倉見はぼーっとしたまま起き上がると、側に置いてあった小瓶に勢いよく口を付けた。それを見ながら戸部が呟く。

戸部「〝休めないあなたにエナジーを〟…エナジーどころか完全に魂抜かれたようになってるじゃないですか」

倉見「あー効く効く、バッチリだぜ」

一気に飲み干し、言葉とは真逆のテンションでそう言い放つ倉見に、だんだん苛立ちを隠せなくなった戸部は、そのまま地べたに正座をして向き直る。


倉見「どうした?報告書作ってるのか?」

倉見は何事もないように笑って見せる。

戸部「…言いませんか?鹿子さんの事」

そんな倉見を切るように、戸部は真剣な顔で言った。

倉見「バカ!そんな事したら…」

言葉に詰まったまま顔をそらす倉見にさらに近づく戸部。


戸部「せめて同じ刑事課の強行犯係や鑑識にだけでも話して、協力してもらいましょう!」

倉見はよろよろと立ち上がり、ベンチに置いた二本の空瓶を袋に入れた。

戸部「ボク達だけじゃ限界です!今度は先輩が入院になっちゃいますよ!」

何も答えないまま、ドアに向かって歩き出した倉見。

戸部「先輩!!」


必死で叫ぶ戸部に背中を向けたまま、倉見はドアノブを掴んで止まった。

倉見「…もし言ったらお前はクビ!…生活安全課に帰れ!」

バタンと強い衝撃を加えて閉まるドア。その後に弱々しく聞こえてくる足音を聞きながら戸部は地べたに拳をねじりこんだ。



屋上のフェンスにペタリと付けた顔、少し強くなった風がふわふわとした戸部の髪を遊ばせていた。戻る気になれないまま忙しなく行き交う署員たちを見下ろす戸部、背後から突然何かが転がる音が響く。


~カランカラン…カラカラカラ~


振り返ると、転がった缶コーヒーを焦って追いかける権田の姿があった。戸部はすぐに缶を拾い、権田に差し出した。

権田「悪いな、それお前のだ」

にやっと笑う権田。戸部は角がへこんだ缶コーヒーを見ながら頭を下げた。

戸部「…あったかい」


並んでベンチに座り、コーヒーを飲む二人。権田は何を話す事もなく、ただ横で座っていた。太陽の光がくっきりと差しながら背中を煽る風でいつまでも暖まらない屋上で、少し体を縮めたようにフェンスを見る権田。


戸部「ボクはやじろべえなんかじゃありませんよ…」

ふいに戸部がそう呟くと、権田はゆっくりと頷く。

権田「なぜそう思う?」

戸部は口をつぐんでから、何かを飲み込むようにまた話し始める。


戸部「…めちゃくちゃな二人をボクがどうにか繋いでるんだって、ボクが間にいるからやっていけてるんだって、そう思ってました…だけど…」

戸部は下を向いたまま、膝に置いた手を握りしめた。


戸部「…逆でした。本当は先輩と鹿子さんが両サイドを支えてくれてたからこそ、ボクは真ん中で、安心して居られたんだって…」

硬くなった手の甲に、姿を変えた後悔がひとつ、ふたつと落ちてくる。


権田は軽くため息をつくと、優しく頷きながら戸部の肩をポンポンと叩いた。

権田「…やじろべえはな、どちらかに傾いたら自分の重心を動かしてバランスを取り直すんだ。その真ん中はお飾りじゃない、浮いたり沈んだりしながらバランスを維持する重要な役を持っている」

戸部の拳が少し緩む。


権田「…いまは気が済むまで沈めばいい、でも必ず浮上(あが)ってこい。あの二人の重心を戻す事ができるのは、お前だけなんだからな」

そう言いながら戸部の背中をボンと叩くと大きく伸びをした。


権田「さて、蟻さんと飯でも食ってくるかな」

権田は立ち上がりそのまま歩き出した。

戸部「…課長…!」

戸部はくしゃくしゃになった顔を向け、頭を下げた。

権田「問題ない。じゃあ、あとよろしく!」

屋上の鉄扉がガツンと閉まった。



刑事課に戻り、じっと考えこむ倉見。

デスクの上に散らばった名刺とにらめっこをしているようだ。


倉見「…イブマブ、ディープ、オルフェ、エルコンド、TM…うーん…どぁ!!」

ペンを放り出し、背もたれが折れそうなほど寄り掛かる倉見。周りの同僚たちはまた始まったなと横目でため息をついた。


峰藤「なぁにー倉見ちゃん、またお悩み中?…あらら?何これ?クラブの名刺じゃない」

向かいの席から甘ったるい声で峰藤が覗き込む。


倉見「どれかの店に転職する?」

倉見は顔を天井に向けたまま、かったるそうに答えた。


峰藤「ダメよぉ~アタシが入ったら即ナンバーワン、申し訳ないじゃない?…でもそうねえ…」

いたずらに笑いながら、トランプのように名刺を広げる峰藤。

峰藤「入るなら…ここかな」

峰藤は天井を向いたままの倉見の顔に一枚の名刺を見せた。片目を開けてその名刺を見た倉見がため息をつきながら答える。


倉見「イブマブね、何で?」

峰藤「だって名前がミステリアスで可愛いじゃない?反対から読んだら小鹿よ?あたし大好きなのよね、あの美脚!絶対手に入れてみせるわ!」

拳を上げて気合をみせる峰藤。倉見はゆっくりと起き上がる。


倉見「……小鹿?…なんで?」

峰藤「だから美脚だからって言ってんじゃない」

倉見「そうじゃなくて…反対から読むと小鹿って…?」

峰藤「だってそう書いてあるじゃない、IBMABって!」


ひっくり返された紙をまじまじと見る倉見。

よく見るとイブマブの名刺には名前の上に小さく【クラブIBMAB】と記されている。改めてその文字を目で追った。


倉見「IBMAB…BAMBI…小鹿!」

次の瞬間、その名刺をくしゃっと掴み、倉見は制御不能のロケットのごとく刑事課を飛び出していった。


訳もわからずキョトンとしていた峰藤が周りを見渡す。

峰藤「…アタシ変なこと言った?」

同僚たちは、一斉に首を振った。



空になったコーヒー缶を手に、トボトボと階段を降りる戸部。下の方からけたたましい足音が聞こえてくる。

戸部「?」

手すりからそっと覗き込むと、恐ろしいほどの勢いで倉見が上がってくるのが見えた。

戸部「…せんぱ…」

真下に迫った倉見に声をかけようとした瞬間、戸部の後ろをあっと言う間に通り過ぎ、持っていた缶がカラカラと転がって行った。

戸部「あ…」


その音にピタリと止まって振り返った倉見は、驚いたようにまた戻ってきた。

倉見「戸部!ここにいたか!ハッハッハ!」

戸部「いま通り過ぎましたよね?」

無駄にテンションの高いいつもの倉見がそこにいた。倉見はニコニコと笑いながら戸部の肩を掴むと、

倉見「そうだそうだいいんだそれで。いくぞ!」

と言いながら半ば引きずるように戸部を連行していった。

戸部「な、なんですか?どしたんですか?」

戸部は訳のわからぬまま歩かされて行った。



刑事課の見える自販機コーナーで、ひとしきり話し終えた倉見はコーヒーを買い長椅子に腰かける戸部の膝に置いた。さっき飲んだばかりという言葉を胸にしまったまま、隣に座る倉見を見る。


戸部「早速行きましょうよイブマブに!」

倉見はぐいっと缶を底まで上げて一気に飲み干すと、ゴミ箱に向かって缶を投げた。

倉見「何度も行ったよ、客としてな。表向きは普通のクラブ、怪しいとこなんてありゃしねえ」

戸部「今度は警察って名乗って行きましょうよ」

倉見は首を振る。

倉見「証拠もないままじゃ余計警戒してしっぽなんてださねえよ。第一、また一からウダウダ捜査してる時間はもうねえからな」

戸部「じゃぁどうするんですかー?」


ぐずった子どものように戸部が詰め寄ると、倉見は廊下に出て刑事課を覗いた。

倉見「…課長は?」

窓際の席に権田がいない。

戸部「あぁ、そういえばさっきブルさんの所に行くって…」

倉見「ちょっといってくるわ」

そういって倉見は一端刑事課のデスクに戻ると、椅子にかけてあった上着を羽織り、珍しくネクタイをぐっと締めた。


その姿を戸部が疑うようにジトっと見ていると、倉見は笑いながら軽く頭を叩き、

倉見「置いていかねーから安心しろ。お前は報告書頼むぞ」

といって手を上げながら出ていった。



時計を見ながら倉見のデスクに座る戸部。イライラしたように動く人さし指がトントントントンと止まらない。倉見も権田も戻らないまま既に三時間が過ぎようとしていた。

峰藤「あらま戸部ちゃん、また置いてかれたの?」

そんな様子を見ていた峰藤が、からかうように声をかけた。

戸部「やっぱりそうですかね?…先輩、またボクを置いて…!」

峰藤にすがるように真剣な顔を向ける戸部に苦笑いをしながら峰藤が取り繕う。


峰藤「やだ冗談よ冗談!ちゃんとお迎えに来るから、いい子にしてなさい」

またがっくりと肩を落とす戸部はいじけたようにデスクに突っ伏した。


トントントントン…秒針よりも早くうるさく、戸部の指は止まることなく刑事課の中を工事現場の様にしていた。周りにいた他の刑事たちは時折迷惑そうに真ん中に座る背中を見る。

トントン…トン!と、突然音がピタリと止む。

一斉に集まる視線、そして勢いよく立ち上がる戸部。

戸部「もう限界!」

ついに待ちきれなくなった戸部が倉見の捜索を決意、意気込んで刑事課を出ると、廊下の先には倉見と権田がのほほんとした雰囲気で話しながら向かって来るのが見えた。すぐに気付いた倉見が白い封筒を胸ポケットに入れ手を上げる。


倉見「おぉ!今夜行くからな…ん?なんだお前、うるうるして??」

鼻を啜り瞳を潤ませた戸部の姿に、二人は顔を見合わせた。



五軒の店の中で最も広いフロアを構えるイブマブ。五十代そこそこのママ高木

英子と、約三十人ほどのコンパニオンたちが店での生き残りをかけて凌ぎを削っている。


少し斜めに掛けられた【CLOSE】の札の前で、二人はカウントしたように同時に頷くと、重厚な観音開きの扉を躊躇なく押し開けた。

目の前に現れたのは戸部の背丈ほどのフラワーアレンジメント。紫を基調とした品のある花々から緑のシダが溢れるように飛び出す姿は冬の噴水を思い起こさせる。


そこから階下へと誘導するように置かれた控えめの間接照明が、フロアを照らす煌びやかなシャンデリアを際立たせていた。全面吹き抜けになった大きなフロアに続く階段は、赤い壁に流れように半螺旋状につけられている。


倉見と戸部はバルコニーの上から見おろすように、ゆっくりとロートアイアンの手すりに手をかけた。

戸部「すごい…」

貴族が集まる舞踏会のようなその光景に目を丸くする戸部。フロアには中央のテーブルの前に紫の和服を着た高木英子が立ち、そこに集まる色とりどりのコンパニオンたちが真剣な表情で話を聞いていた。

初めて訪れたクラブに圧倒される戸部が、大きくなった目をキラキラさせながらポツリと呟く。

戸部「峰藤さんがいっぱいいる…」

倉見が思わずププっと吹き出した瞬間、英子が吹き抜けを見上げた。つられるようにコンパニオンたちも上を見る。


開店前の店内で見下ろしている二人の客。コンパニオンの一人〝さき〟が倉見と目が合うと、

さき「あ、青ちゃん!ママ、青川さんだよ最近よくいらしてくれる」

ゆっくりと階段を降りてきた倉見と戸部。深い紫の着物に赤い帯どめをした英子はつり上がった目を曲げるように笑いかけた。


英子「青川様、いつもありがとうございます。まだ開店まで時間が…」

そう言いかけた英子に、素早く手帳を出す二人。

倉見「中央署の倉見です、こちらは戸部」

後ろにいたコンパニオンたちは一斉にざわつき始めたが、英子は眉ひとつ動かさず固めた笑顔を保っている。


英子「警察の方でしたの、驚きましたわ。ご苦労様です。」

品よく頭を下げる英子は、ほどよい色気をまといつつ、鎧のような隙の無さを醸し出していた。


倉見「捜査にご協力頂きたいのですが」

毅然とした態度で倉見が迫るとまたニコリと笑い、フロアから少し離れたカウンターへと案内した。

 そこに、黒服にマスクをしたボーイがさりげなく現れたが、英子が軽く手を払うと、頭を下げて奥へと引っ込んでいった。


カウンターの中に入ると、英子は二人を目の前に座らせ一点の曇りもない二つのグラスに氷を入れ始める。

倉見「今日は結構、仕事で来てますから」

英子「ええ、お茶でよろしいでしょ?」

そう言ってビンに入った烏龍茶を静かに注ぐと、不揃いの氷がカランと動き透き通る音を奏でた。

戸部「お、お構い無く」

戸部の緊張は相変わらず溶けていかない。


英子「それで…どんな協力をすれば?」

自ら本題に踏み込む英子に、ただならぬかたさを感じる戸部。

倉見「…EDAについて全部、もしくは趙要徳という男について教えてください」

単刀直入に切り込んでいく倉見に戸部は不安を覚えたが、当の英子は穏やかな笑顔を決して崩さない。


英子「枝…でございますか?そうですねぇ…わたくしが存じておりますのは…」

そう言いかけて英子はふいに手を上げると、先ほどのボーイが即座に現れ一枚の紙を手渡した。


下がり際にボーイと目が合う倉見。外国人なのか、短い金髪の巻き毛から覗く青い瞳が印象的だ。額に見える小さな傷痕が、唯一人形のような顔に人らしさを残している。そんな倉見をよそに隣でグラスをじっと見つめる戸部はこっそりつぶやく。

戸部「この氷一個いくらだろ…」


たもとを捲りながら英子が仰々しく差し出した紙には、指定暴力団の組織図のようなものが書かれていた。ピラミッドになった一番下の欄には、クラブや上場企業の他、政財界の錚々たるメンバーの名前まで記されている。まだ警察内部でも把握出来ていない繋がりを示すその情報は、確かにビッグな〝枝〟の情報だった。


倉見はひょいっとその紙を戸部に投げると、何事もなかったように英子に向き直った。それまで曲がったまま浮いていた英子の目が初めて大きく開く。

戸部「すごい…こんな名前が世に出たらパニックになりますよ、暴力団も壊滅的、一網打尽」


興奮する戸部の隣で、倉見は静かに口を開いた。

倉見「目くらましには十分過ぎる情報だが、残念…〝枝違い〟だな」

英子は口元で笑顔を見せるが、ピクリと動いたこめかみを倉見は見逃さない。

倉見「しかし一つわかった事がある…こんな爆弾ネタをサツに売ってでも、あんたらが守りたいものはEDAしかないって事がな」

倉見の鋭い目線が、英子の顔を跳ねあげた。


英子「十分協力させて頂いたかと思いますけど…まだお疑いなら令状を持って出直してくださいな」

そういって戸部から紙を剥ぎ取り懐にしまうと、カウンターに並ぶブランデーをグラスに注ぎ不機嫌そうに口をつける英子。倉見はすぐさまグラスを取り上げカウンターに乗り出すと英子に見せつけるようにシンクに流した。


倉見「そんな時間はないんでね…代わりにこれをくれてやる」

そういって内ポケットから取り出した白い封筒をカウンターに投げつける。

戸部「あ、それ…」

戸部の口を雑に塞ぐと倉見は黙って英子に顎を向けた。

英子は警戒したように倉見を見ながらゆっくりと封筒を手に取ると、〝封印〟の字できっちり閉じられた袋の口に指を入れて破き始めた。


その様子を奥から少し顔を出して窺っていたボーイが、口を塞がれたままの戸部と目が合う。カウンターの照明がボーイの額に反射しきらりと光っていた。


重ねられた二枚の紙を見るや否や、みるみる顔がこわばって行く英子の目は尋常ではなかった。鎧のようにまとった空気もズタズタに崩れ、ヒステリックに片手で押えた頭からは一本二本と髪が降りてくる。

英子は手を震わせながら、すぐさま紙に火をつけると皿の上で灰になるのを息を切らせながら見送った。そんな反応を当然のように見ていた倉見は静かに語りかけた。


倉見「…まずは趙要徳について聞かせてもらおうか」

カウンターに両肘をついて頭を抱える英子。しばらく沈黙したあと、後ろに控えるボーイに手をあげて人払いをした。


英子「…EDAの事は何も知らない、本当よ」

倉見はじっと英子を見つめたあと、燃えカスの舞う灰皿に視線を移した。すると英子は慌てたように側にあったグラスをとり、水道水を勢いよく注いで一気に飲み干した。


英子「趙はここに居た…時々出かけて行ったけど、ほとんど電話で誰かと話してたわ」

息を切らし、水が滴る口の端を手の甲で拭いながら答える英子。

倉見「会話の内容は?」

英子「…何時にどうとか…そんなことよ」

倉見「一七日の金曜日、何をしてた?」

英子はうつろな瞳で頷くと、ゆっくりと目を閉じた。


英子「そうね…あの日も日付が変わるころに帰ってきて、誰かと電話してた…。いつもなら店の奥の部屋で話すのに、わざわざ外に出ていって…怒鳴ってるみたいだった」


倉見は店の奥をちらりと見つめ、ボーイがいないことを確認する。

倉見「奴は何を怒っていたんだ?」

英子「そこまでは…ただ〝いちのまえリゾート〟がどうとか、あと…〝シンキ〟まで来いとか言ってたわ」

倉見「シンキ…」

戸部はスマートフォンをだし、すばやく画面に指を滑らし始める。


英子「そのあとすぐ荷物をまとめて出かけてからは一切ここにはきていないわ」

険しい表情で黙り込んだ倉見に、すがるように覗きこむ英子。

英子「本当よ!だからさっきの件は…お願いします刑事さん!」

戸部「先輩」

画面を指さしながら倉見を呼ぶ戸部。倉見は手を上げると、英子の目をじっと見てから立ち上がった。


倉見「他に思い出す事があったら連絡しろ…それまであの件は保留だ」

カウンターに崩れる英子に背を向け、コンパニオンたちの視線を一身に浴びながら、倉見と戸部はまた半螺旋の階段を上がりイブマブを後にした。



~♪鳴門海峡(なるとかいきょう)ぉ~渦(うず)ぅ景色ぃぃぃ!♪~


その足で入ったカラオケボックスで二人は戸部のスマートフォンを食いつくように見ている。

戸部「これです、ここ!」

戸部が開いた画面には、心霊スポットを巡る人物が去年の八月ブログに書いたものがアップされていた。


【山咲県の端っこ、一ノ前村に隣接するシンキに行ってきます!】


倉見「シンキだな…ってかその後どうなったのか書けっつーの!」

そこから更新されていないブログに腹を立てる倉見に、今度は地図を開いて見せる。

戸部「ここが一ノ前村で、ほら」

一ノ前村に繋がる山に大きく削られた場所、そこには〝一ノ前リゾート〟と記されている。

倉見「…間違いないな」

戸部「ただ地図にはシンキって名前はどこにもないんですよね…」

悔しそうにさらに画面を動かすネットのプロ。

倉見「一ノ前まで行けばわかるだろ、実際肝試しに行ってる奴がいるわけだから」

戸部は口を尖らせながら渋々頷く。

倉見「とにかく明日にでも行ってみよう、一ノ前に」

そういって倉見はシュワシュワと泡を立てるコップに口をつけた。


戸部「あそういえばさっきママさんに渡した封筒、あれって権田課長と戻って来た時に持ってたやつですよね?何だったんですか?」

倉見はニヤリと笑う。

倉見「高木英子の最大の弱点、印籠みたいなもんだな」

戸部「え?え?何が書いてあったんですか?」

興味深々で長椅子を詰めるように近づく戸部。


倉見「知らね」

戸部「え?」

コップを静かに置いた倉見は軽く笑った。


倉見「権田課長が抱えてた情報屋はジャン哲だけじゃない。しかも課長の凄いところは、情報屋のさらに裏を知る情報屋を抱えこんでいたとこだ」

戸部「情報屋の情報屋?」

倉見が頷く。

倉見「その中には敢えて表に出さないネタも腐るほどある…今後の捜査に必要だと思えば黙っていた方がいい事もあるからな」

戸部は複雑そうな顔をして戸惑っている。

倉見「それを今回〝お裾分け〟してもらったわけ。絶対に中を見ないって条件でな」

戸部「だからちゃんとネクタイ締めて…でも何で中見たらだめなんですか?」

倉見はまたニヤっと笑うと戸部の顔を指さした。


倉見「内容を知ったら、今のお前みたいに許せなくなるから」

戸部は慌てて口を押えてうつむいた。

倉見「すげぇ人だよ、権田課長は」

下を向いたまま、戸部は何度も頷いた。


~コンコン~


店員「お待たせしました、枝豆と焼きおにぎり、フライドポテトの明太ソースです」

皿をおいて慌ただしく出ていく店員、金曜の夜は忙しい様子。

いかにもレンジで温めたであろう料理にピクリともしない倉見の鼻を見ながら、二膳の箸を持った戸部がふと止まった。

戸部「あ、そういえば第二弾、あそこにいたボーイさん、どっかで見たような気がするんですよね…」

倉見「どこで?」

倉見は手をだし箸を渡せと要求している。

戸部「どこだっけ…うーん…」

倉見「…思い出したら言ってくれ、そして箸をくれ」


鳴りやむことのない古今東西の歌声を聞きながら、二人はひと時の解れた時間を過ごした。

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