よだかの夢

猪瀬めるめ

よだかの夢

 僕らの冒険譚をここに描こう。目が覚めてしまうくらい鮮烈で、拍手の音もかき消えてしまう、うるさいくらいの冒険譚を!


 自己紹介を始めよう。僕の名前は篠目しのめまき。いわゆる転勤族の父親を持ち、幼いころから住まいを転々としてきた。生まれて四年を雪の降る街で過ごし、そこから二年を猛暑に溶かされてしまいそうな場所で過ごす。これでやっと六年。あとはどうだったかな。


 ああ、そうそう。そこから三年を山に囲まれた田舎で過ごした。当時、小学三年生。

 僕の父はとても聡明で、僕に何でも教えてくれたのだが、そのせいで同年代に比べ精神年齢の上がった僕は、どんどん接しづらい存在となっていってしまったらしい。気付けば友達と呼べる存在はいなくなっていた。

 四年生の一年間は、海を越えた暖かい場所で過ごした。土地柄は優しかったものの、一年しかいられなかったその場所で、僕が友達を得ることはなかった。そして、生まれて一一年目。ビルが並ぶ都会に越してきたとき、僕に奇跡が訪れた。


 転校生はそれだけでしばらくクラスの注目の的ということはもうわかっていたので、そう胸が躍ることはなかった。しかし、転校初日の初めての休み時間でそんな「誰もが知らないはずの僕」を睨む少年がいたのである。

 彼は僕と目が合うや否や腕を引いて、僕を廊下へと連れ出した。


 教室はざわついている。しかし追って来る者はいなかった。なるほど、これがいじめというやつか?だとすれば興味がある。弱者と強者、カースト制度の権化。幼い子供のうちですらも発生するその事象を、当時の僕は知りたがっていた気がする。校舎裏まで歩けば、やっと彼は僕の手を放し、そして向き合う形となった。

「なんだい?僕のことがきらいかい?」

「ちがう」

「いじめかい?」

「ちがう」


 じゃあ何、と口を開きかけてやめる。何かの音がする。小さな生き物の声。…猫?

「クラスのやつはみんなしらないんだ。猫缶、たべなくて。ずっとみいみい鳴いてて。大人には相談したくなくて、でも助けたくて、だれにいったらいいかわかんなくて」

 草陰から現れたやせ細る子猫を見ながらそう言う彼の目に大粒の涙が溜まっていく。なるほど、そういうことか。

 僕はそんな彼に、自信たっぷりにこう告げた。

「単純なことだ。ひとひねりで変えられるだろ」

 見たところこの子はまだ子供だ。親猫とはぐれてしまって行き着いた先がこの学校とか、そんなところかな。親を探して鳴いていて、警戒心が強いせいでご飯を食べない、とか。「…あと、きみの顔が怖いんじゃないか?」

「そんな、こと、いうなよおぉ」

 推論を並べる僕の目の前でぐずぐずときみは鼻をすすっている。そんなに悲しいかな。

 まあいい、これの解決法は一つ。

「今日からぼくときみは、この子のパパだ!」

 にやり。



 十二、十三、十四と過ごして、僕とその時の彼、御子柴みこしば あざみは大親友になった。いや、これは僕が自称していることなので、彼公認ではないのだけど。

 僕らとその時の猫、千鶴(猫なのに鶴という、ユーモア溢れるネーミングなのだ)はまるで町のヒーロー気取り、ある時は肝試しの名所に現れた謎の人魂事件を解決したり、またある時は近所のお姉さんの治らないという風邪の原因まで突き止めてみせたりね。

 僕はたくさんの人にヒーローと呼ばれた。今や学校でも、町でも人気者さ。両親もそんな僕のことをうれしく思っていてくれるし、母親に至っては事件を解決した晩は薊にも豪華なご飯をごちそうする。千鶴にはお高い猫缶。

 そんな日々が幸せで、いつまでも、いつまでも続いていてくれるかなんて思っていた。自分の家が転勤族だったことすら忘れていたほどだった。


 そう、忘れていた。十五歳になった夏、また転勤の通知が父のもとに届いた。

 何度も何度も先延ばしにしていてくれたらしい。それでも今回の通知はそうもいかないもののようで。

 僕はあの時、初めて父親に、いや、ひとに敵意を向けた。ここまで運命が憎らしかったのは初めてだったから。父は何度も僕に謝ったが、違う、僕に謝ってほしいんじゃない。僕がいなくなったら、薊はどうなってしまうんだ。

 なんて言おうかを必死に考えていた。これが厄介なことに、人間というのは、いざ自分の悩みとなると簡単に解決できなくなってしまうのである。

 結局薊のもとに僕が転校するという話が伝わったのは、学校の先生経由であった。その時の薊の顔を直視する勇気はなく、所詮自分はまだ中学三年生なのだと痛感させられてしまうこととなった。


 引っ越し当日、父親が友人に借りた軽トラックに荷物を積んでいった。一応知らせたはずなのだけど、その場に薊は現れなかった。

 怒っていただろうか、悲しかっただろうか。それでも、それでも。僕らはもう、これきり会えないのかもしれないのに。

 最後の最後くらい、来てくれたってよかったじゃないか。

 すべての荷物を積み終えて、父親が行こうかと僕の髪を撫でる。数年ぶりのこれも、今は全くうれしくなかった。

 がたごとと走り出すトラックに揺られる。車窓から見える風景に目を向ける余裕もなく、座席でうずくまるようにしていた。

 すると突然、ききーっ、と音を立てて車が急停止する。僕も当然体ががくん、と動いたため外の景色を見る形となったのだが、その時目に飛び込んできたものに思わず目を見開いた。

 そこには、僕のほうをその鋭い目つきで睨みながら(きっと本人に睨んでいるつもりはない)仁王立ちする薊と、足元で僕らの車をじっと見つめる千鶴の姿があった。

「まき、聞こえるか!?お前が言ったんだ、単純なことだって。ひとひねりで変えられるだろって。だから、俺も、ひとひねりで変えてやるんだ!!」

「にゃーーー!!!」

 車体の中にいる僕と両親にも聞こえるようなその大声に、思わず圧倒されてしまう。僕が父と母の顔を交互に見ると、二人は笑って外に出るように促してくれた。

「ここにいたんだね、薊。…千鶴も」

「いたさ。お前の親友の俺と千鶴が来ないわけないだろ」

「違いない。ありがとね、二人とも」

 薊はふんと鼻を鳴らし、千鶴は僕の足元をなめ始める。そっか、親友か。嬉しいなぁ。


 二人が何をしたいのか、なんとなくわかっていた。わかっていたからこそ、僕は、この期待に応えるべく最高の選択をせねばならない。

 息を吸い込み、吐いて。緊張が僕の体を駆けていく。今の君らには酷だろうけど、いつかわかってくれるだろう。千鶴だって賢い子だ、大丈夫。

「お父さん、そのまま車を出してくれ!」

 車の外から僕が叫ぶ。母は困惑していたが、父は一度の瞬きの後に笑って頷いた。

 ああ、うん。わかってくれている。さすがは僕の父親といったところだろう。薊の表情が明るいものになる。これは、二人のためだ。

「すまないね。この物語の続きは、夢が覚めた後になってしまう!」


 叫んで僕は軽トラックに向かって駆け出した。振り返らずに、前へ、前へ。運動は苦手だけれど、そうこれは、火事場の馬鹿力というやつだ!

 薊よりも千鶴のほうが先にことを理解したらしく走って追いかけてきたが、それでも不意を突いた僕にはかなわない。

 僕が軽トラックの荷台に飛び乗った瞬間、父親はアクセルを強く踏んだ。後ろからは泣きながら追いかけてくる薊と、鳴きながらこちらを見て毛を逆立てる千鶴。ああ、ごめん、ごめんってば。

 君らならこの色を汲み取れるさ、ヒーロー!



 電源を入れる前のスマートフォンの液晶が、俺の歩く道の桜並木を鏡のように映した。

 御子柴薊。今日から大学生となる。かねてより入学したかった心理系の大学に合格することができたのだ。

 何気なくぼんやりした高校生活も終わり、今日から新生活が始まる。中学時代、あの日の出来事は記憶の隅に追いやられていた。

「にゃあ」

「なんだよ千鶴。言っておくけど、大学のキャンパスの中には入れないからな」

「にゃう」

 言いたげな瞳で見つめてくるこの猫は千鶴。実年齢はわからないが、5,6歳くらいだろうか。もとは捨て猫だったのだが、今は御子柴家の一員。とても聡い猫であり、家族の中でも俺だけに懐いている。こうして出かけるときもついてきてしまうし、変な目で見られて困るのだ。


 そんな千鶴だが、今日は朝から騒がしい。まるで何かを俺に伝えたいと言わんばかりにみゃうみゃうと鳴いているのだ。

 嫌な予感がする。動物的本能とか、虫の知らせとか、そんな類のものじゃないだろうな。ため息交じりにキャンパスへと足を踏み入れた。…千鶴も結局ついてきた。

 入学式が終わる。新一年生は散り散りになっていき、友達作りに花を咲かせ始めた。俺はというと四年前の一件が未だに堪えており、高校生の時から新しい友達を作れずにいた。

 敷地内に設けられたベンチに腰掛けて空を見上げる。いつのまにか千鶴も隣にいた。

「千鶴はあれだな、人間やったことある賢さだよな」

「にゃ?」

「お前が女だったら彼女にしてたかも。なんてな、嘘だよ」

「みゃあ」

「お前は俺のたった一人の友達だもんな」

「それはまた、ずいぶんと寂しいことを言うね」

「本当だろ」


 ここまで返して悲鳴が出た。猫は喋らない。今俺に返したのは千鶴じゃない。だがしかし、その声には聞き覚えがある。

 おそるおそる頭を正面に戻す。眼前には喉を鳴らす千鶴と、笑顔の。


「なんで」


 笑顔の、まきがそこにいた。

「なんでも何もないだろう!ただいま!うん。故郷の空気はおいしいね!あっ厳密には故郷ではないのだがね!」

 少し低くなったものの、それでもなお男にしたら高い声と、ぱっちりと開かれた瞳。背丈も少し伸びたと思うが、しゃがんでいるためよく分からなかった。でも確かに、目の前にいるのは、あの日のまきだった。

「何も変えられなかった俺の前に、なんでまた」

「馬鹿を言うな、あの時の君のひとひねりがあったから僕は今ここに立っている。あの日の君と千鶴がいなければ、僕はこんなことしなかったね。断言しよう。」

 続けてまきは笑う。


「未来を変えたのは君だ!格好いいよ、たとえ僕がこの明晰な頭脳を買われて全世界のヒーローになったとしても、君には敵わない!」

「…馬鹿にしてるのか?」

「していないよ、マイヒーロー!さあ、またあの日のように、奇跡を歩もうじゃないか!」

 思わず肩の力が抜ける。何度だって描いた奇跡の立役者が、俺のことを、マイヒーローだって。なんだよそれ。主に頭がヤバいだろ。

 でも、まあ。この調子で、何度でも。


 拍手の音が鳴りやまないカーテンコールに、心地よさに包まれて目を細めた陽だまりを。

 俺らの冒険譚が、ここに描かれる。

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