第47話:代行者とアカリ

 ツクモがアスカルシスに転移してくる一月ほど前、ルナルド村では今年の生贄を決定するための会議が行われていた。

 司会進行を務めるのは、勿論魔神の代行者。村の長たちは彼の絶対的な力の元、服従せざるを得ない。

  

 「厳正なる魔神様の選択により、今年の生贄は村長の娘、アカリに決定した。異を唱える者は、いないな?」


 「…………」


 無言で頷く村長とその他の責任者達。

 会議室の外で盗み聞をしていたアカリは、思わず失神してしまった。

 バタン、と少女が倒れた音にいち早く気づいたのは魔神の代行者。

 物事をスムーズに進めるために、空間魔法を用いて、少女を回収し、長距離転移を発動した。



 転移した先は、とある山中の社にある小屋。

 初代代行者が建てた、お寺のような屋敷だった。


 代行者は、気を失っている少女を布団の上に寝かせ、ローブを脱ぎ、外を眺める。

 絶望に満ちたルナルド村とは対照的に、山の中には心地よい風が吹き、小動物の鳴き声が響いている。

 そして、代行者は自分の宿命を恨んだ。

 理由も分からずに、無実の少女達を上のお方に送らなければならない、代行者としての使命。

 西川幹太の想いは、代行者の顔によって蓋をされていた。


 だが、深夜12時になると、一瞬だけ幹太としての行動を実行することができる。

 彼には何故なのかは分からなかった。だが、代行者になった、50年前から、その一瞬を使い、少女達を助ける事に自分の全てを注ぎ込んだ。

 誰にも救われない、過去の自分と、生贄として上のお方に選ばれた少女達を重ね合わせていたからだ。

 

 代行者は、眠り続けるアカリをただただ見つめ続けた。

 その目に、これから死ぬであろう少女への同情の意は篭っていない。

 しかし、心の中では泣いていた。

 

 自分の力では救うことの出来ない、少女達の命。

 何をしても絶対的な力には逆らえない。


 彼は知っていた。


 どれだけ抗っても、どれだけ努力しても、少女達は自我を失う。

 上のお方によって、少女達は別の何かに変えられてしまう。

 カンタは、勇者の力を有する自分でさえ、生贄として転送した少女達への連絡を取れないこと。そして、彼が異空間へと飛ばした、少女達の一部が完全に反応しなくなっている事から、彼女達が別のモノに変異させられているのだと推測した。


 だが、望みは捨てていない。


 いつか自分が他者の操作から脱し、上のお方と呼ばれるヤツを探し出し、少女だったモノに一部を戻す。

 不確定な事柄だが、彼は心に誓った。

 だが、それと同時にこみ上げてくる自責の念。

 49人もの少女達を顔も知らない、強大な力を有する誰かに転送している自分を心底嫌悪した。


 そして彼は思った、死ねるチャンスがあれば死にたい、と。

 

 自分が死ねば、無実の少女達は救われる。

 だが、いくら自傷行為をしようとしても、一瞬しか機会のない彼にはそれは叶わなかった。

 それに、彼は知らなかった、自分がいなくなっても、また別の誰かが代行者として派遣されてくることを。


 深夜の12時、カンタとなった代行者は、少女を起こし、一言だけつぶやいた。


 「俺が、君を守るから……」


 与えられた時間はそれで終了した。

 再び代行者となったカンタは、意志に反して少女の元から離れていく。

 必死に抗う少年の背中を見て、アカリは困惑した。

 だが、絶望に沼に沈んでいた少女に、細い蜘蛛の糸が垂らされたような、そんな気分だった。


 「分かりました」


 彼女は、カンタを信じてみようと思った。

 いや、信じたい、と心から強く願った。

 逃れられない死を避ける、唯一の希望。

 アカリは一瞬笑いかけてくれた代行者にすがるしかなかった。


 代行者はアカリのいる部屋から離れ、別室へと向かった。

 てっきり拘束され、監禁されると思っていた少女は、少々困惑した。

 

 部屋の中を歩き回り、他の部屋にも足を運ぶ。

 ただ、外に出ようとすると、自室へと強制的に転移させられてしまう。

 アカリは、魔神祭まで安全に生き延びられる事に、心から安堵した。


 屋敷内の探索を始めてから30分後、アカリは代行者が眠る部屋へと入った。

 無謀部にも背を向けて寝ている代行者。

 アカリには、代行者が悪人だとは思えなかった。

 代行者の部屋内を歩き回っても、一向に起きる気配はなく、試しに頭を撫でてみても、なんの反応もない。

 まるで、完全に機能を停止している人形のようだった。


 アカリは、代行者の部屋にある机の上に置いてある一つの紙束を発見した。

 

 49の手紙。


 過去に生贄になった少女達が、代行者に向けて書いた手紙。

 それを読んだアカリは驚愕とともに、放心した。

 代行者が、49もの少女達から信頼されていた事実。

 そして、先程一瞬だけ見せた心優しい少年の顔が、代行者の本当の顔だという事実。

 アカリは試しに、代行者の布団に潜り込んで、寝る事にした。


 早朝、代行者の隣で寝ていたアカリは、機械的に起き上がったた代行者の動きで目覚めた。

 

 「おはようございます、代行者様」

 「…………」


 代行者は返事をする事なく、無表情で部屋を出て行った。

 アカリは不思議に思った。なぜ、何も言葉を発さないのか、と。

 

 部屋を出た代行者の後を追っていき、ある事を試した。


 「代行者様、ナツミ達を助けてくれてありがとうございました。私の事も、助けてくれるんですよね?」


 「…………ぁ」


 何か言葉を発しようとした代行者。

 だが、何かに口を縛られているかのように、言葉が出てこない。


 代行者が代わりに出したのは、一筋の涙。

 無力な自分を信じて、生贄となってくれた少女達への謝罪の意。

 それを見た聡明な少女は確信した。

 

 代行者は、自分の本心を曝け出すことを誰かに禁じられている、ということを。



 身の安全、及びに代行者の本心を理解したアカリは、代行者に自分の事を語り続けた。

 自分の趣味や家族のこと。

 それに、友人や、村のみんなのことも。

 代行者は一向に返事をすることはなかった。

 

 アカリは、料理を振る舞い、部屋の掃除や手芸などをして代行者の周りに居続けた。

 魂の向けた人形のような少年を、優しく、温かい眼差しで見続けた。


 夜、アカリは当然のように代行者の隣に布団を敷き、寝ようとする。

 だがその時、代行者が初めて口を開いた。


 「アカリちゃん、色々教えてくれてありがとう。俺は誰かに操られているんだ。話せるのは深夜の一瞬だけ……」


 代行者は、再度目から光を失った。

 アカリは、本当に一瞬の出来事に驚いたが、安心した。

 自分の推測が正しかったこと、そして、代行者がやはり優しい少年である事を、より理解できた。


 「分かりました。ではまた深夜に、お待ちしておりますね? おやすみなさい、代行者様」


 代行者は、アカリの言葉に49の少女の顔を思い出した。

 今もなお、自分を信じて待ち続けてくれている無垢な少女達。

 深淵のように深い眠りに落ちる寸前に、目の前で優しく微笑みかけてくれている少女の悲しい結末を見たくない、と心から願った。


 自分の命に代えてでも、この無慈悲な現実を変える事を神に祈った。



 その次の晩から、カンタは、アカリの一部を異空間に送るための作業を開始した。

 少女の一部、それは、体を削って作る、彼が《思魂玉(しこんだま)》と呼ぶもの。

 髪の毛、血肉、そして強い想い。

 人間を構成する、魂、と呼ばれるものを、空間魔法を用いて凝縮する事によってできる宝玉。

 それはカンタのパッシブスキル、『ツナグモノ』によって生成できる、独自の玉。

 悲愴に満ちた少年が、想いや気持ちを他にツナグために発現したパッシブスキル。

 だが、その効果は自分には適応されない。

 自分のような思いをして欲しくない、と強く願った者のためにしか使えない、優しい少年のオリジナルスキル。

 現在49になった《思魂玉(しこんだま)》は、来るべき時のために、異空間に大事に保管されている。


 アカリは痛みに耐え、文字通り、身を削りながら、毎晩毎晩思魂玉(しこんだま)の生成を進めた。

 

 「……っ‼︎ 辛い、けど、我慢。代行者様が助けてくれるんですもの」

 「本当にごめんね。俺が非力なばかりに。操られてなければ、アカリちゃんにこんな思いはさせなくてすむ……」


 カンタの言葉は長くは続かない。

 だが、アカリはもう十分すぎるほどにそれを理解している。

 一日に、数ミリ程度しか進まない作業を終えると、少女は少年の手をとり、ただただ目を閉じる。

 言葉では伝わらない想いを、肌を通して届けているような、そんな光景だった。



 魔神祭前日、ツクモが村を訪れた後に、代行者は再び村長の家にある会議室を訪れた。

 いち早く駆け寄ってきたのはカツラギ村長。


 「代行者様、アカリは、アカリは無事ですか?」

 「ああ。大切な生贄だ。丁重に扱っている」

 

 代行者は、カンタと記憶を共有していない。

 あるモノに支配されているカンタだが、その支配が解除される一瞬の出来事を、代行者は知らない。

 

 代行者の言葉に安堵する村長。しかし、同時に憤っていた。


 無表情のまま部屋の中央へと向かう代行者。

 村長達も、黒のローブを身に纏った少年の背中を追って、各自席につく。

 

 「代行者様、実は本日の昼頃に、ツクモ、と名乗る序のダンジョンの主が村を訪れまして。人魔共存区、という魔族と人族が手を取り合って暮らせる地域の発足への助力を頼まれたのですが……いかがなさいますか?」


 「却下だ。魔神様はそれを望んではおられぬ。今は明日の魔神祭に集中せよ」

 「はっ……」


 代行者は即断した。だが、カンタは、今の村長の 話にかすかな希望を得た。

 長年機能していなかった《序のダンジョン》を復活させた強者。

 そして、人魔共存区という、今までになかった発案をした変わった者。

 もしかしたら、自分を助ける、もしくは殺して止めてくれるかもしれない、と期待した。


 代行者は会議が終了すると、山中の社へと戻った。

 アカリは不安な表情は一切見せず、今も笑顔で料理をしている。

 カンタは、今回こそは生贄の少女を助けたい、と強く切望した。


 その日の夜、まだ代行者がカンタになる前、アカリは、自分の布団にではなく、代行者の布団に入り込んだ。

 

 「代行者様、私、あなたを信じてます。代行者様でも分からない、転送された後の事。やっぱり不安ですが、ナツミたち同様、いつまでも、お待ちしていますからね? ですから、その……私が眠らされる前に、誓っていただけますか? 私と再開するまで、絶対に死なないって」


 そして、時刻は12時になった。


 「わかったよ、アカリちゃん。俺は、君たちを生きて迎えに行く。だから……」


 代行者の言葉は途中で途切れた。

 だが、彼の目からカンタとしての意識は消えていない。


 塞がれた口。


 アカリの唇が優しく触れ、カンタは言葉を失ってしまった。


 その夜の一瞬は、カンタにとって数時間にも感じられた。

 そっと離れていくアカリ、カンタの両肩に手を置いたまま、紅潮しながらカンタの顔を見つめている。


 「代行者様、君たち、じゃなくて、私を一番に助けてくださいね? 約束、ですよ?」

 「……うん」


 次こそ、カンタは本当に言葉を失った。

 代行者に乗っ取られる意識。

 そして、目の前で顔を赤らめているアカリの首元に手をあて、呪術を発動した。


 『仮死(フェイクデス)』


 死人のように力を失い、布団に倒れるアカリ。

 時刻は既に、魔神祭当日。

 代行者の支配がいつも以上に強い日。

 そして、カンタが最も無力感を抱く、最悪の日。



 次にカンタが意識を取り戻したのは、見たことのない森の中だった。

 視界が自分の血で赤く染まり、なぜか地面に倒れている。

 だが、代行者の支配は完全に解けた訳ではない。


 「緊急転移、完了。敵の殲滅、再開」


 今まで聞いたことのないような、機械的な声だった。

 自分で発しているとは到底思えない、まるで操り人形に組み込まれた言葉。

 身体中が痛みで悲鳴をあげている。だが、代行者はそれでも立とうとしている。

 目の前にいる白い和服を着た少年の元に、ゆっくりと歩みとっている自分。

 カンタは、目の前の少年が誰だかわかっていなかった。


 「君は、日本人なんじゃないのか?」


 その瞬間、代行者の支配が極限まで薄くなったのを感じた。

 

 「た……けて」


 この世界に来てから初めて、深夜以外に発した言葉。

 カンタは、自分と同じ境遇にあるであろう少年に、思わず助けを求めた。


 しかし、代行者はそれを許さない。

 同胞を殺そうと、壊れていない右腕で少年に襲いかかる。

 最後に振り絞ってでた言葉、


 「俺を……殺せ」


 考えに考えて出た言葉。

 死に際に目の前の少年に全てを託し、自分は村人を悲しませた罪人として粛清されようという、浅はかな考え。

 心残りは少女たちとの約束。

 だが、自分のせいで、強大なモノの元へと転送してしまった少女たちは、自分なんかより、この少年に助けられる方が何倍も幸せだろう、と思った。


 しかし、和服の少年は自分を殺してくれない。

 自傷行為を重ねても、少年はそれを止めようとしてくる。

 もう嫌だ。死んで逃げたい。死んで、この罪悪感から逃れたい。

 そして、カンタは叫びをあげた。


 「……もう、嫌なんだ……だから……」

 

 「今僕が助けるから、安心して」 


 返ってきた言葉は、自分が今まで少女たちに言いたくても言えなかったものだった。

 ここまで自信に満ち溢れ、本当にそれを実現できる強者のみが言えるセリフ。

 カンタは確信した。

 後は、この少年に任せよう、と。


 代行者に乗っ取られていく意識。

 だが、カンタは不思議と安堵した。

 自分と、そして生贄の少女たちに救済を与えてくれる、まるで神のような存在。

 死を願っていたのに、生きたいと思ってしまえるほど、優しく、そして偉大な存在だった。


 目覚めた時、カンタは胸に乗っている金色のネズミと、その後ろに立っている和服の少年を目にした。

 少々困惑したが、自分の意識がはっきりとしている事、そして、代行者の存在が完全に消え失せている事をいち早く自覚した。

 そして、両腕を失ったことも……

 だが、カンタは笑みを浮かべた。

 50年間悩み続けていた、代行者の存在が消え、そして、勇者の力を持っていた自分を操っていた強者をも上回る存在に出会えた事に欣幸した。


 自己紹介、及びに少年、ツクモの正体を聞いているうちに、まるで今までの事が嘘だったかのような感覚に襲われた。

 だが、それも長続きはしなかった。

 ルナルド村へ戻る直前に、彼は決心した。

 村の人たちが自分の死を望むのなら、それに従おう、と。

 そして、ツクモに《思魂玉(しこんだま)》を託し、二度目の死を遂げようと。


 村人は、やはりカンタの死を望んだ。

 シンジに殴られ、蹴られ、大量の血が吹き出た。

 無抵抗のまま受けた、門番の攻撃は、カンタを殺すには十分すぎる威力だった。


 力つき、倒れてしまう。

 しかし、シンジはそれを許さない。

 死力を尽くし、立ち上がる。

 そして次の瞬間に視界を埋め尽くしたのは、守ると約束した黒髪の少女の笑顔。

 血しぶきをあげて、力なく倒れていくアカリの姿。


 自分の無力さを、再び嫌悪した。


 少女の気持ちを無下にして、自分勝手に死を選んだ弱い心。

 守るべき少女に守られる、弱い自分。

 だが、ボロボロの体ではどうする事も出来なかった。


 「どけお前ら。俺がやる」


 チュン太がアカリを治療し、一命をとりとめた。

 そして、アカリはカンタを優しく抱擁した。


 「代行者様、私と再開するまで、死なないって約束しましたよね? 兄も、それに村の皆さんも、代行者様の本当のお気持ちはわかりません。ただ黙って殺されるだけでは、皆も、代行者様も救われません。代行者様は、私の命を救おうと、そして皆を救おうとしてくれた優しいお方なのですから」


 目の前の少女と交わした口づけと約束。

 それを思い出し、カンタの目元からは、不思議と涙が溢れてきた。

 夜の暗がりで、近距離にいる少年少女にしか見えていない、細く流れ落ちる謝罪の意。

 アカリはそれを見て安堵すると、村のみんなを説得し始めた。

 身も心も、完全に救われた元不幸な少年は、これから自分の全てを、未だ囚われている49の少女たちを救う事だけに費やそうと決意したのだった。

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