第52話 副魔王 上空に立つ
クオィ伯爵邸。
かつて極めたであろう栄華は無惨にも廃れ、邸内は廃墟の薄寒さが漂っている。それと同時に、獣の巣に成り果てて、立ち入った瞬間に命を狙われている感覚が全身を覆った。
凄まじい異臭は、糞などから発しられているのだろうか。
埃、そして鳥の羽が舞っている。
まずい。
これは非常にまずい事態だ。入ってこなければ良かった。
すぐさま立ち去りたかった。
しかしトーマはじりじりと中に進んでいく。ロクシャーヌも身を寄せながらそれに続いた。
辺りには無数の鳥の魔獣。
鳴き声は、しない。
ギャア!
いきなり魔鳥が一声鳴いた。
「!」
トーマはナイフを構えた。
魔鳥たちがギャアギャアと鳴き出しはじめ、聴覚が遮られてゆく。臭覚はとうに駄目で、視界も完全ではない。
「トーマ、トーマ、なんだかめまいがする!」
「混乱魔法だ。鳴き声がそうなってるんだよ、耳を塞ぐのは堪えろよ!」
「無理!」
「手を使えなくするなってことだ! 来るぞ!」
魔鳥が旋回したかと思うと急降下してくる。その嘴は鋭く、まるで銛のようだ。
「アイスニードル!!」
鋭い巨大な氷の塊を放ち、トーマは身を低くした。ロクシャーヌは体に力を入れたまま踞ってしまっている。
魔鳥は氷をくるりと避けた。氷は勢いよく邸宅の天井に突き刺さる。ドガン!という音とともに氷は床に転げ、壁や床を歪ませた。
室内が埃でまみれ、視界と異臭は一層酷くなる。
鳥たちの興奮も強まった。
ギャアギャアとけたたましい声は混乱魔法を重ね掛けしている証拠。耐魔法強化の腕輪をつけているにも関わらず、もはや世界が回転していて自分がどこにどのように立っているのかすわらわからない。
トーマは必死でロクシャーヌを抱き寄せた。
くそ、どうしよう。
室内で魔獣の群れと対峙するなんて最悪だ。
しかもとんでもない数だ。
大魔法で一掃できたら楽だが、そんな魔法使えない。使えたとしても、建物が崩壊するほどの魔法は使うだけ状況が振りになる。
旋回する魔鳥達の数が増えた。
周りで距離をとる魔鳥が混乱魔法を、そして旋回する魔鳥が直接攻撃をする作戦のようだ。
次の直接攻撃は一体や二体じゃない。
ぞっとした。
「アイスニードル!」
適当に氷魔法を放つ。
「アイスブレイク!」
「アイスニードル!」
「アイスブレイク!」
大魔法は使えない。使えても使えない。
いや、使いたくても使えるだけの魔力がない。
「ワインド・ブリザード!」
自分ができる限りの氷魔法を繰り出し続けた。
あと、自分ができそうな上級魔法は、と考えて歯軋りする。
「アイスニードル!」
考えがまとまらない。
自分とロクシャーヌにさえ当たらなきゃいいのだ、とトーマは回転する世界のなかで質より量とばかりに氷を放つ。
それこそ息を継ぐ間もないほどだ。
凍れ、凍れ、ともかく凍ってくれ。
俺たちに近づくな、襲ってくるな、その場で固まれ、凍りつけ!
「アイスブレイク!」
ありったけの魔力を注いだ氷たち。
そして、自分の魔力量を感じとる。足りるか? いけるか? わからない。わならないけど、やるしかない。
「アイスウェブ!」
やがて、世界の回転がとまった。
そしてひんやりとする空気が、ゆっくりと降りてくる。
音もやんだ。
いや、どとこなくキンという音がする気がする。
視界が戻ってくる。
「ロクシャーヌ、なんとかなったぞ」
「……え?」
体を小さくしていたロクシャーヌがゆっくりと緊張を解く。
トーマ達の周りは、氷の世界へと変わっていた。
間髪いれず放たれた圧倒的な量の氷は多くの魔鳥を貫き、全ての魔鳥を凍りつかせていた。
氷塊から氷のトゲ、いや糸が生え、氷同士を繋ぎ、まるで氷でできたクモの巣がトーマ達を守っていた。
「なにこれ、凄い……」
「……だろ?」
トーマは親指を立てて笑って見せた。
けれど、体は限界を告げている。こんなに大規模なの氷魔法を出したのははじめてだった。
四大魔法は一通り使えるが、使えるだけで得意ではない。魔力量だって、多いほうだが莫大ではない。
アイスウェブなんて大技、成功するなんて奇跡だと思った。
氷のクモの巣にからめとられた無数の鳥の彫刻は、実はトーマとロクシャーヌのすぐそば、手を伸ばせば、肘が延びきる前に届くところにあった。
紙一重だ。
なんとか、ギリギリのところで凍ってくれた。
混乱魔法のせいか、魔力切れのせいか、くらくらして立っていられない。
「ひとまず、ここを抜けよう……」
「う、うん……」
よろけながら、魔鳥の鋭い嘴や羽先に振れないようにゆっくりと巣を縫ってでた。
玄関ホールの先にある階段を這うように登る。
表面は微かに凍りついていた。
上りきった先で一旦腰をおろした。埃や糞も凍りついていた。寒いはずだが、興奮のせいかむしろ暑い。
「入った瞬間にこれは、ビビるって」
「ほんと。もう、やだ……。……ごめん」
「なにが」
「わたし、役に立たなかった。足手まといだった」
「気にしてんの?」
「うん。ごめん」
「気にすることじゃない。なんなら俺だって上手くできてねーし。めっちゃ力業で押し通して、魔力切れだ。この先の廊下を進む勇気ねーし」
「……」
「……いや、行くけどさ」
「……うん」
「……窓が多いせいか影が薄い……。夜だったら影魔法が確実だったのに……」
明かりの無いこの建物内には当然影はたくさんあるのだが、地下や夜闇のそれよりも薄くて不安定だった。百年以上前からある邸宅で、こんなに窓の多い造りということは、最先端技術を惜しみ無く使える程の富があったということだろう。
「……、んで、……地図見れる?」
「それは任せて」
「任せた。この先に窓の無い暗がりがあったら、影に潜ろう」
「了解。それもあわせてみてみる」
呼吸を整えて、鏡を取り出す。外気のせいで鏡は肌が張り付くほどに冷えていた。鏡面が白くなり、上手く見れない。
何度も鏡面を擦り、ロクシャーヌが魔力を注いでゆく。
「うぅ」
「大丈夫か?」
「なんか凄い魔力吸われる。建物内なのになんで?」
「情報更新されてんのかな」
「にしては、……」
耐えきれなくなったのか、ロクシャーヌは鏡を放した。
「ね、……試しに地図以外の方法をしてみていい?」
「もちろん。やれることはやってみようぜ。なにするんだ?」
「……」
ロクシャーヌは少し沈黙したあと、ぽつりと言った。
「鑑定」
副魔王は上空にいた。風に片足をかけ、大地を見下ろす。子馬達は風の上をカポカポ駆け回って遊んでいた。
眼下には小さな鳥の巣がある。
もとい、人間の屋敷だ。朽ちていて、魔鳥のねぐらになっているようだ。
あまり力は使いたくないが、そのねぐらの中を覗き見る。ふむ、トーマは無事のようだ。副魔王はひとまず安心したものの、ロクシャーヌの魔力の枯渇が少々気になるところだった。
あらゆる生物に魔力は備わっており、その生成量が一定量を越えた生物が魔法のようなものを使えるようになるが、魔法を使いすぎると生命維持に必要な魔力さえ足りなくなってしまう。
ロクシャーヌの魔力量は、生命維持に必要な量程度まで減りつつある。
子馬達はロクシャーヌになんの思い入れもないため、一切気にした様子はない。トーマは疲れているが心配する必要はないので、子馬はのんきにかけっこをしている。
「ふうむ、どうしたものか」
にしても、どうしてここまでロクシャーヌの魔力が激減しているのであろうか。
また、眼下の魔鳥の巣も存在が少し歪んでいる。
村の人間達のはなしによると、この一帯には強い魔物はいないということだった。あの魔鳥も、たいして強い種でもないが、ヒヨリ村の周りにいた生物からすると格段に強いだろう。
もしかしたら人間の感覚からすると、この場所はヒヨリ村からかなり離れている場所なのかもしれない。
だが、だとしても魔物の数が異様に多すぎる。
まるで魔物がなにかに引き寄せられているかのようだ。
美味い餌でもあるのだろうか。
いずれにせよ、何らかの異変があるようだ。
副魔王がぼんやりとトーマ達を眺めていると、ふいに子馬たちの戯れをやめた。
「どうした?」
子馬が見つめる方向に、鳥の群れ。
「ふむ。あの老婆がいるようだ」
空中で無数の鳥に体を貪られながら、あの朽ちた屋敷へと向かっている。この場であれをやめさせ、老婆を取り戻すことは容易だが、これはトーマとロクシャーヌが自らに課した試練とやらである。手を出すのは野暮であろう。
そして子馬たちは、その鳥の群れを見てはいなかった。視線の先にあるのは、大地を駆けてくる魔族の群れであった。
「フーリン、クーリン、知り合いか?」
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