第51話 副魔王 あの得たいの知れない美しい魔王


 魔鏡の預言者たる魔女は、アルマスの配下によって今度は牢に放り込まれた。ボロ布の服と目隠し、そして後ろで手を縛られていた。

 小屋での幽閉よりも待遇は悪くなったが、これまでも似たような目にあってきた。

 仲間というものに縁がないのだ。

 力を貸すとなると、まるで奴隷のように、ときには家畜のように扱われることばかりだった。金のやり取りのある仕事であれば、そのような目にあうことはなかったのだが、手駒になるとおそらく蔑みが生まれるのだ。

 きっとこれも呪いの一つなのだろうと老婆はあきらめていた。

 死にたい。

 ああ、死にたい。

 もうこのような生は厭いた。

 死にたい。

 このような不死など苦痛でしかない。

 しかし少し先に死がまっているのだと老婆は知っていた。どの選択肢を選べばそれが手に入るかは見えなかったが、この永遠から逃れられる希望がある。

 もう少しで死ねる。

 死ねる。

 老婆は嬉しくなっていた。死ねる。死ねる。


 しばらくして、牢に誰かがやってきた気配がした。

 目隠しされていても、老婆にとってはあってないようなものであった。


「アルマスか……」


「……よくわかるものだな」


「ヒヒ、ただの布切れでワシの眼を隠せる訳がないからの」


「よほどの自信があるようだな」


「お前は自身過剰な人間が嫌いであろうの」


「……私の性格を視るとは不愉快だな」


「見てはおらぬさ。……きっとそうであろうなと予測したまでのこと」


「急に謙遜を始めても不快さが増すだけだ」


「ヒッヒッヒ。高慢な女は嫌いであろうて。さて、取り急ぎ用件を聞こうかの。心を読まれる前に言ってしまった方が良いぞ?」


「……。なぜ力を貸すことにしたんだ?」


 アルマスの周りにいる配下たちが静かに武器を手にする気配が伝わってくる。返答によっては殺す気でいるらしい。殺してもらえるならばうれしい限りだった。老婆は隠すことなく伝えた。


「ただの気まぐれよ。理由はない。それとも信用できぬか? もしくは対価を要求するとでも思ったかの。力を貸すと言ったにもかかわらず牢に放り込んだことに怒りを覚え、嘘偽りを言われるかと不安に思い、信用できないと結論付けたか?」


「……」


「ならば対価を要求でもしようか?」


「なにが望みだ? 贅沢な暮らしでもしたいか?」


「ヒヒ、贅沢などにはこれっぽっちも魅力はない。これでも昔は贅の尽くした生活をしておってのう。ひとたびその生活を失ったときにはそれを取り返したくて仕方がなかったが、今となってはあってもなくても変わらぬ」


「……」


「力も要らぬ。金も要らぬ。ワシが欲しいのはただ一つだ。それをくれるというのであれば、一切の嘘偽りは言わんと約束しよう」


「それはなんだ?」


「死じゃよ」


「……死、だと?」


「ああ。ワシを死なせてくれるというなら、どんな力でも授けてやろうとも。いかなる未来でも見せてやろう」


 決して得られなかった望みだった。


「ふざけているのか?」


「不老不死など、どれだけ苦痛かお前にわかるものかね。まあこれは罰なのだろう。……もしもお前の手で殺してくれるというのであれば、ワシはすべてをお前に授けてやろう」


「……そうか。……」


 アルマスと配下たちは何かを相談し始めた。それのほとんどを老婆は理解していて、ひどい内容であることも承知していた。


「その望みをかなえよう。未来を告げるたびに、お前に死を与える。死ぬまで我々に力を貸せ。偽りであった場合には、苦痛のみを与えることにしよう」


「ああ、それで構わぬ」


 それから老婆は大小さまざまなことについて質問をされ、それに答えさせられた。

 答えるたびに毒を飲まされた。

 のたうち回るほどの苦痛であった。

 魔族たちはその様子を笑いながら見ていて、老婆が落ち着くとまた別の質問をする。少しでも気に食わない返事がくると、今度は気のすむまで殴る蹴るの暴行を加えた。

 そしてまた傷が癒えると、再び質問を繰り返す。

 煮え湯を文字の通り飲まされ、舌を裂かれ、魔獣に繋がれて外を引きずりまわされた。

 魔族たちのストレス発散にされているのは瞭然だった。

 魔族たちにひとしきり娯楽を提供すると、今度は魔鳥がやってきて老婆をついばんだ。麻薬にでも取りつかれているかのように夢中で老婆の臓腑をむさぼる。

 その繰り返しだった。それでもやはり老婆は死ななかった。



 やがて静かになった。魔族も鳥も来ない。

 かわりに、アルマスがやってきた。

 今度は一人だった。


「よく耐えるな」


「耐えるもなにも、死なぬからのう」


「よく狂わぬものだな」


「狂っておるさ! 狂っておる……。狂うのも慣れるとこのようになる」


「……。さて、お前に一つ見てほしい未来がある」


「ほう?」


「私の未来だ」


「……どのような未来が見たいのだね」


「私は魔王になれるか?」


「これは……奇妙なことを訊くの」


「魔王の玉座をいただこうと思っている。だが、それは果たされるか?」


 老婆は答えられなかった。

 未来ははっきり見えているからだ。答えられないということは、そういうことだ。


「……ああ、アルマスよ。お前は魔王になる。そのように見えている」


「……」


「……」


「偽りを述べたな」


「偽りなものか。死なせてくれるのだろう?」


「死なないから偽りを述べたのだろうが」


「……、ワシは死ぬぞ。アルマスよ。であるから、お前は魔王になれる」


 老婆は嘘偽りを述べた。

 老婆は死に、アルマスは魔王になる。

 どちらの望みも叶う優しい嘘であった。


「死なせてやることはできないと思うのだ、貴様を」


「ならばワシが自ら死んでみせよう」


 老婆はそういうと、ゆっくりと立ち上がった。

 そしてピュウと口笛を吹いた。

 その音に、魔鳥が襲いかかってきた。


「なに!」


 アルマスの驚きの声が耳に届く。

 魔女にとって、魔獣を操るなど造作もないことだった。しかし今、この生涯で初めて、自ら魔獣を操り自分の体を食わせていた。


「全身全霊で死んでくれる。だからお前も全身全霊で魔王を目指すがよい。アルマス」


 老婆は食われながらアルマスに告げた。

 心の底から、アルマスを応援していた。

 まだ老婆が幼い少女であったとき、領地の村で見かけた魔族の少年。その姿を思い出しながら、その少年が力を得て生き永らえ、そして未来に向かって走り出していることを喜びながら、今度こそ死んでやろうと考えていた。

 よくぞ生きてくれていた。

 この生涯で唯一残った過去の記憶。

 お互いに名前しかしらないであろう。記憶の中の背景のような存在であろう。

 けれど今となっては、老婆にとってはそれは掛け替えのない唯一無二のもの。

 望みに望んだ死が、自分の為だけのものではなく、誰かの為にもなるというのは、これ以上のない幸せだった。


「さあ、鳥どもよ。ワシを好きなだけ食うがいい。再生する暇などなく、食いつくすがよい」


 魔鳥は老婆の命令に応じた。

 その鋭い爪は老婆の体をしっかとつかみ、その強靭な翼で空に舞い上がる。


「待て!」


 アルマスの命令に魔鳥が従うことはなかった。魔鏡の預言者たる魔女の魔力は、魔族のそれをも上回り、魔鳥はすでに魔女のモノであった。

 空で魔鳥に食い散らされながら、老婆はあの得体のしれない美しいものの事を考えていた。

 そして懐かしい故郷のことを考えていた。

 アルマスのことを考えていた。

 アルマスは、あの得体のしれない美しいものから玉座を奪えるのだろうか。

 ああ、あのトーマと一緒に来たものは、魔王であったのか。

 老婆は微かに笑った。

 あの得体のしれない美しい魔王に、椅子をすすめられているアルマスを想像した。

 これは先読みであろうか。

 それとも願望であろうか。

 願わくば、先読みであることを。




 トーマはロクシャーヌから奪い取った鏡を見て、遠くのクオィ伯爵邸を睨んだ。

 鏡を操ることはできないが、トーマの魔力によって鏡面には画像と文字が浮かび上がったままだった。


「ロクシャーヌ。魔法回復薬、飲んどけよ。……あの鳥の群れに突っ込んでいく」


「……おばあさんを助けるんだよね」


「ああ、もちろん。俺たちの目的は最初からそれだろ」


「その鏡の願いも叶えられるかな」


 鏡は、持ち主の悲願を叶えることを願っていた。

 それによってトーマとロクシャーヌはここまで導かれていた。

 預言の魔女、魔鏡の預言者を探し出し、助け、かの魔女の悲願を叶えさせるために。


「正直魔道具に誘導されていたってのは気に入らないけれど、……、でも、叶えるための手伝いができるならやってあげたい。……あの妖怪ババアには村全体でこれまで世話になってきたし」


「……おばあさん、そろそろあのお屋敷に来るころね」


「……きっとな。鳥たちが騒いでる」


 トーマはロクシャーヌに鏡を返し、それぞれタブレット状の魔法回復薬を飲んだ。そして武器を装備する。剣と、銃。バイクは影に潜ませた。

 ロクシャーヌが鏡で見取り図を呼び起こした。

 ありったけの魔力を込めて、詳細な地図を。

 老婆を表す点滅が二つ、視線の先に屋敷にある。


「よし、行くか」


「うん、行こう」

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