第50話 副魔王 得たいの知れない美しいもの
鳥から回収した老婆は確かに生きていた。
背は曲がり、節ばった関節としわくちゃの皮膚、肉などほとんどない体であったが、傷一つついていない。そして目は爛々と光っている。
魔族の命令でその老婆の看病をまかされた人間は、その老婆を憐れむどころが恐れた。なんとも醜く、奇妙すぎたのだ。
看病も最初の一度切り。老人用の清潔な衣服を渡し、僅かな粥と水を与えた後は粗末な小屋へ幽閉した。
また、命令を下した恐ろしい魔族たちも、結局あの老婆の処置についてなにも言ってこなかった。きっと忘れているのだろう。
そして意識を回復させた老婆は、なんとも奇妙なことになったと、声を出さずにヒッヒッヒと笑うのである。
「まさか、ここに戻ってこれるとはねぇ……」
ラ・アルマス村。
老婆がまだ老婆になる前、我が物顔で歩いていた領地の村だった。
世界を転々とし、戻りたくとも戻れないと思っていたクオィ。最期の場所としてヨタルを選んだのは、故郷に近かったこと意外にない。近隣の村に占いにいったりしながら、いつかクオィの村々からお声がかからないものかと期待したが、それは一度もなかった。
クオィが断絶し、もう百年。クオィ郷も過疎となったからだ。残っているのは魔族の集落のみとなったら、縁は途絶えたに等しかった。
「あの預言は、はてさて、どのように動くのだろうかの……」
あの時、ヒヨリ村に行っていれば。
あの時、トーマとあの娘とともに逃げていれば。
あの時、あの得体のしれない美しいもののもとへ行っていれば。
占いで自分の未来を見ることはできなかった。しかし、その未来の先は見えた。『死』そして『波乱万丈』。
死を選んだはずだった。
死にたかったからだ。
「……死の道ではなかったのかねぇ。……、死を選びたいんだが、……どうしたもんかねぇ」
老婆は干からびた手足をゆっくりとごかし、木の格子窓から空を見る。
そこから遠くに自分の体を啄んでいたあの鳥どもが見えた。
じっとこっちを伺っているようだ。
「ヒヒヒ、この呪いの体はさぞかし美味かったろうて。ヒッヒッヒ」
呪われた骨と皮の体には、どこからともなく奇妙な魔力が湧き出している。
魔獣にとっては麻薬に等しいだろう。だからこそ、この肉体は死なず、永久に生きたまま食われ続ける地獄を味わうのだ。
まあそれも、やがて慣れてしまうのだが。
さて、アルマス村の魔族にどのようにされてしまうのだろうか。
この老体ではろくな奴隷にはなるまい。
使役した魔物の餌として飼われ続ける可能性もある。
魔女としての能力を伝えれば別の道もありそうだが、もはやそのように生き残る気分でもない。
はやく死にたいのだ。
「……このまま朽ちるのを待つのもいいが、……せっかくだしの……、死に場所は選びたいものだ」
手足は自由である。逃げるのであれば簡単だった。
けれども老婆はそのまま幽閉を選んだ。
なにやら運命が動き出す予感がしたからである。
運命。それは懐かしくもあった。
夜更けのことだ。
老婆はやってきた魔族に縛られ、小屋から引きずり出された。荒れ地に放り出されて、周りを囲まれる。
槍の切っ先を左右から向けられて、身動きを抑えられた。
「縄で縛り地面に転げておるババアがそんなに恐ろしいかね」
老婆はおかしくてヒッヒと笑った。
目の前にはかなり力を持った魔族がいる。
ヨタルの砦もに多くの魔族がいたが、それとは比べ物にならないオーラである。上級魔族であるのは明らかだった。
この魔族がヨタルを攻めたのだな。
老婆はピンと来て目を細めた。
ということは、この故郷はこの者に攻め入られ、滅ぼされたか。なんだ、もはや故郷であって別物であったか。
虚しさが胸に広がってゆく。
「貴様はなぜ生きてる? 人間の老婆よ」
「……わしは呪いの身でな。死にたくても死ねんのよ。……おかげで二百年あまりを生きた。……おかげで魔女と言われ、ヨタルの街を襲った犯人だと言われて首をはねられた。ヒッヒッヒ、このように勝手にくっつくがな」
「ほう。……こいつの首をはねろ」
「は!」
魔族の長の命令で、老婆の首は切り落とされた。音も痛みもなくスパッといった。
見事な腕前じゃの、と飛ばされた頭で考えたが、老婆はもうその感覚になれてしまっていて痛みも恐怖も感じなかった。
転がった首は、まるで磁石のように胴体へと戻り、傷口が張り合わされ、何もともなかったかのようにくっついた。
「もう一度はねよ」
「は!」
首が再び切り落とされ、今度は体に火が放たれた。頭部は叩き割られ、ぐたぐちゃにされた。だが体の火は不自然に鎮火し、炭になったかのような体はみるみるうちに元に戻り、頭部も再生をして再び胴体とくっついたのだ。
「ヒッヒッヒ、どうやってもこのように戻るのじゃ。体をバラバラにされても同じよ。食われても同じ。溶かされても同じ。暇つぶしにはいいかもしれんが、時間の無駄遣いだと忠告しておくぞ」
魔族の長は表情を変えずに老婆を見下ろしている。
「お前の能力はその不死の体だけか?」
「……いいやぁ? それなりに魔法は使えるの。この呪いを解こうと研究に没頭したこともあって、呪術や占術には自信がある」
「占術……か」
「興味があるかえ? ヒッヒッヒ」
「……下らん、と言いたいところだが……本当に力のある呪術者であれば、その能力は侮れんと聞く」
と聞く、か。
老婆はその言い回しを奇妙に感じた。この魔族、まだ若いのかもしれない。もしくは最近になって台頭した族長なのかもしれない。
さて、どのような魔族か、と老婆はゆっくりと鑑定眼を発動させた。
魔。雄。齢二百八歳。上級。気を操る性質。魔力量大。筋力大。持久力大。武力大。成長余地大。
出身地ラ・アルマス村。
名アルマス。
「……アルマス」
老婆の思わずついたつぶやきに、魔族は眉をひそめた。
「なぜ私の名を?」
「ほう、お前、……アルマスか」
「なぜわかった?」
「魔法を使えば簡単なことよ」
「……では、この周りにいる者たちの名を当ててみよ」
老婆はアルマス部下と思しき魔族たちの名を次々と当てていった。
「てっきりこの村を侵略した魔族かと思っていたが、この村の魔族が強さを得たとは思わなかったね……ヒヒヒ……そしてお前たちの目的は魔王の玉座簒奪か。ほう、ヨタルを襲い、ヒヨリから逃げたか。ん? なぜヒヨリのような小さな村から逃げた? あそこはこのラ・アルマス村よりもぜい弱だろうに。……ほう、小さな魔物に負けたか。長アルマスも形無しじゃの! ヒッヒッヒッヒッヒ」
「無礼だぞ!」
老婆のそばで槍を構えていた若い魔族が叫んで、ざくりとその槍を背に突き立てた。
「グぅっ!」
どうやっても死なぬとわかったせいで、傷つけることにためらいがなくなっているようだった。
「落ち着け。……この老婆の占術は本物の様だ。……人間の老婆よ、……どうだ、我らに力を貸さんか?」
「貸してほしいのかね? この私の力を」
「……その力を貸さねば、鳥の餌にするぞ」
「ふん、そんなもの慣れておる。素直に力を貸してくださいと言えばよいのではないか? アルマス」
「槍で突け」
再び老婆に槍が突き刺さった。それも一度ではない。まるで何かにとりつかれたかのように幾度も突き刺してくる。
「牛につないで左右から引かせてもよい。死ななくとも痛みはあるのだろう?」
「ひひ、まあ、それでも構わんが……、まあ、そうよのお……」
老婆は目を細めた。
ラ・アルマス村か。
そしてアルマスか。
二百八歳。
そうか、あのアルマスか。
生きていたのだね。
「力になってやらんでもない」
運命とは懐かしいものだ。
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