第48話 副魔王 動かない
緑色の景色が奥へ流れるように溶けてゆく。
代わりに迫りくる赤が鮮やかに目に残る。
トーマはほとんど眼球を動かさず、赤い色の数と距離、そしてそれぞれの軌道を、脳の後ろの部分でとらえた。
ゆっくりと手を前に出す。
はめられた黒い手袋は刃で切れにくい素材でできているが、真の能力は魔力伝導率だ。警察官に支給されている実践装備。
手にはおなじみの魔法耐性強化の腕輪もつけている。
それ以外にも、靴もインナーもアウターも制服のジャケットも全て実践装備。特別な時にしか装着できない剣と大きめの銃も携帯してきた。
国家から支給されたそれらの装備は、一般人が購入できる装備品とは仕様が異なっている。特殊任務用の装備よりは劣るだろうが、最初の砦あたりで買える装備の十倍は良いはずだった。
最初の砦。
そう、この辺りの魔獣たちは最弱。
大学のあった中央の周りにいた魔獣に比べれば雑魚のだずだ。警察学校の訓練で戦った魔獣のほうがずっと厄介。
トーマは小声で魔法を唱える。
火の魔法だ。森の中で火を使うなんてどうかしている、と過去の自分の非難の声が聞こえた。それは警察学校のでの訓練生の自分だ。
当時は常識にとらわれていた。
「火よ!」
トーマの手の周りから五つの火が放たれた。それは粘度が強く、まるで液体のように、そして意思があるかのように目標物に向かって真正面から向かっていった。
鳥たりが避けようと体を動かしても、それを察知して軌道を変え、ついにはその翼を捕らえて巻き付いたのだ。
ギャアーーー! ギャアーーーー!
巻き付いてくる灼熱のロープを振りほどこうと怪鳥は必死になりながら回転していたが、やがて火は全身に燃え広がり、ぼたりと地面に落ちた。
トーマは知っている。その火は目標物のみを燃やし、消し炭にすると鎮火することを。
魔法の火は、術者のレベルが上がれば上がるほど、性能を自在に操ることができる。
警察の魔法は周りに被害を一切及ぼしてはならない。
軍隊とは違う。
戦うのではなく守る攻撃をするのだ。
「火よ! 火の弾丸よ! あの鳥を燃やし尽くせ!」
トーマは全力で火をいくつも打ち込んだ。迫りくる赤を補足して、その軌道を読んで火を次々と放つ。トーマが、火よ、と叫ぶたびに、魔法で生み出された火に意思が宿る。一際燃え上がり、弾丸へ姿を変えて目標物を討った。
「どんどん来やがれ! 全部丸焼きにしてやるからな!」
全身がマシンガンになったような感覚だ。
脳内で敵を捕捉した瞬間に、無意識で炎が打ち出される。
森が騒いでいた。
怪鳥が次々と突撃してきて、それを片端から撃ち落とす。
「トーマ! あのでかいのが前から来た!」
ロクシャーヌの声が届いてすぐ、周りが明るくなった。森から抜けたのだ。
ということ木の枝という防御がなくなったといこと。つまり頭上にはあの巨大な鳥がいる。
ゾッとして、けれども冷静に
「風よ!」
と今度は風を空に向かって放った。
その刹那、大きな影に覆われたかと思うとすぐに明るくなる。
ギャー ギャーー
ひときわ耳に響く鳴き声が、まるで文句を言うように降ってくる。
攻撃は外れたが、あちらからの不意打ちを防いだようだった。
「トーマ、この先になにか建物がある!」
「どんな!」
「お屋敷、……貴族のお屋敷みたいな……」
「街か?」
「う、ううん。お屋敷だけ……、んで、その周りにあのおっきな鳥が……たくさん飛んでるの」
「……」
トーマは周囲の怪鳥を警戒しながらも、ゆっくりと前を向いた。
ロクシャーヌの言う通り、ひらかれた草原の向こうに大きな屋敷がある。綺麗な青空の下であるのに、その屋敷の周りにだけ暗い影が落ちていた。
その影は、無数の鳥たちの飛影だった。
トーマとロクシャーヌはもう一度森の中へと入った。
周りで鳥の声はするが、襲ってはこない。
数十羽の鳥を焼き落としてきたので、やつらも学習して闇雲には襲ってこないのだろう。木々に紛れて、こちらの隙を伺っている。
警戒を解かないようにしつつ、トーマとロクシャーヌは一度マシンから降りた。
「ロクシャーヌ、周りは任せて、この場所を調べてくれないか」
「うん」
「魔力が足りなかったら魔法薬飲んでいいから」
ロクシャーヌはそれには返事をせずに、鏡を操作しはじめた。
「トーマ、いい? ここはアルマス郡の中なんだけど、あの屋敷はクオィ伯爵邸っていうみたい。けれど今は持ち主はアルマス」
またアルマスだ。
「っ、そのアルマスっていったい何なんだよ……!」
叫ぶも、トーマは薄々わかり始めていた。
「ここから少し先に、クオィ郷っていうっていうところがあるんだけど、その中の一つにラ・アルマス村っていうのがある。……村長のアルマスは在位百八十年……。年齢は二百八歳……って。……あ、えっとクオィ伯爵っていうのはもういなくて……、クオィ郷も……実質はラ・アルマスっていう村しかないみたい。……」
「……そのクオィ伯爵っていついなくなったんだ?」
「えっと、百年以上前に死んだみたい。けど、あのお屋敷がアルマスっていうひとの物になったのは、一週間前。……」
「……魔族の村、か」
「……やっぱり、魔族、かな……」
「だろうな。その魔族たちが周りを支配下に収め始めたんだろうな……この一週間で」
「……どうして、いきなり……」
「わっかんないけど、そういえば、……預言の魔女が言ってたな。最近、世界の勢力図が変わったって」
「どういうこと?」
「わかんない」
「魔族が戦争を始めるってこと?」
「分かんないって! でも、……ここに来る前の村もアルマスっていうやつの支配下になってるし、きっとこの辺り一帯の森とかもそうなんだろうし。……ヒヨリ村を襲ったのも魔族だったっていう話だろ?」
「……それが、アルマス……」
「だとしたら、……ちょっと許せないかな。俺の村を襲いやがって」
被害者はいないし、被害はサガン様が修復してくれたが、最悪の事態になっていたらと考えると目の前がカッとなった。
母や父や友達や、上司や、ローザが殺されていたら……何もかもが燃やされて、何もかもが壊されて、皆殺しにされていてたら、想像したら恐ろしく、なにより襲撃者が憎い。
「……もしかしたら、……ヨタルを襲っていたのもアルマスかもしれないな」
「え、でもあれって、……、領主のクロードが……」
「違うんだろ。領主は犯人なんて知らなかった。知らなかったから預言の魔女を自白させようとしたし、犯人に仕立て上げた。あの魔女はきっと知らなくて、……世界の勢力が変わったせいだと……。……勢力が変わった、のか……」
ヨタルとヒヨリを襲ったのは死獣と呼ばれる凶悪な魔獣。その一種の犬と言ったらデス・ドック。名前しか聞いたことはないけれど、希少種だ。サガン様は、魔物を操れる人間はそうはいないと言っていた。だが、もしも魔族なら。しかもただの魔族ではなかったら。
勢力が変わったのだとしたら。考えたくはないが、可能性はある。
ただの一般の人間の自分では全くあずかり知らぬ場所で、何かが大きく動いたとしたら。
「……ロクシャーヌ。アルマスについては一旦おいておこう。まずは俺たちの現在地からあの魔女の居場所がどれくらいなのかを調べよう」
「だ、だね。この鳥の群れからも逃げなきゃだし」
「ああ。忌々しい鳥だよ、ったく」
「……」
「……」
「……」
「……ねえ、」
「ん? どうした?」
「……あのさ、魔鏡の預言者って、あのおばあさんのことよね」
「え? そうだけど」
「魔鏡の預言者って、ルイーズっていう名前?」
「……さあ? あの魔女の名前なんて聞いたことないけど」
「……ルイーズ・クオィ伯爵令嬢。行方不明のち死亡。注釈:魔鏡の預言者として存命。……って書いてあるんだけど」
「……、あの妖怪婆ぁが伯爵令嬢? ウソだろ!」
「……でね、ルイーズ・クオィっていう人なら、……今、あのお屋敷にいるみたいなの」
「……預言の魔女はあそこに捕らえられてるってことか?」
「……、うん。だ、だけど……あのおばあさんの居場所は移動してるの……。この森の周りを……。すごく嫌な言い方をすると、鳥につかまれたような状態で、旋回してるっていうか……」
「ちょ、意味が分からないんだけど」
「私もわからない。あ、ちょっとまって! ちょっと待って、……鳥につかまれているっぽい方の『魔鏡の魔女』が動き出した。……お屋敷に向かってる! お屋敷の方の『ルイーズ・クオィ』も点滅し始めた!」
「いや、言ってる意味が分からないんだけど!」
「わかんないけど、お屋敷の方にも同じ点滅があらわれて、そこに『ルイーズ・クオィ』って名前が出たんだもん! この鏡、おばあさんの居場所しか出さなかったのに……、それに……」
ロクシャーヌの言っている意味が本当にわからなかった。我慢できずに視線を鏡に動かすと、その鏡はかなり詳細に辺りを解析していた。ロクシャーヌの横顔に大量の汗が浮かんでいる。
「おい大丈夫かお前!」
「大丈夫! 大丈夫、この鏡が、調べろって……言ってるから……」
まずい、そんなことを言ってる時点で大丈夫ではない。魔道具に操られている。この魔鏡は相当な力を持ったアイテムだった。あまりにものめりこめば使用者を乗っ取る危険性もあるかもしれない。
「ちょっとそれを放せ! いったん閉じろロクシャーヌ!」
「大丈夫! 今しかない気がするの! この……今しか……最後に……、持ち主の……悲願を……」
「ロクシャーヌ!」
この鏡には意思がある。
トーマは無我夢中でロクシャーヌの腕から鏡を奪い取った。
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