第47話 副魔王 歯ぎしりする


「きゃああ! トーマ! トーマ! 横からも来た! 来てる!」


「分かってる! 分かってるから叫ぶな!」


 トーマとロクシャーヌはアルマス郡の深い森の中をマシンで必死に逃げまどっていた。

 森の中には人道などなく、獣道とも雨水の流れの跡ともつかぬ線を、木々を縫うようにして走る。

 二人を追いかけるのは巨大な怪鳥だ。

 ギャーギャーとガラガラの声で鳴くそれたちは、灰と黒の羽を持ち、顔のあたりに威嚇するような赤い飾り羽、そして黄色く巨大な嘴は鉤のように曲がって鋭かった。

 翼を広げれば人間の丈等ゆうにこえるのに、木々の間を滑るように飛びまわり、獲物に襲い掛かってくる。

 獲物とはトーマとロクシャーヌのことである。

 アルマス郡の森に入った途端にこの鳥に襲われ始めた。きっと縄張りだったのだろう。

 ここまでの道のりが平和すぎたのだ。ヒヨリ村の周りとは様子が一変した。こんな怪鳥、ヒヨリやヨタルの周りにはいなかった。


「トーマトーマトーマ!」


「分かってるって分かってる! 分かってる! 分かってるんだよオオオオオ!」


 ロクシャーヌはさっきから半泣きで名前を連呼し、その意味は早く逃げろというものだし、トーマも分かってるしか連呼できず、その意味は必死で逃げてるからちょっと黙ってろ、というものだった。

 何とかギリギリで逃げられているのは、この改造バイクの素晴らしいジャイロ機能とセミオートで攻撃を避けてくれる謎のシステムのおかげだ。

 あの部長の趣味に助けられた、ありがとうおっさん! あんた仕事中は使えないけどあんたの趣味はめっちゃ有能! 尊敬! トーマは混乱が過ぎて上司に感謝の念を飛ばしていた。

 しかし逃げても逃げても怪鳥はあきらめない。そればかりかどんどん追い詰められている気がする。しかも数が増えている。

 これはもしかして、鳥達の連携に乗せられて追い詰められているのではないだろうか。

 バイクの性能のおかげで、鳥たちの翼から時折飛ばされる銀色の攻撃をよけられているものの、逃げ道を誘導されている気がしないでもない。

 けれどちょっと考え始めると、それを遮るようにギャギャギャっと怪鳥の声がして、銀の刃、おそらく風の魔法の一種が飛んでくるのだ。

 そして背後から太い脚と鋭い爪で襲い掛かってくる。

 それを察知するバイクによって勝手にスピードが出たり遅くなったり車輪が傾いたりするので、何とか助かっているが。

 考える暇もなく、鏡の地図を見る暇もなく、もちろんハンドルから手を放して魔法を放つこともできない。

 ともかく周りの怪鳥から逃げまどうことしかできない。

 目の前に拓けた空間が見えた。そこまで行けば助かる。いや……

 トーマはハンドルを握り、スピードを上げた。

 光が差し込む前方めがけて一直線に走り、一気に森を抜けた。

 そして、


「ロクシャーヌつかまれ!」


 と叫んで、思いっきり体重を横に傾けたのだ。

 バイクは土がむき出しの更地を横向きに滑り、ほとんど倒れる状態のトーマとロクシャーヌの頭を何かが勢いよく通り過ぎてゆく。

 バイクが自動で立ち上がる前に、トーマは思い切りアクセルをかけた。ぎゅるるるる、と嫌な音を車輪が立てたが、そのまま走り出す。

 ギャー ギャー ギャー

 怪鳥の声がこだました。

 頭上には、さっきまで追いかけてきた怪鳥の何倍も大きな鳥が三羽、旋回をしている。そしてその周りを無数のあの怪鳥たちが飛び回っているのだ。

 ゾッとする刹那の時間もなく、瞬時にトーマは森へと飛び込んだ。


「ロクシャーヌ、ロクシャーヌ、生きてるか!」


「う、なんとか……!」


「もうあったま来た! 今度はもう襲ってくる奴ら全部やっつけてやる! ちょっと運転代わってくれ!」


「え? でも私運転できないけど……」


「大丈夫これほとんど勝手に動くから!」


「いやそれはウソでしょ!」


「ハンドル握ってアクセルとブレーキさえ分かればあとはこの魔改造されたマシンがどうにかしてくれる! 信じろ!」


 拒否など認めない勢いでトーマは叫んだ。


「いいか、一瞬だけ俺が浮くから、すかさず前に来てハンドルを掴め!」


 それだけ言い、トーマは魔法を唱えた。片足をサドルに乗せた。


「ワインド・フィー」


 それはそよ風を浴びて宙に軽く舞い上がる魔法だ。本来は大地の持つ重力と大気の持つ風の力の二つを同時に操るめんどくさいのに地味でろくな使いどころのない魔法なのだが、今ほどこの魔法を習得していて良かったと思ったことはない。これまで女子のスカートをめくるだけにしか使っていなくてほんとに申し訳ない。同時にガキの頃の自分のアホな情熱に感謝だ。

 スカート捲り魔法は、サドルを思い切り蹴る動きと前方から浴びる強烈な風の力と遠心力、そして慣性の法則的な何かを得て、トーマの体を勢いよく上に持ち上げた。

 右手だけはハンドルを握る。ほとんど片手逆立ちのような体勢で、左手をロクシャーヌへ伸ばした。そして前に誘導してハンドルを握らせる。

 風に吹っ飛ばされそうになるのを堪えて、ロクシャーヌが前のサドルの位置に着いたのを確認してから、反動をつけて後方のサドルに足を乗せた。

 その間、二秒と言ったところか。

 トーマはすかさず反対向きに座った。


「ロクシャーヌ、問題ないか?」


「うう、なんとか……、すっごく重いけど……なんとかいける! っていうかこれほんとに勝手に動いてくれるんだよね?」


「俺の上司を信じろ!」


「分かった!」


 正直信じて良いのかわからないけれど、このマシンだけは信用に値する気がする。


「さーて、じゃあ俺は、あのクソ鳥どもを丸焼きにしますか……!」


 トーマは背後から、いや今は目の前から飛んでくる派手な顔をした怪鳥を見て、にやりと笑った。





 朝餉を食べ終えた副魔王は食器などを片付け、身づくろいも済ませ、窓を開けて空気の入れ替えをし、子馬たちのための飼い葉と水と切った果物を用意した。


「さあ、ご飯だぞ」


 小屋の中で子馬たちがおいしそうに食事を始める。

 それを部長とローザが眺めている。

 少しして、ローザがこう言った。


「あのうサガン様、結局トーマは……トーマは、大丈夫なのでしょうか?」


 今にも泣き出しそうである。トーマはずいぶんと好かれているようだ。


「ふうむ。トーマ自体を見つけてはいそうであるし、まあ大丈夫ではあろうよ。この子らが動かんからな。何かあれば暴れるであろうし」


「……それは、」


「……確かに、」


 暴れて周囲を半壊させた前科がある。


 正直に言えば、トーマのもとに行こうと思えばすぐに行ける。もちろんトーマの姿を見ようと思えば見れる。

 けれど副魔王は自ら動くつもりはあまりなかった。心配ではあるが、まだ手を出すほどではない。今回のことはトーマという一生命体の自然の行動であり、その流れに極力手を加えたくはなかった。

 それに、天馬が動かないということはきっと危機に瀕していないということだろう。穢れを嫌うが、危機を見定める能力は素晴らしく高い。神獣顔負けの聖なる生き物なのだ。神獣と異なるとするならば、とても負けん気が強いところだろうか。なにせ戦闘能力がずば抜けて高い。天王の子の中でも一番と言っていい。天使よりも強い。

 だが念押しで、もう一度たずねた。


「フーリン、クーリン、トーマは大丈夫か?」


 訊ねても天馬の子は飼い葉に夢中で答えてくれなかった。ローザが目をぎゅっとつぶる。

 すると部長が言った。


「なに、ローザそんなに心配するな。トーマはなかなか強いと言っただろう? それに私の愛車も渡してあるんだ。あのマシンは私が現役時代の相棒でもあるんだ」


「お巡りさんの現役時代ってなあに? 今も現役の警察官でしょう?」


「ふふん、こんな田舎の村の駐在警官など隠居も同然よ」


「悪かったわね、田舎の村で」


「私はもともと魔物討伐や、魔物の支配下に置かれた集落の奪還や、魔物の襲撃の受けている場所の警護なんかを担当する前線部隊にいたんだよ」


「へー、そうなのね。でもなんでこんな田舎の村に?」


「う、ま、まあ……ちょっとな、ミスが続いて……。左遷だ」


「左遷先へようこそ」


「そんな気を悪くしないでくれ……はは、ここに来れたおかげでサガン様にもお会いできたのだ、こんな幸運は無い!」


「それはそうよ!」


「ま、ともかくだな! あのバイクは凶暴凶悪な魔物や魔族がゴロゴロいる場所で使っていたものだから、それなりの仕様だ」


「つまり?」


「つまり、魔王軍の将軍の領地でツーリングしても平気なように作ってある」


「……つまり?」


「……つまり、……いやだから、伝わらんかなぁ!」


 部長は悔しそうに叫んだ。


「だから、なんというかだな、つまり、……高レベル者用アイテム、しかもオプションで魔法付加しまくっているから、高レベルの魔物の攻撃や追跡でも簡単に避けられる。アレに乗ってる限り、ちょっとやそっとじゃ死なないよ」


 なるほど。それで部長はあっさりと部下を危ない場所に送り出したわけだ。トーマの実力を認めている以外にも、お守りを付けておいたので安心だったのだろう。


「それにだな、この辺りの魔物はそんなに強くない。先日の死獣には肝を冷やしたが、あれ以来、高レベルの魔物や魔族はヒヨリ村には来ていないようだしな。……、それに、トーマはローザが思っているよりずっと強いぞ。腐ってもエリートだからな! だから安心しろ! あっはっは」


 部長は明るく笑い飛ばした。ローザを安心させるためにそうしているのだろうが、それでも、部下を信用しているように見て取れる。

 にしてもさっきから気になるのだが、魔王の将軍の領地とはなんなのだろうか。

 四天王たちが、外にそれぞれの領地をもっているなどと聞いたことがない。

 もちろん各々の住処はあるし、別宅としての屋敷もあるだろうが、他の地に資産を持っているとは知らなかった。経理部などではどのように管理していたのだろうか。確か他の地に資産を持つと、そこの地域の税金などを治めなければならないので、魔王城での一括処理が面倒になるので、報告のし忘れなどはないように口すっぱく言っていたはずだ。

 報告はちゃんとしていたのだろうか。

 いや、しているわけがないか。きっと勝手に他の地に入り込み、勝手に領地を奪い、勝手に住み着いて魔王の将軍とかなんとか言われて恐れられているのだ。

 しかもその領地に人間をのこのこと侵入させているとは、四天王の沽券にかかわる。

 よもや勝手に住み着くばかりか、報告せずに侵略戦争などを行っていたのではあるまいな。

 計画以外の勝手な侵略や策謀の手助けは禁止としていた。

 まあ黙認していた部分もあることはあるが。

 黙認していた勝手な侵略で、人間に気ままに侵入されていたとなると、それはそれで呆れて物が言えぬ。

 全く、どこのどいつだ。

 やるならきちっとやれ。それでミスって、私に責任を押し付けてきたのではあるまいな。

 だとしたらぶっ潰すぞ木偶の坊ども!

 副魔王は子馬たちをなでながら、奥歯をギリギリと噛んだ。


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