第43話 副魔王 ヘラられる


 魔王城。赤紫色に染まる空には黄色い雲が糸を引くように流れていた。

 朝焼けとも夕焼けともつかない中に黒い影を浮かべるその城から、時折奇怪な音が響く。

 身の毛のよだつその音は、地獄からの苦しみの叫びが漏れ出しているかのようだった。

 それを聞いた者は命が縮むような恐怖を覚え、中には気が狂う者もいた。


 グオオオオオオオ……オロロロオオオオオオ……コォオオオオオオオオ……オオオオオ


 オオオオオ………


 グロオオオオオ………


 オオオオオ…………



「……またか」


 執務室で書類に埋もれていた魔族が額を抑えた。とは言え、そこが額なのか定かではない。仮面だからだ。それでも、手で額を抑えるという動作は、その魔族の心情を見事に表しているのだった。

 魔王の補佐であり副官でもある粘体の魔族は、崩れ落ちそうな書類の抑えながら立ち上がり、窓の外に顔を出す。

 そこから奇怪な音のする方向を見てから、ぬるぬると執務室の扉へと向かった。

 向かうはかつて副魔王として君臨していた御方の領域。

 今はそこは別のものが支配している。いや支配という言葉では少々語弊があった。

 誰もそこに近づけないと言ったほうが正しい。もっと正確に言えば、近づける者もいるのだが、忌避している。近寄りたくない。そう言うのが一番近いかもしれなかった。

 魔王の副官もできれば近寄りたくなかった。

 しかし、他に誰があれを対処するというのだ。

 対処できるほどの魔族が見当たらないし、いたとしても関わり合いになりたくないと逃げてしまうのだ。

 魔王の副官とて逃げられるなら逃げたかった。

 でも、立場的に逃げられない。

 ああ。辞めたい。最近心底そう思っている。


「どおして、どおしてよおおおおおおお、なんでよおおおお、どうしていってしまいましたのおおおおおおお? どうしてわたくしになにもいわずにいってしまいましたのおおおおおおおおおおおお」


 おおおおおおお、おろろおおおおおおおお、うおおおおおおおおお、おおおおおお、


 空洞に音が反響するような障りの有る声が響いている。

 副魔王の執務室はかつては瀟洒としていたのだが、今やその面影は残っておらず、床も壁も天井も、ふしばった木の根に覆いつくされていた。

 その中央には奇怪にねじれた巨木があり、その幹にいくつも空いた洞から身の毛のよだつ音を終始響かせているのだった。


「おろおおおおおおお、おろおおおおおおおおおおお、」


 と。まさに地獄の嘆きであった。

 おろろんおろろんと泣くその声が、その己の体の空洞で反響し、この世の終わりを告げる音として周りに広がっているのだった。


「ふくまおうさまああああああ、どうしてえええ、どうしてよおおおおおおお、どうしてなにもおっしゃってくださらなかったのですかぁああああああ、あああ、わたくしは、わたくしは、こんなにもふくまおうさまをおしたいしておりますのにいいい、おおおおおおおおお、うおおおおおおおおおおお、どうしていってしまわれたのおおおおおおおお、おおおおおおおおおん、おろろおおおおおおおおおおおん」


「……」


 その者はかつて副魔王と呼ばれていた御方の補佐官にして副官、樹木の魔族であった。

 普段はその洞から、見た目とは裏腹な美しい声を出し、今はもう枯れはてている枝にはわさわさと緑の葉を茂らせ、時にはその枝に小鳥なんぞを呼び寄せては楽し気にそれらと歌っていたのだが、今はその本性をさらけ出し、おぞましい妖樹と化して周りに呪いの音を放っているのだった。

 枝とも根ともつかない節ばった腕のようなものをワキワキと伸ばし、副魔王の残していった品々を大事そうに持ち上げては、おいおいと泣く。


「…………」


「ふくまおうさまぁああああああ、わたくしをおすてになったのですかぁあああ、どこにゆかれたのですかぁああああ、あああ、うおおおおおおおおん、うおおおおおおん、あそこですかああああああ、あのものたちのもとへゆかれたのですかぁああああああ、わたくしでは、わたくしではごふまんでしたのねぇえええええええ、このわたくしではまんぞくされなかったのですねええええ、にくしやああああああ、くやしやああああああ、ふくまおうさまぁあああああああ、ああああああ、ゆるすまじいいいいいいい、わたくしをおすてになるなんてええええ、ふくまおうさままああああああああ、おろろおおおおおおおおお、うおおおおおおおおおおおん」


「…………」


 副魔王が出て行ってから終始この有り様である。

 ひとしきり嘆きつくしたあとは、ぴたりと静かになるのだが、近寄ればなにやら小さくくすくす笑いながら何かをつぶやいている。どうやら呪いの言葉の様で、耳にした者が弱き存在であれば一瞬にして命が摘み取られていたであろう。

 

「おい、そろそろ諦めてはどうだ。副魔王様は出てゆかれたのだ」


 そう魔王の副官が言うや否や、


「ぬん!」


 と音を出して副魔王の副官が魔王の副官に詰め寄ったのだった。


「どの口がおっしゃるのおおおお? 全ては魔王様のせいではありませんことおおおおおお? その副官が偉そうになにをおっしゃっるのかしらぁあああああああああ? ゆるすまじいい、わたくしから副魔王様を奪ったお前をゆるすまじいいいいいいいいい!」


「いやいやいやいやいや、副魔王様は確かに魔王様と仲たがいしたが私は関係ない、関係ない!」


「副官は一連托生おおおおおおおお! わたくしは副魔王様と一連托生なのよおおおおおおおおおおお、お前も魔王といちれんたくしょおおおおおおおおおおおお、お前は魔王うううううううう、ゆるすまじいいいいいい、ゆるすまじいいいいいいいいいい!」


「いやいやいやいやいやいやいや、ちょっとまってくれ、ちょっとまってくれ、そうだ、今副魔王様の行方を捜している。この城には副魔王様がおられなければならぬのだから!」


「そおよおおおおおお、そおなのよおおおおお、副魔王様は必要なのよおおおおおおおおおお、それを、それをおおおおおお! あの幹部共はああああ、いらぬとおおおおおおお! いらぬといいよるのじゃあああああ! 笑いよるのじゃああああああ! ゆるさぬぞおおおお! あの者どもがいくら束になってかかろうとも、副魔王様の足元にも及ばぬわああああああ! あの雑魚共腐葉土にしてくれれようぞおおおおおおおおおお!」


 おそらく四天王辺りがいらぬことを言ったに違いない。

 このメンタルがヘラっている副官の堪忍袋の緒をぶち切ってしまったようだ。


「お前もおおおお、二度とおおおおお、諦めろなどと言うなぁああああああ! 諦めるとはどういう意味だああああああ! 副魔王様ぁああああ! ふくまおうさまあああああ! うおおおおおおおおん、どうしてぇええええ、どうしていなっくなってしまわれたのおおおおおおおおお、どうしてわたくしにおっしゃってくださらなかったのおおおおおおおおおおおお!」


 魔王の副官の顔面の前で、地獄の呪木が呪いの歌を歌う。

 魔王の副官は失神しそうになりながら、己の粘体の体を増幅させ、触手を伸ばして呪木の洞という洞をふさいだ。

 その洞から発せられる振動が粘体をぶるぶると揺らした。

 おげえええ。

 揺さぶられながら魔王の副官は必死で願うのだった。

 副魔王様、戻ってきてください、と。



 副魔王は鼻歌を歌いながら竈の前に立っていた。

 竈の上には可愛らしい薬缶が乗っている。この小屋にきて初めてのおもてなしである。残念ながら菓子などは用意していなかったが、お茶は出せる。

 湯くらい造作なく作り出せるが、人間に魔族のやり方での茶を与えていいものかわからなかったため、副魔王は人間の基本にそって茶をいれることにしたのだ。

 かわいらしいティーセットもあたため、砂糖と蜂蜜も準備する。


「むむ。果物を使った茶でもよかったかもしれぬ」


 確か姫リンゴのようなものが支給された物資の中にあった。しかしもう茶の準備はほとんど整ってしまっている。

 部長は子馬たちの遊び相手になってくれているようなので、もう少し時間がかかってもよさそうだが、この後仕事もあるだろう。今回は茶のみにしておくことにした。


「部長よ、遅くなったが良ければ飲んでほしい」


「はは! ありがとうございます!」


 部長はピシッと敬礼をし、すちゃっと席に着いた。

 その目の前に副魔王は茶を用意する。


「人間の舌に合うかどうかわからぬがな。しかし物資の中に入っていた故、人間の食すものであるだろうから、死にはせんと思う」


「ははは、サガン様の下さるものであれば煮立った毒薬でも美味しくいただきますぞ」


「それは嬉しいな。では機会があればうまい毒薬茶をしっているゆえ振る舞おうぞ」


「ははは、毒……、はははは、それは愉快な……」


「うむ。デトックス効果というのか? 体中の穴という穴からありとあらゆる液体を流しだし、生き残った暁にはこれまでとは違ったすっきり感を得られる。ダイエットに最適である」


「なるほど。ダイエット用の刺激の強いお茶なのですな」


「刺激はさほどないが、味が苦手というものもたまにおるな。それでも飲み続ければそのうち舌がなくなるゆえ、なんの問題もない」


「はっはっはっは。それはそれは、ひとまず人間のお茶をいただきます」


「うむ。さあ飲むと良いぞ」


 部長はスッと真面目な顔つきでカップに注がれた茶を見つめ、ゆっくりと持ち上げた。

 そしてちびっと口をつける。


「……」


 部長が震えだした。


「む、人間には少々熱かったであろうか?」


「いえ、……お、美味しいです!」


「そうか、美味しかったか、よかった」


「はい! おいしゅうございますぞ、サガン様。生きてるって美味しい!」


 部長は満面の笑みで、しかしまだ震えていたが、美味しそうにぐっと茶を飲み干したのだった。

 副魔王はほっとして自分用にも茶を入れ、一口飲んだ。

 すっきりした味わいである。

 うむ。美味い。

 茶を栽培するのも楽しいかもしれないと副魔王は思った。茶木もよいが、毒薬草の茶は人間の国ではきっと少ないに違いない。試しに軒下で少量を育ててみようか。問題はどうやって苗や種を手に入れるかである。

 魔王城であれば、言えば簡単に入手できただろうが、人間の国では難しそうだ。

 けれど、ヨタルの街ほどの大きな都市でならば、もしかしたら種も手に入るかもしれない。トーマに帰りがけに探してもらおうかと思った。


「さて部長よ。本題なのだが、トーマはどうしていなくなったのだ? ローザは職務放棄だと憤っていたが、上司であるお前はどう考えているのだ?」


「ああ、それはですな、まあ、なんとも。止められませんでした」


「駆け落ちか?」


「いえ、……ローザは勘違いをしております。まあ、トーマとロクシャーヌは私から見てなかなか面白いカップルにはるのではないかとおもっとるんですが」


「ほう」


「そこに関しては口出しするのは野暮中の野暮というもの。それに、少なくとも今回の件には恋だのなんだのは関係しておりませんな」


「そうなのか」


 副魔王は部長のカップに茶のお代わりを注いだ。部長は今度は一匙蜂蜜を入れてかき回す。かき回しながら、少し声のトーンを落として告げた。


「いろいろ理由はあるのですが、すべてを話してしまえばトーマの沽券にかかわりましょう。ですが言葉が少なすぎるとローザのような勘違いをするものも出ましょうな。けれど、ははは、目的はご立派であるし心の底からそう思っていたのでしょうが、まあ、別の目的は恥ずかしくて口にできないものでもあり、知れたら呆れられてしまうでしょうし、実際に私も呆れましたし、頭おかしくなったのかとおもいましたが、気持ちはわからんでもない」


「ほう。なにやら詳しく知っているようではないか」


「ええ。決心する現場におりましたからな! あっはっは!」


「決心と」


「はい。トーマは預言の魔女を助けに行ったのです」


 そう告げた部長の顔は、もう笑っていなかった。

 真面目であり、真剣な顔つきで、芯の有る警察官のそれであった。


「詳しく申せ」

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