第42話 副魔王 愚痴られる


「怪しいとは思っていたんですよ! 女の子と一緒に帰ってきた時点で! ええ疑っていましたとも! あいつは昔っから女子の尻ばっか追いかけてきたやつですからね! ええもうそりゃあこうなるだろうとは予想しておりましたが! でもそうならないんじゃないかなとも思ってたんですけど見事にその希望は打ち砕かれましたね! あああ、最低! 最低! っていうか相手の女の子何歳? 十八くらいでしょ? あいつの年齢もう二十七になるじゃないの? 犯罪よ犯罪! 最低! もう最低! 見損なった!」


 許せん! とばかりに足で地面を一度踏み鳴らした後、ドカッと丸太に座った。その体の表面から怒りが熱となり陽炎のように浮かび上がっている。人間にしてななかなかのオーラだった。

 クーリンとフーリンがそっと足の後ろに隠れるくらいには周囲を圧倒している。まだ幼生とはいえ、荒ぶる使徒とさえ言われる天馬。その天馬をビビらせたのだ。

 これはすごい。

 死後、スケルトンになった暁には少々特別な役割を与えてみよう。きっと面白いことになるかもしれない。


「え、えっと、あの、ローザはちょっと気が立ってまして。すみません」


 憤怒の鬼と化したローザの横に、そのオーラにビクともしない気の弱そうな女が立っていた。


「ヘレナうるさい!」


「もう、トーマが女の子と出て行ったからって周りに当たり散らさないでよ!」


「そんなんじゃないし!」


「だったらもっと冷静になったらどうなの?」


「ふん!」


 なるほど。トーマはロクシャーヌと村を出たらしい。そういえば、思い出したがトーマがなにか悩みがあるような様子だった。なにやら関係があるのかもしれないが、無いかもしれない。聞き出そうと思いっていたのだ、そういえば。忘れていた。


「それで、ヘレナというのか?」


 横にいる気の弱そうな眼鏡の女に訊ねると、


「ひゃ!」


 と変な声を上げてぴょんと跳ねた。


「ひゃ、ひゃい。ヘレナと申します、ほ、本日はお日柄もよろしゅう、えっと」


「うむ。今日な良い天気だったな。サガンという。よろしく頼む」


「は、ひゃ、はい! お名前は存じております。あの、あの、お目にかかれて恐悦至極でございましゅ」


 ヘレナという娘はあわあわしながら片膝をついた。ここまま泡にでもなってしまいそうだった。


「む? そういえばクーリンとフーリンと遊んでくれた人間の名がヘレナと言ったな。もしかしてお前か?」


「は、先日はクーリン様とフーリン様のお世話をさせていただかせてございます」


「そうか。ありがとう。また遊んでやってくれ。この子らは城の中庭からほとんど出たことがなくてな、世間知らずなところも多々あると思う。面倒をかけるだろうがよろしく頼む。仲良くしてくれると嬉しいぞ。私ともな」


「ははーーー! うひゃーーーー!」


 ヘレナは変な声を出した。


「ちょ、ヘレナ、サガン様の前でおかしな言動しないでよ」


「らって、らって、もう光り輝いていて直視できない」


「眼鏡取ったら?」


「そうね」


 ヘレナは素直に眼鏡を取った。そして副魔王をじっと見つめたのだった。


「やっぱりダメ! 直視できない!」


 なにがなにやら分からないが、副魔王の心の奥がじくじくと痛むのだった。今度からなにか布をかぶって出歩こうと思った。


「それで話は戻るが、トーマがロクシャーヌと村を出て、それでローザとヘレナが私を迎えに来たということでいいのか?」


「そう、……です。そうです! あの野郎!」


 再びローザの感情に火をつけてしまったようだった。


「仮にも警察官でありながら職務放棄するとは何事なわけ? 最低! マジ最低! 何が、「俺ちょっと行かなきゃならないところがあるから、サガン様のことをくれぐれも頼んだ」よ! 年下のかわいい彼女とのこのこ出かけていきやがって! ええ! サガン様のお世話は私はしっかりとさていただくわ! あんたの帰ってくる場所なんてないから! もう一生戻ってくんな! どっかで野垂れ死ね! 野犬に襲われて食われて死ね! 貴様の幸せなどこれっぽっちも祈ってやらんからなクズ男が!」


「あ、えっと、トーマとローザって、昔っから張り合ってるような感じなんです。トーマ、結構彼女とか多かったから、それが鼻につくって言うか、嫉妬なんです」


 そう説明をしたヘレナをローザが睨みつけた。


「誰が嫉妬よ! 何が嫉妬よ! 全然そんなんじゃないから! 変なこと言わないで胸糞悪い!」


「しかも今回は相手がかなり年下の女の子ですから、ちょっと」


「だから関係ないって言ってるでしょ! 仕事放り投げて自分の女と一緒に出てった野郎なんて村の住民録から抜いてやる!」


 そんなローザの激情っぷりに、副魔王は何かを思い出したような気がした。

 いや、思い出さなかった。

 思い出さないことにした。

 まずいことを思い出した気がしたので、思い出したことを忘れることにしたのだった。


「さてさて、ローザよ。ヘレナよ。そんなに怒ってもトーマは戻ってこぬであろうから、ひとまず村へ帰ろう」


「そうですわね、サガン様。村へ帰りましょう。トーマなど二度とこの村の境界線を越えさせません」


「まあまあ落ち着け。今度私が作った焼き菓子をふるまう故、機嫌を直せ。もしかしたら口に合わぬかもしれぬが、この村長の森で下準備はしておいたのだ、ぜひ味見をしてくれぬか」


「もちろんです! ね、ヘレナ!」


「え、あ、私もいいんですか?」


「私は二人に食べてほしいと思っておるぞ」


「トーマは抜きですよね」


 ローザが食い気味に聞いてくる。


「そうだな。今回はローザとヘレナだけにしよう」


「へん! トーマざまぁみなさい! サガン様のお菓子を食べられないなんて残念ね! いい気味だわ!」


 今にも高笑いしそうである。

 ローザとトーマの関係はどうやら根が深い、いや縁が深いようだ。



 灯台の小屋に帰りながら、副魔王は少しだけ意識を広げてみた。トーマとロクシャーヌは今頃どのあたりだろうかと思ったのだが、ヒヨリ村の領域内にはもういないようだ。あまり詮索するのも野暮なのだが、ヨタルでの無茶な行動も知っている。若干の不安もあった。

 これが逢引きであるならば良いのだが。

 一体どのようないきさつで村を出たのか聞きたいのだが、あまり藪をつつけばローザが蛇と化すであろうとは想像が容易なのでやめた。


 代わりに別の人間を召喚することにした。

 小屋に戻り、ローザとヘレナを玄関で見送ってから副魔王は子馬たちと風呂に入った。

 そして水を冷やして飲んだ。

 子馬たちの身づくろいをし、自分の髪を梳くと



「部長よ、来い」



 と命じた。

 そして子馬たちがひと眠りし、目を覚まし、共に朝焼けの海辺に出ると、部長がやってきた。


「おはようございます。サガン様。お呼びいただけたような気がしましたので参じました」


「うむ。呼んだぞ」


「やはりそうでしたか! よし! よっし!」


 なにやら拳を作って感動している。


「どのようなご用件でございますか。このラファエロ、全身全霊で遂行させていただきます」


「そう堅い話ではないぞ、部長よ。お前とは常々ゆっくりと話をしようと思っていたのだ」


「ま、誠ですか!」


「うむ。しかし今回はそのような世間話ではなく、トーマのことなのだ」


 いうと、部長は少しだけ苦笑いを浮かべ、ため息をついた。


「ローザからどのようにお聞きになられましたか……?」


「若い女と逃げたと」


「なるほど……」


「若い女とはロクシャーヌのことであろう? 酷く怒っていた」


「はは……。まあれはトーマも悪いんですが……」


「ほう?」


 これはもしかして痴情のもつれというものであろうか。トーマをめぐっての三角関係というやつか。

 面白そうであるが、やや面倒でもある。

 魔王城では魔王をめぐっての八角関係など訳の分からぬ泥沼は繰り広げられていたことがあった。あったというより、定期的に行われる行事のようなものだ。魔族の妖艶な女やら可愛らしい女が魔王の本命を巡って文字通り血で血を洗う諍いを繰り広げるのだ。

 当の魔王はそんな状態をしれっと無視して、もしくは面倒になったのか、よく副魔王の私領へとやってきていた。

 魔王城のなかでの副魔王の領域である。魔王であろうとも立ち入ることなど許されるわけでもないのだが、妙に畏まって立ち入りを求めてやってくる上、時には花束なんぞを携えて懇願に来るので、副魔王はその痴情でもつれた女達を丁寧に屠った後に魔王にお帰り願ったのだった。

 全く迷惑千万である。

 面倒だからあの面倒な女達を始末してくれと素直に頼めばよいものを。

 いや、今はあのクソ魔王のことなどどうでもいいのだ。

 トーマとロクシャーヌ、そしてローザのことである。


「部長よ。良ければ中で詳しく話してくれぬか。茶も出すぞ」


 そう言うと、部長は涙を流して天を仰いだのだった。

 フーリンとクーリンが怯えていた。



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