第40話 副魔王 羨ましがる


 魔王城。

 空には紫色の分厚い雲が果てしなく広がり、そこかしこに雷の道が走る。儚き人間たちにとって恐怖の源であり、気高き精霊族にとっては怒りと憎しみの向かう場所であり、強さを求める魔族にとっては崇拝の念の集まる場所であった。

 しかし、そこを目指し、そこに辿り着いたものはいない。


「被害総額ですか? そりゃあ天文学的数字ですよ。はい」


 魔王城の経理部の長は、遥かなる目上の魔族に対してげんなりした声で答えていた。

 答えをもらったその魔族は無言だった。表情も変わらなかった。それもそのはず、仮面だからである。魔王の副官の粘体の魔物だ。

 魔王城の経理になど普通なら絶対にやってこないはずの超絶上級魔族である。

 その仮面の魔族はここ最近毎日のようにやってくるのだ。そして仮面の向こうからこう訊ねるのである。

 魔王城の修繕費はいくらになりそうだ? と。

 そしてこうも訊ねる。

 魔王城の修繕にかかる材料費はいくらかかりそうだ? と。

 またこうも訊ねる。

 魔王城を直せる人材をそろえるにはいくらかかる? と。

 魔王城はいまだ半壊のままだった。

 今この瞬間に、魔王討伐を目論む勇者だとか魔王にあこがれる魔族なんかがやってきたら、あれ? 魔王ってもしかしてもう誰かに倒された? と思ってしまう可能性もある。

 まあ、半分正解ではあるのだが。

 半分不正解であるのは、その魔王がとっくのとうに回復し、率先して瓦礫掃除を行っているからだ。その瓦礫掃除をしている姿は、別の意味で誰にも見せられないと魔王城の魔族たちは思っている。


「予算オーバーということか?」


「そもそも、改装だとか一部修繕とかのレベルではありませんから。営繕部もさじを投げるレベルですからね。もういっそのこと立て直したらいかがですか、とやけくそで笑っておりますので……」


 経理部の長は最初こそこの最上級高等魔族のお出ましに恐れおののいたものの、最近ではそのような怯えはとっくにしぼみ、だんだん憐憫の情すら湧いてきていた。


「……そうか。……」


「営繕部が雨風を凌げるように幕を張っていますので、残った部分は支障なく使えるはずですし、……生活に必要なラインや防衛設備も復旧していますし……、まあ、そう焦らずとも……来期と来々期の予算に含ませて長期的に考えれば……」


「……、それと、このとばっちりにあって死んだ者たちの家族への保障とか、怪我をした者たちへの保障はどうすすめている?」


「それもこちらでなんとかしておりますので」


 あまり上の者たちが動かなくても大丈夫です、逆にめちゃくちゃ気を使いますからやりにくいです、とは口に出すことはできなかった。


「そうか、……手間をかけてすまんな……」


「いえ」


 仮面の上級魔族が去ってゆくと、経理部に張りつめていた緊張が一気に解けた。

 慣れたと思っていた経理部の長も、思わず膝から崩れ落ちたのだった。


「長、お疲れさまでした」


 近くにいた魔族が声をかける。


「水を持って来てくれるか」


「はい、ただいま」


 長はよろよろと起き上がり、自分のデスクに戻ると、運ばれてきた水に口をつける。

 そのデスクから見える光景は、灰色の幕。

 少し前までは美しい艶のある黒い壁だった。そう、ここも魔王対副魔王の喧嘩のとばっちりをもろに受けた一部なのである。経理部と業務部の半数が死んだし、残ったうちの半分も静養中だ。


「はあ、しかし不思議なもんだ。これだけの目にあわされたというのに、全く怒りが浮かばない。むしろ、死んだ者が羨ましくもある。あの力の波に飲まれたのだと想像すると、はぁ。……私も怪我をしたかったものだ」


 長はほぉっと宙を見つめた。


「魔王様や副魔王様に負わされた傷など、最高の愛障だ。ふはは」


「そんな風に思ってしまうあたり、長もきっとなんかの障害を負ってますよ」


「全身擦過傷とかじゃないですか」


 長の傍にいたリザードとゴブリンが悪態をついた。

 ずる賢そうなトカゲ面は、となりであくびをしている小柄なゴブリンを肘で突く。


「ばっか、あれは地の顔だろ、失礼だぞ、ふひひ」


「いやいや、同じゴブリンでも長の肌はゴツ過ぎだから。あれは全身擦過傷で、魔王様か副魔王様のご加護が付いたに決まってる。良かった良かった」


「そうか、魔王様か副魔王様の加護か。ははは。はははははは」


 普通ならブチギレているかもしれない長がうっとりとしているので、リザードとゴブリンが少しぞっとした。

 そもそも魔王城で働いている魔族は、どんな末端の魔族であっても普通の魔族よりも能力が高い。世界中の才能ある魔族が集められ、仕事を割り振られるのだ。

 その能力の高さに、知性だとか体力だとかは含まれていなかった。

 最重要視されているのは、耐性能力。

 魔王と副魔王のそばにいてもかき消えないだけの、耐性が必要なのだ。

 その耐性というものは本当に重要で、どんなにアホでも、魔王や副魔王の謁見に耐えられたらもうそれだけで凄いのだ。

 普通の魔族なら一瞬で消し飛ぶ。

 ある程度強くなると、その圧倒的な強さをわかってしまい、精神が崩壊する。ショック死するものもいるだろう。

 や、やばい、これいつはまずい、近寄っちゃいけない、そう思うのは当たり前で、そう感じていても消し飛ぶことも、精神が壊れることも、ショックで体の機能が止まることもなければ、それで合格なのだ。

 そうして、そういった魔族は、見た目もちょっとだけ普通よりゴツイ。もしくはちょっとだけ派手だ。

 経理の長も、普通のゴブリンよりもちょっとだけ肌がゴツイ。

 リザードの鱗はちょっとだけ色合いが派手だし、仕事が面倒でうとうとしている小柄なゴブリンも、ちょっとだけゴツイ。

 もう腰も痛くて仕事なんてあまりできませんから、お小遣い稼ぎに朝のトイレ掃除だけでもいいですかね? っていうよぼよぼの老婆でさえ、おそらく勇者の会心の一撃を食らってもぴんぴんしているだろうし、なんならトイレモップで勇者の頭をカチ割って何食わぬ顔で掃除して帰るだろう。


「っていうか、副魔王様って本当に出て行っちまったのかな?」


 リザードがぽつりとつぶやいた。


「さあ? 上の情報はこんな末端には入ってこないからな」


 答えたのはゴブリン、長ではなくやる気のない平のほうだ。

 平ゴブリンは続けた。


「でもまあ……、副魔王様の抜けた穴を魔王様の副官様? がやってる時点で、……おかしいよな?」


「……それな」


「普通なら、……副魔王様の穴は、副魔王様の副官様とか側近の誰かがやるもんじゃなないか?」


「……それな」


「……」


「……」


「まー。あれだよ。俺たち末端構成員は、なーんにも考えずに目の前のお仕事をこなしとけばいーんだよ」


「だなー。あー、今日の昼めしなにかなー」


 平ゴブリンと平リザードは不安をなかったことにして、次々と上がってくる数字の山を処理をしていった。ただ、この経理部や業務部といった部署が、副魔王が統制する部署だということだけが、拭いきれない不安だった。







 いい天気である。

 朝だ。副魔王は波止場で子馬を遊ばせながら水平線を眺めていた。

 遠瀬で微かに見えていたウィンディーネの影もいつしか消えて、その場所に海獣の群れが悠々と泳いでいるのが見える。

 雄大なその生物は、朝日を浴びて白銀に光っていたが、やがてそれも見えなくなった。

 子馬たちが副魔王の服の裾を引っ張った。


「どうした。飽きたか? どれ、ぐるぐるを見せてみなさい。合格したら、今日は森の木で遊んで良いぞ」


 言えば子馬たちは張り切って、二頭でのぐるぐるを行い、綺麗な炎の輪を空に放った。そして一頭ずつのぐるぐるで、小さめの輪をそれぞれ十個空に放つ。


「おお、上達したな」


 見上げて、その美しい輪を褒める。

 足元で子馬たちが自慢げにいなないている。


「サガン様、おはようございます」


 トーマが朝餉を提げてやってきた。

 そしていつものように小屋の中で朝餉が始まる。子馬たちには飼い葉だ。お仕置きのニンジン禁止は今もまだ続行中である。

 食事中、トーマはどこか緊張した面持ちだった。

 そろそろ相談事でも持ち掛けてくれぬだろうか。副魔王は期待したが、結局トーマは口を割らなかった。

 副魔王と子馬たちを村長の森で送り届けた後、いつものように仕事に向かってしまった。


「ふうむ。帰りにでもこちらから訊ねてみようか」


 ヒン

 ヒン


 子馬たちも賛同してくれている。


「お前たちはこの村の人間たちが好きか?」


 ヒーン

 ヒーン


「そうかそうか。私もだ。いずれはスケルトン兵にして庭に放とうと思っているぞ。未来永劫一緒に遊べるぞ。楽しみにしているがよい」


 ヒン!

 ヒン!


「そのためには皆に健康に死んでもらわねばならぬからな。お前たちがこれから運ぶ木々はその健康を守るものだ。その木で柵を作り、村を守る。なにから守るか、わかるか?」


 ヒ?

 ヒンヒン!


「そうだ、クーリン。魔物だ」


 ヒン! ヒンヒン!


「うむ、フーリン、そうだ、魔族だ。魔物や魔族は弱い人間を餌にしている場合がある。トーマたちは餌か? 部長はどうだ? ローザは?」


 ヒンヒン!

 ヒン! ヒンヒンヒン!


「うむ。餌ではないな。トーマも部長もローザもヘレナも餌ではないな。ヘレナとは誰だ?」


 ヒン

 ヒーン


「ほー。一緒に遊んでくれたのか。友達なのか。ほうほう」


 知らぬ間に交友関係を広げていたことに副魔王は感動した。成長している。感動した。そして自分が子馬たちよりもあまり交友関係を広げていないことに劣等感が沸いた。

 ヘレナとはどんなやつであろうか。知らぬぞ。それに以外にもこの子らは村の人間たちにだいぶ受け入れられているようだし、子供とも仲が良いし。

 やはり可愛い天馬かかわいいウサギにでも生まれておけばよかったのか。

 くぬう。

 副魔王は悔しかった。

 新しくできた比較的仲の良い知り合いといったらあの老婆とロクシャーヌくらいしかいない。

 老婆は死んだし、ロクシャーヌはどうも副魔王をコケにしてくるから苦手だ。


「まあよい。倒れてくれている木を見に行くぞ!」


 ヒン!

 ヒン!


 気を取り直して副魔王は森の木々を見て回った。見事な巨木が三十本、厳かに横たわっている。

 副魔王はトンカチでトントンと音を聞き、検分して回った。どれも立派な木達である。


「それではこの木達を森の外にまで運ぶのだ」


 ヒン

 ヒン


 子馬たちはきりっとした顔つきでよいお返事をよこし、さっそく巨木の周りをかぽかぽと回った。

 天馬は天の生き物である。

 空に浮くことに関しては右に出る者はいない。

 ぐるぐる火の輪の前にかぽかぽお散歩で宙に浮く練習はしいているので、木を運ぶことくらいわけないはずだ。

 カポカポとかわいらしい足音を響かせていると、巨木がゆっくりと宙に浮かび始めた。


「おお! いいぞ! いいぞ!」


 副魔王は手に汗を握った。

 そして副魔王のひざ下あたりまで木が浮かび上がると、子馬たちはすかさずその下に潜り込み、背中へとズンと巨木を下ろしたのである。


 ヒン!

 ヒン!


「おぉ、そうきたか……」


 てっきり浮かばせたまま運ぶのかと副魔王は思っていたのがだ、子馬たちは木を背中に乗せて運ぶことを選んだようであった。いや、もとよりそれしか頭になかったようだ。

 これならば荷馬車から鞍を外して、それで牽いて運ばせたほうが楽だったな、と副魔王は思ったのだが、子馬たちがとてもやる気になっているので黙っていることにした。


「どれ、じゃあ私も」


 子馬たちは木を背中に乗せたままちょこちょと横歩きのように前に進み、副魔王はその後ろから一本の巨木を担いでついて行った。

 森の木々たちが子馬たちのために道を開けてくれている。

 本当に優しい森である。

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