第39話 副魔王 思い出し笑いをする

 音は様々な場所から聞こえる。まるで副魔王たちを取り囲むようだった。地鳴りのようでもあり、響き渡るたびに泉の水面に波紋が広がった。

 子馬たちがじっと空を見ている。

 副魔王は杖がわりのトンカチの柄をトンを肩に乗せた。


「ふーむ」


 トーマがナイフを抜いていた。随分を緊張しているようだ。


「トーマよ、そう気張るな。何かあったら私がどうにかしてやるぞ。頼ってくれていいのだ。害虫駆除などお手の物だ。任せるがよい」


「いえ、こんなことでサガン様のお手を煩わせるわけにはいきません。俺は、いえ本官はヒヨリ村の警察官ですので!」


 ヒン!

 ヒン!


 子馬たちも意気揚々と声を上げる。


「クーリンとフーリンはしばらく大人しくしているように。ちゃんと力を操ることができるまでやってはならぬ」


 ヒン……

 ヒン……


 言えば少し拗ねたように耳を垂れた。じとっと副魔王を見てくる。


「ダメなものはダメだ」


 念をおすとようやっとあきらめたようで、しゅんと首を下げた。


「それにだな、これと言った侵入者はいないように思うぞ」


 副魔王の言葉にトーマが


「分かるんですか?」


 と振り返った。


「うむ。強い力の者の気配はない。小さき者たちの息づく気配ならばあるが」


 昨晩から薄く広げている意識の中に、強き者の気配も大きな者たちの気配も入ってきていないのだ。


「ではこの音は一体……」


 再びあの音が響く。今度はだいぶ近い。

 トーマは構えたナイフを下ろすことなく、その音のほうへ向かって駆けだした。

 副魔王もそれに続いた。行く手の木々がさりげなく避けてくれているのだが、緊張しているトーマはその様子に気付いていないようだった。子馬たちはサクサクと足音を立てながら落ち葉の上を行ったり来たりしている。飽きたようだ。

 そしてしばらくすると、目の前に巨木が一本転がっていた。

 つい先ほど倒れたばかりに見える。


「これが倒れた音か。いったいなぜ……?」


 トーマがゆっくりと木に近づいて行った。

 巨木は木と木の間に上手く倒れていた。ほかの若木を倒すことも、岩にぶつかることも、小動物をつぶすこともない。

 むしろ巨木をほかの者たちが避けたようにも見える。


「どうやらこのあたりで倒れたのは、この木だけのようだな。そしてこれを倒せるほどの大きな生き物の気配もないし、足音や足跡もない」


「ですね。……、木になにかがぶつかったような跡もないですし。まるで、自ら望んで倒れたかのような……」


「かもしれぬな」


「……、」


「なんとも丁度良い大きさのきであろうか。柵用の杭が二十本は作れるだろうな」


「……」


「これがあと三十本もあれば、村の周りに柵をめぐらせて、上手くすれば泉のそばに小屋もたてられかもしれぬな」


 言ったとたんだった、森のいたるところから、メキメキメキ、ドォン、ドゥォン、という奇妙な音がひっきりなしに聞こえ始めたのである。


「……、サガン様、何をしたんです?」


「何もしてはおらぬ。この森が、この森の木々が、望んでヒヨリ村の柵になろうと身を差し出しているのではないかな」


「……」


「私はその思いを汲もう! 本気を出して作らなければな。久々に腕がなるぞ!」


「……」


 トーマは唇を奇妙な笑みの形にゆがめてから、無言でナイフをしまった。


「サガン様、帰りましょうか……。もう夕日も沈みそうですし」


「そうしよう。夜になるな。この木は明日運び出そう。フーリン、クーリン、明日はお前たちが木達を運ぶのだぞ」


 ヒン!

 ヒン!


「うむ、良いお返事だ!」


 日が沈むとあっという間に森が闇に飲まれる。

 足元にはトーマが作り出したあのかわいらしい光の球が四つほど浮かんでいて、それを見た子馬たちが楽しそうに追いかけまわしていた。

 帰り道、トーマは無言だった。




「やあやあやあ、遅かったですな。心配しました。サガン様、クーリン様、フーリン様。そしてトーマ」


 村の入り口で部長が待っていた。

 その拳には黒い手袋がはめられている。その手袋には赤く光る線が複雑な編み目状に入り、部長の鼓動に合わせてぼんやりと光を放っている。


「部長よ、出迎えご苦労」


「いえ、とんでもない。サガン様のお出迎えをできるのならば何百年でも玄関で待ち続けましょうとも」


 スケルトンになったら門番にしようかと副魔王は考えた。


「本当は心配でしたのですぐにでもはせ参じたかったのですが、私は腐ってもこの村の警察官。緊急事態にこの場を離れるわけにはゆきません。ああ、分裂できればよかったのに!」


「部長が分裂とか気色悪いんで冗談でも二度と言わないでください。あ、双子とかじゃないですよね? 部長が二人とか気色悪いんで、双子だったら今すぐ消滅してくださいよ」


「残念だが、私は単体生物だ」


「それは良かった。っていうか、緊急事態って何です?」


「地鳴りだよ」


「地鳴り?」


「小さな地鳴りが頻発したので、村人たち怯えてな。役場や学校に再度避難している。交番の警報機は作動していないし、レーダーにもそれらしい影はないのだが、ひとまず避難したいと言われてな……、少しでも安心できるように、私がこうやって警備に立っているというわけだよ」


「……地鳴り」


「ああ、村人たちは今敏感になっているからなぁ」


「たぶんそれ、大丈夫っす。地鳴りじゃないですね」


「何か知っているのか?」


「木が倒れた音です」


「……」


 部長は軽く首をかしげて、今度は副魔王を見た。

 だがまるでそれを遮るようにトーマが声をはる。


「森の木がいくつか倒れたんですよ。森には異常はありませんでした。木が勝手に倒れただけですから、心配ないっす」


「いや木が勝手に倒れるなんてあるか。むしろなにか異常が起こっているんじゃないのか?」


「部長。もしも部長がサガン様に、お腹空いたな、と言われたらどうしますか?」


「ふっふっふ、この不肖ラファエル、少々料理の腕には自信有り」


「あー、肉食べたいなー、と言われたら?」


「全財産投げうってありとあらゆる最高級の肉を取りそろえましょうぞ」


「じゃあ、人間の肉が食べたいなー、って言われたら?」


「はっはっは、トーマ貴様何を言わせたいんだ? ん?」


「そういうことですよ」


「死ねと? 焚火の中に身を投げろと? そう言いたいのかトーマ。そこまで私は気色悪いかトーマ」


「気色悪いとか言ってないですよ。被害妄想酷すぎませんか」


「そうか? え、そうか?」


 そのやり取りを見ていて、副魔王の胸が痛んだ。

 う、とうめき声が出そうになった。

 心に悪い。

 これは心に悪い。


「ト、トーマよ。そんな風に言うな。部長もかわいいしトーマもかわいいのだ。みな生き物はかわいいのだ。この世に存在しているものはみなかわいい!」


 あのクソ魔王以外は。


「森の木々はこの村の柵になろうと思い、自ら倒れたのだ。それだけのこと。部長よ、案ずるなと村の人々に伝えてくるとよい。それに柵ができるまでは私がこの村を守ろう。これでもちょっとばかり力には自信があるのだよ。トンカチもあるしな」


 副魔王はトンカチをぶんぶん上下に振って見せた。


「これでドッゴンドッゴン敵をつぶしてくれようぞ!」


 副魔王は魔王の顔を思い浮かべながらトンカチをドッゴンドッゴン振った。

 できれば己の拳でぶんなぐりたいところであるが、武器があったほうが戦いには有利である。でもできれば拳で殴りまくりたい。

 ふふふふ。

 殴りまくれたらどれだけ気持ちが良いことだろう。

 別れ際に頭を思いっきり砕いたときは心地よかった。

 はあ、気持ちが良かった。

 くっくっくっく。


「サ、サガン様……」


「あ、あの、あの、……」


 気が付けば、部長とトーマがじりじりと後退しながら怯えていた。


「む、すまぬ。ちょっと思い出し笑いをだな」


 そしてはっとした。思わず気分が高揚していしまったせいで角でも出てきてやしないだろうか。肌が青くなってやしないだろうか。

 ささっと頭を触ると何もない。手のひらも青く戻ってはいない。

 魔族の姿では人間たちは懐いてくれないであろうから、副魔王はひとまず安心をした。

 しかし、人間に近い姿であると魔族からは舐められ、魔族に近い姿であると人間から敵視されるのは、なかなか困ったところだ。

 人間の国付近でのんびり隠居するには、このなにも力を入れていない気の抜けた状態でいる必要がある。


「強固な柵にするゆえ、トンカチは必要ないな。うむ」


 副魔王は笑みを作ってトンカチを下ろした。




 サガン様を灯台の小屋に送り、避難している村民たちに安心するように伝えて回り、警官たちはようやっと交番の机に戻ってこれた。

 いつもならば腰を下ろして一息という場面であるが、


「ちっくしょう! なんなんだよ!」


 とトーマは叫び、机をたたいたのだった。


「うぉっ、ト、トーマ、どうした……」


「サガン様は、サガン様は一体なんなんですか!」


「どうした、トーマ。お前の口からまさかサガン様を非難するような言葉が出るとは思わなかった。何があった。まさか、魅了魔法に自力で耐性をつけたのか?」


「俺はサガン様を非難してなんていません! ただ、おかしいじゃないっすか。だって、サガン様のために、木が動くんですよ?」


「……トーマ、なんだ、寝不足か?」


「いいえ睡眠はばっちりですよなんせサガン様のベッドで寝ましたからね! もうそこからバリバリの全開っすよ!」


「よし今すぐ外に出ろ決闘だ」


「そんなことよりも、木が動くんすよ!」


「そんなことはどうでもいい!」


「木も石も、普通動かないものがサガン様のために動いて道を譲り、木々は花を咲かせていつもならクソキモイ昆虫がありえないくらい鮮やかな色に変わるんですよ!」


 トーマは叫んだ。


「茶色とかのめっちゃ地味でキショい蛾が虹色に変わって舞い踊るんすよ!」


「蛾はよく見れば結構きれいでマニアもいるんだが」


「ワキワキしたはカミキリ虫みたいなのが、玉虫かよってくらいテッカテカに光って自己主張するんすよ! もっと潜んでろよ!」


「お前虫嫌いだったもんな」


「そうっすよ! 虫なんて、虫なんて、うああああ!」


 そうしてひとしきり悶絶した後、


「なのに俺はなんなんだ!」


 そう嘆いて、机に突っ伏した。


「木も石も蛾さえもサガン様のために驚愕な変貌を遂げているのに、俺には何も起きない……、こんなに想っているのに……。俺には魅了魔法の効きが悪いってのか!?」


「トーマ……」


「ううう、蛾が虹色に変われるんなら俺にだって虹色の翼くらい生えたっていいはずなのに! なんで! こう! ばさっと翼の一枚や百枚くらい生えないんだ! 畜生!」


「人間やめる気か」


「サガン様に愛を伝えられるなら人間やめてもかまいませんよ! だってサガン様言ったもん! 生き物みんなかわいいって言ってもん! だからいいんだもん! あー! 俺だって変わりたい! サガン様のために人間やめたい! はっ! そうだ!」


 トーマは思い至って顔を上げた。

 部長は少しビビッて腰が引けた。


「きっと試練が足りないんだ」


「何を言い出したんだこの若造は」


「そうだ。俺はいざという時に安パイを選ぶからだ。魔鏡の預言者を助けに行った時も、自分の安全を優先して、結局目の前の試練から逃げ出してしまったから! そうだ、俺は無理をしなかった。困難に立ち向かわなかった! そんな俺が虹色の翼を手に入れることができるだろうか? いや、できない!」


「待て待て待て、ちょっと待て。虹色の翼からちょっと離れろトーマ」


「部長! 俺は困難に立ち向かうことに決めました。……どこかで生きているであろう魔鏡の預言者を……助けに……行きます。そう! そして! 俺は必ず、虹色の翼を手に入れて見せる……!」


 だいぶ魅了がキマッテいるな、と部長は思った。


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