第38話 副魔王 森を散策する
森が活き活きとしている。
口々に副魔王に話しかけてくる。草木や精霊たちの声だが、それらが一つの大きな生き物のようになって、森としての意思を持って話しかけているのだ。
副魔王を案内するように木々が避け、石が避け、道を作る。その度に大きな音が鳴るので、背後に張り付いている人間が小さく悲鳴を上げた。
この辺りの植物は自ら動く術をもっていないので、トーマにとっては珍しいことなのだろう。
「なに、そんなに怯えることはない。よく見てみろ。こんなにも嬉しそうではないか」
副魔王は怯えるトーマに上を向かせたのだった。
そこには、今にも芽吹きそうな蕾がたくさんついた木々の枝がトンネルを作っていた。
「え……」
「今にも花が咲くぞ」
そのように言った瞬間だった、まるで副魔王の合図を待っていたかのように蕾がはじけ、芳しい匂いとともに薄紅色の花が咲き乱れていったのだった。
花弁は大きく、八重十重のまん丸い花は、自ら花吹雪をくるくると舞わせる。
木々のトンネルは喜びの色に染まっている。
「なんとも美しいではないか。木々は喜んで私たちを迎えてくれているのだ。森が歓迎してくれているのだから、恐がることなどなにもない」
「え、……、え?」
副魔王は春が舞うトンネルを進んだ。木々は震えている。そのたびにまるで発情でもしたかのように花が咲き、花弁を揺らして花吹雪を作る。
花だけではない。虫も小動物も副魔王を歓迎してくれえおり、美しく舞い、駆けまわっている。
「……、あんな鮮やかな色の蛾を始めてみました。でっか」
「新種かな?」
「……さあ、虫には詳しくないんでわかりませんが、かもしれませんね」
「そうだった。お前は虫が苦手であったな。あの蛾、駆除するか?」
その瞬間、美しく舞っていた大きな虹蛾が空中でパタリを羽ばたきをやめ、ボトリと落ちたのだった。
「ヒィ! だ、大丈夫ですよ。俺、虫苦手じゃないっす! フナ虫とゴキブリとムカデ以外は全然平気っす!」
「そうか、ではあの蛾を殺すのは良そう。なにせ美しいからな、命を奪うのは勿体ないと思っていたのだ」
すると地面で今にも息絶えそうであった虹蛾が、今度は発光して飛び上がった。
「ゲンキンにもほどがある……」
トーマが若干呆れたように蛾を見上げている。
その蛾は小さな精霊たちと螺旋を描くように踊りながら飛び回り、それに合わせて鳥たちが歌い始めた。
「うむ、村長の森だけあってとても良い森だな」
フーリンとクーリンが選んだ土地だけあると、副魔王は改めてこの場所にこれたことを幸運に思い、そして少しだけ、昔住んでいた深い森のことを懐かしんだのだった。
春のトンネルを進んで行くと、空から降りる光の柱の下に小さな泉がある。
水は澄み渡り、中央辺りからポコポコと空気の泡が出ている。そこが水源らしい。
泉の周りには木々のない平らな空間があり、小さな精霊たちがそこの上をひらひらを飛んでいた。
「なるほど、ここに小屋を建てたらどうかということだな。わざわざ木々や草花がどいてくれたようだ」
「……なるほどなるほど」
トーマは抑揚のない声で頷いている。
「うむ、皆の心遣いに感謝し、ここに小屋を建てよう。村長にも一応報告をせねばな。おお、そうだ。クーリンとフーリンが遊べるようになにかおもちゃでもこしらえるかな」
今や一つ身でここにいるのだ、昔のように住居は小さくていい。それよりも、子馬たちが走りまわれる場所を作ろう。
「それとトーマや来た時に寛げるような椅子も作らねばな」
「え、俺用の椅子っすか?」
「うむ。迎えに来た時に私の帰る準備がまだ整っていなかったら、そこで待てるようにな。家具を作るのは久しぶりだ。そうだ、あの家具屋からデザイン画を見せてもらおう。最近はどのような形が生み出されたのか気になるのだ」
「ほ、本当ですか! 嗚呼、……」
なにやらトーマも木々と同じように震え始めた。
そうだ、灯台の小屋に家具を分けてくれた恰幅の良い老人。あの人間にもお礼をせねばならない。
「ところで、ここに焼き窯を作っても良いだろうか」
「焼き窯ですか? なんのっすか」
「陶器だ。食器を分けてくれた母親たちにお礼になにかかわいらしい物を作って贈りたいのだ。火は私の苦手とすることなのだが、土を捏ね形にすることは好きで良くやっていた。がだ火加減を失敗することも多かったゆえ、うまく作れるとは限らぬが。木彫りや籐編みのような細工は得意だぞ」
「へえ、……趣味ですか? まさかそれで生計をたてていたわけではないですよね……?」
「まあ趣味のようなところだな。木刀とか良く作っていたな」
「思ったよりも物騒なご趣味でした」
「うむ。このトンカチと交換したのだ」
「ウォーハンマーと物々交換する木刀……」
「もう捨てられているかもしれんがな」
想像したら少し悲しくなってしまった。火や金属の類は副魔王の司るところから少々外れているため得手ではなく、身近にもあまりなかった。
うごめくマグマ、火の水、割れた大地よりあふれ出る溶岩、それが冷え固まった岩石、洞窟の中の水、成長する鍾乳石、闇の中の水晶、その奥に広がる冥界。
「……、洞窟とかないであろうな? ここ」
「なんすか、急に」
「洞窟はちょっと苦手でな」
「蝙蝠とかいますしね」
「ああ、蝙蝠とかいるからな」
蝙蝠は冥王の眷属。
冥王の側近たちに見つかったら面倒なことになる気がする。
冥王様をいつ連れて来てくれるんでしょうか? 連れてくると約束したから石を切り出すことを許可したのですがね?
そんなことを問い詰めに来られる気がする。
知らぬ。
もう知らぬぞ。
勝手に探して連れてゆけ。
私はもう知らぬ。
魔王城に聞きに行け。
「まあよい。小屋よりも先に村の柵を作るのだ。柵に適した木を見繕おう」
副魔王は気を取り直した。
「木を切り倒すんですか?」
「うむ。もしくは大ぶりの枝だな。倒木などがあれば手間も省けるのだが。先にざっと見て回ったが、倒木はなかった。村長が定期的に手入れをしているのかもしれぬ。切り倒してよい木とだめな木があるかもしれぬゆえ、手頃な木の目星をつけてから、切って良いか聞いてみることにする」
「あ、じゃあ今日は伐採しないんすか」
「そうだ。最初はそのつもりで来たのだがな。思いのほか整っている森だったのだ」
「村長はあんまり気にしてないと思いますけど。テキトーに切っても」
「そうはゆかぬ。森は生命の集合体だ。特に整備されている森は、バランスを崩してはならぬ。第一私有地だ」
「そっすね。私有地ですもんね。ほんと倒木があればよかったんですけど。無いのか……。あ、もしかしたら倒木は薪にしてるのかも。たまに村長が安く売ってるんで」
「かもしれぬな」
「あそこでっかい暖炉があるんすよ。竈じゃなくて暖炉。この辺りだと暖炉とか必要ない気候なんですけど」
「ほう。温暖なのだな、このあたりは」
「冬は雪も積もりますけどね。昔はどこにも小さな暖炉があったみたいですけど、今はストーブか温風空調ですよ」
「雪が積もるのか。楽しみだな」
「雪がお好きですか」
「うむ」
そんな話をしている時だった。
突然、森の奥からメキメキメキという音が聞こえた。
「また木が移動したんすかね?」
とトーマが言ったが、メキメキという音の後に、ドゥン、ドォン、バキバキと、別の音が連続して響いたのだ。
何事であろうか。
「ま、まさか、……魔族が攻めてきた?」
トーマが険しい声で音のほうを睨んだ。
村を襲ったという魔族か。
副魔王も音のほうを見た。
もしもそうであるなら、退治しなければなるまい。
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