第37話 副魔王 ウキウキする
トーマはその点滅を見たことがあった。きっとロクシャーヌも同じことを考えているだろう。
ヨタルの領主の城で、魔鏡の予言者を探したときと同じ。
「……もしかして、おばあさん……、生きてる?」
ロクシャーヌのつぶやきに、トーマはその顔を見た。
「……。やっぱり、そう思ったか?」
「……やっぱりトーマも思った?」
返事はしなかったが、沈黙がその答えになっていた。
「ねえ、」
「ああ、」
「……どうする?」
「どうするって、……どうすんだよ」
「……だよ、ねぇ……」
答えは決まっている。けれども踏ん切りをつけられない。地図上の点滅に触れて、詳細を呼び出して、それから、それから。
「……助けに行く?」
ロクシャーヌが伺うように訊ねてきた。
「……助け……られるか?」
「……」
「……」
長い長い沈黙だった。周りにはサガン様の宝物が散らばっているし、ちらほら見に来る村民の目もある。
まずやることはこの金銀財宝を鑑定し、サガン様にお返しするか再び片付けるかだ。頭では分かっているのだけれども、トーマもそしてロクシャーヌも、ちかちかと光る点から意識を離すことができなかった。
「あー、すまんすまん、トーマ、遅くなった」
沈黙のまま動けなくなっていた二人に、ややのんきな声が届いた。
振り向けば、そこにはきちんと警察官の制服を着た上司がいた。交代したときは今にも死にそうなくらいの顔色だったが、今はだいぶ回復している。そしてちょっとだけだがシルエットが引き締まっていた。
「臨時の半休をもらってすまんな。交代だ。おや、お嬢さん、ご機嫌はいかがかな? 魔鏡の預言者もこれくらいかわいいと接待のし甲斐もあるんだが、あっはっは」
「……セクハラっすよ、部長」
「な、いや、セクハラにはならんだろ? セーフだセーフ」
ロクシャーヌは立ち上がり、先日は半裸だったこの警察官に頭にを下げた。
「こんにちは」
「こんにちは。私はヒヨリ村の警察官でこのトーマの上司をしている。ああ、そうだ、魔鏡の預言者用に準備していた特製のロールケーキがあるんだ。今切り分けような。休憩にしよう」
「出勤直後に休憩っすか。部長、いい御身分ですね」
「お前の分はないぞトーマ」
「脂肪が付きますよ部長」
「ふん! この磨き上げられた美しい彫刻のような筋肉に、脂肪など寄り付きはしない!」
「インスタント筋肉でしょそれ」
「黙れ。それよりもお嬢さん、マロンクリームはお好きかな? 素朴な味なんだが、あのばあさんはこれが大好物で、ないと態度がほんとに悪くなる。ほんとに悪くなるんだ。来ないのなら私たちで食べてしまおうと思うんだが、苦手だったら別の茶菓子を用意しようか?」
「あ……。あの……、あの、おばあさんは、……来ます」
ロクシャーヌの言葉にトーマは驚いて振り返った。
「何言ってるんだお前!」
「おばあさんは来ますから、そのロールケーキは取っておいてください」
「ロクシャーヌ!」
「だってそうでしょ! 見捨てるなんてできないじゃない! 助けに行かなきゃ!」
「助けられると思うのか? 俺たちでどうにかできることかよ!」
「でも生きてるかもしれないのに、このまま放置するなんでできないじゃない! どうにかしないと絶対に後悔する!」
「……! そ、そりゃ、……そうだけど……」
トーマもロクシャーヌと同じ気持ちなのだ。けれど、自分がいかに力がないかわかってしまった。
「俺は戦士でもないし、勇者でもない。さして強くない……。助けられる気がしないんだ……」
「……えーと?」
部長が間抜けな声を出して首を傾げ、それから真面目な顔で言った。
「説明をしてもらえるかね?」
トーマはヨタルでの出来事をこの上司に話した。なにせ腐っても上司である。
「なるほどまるほど」
上司はうなづきながら、切り分けたロールケーキに夢中だった。トーマとロクシャーヌの前にも切り分けられたロールケーキと紅茶が置いてある。このロールケーキはヘレネの家で作られたちょっとお高いケーキだろう。『昔よく食べた安いケーキ』という若干ジャンクな味を見事に再現してくれている。
その再現のためにちょっと高いのだ。
今流行中の甘さ控えめでミルクの味わいが深いおしゃれなケーキとはわけが違う。
「で、あの魔女は生きているかもしれないと、そういうわけか。こりゃ困った、ロールケーキを食べてしまったではないか、あっはっは」
「あっはっはって、のんきに笑ってんじゃねーよ、頭おかしいんじゃないんすか部長」
「いやいや、死にはしないだろろう、あの魔女は」
「けど!」
「逆に言えば死ねないってことだな」
部長は何でもないことのように言った。
「だいぶ前だが、なにかのきっかけで言っていたんだよ。自分には死ねない呪いがかかっているとかなんとか。冗談半分に聞いていたんだが、半分は本気で聞いていた。不老不死ですか、って笑ってみたんだが、永遠に老いた姿で生き続けると笑いながら返されて、……こっちの笑いがひきつった」
老いた姿の不死。
「それは……」
「それって……」
トーマとロクシャーヌは言葉を続けられなかった。
「鳥葬の磔にされた時も三年くらい食われ続けていたとか言っていたが、このばばぁはなし盛ってるだろと思ったもんだ。だが、トーマのはなしを聞く分には、本当だったんだな」
もしかしたら、今も。
ヨタルを出たとき、怪鳥が飛んでいるのを見た。外での処刑の後、死肉を狙って飛んできたのであれば、老婆は生きたままついばまれたのかもしれない。
もしかしたら、その怪鳥によって巣に持ち帰られ、無くならない便利な餌として食われ続けているのではないか。
「い、今すぐ助けに行かないと!」
トーマは叫んだ。
「行きましょう! 今すぐ!」
ロクシャーヌも真っ青になって叫んだ。
「それは困る」
しかし部長が止めた。
「なんでですか! 人が今まさに生きたまま餌として食われているかもしれないんですよ! 助けなくてどうするんですかこの人でなし!」
「いや、お前に抜けられたら私がまた連日徹夜で勤務になるだろうが。無理だ。なんなら私が行く。途中できっと寝れるし。睡眠は筋肉にも大事だ」
よほど徹夜が辛かったのか、これまで見たことがないほどの真剣な顔だった。
「だが、どうしても行きたいというのであれば止めはしない。お前の仕事は全部私が引き受けよう。案ずるな。任せろ。さあ、出立の準備をするんだ。私は、さっそく……サガン様をお迎えに森へ行く」
「ちょっと待ておっさん」
トーマは真剣な顔で上司の肩を掴んて止めた。
「っていうんですよ、あのキモ筋肉最低じゃないっすか」
副魔王は森の切り株に腰かけて、トーマの話を聞いていた。
内容は、部長がキモいということだけだった。
副魔王にこのようは愚痴を話してくれる者はいなかったため、このトーマからの気安い会話が嬉しくてたまらなかった。木を選別する手を休めてでも聞き入る価値があったし、なんならば夜通し聞いていたかった。
それと同時に、陰でキモイと悪口を言われている部長に感情移入してしまい、涙が出るかと思うほどに胸が痛んだ。
自分もこうやって言われていたのだ。
思い出しそうになる。
キモイと、言われていたのだ。
足元で天馬達がヒンと鳴いた。慰めるように脛にすり寄ってくる。
「まあ、そうキモいキモいと言ってやるな。キモくても懸命に生きているし仕事もしているのだ」
「そりゃそうですけど。でも、隙を見ては俺からサガン様を奪ってゆこうとするのは許せませんしキモいです」
あとで部長をこっそり呼び出し泣き言を言いあって酒を酌み交わそう、そうしよう。副魔王はそっと涙をぬぐった。
「……。あの、……。サガン様」
「うむ、なんだ?」
「……、その、」
トーマはなにか話したそうにしていた。相談事であろう、ずいぶんと思い詰めた表情だ。
だがパッといつもの顔つきに戻った。
「それで、サガン様のほうは首尾はどうでしたか?」
「うむ。なかなか良い森だった。フーリンとクーリンと散策をしてな、泉や小川や岩清水を見つけた」
「へえ、そういえば村長も泉があるとか言ってましたしね。小屋とか建てられそうな場所は見つけました?」
「それはまだである」
と副魔王が言ったとき、急にメキメキと周囲から音がした。
「なんだ!」
とトーマが叫んで、腰からナイフを抜く。
「ああ、安心するがよい、トーマ。あれは木々たちが移動した音だ」
「……は?」
「小屋を建てると聞いたからだな」
「え?」
「見に行こうか、せっかくであるし」
副魔王が切り株から腰を上げると、ざわざわと枝葉が揺れる音がした。どうやら森の木々は喜んでいるようだったが、トーマは何やらヒィッと悲鳴を上げて副魔王に飛びついてきた。
それを見て子馬たちがヒッヒッヒッと変な声で笑っていた。
どこで変な笑い方を学んできたのだろうか。一日見ていなかったうちに、外で色んな経験をしたに違いない。成長だと考えれば嬉しいが、妙な知恵をつけて変ないたずらをし始めたら大変である。
あとで子育てのコツを村の母親たちに聞いておこう。
そしてもう一つ気になることがある。先ほどトーマが僅かに、なにかを言いたそうにしていたのだ。
もしかしたらやっと頼りにしてくれるのかもしれない。
さて、いつ相談してくれるだろうか。
副魔王はうきうきしながら、背中にトーマをひっつけたまま森の奥へと進んだ。
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