第33話 副魔王 知らぬところで魔王と思い込まれる

 ヒヨリ村の中心部に向かって放たれる、無数の矢と魔法。

 魔法は人間たちの必死の守りによって弾かれているが、矢の雨にまで守りが届いていないようだった。

 魔法に気を取られていれば物理攻撃がおろそかになる。物理攻撃において、魔族のほうが人間よりも分がある。

 人間たちは終わりの見えない矢を必死に遮りながら、魔法で対抗していた。

 そんな中、ヒヨリ村の正門から小さな二つの弾丸が放たれたのだった。


「クーリンちゃん! フーリンちゃん!」


 女の必死な声が響いた。

 ほぼ同時に、最前線にいた上半身裸の男が驚愕する。


「な! 子馬ちゃん! どうして!」


 真横を走り抜けてゆく子馬に気を取られたのか、その上半身裸の男は突進してきた猪の巨体を真横から受けた。


「ぐあっ!」


 鍛え上げられた肉体も虚しく、人間は大きく飛ばされ、近くの小屋に激突した。そこに矢の雨が降る。


「お巡りさん!」


「くっ、火よ!」


 人間の放った炎は矢の雨を焼き消した。そしてすぐに体勢を直し、


「うおおおおお! 子馬ちゃんたちぃいい! そっちは行っちゃだめだぁあああ!」


 と魔物の群れに向かって突進したのだった。


 その警察官に第六感がささやいたのだ。

 子馬ちゃんになにかあったら、まずい。

 子馬ちゃんになにかあったら、サガン様が色々とまずい。

 この身を犠牲にしてでもあの子馬を守らないと、サガン様が絶対にまずい。

 なにがまずいかはわからないが、ともかく恐ろしいことが起こる。

 そして、警察官の慟哭に似た呼び声を聞いた村人にも、得体のしれない第六感がささやいていた。

 あの子馬に傷一つでもつけられようなら、サガン様が、やばいことになる。

 なにがヤバいかはさっぱり想像つかないが、本能が告げている。

 ヤバい。


「サ……サガン様の子馬様をお守りしろおおおお!」

「クーリンちゃん! フーリンちゃん! 戻ってきてぇええ!」


 自警団や青年団はもちろん、魔法が使えるだけのただの村民たちも魔法書を捨て、手に剣や槍やスコップやバールのようなものを握り、魔物の群れの中へと続いた。


「矢とかやめろやぁあああ! 子馬ちゃんに刺さったらどう責任取ってくれるんじゃぁああ!」

「この世に終末を迎えさせたいんかぁああ!」


 警察官を筆頭に、火事場のバカ力を発揮させた人間たちは、迫りくる魔物たちを次々と叩き倒し、矢を放ち続ける魔族めがけて石を投げたり火の矢や水の矢を無数に放った。


 魔族たちはいきなりなりふり構わずに突進してきた人間たちに戸惑いを隠せずにいた。

 怯んだともいえる。

 なぜ人間が窮鼠に変貌したのかわからない。確かに魔族は人間たちを追い詰めていたが、追い詰め切ったわけではなかった。まだ戦いは中盤、これから一気に攻め込むぞという手前だった。


「お、お頭様、これは一体……」


 戦闘馬を走らせながら部下が長アルマスを振り返る。

 アルマスは無言で長剣をふるい、火の矢を打ち払った。


「お頭様……」


「……、魔物はやつらにくれてやれ。少し早いが一気に村の中央まで攻め入るぞ、」


 続け!


 と声を上げようとしたその時だった。


 ふわっと空気が変わった。

 騎乗していた死獣がピタリと止まる。なんだ、と魔族は瞬きをした。まるで大気の聖霊に触れられたように、これまでの流れがせき止められた。


 空気が変わった中心に、ちょこんと二頭の子馬が佇んでいた。


「……、……馬……?」


 アルマスはぽかんとしてつぶやいた。

 とても小さな馬だった。顔だちを見ればまだ子馬である。

 暗黒の肌に銀色の鬣。

 純白と漆黒のまだら模様に銀色の鬣。

 そして背には白銀の翼。

 

 天馬。


 ゾクっ。

 その正体にひらめいてしまったアルマスは思い切り手綱を引いた。そのあまりの強さに、騎乗していた黒い犬が大きく吠え、後ろ脚で立ち上がった。

 それを合図だと思った部下の一人が号令を飛ばした。


「撃て!」


 後方の部隊が矢を放ち、魔法を唱える。


「子馬様を守れぇえええ!」


 そして人間たちが叫んだ。





 目の前に魔族。後ろには人間。

 間に挟まれて、子馬たちはアルマスをじっと見ていた。青い肌。長い髪。魔族。

 子馬たちは、間違えたのだ。


 違った。 

 違った。


 ヒン。

 ヒン。


 そして、見なかったことにした。間違えたという事実もなかったことにしようとした。くりっと踵を返し、人間たちのもとに戻ろうとした。お留守番をしていなければいけない。


 間違えてなんていないさ、そうそう、これは違うって最初っから知ってたし、そうそう。


 けれど、振り返るといつも頭を撫でてくれていた人間が鬼の形相で駆けてきていた。

 子馬たちは、なに、なにこれ、と思ったのだった。

 そしてまた反対側に振り返れば、いつも魔王城で見ていたような魔族たちがこちらに向かって魔法を放っているのだ。

 子馬たちは、え、どういうこと、と思ったのだった。

 そして、無数の矢がと魔法が子馬たちの小さな体に降り注いだ。


「クーリンちゃん、フーリンちゃん!」


 ヒィイン

 ヒィイン


 か細いいななきが矢の雨の中から漏れた。

 それは人間たちの逆鱗に触れた。


「おのれえええ! よくも子馬ちゃんたちをぉおおおお!」


「殺せぇえええ!」


 そして天馬の涙腺にも触れた。


 ドゥッ!


 炎の柱が螺旋を描いて天に突き刺さった。


「なっ、」


「えっ」


 魔族の長アルマスと警察官は、眼前で上がる爆炎に足を止めた。その爆炎は二頭の子馬の場所から発生したのだ。何が起こった、と天を見上げた時、その柱の真ん中から二頭の子馬が飛び出してきた。


 ひぃいん!

 ひん!

 ひん!

 ひぃいん!


 なにやら泣き叫びながら、空中を走り回っている。そして泣き声が上がるたびにバチバチと嫌な音を立てて、稲光のようなものが子馬たちの周りを走るのだ。かと思えば、いきなり周りの畑が爆音を放ち、土がとぐろを巻いて噴き上がる。


 ひぃん!

 ひぃん!


 バリバリ、ドォン……


 雷の槍がどこかに落ちた。


 ヒィン

 ヒィン


 ごゴゴゴ、ドォン……


 炎の槍が森に落ちた。


 ヒィン

 ヒィン


 ヒュゴォオオ、ドォォン……


 鋭い風が集まり、大地をえぐった。


 子馬たちが空を走っているその方向に、雷が走り、火柱が上がり、竜巻が起こる。

 ヒィン、ヒィン、泣きながら子馬たちが魔族と人間たちの頭上に走ってきた。

 雷と、火と、風を引き連れて。

 ド、ド、ド、ド、ド、雷と火と風は子馬の軌道に沿って大地を破壊していた。


「に、逃げろ! 撤退だ! 急げ!」


 あれに巻き込まれたら死ぬまえに灰塵と化す。そう思ったアルマスは、硬直していた兵たちに叫び、混乱する天馬達から全速力で逃げたのだった。

 魔族たちの動きはそれこそ窮鼠をも超越する勢いで、ヒヨリを囲む森を抜けた。

 そして平原を超え、川を越え、ヨタルのそばの森の中へと命からがら逃げ込んだ。


「天馬だ……、天馬。なんであんなところに……、なんで天馬が……」


 手に入れた死獣は、騎乗していたもの以外すべて失ったようだ。そして仲間たちの士気も奪われた。

 アルマス自身も恐怖と驚きに神経が高ぶっていた。

 天馬がいた。

 まさか、ありえない。そんなバカな。

 天馬は、天馬こそ、魔王しか持てぬ伝説の生き物ではないか。

 なぜあんな村にいるのだ。

 アルマスの脳裏に浮かぶのは、得体のしれない圧倒的な力。


 まさか、魔王が、いるのか?




 村に害をなす魔物は退いた。

 これで村は守られた。

 そのはずだった。

 ヒヨリ村の村民たちは、魔族よりももっと大変なものの前で命乞いをしていた。


「クーリン様ぁああ! フーリン様ぁあああ! お怒りをお鎮めくださいぃいい!」


「お怒りじゃないわ、きっとあれはびっくりして怯えているのよ! クーリン様、フーリン様! もう意地悪する魔族はいなくなりました! 怖がらなくていいんですよおお!」


「もしかしたら矢が当たって怪我をしたのかも! 痛がってるんだ! 手当しましょう! 回復魔法を使えるものもいますから! 村には腕の良い薬剤師もいるんですよ! トーマを知ってるでしょう? トーマ、あのトーマのママがそうですよ! だからもう魔法はやめてください! お願いしますお願いします!」


「ニンジン! ニンジン!」


 ある者は平伏し、ある者はニンジンを両手に持って振り回していた。

 天馬の子はそれでも鎮まらなかった。ヒンヒン泣きながら暴れ回っている。村の周りの畑も森も、魔族が襲って来た時の何倍も荒廃し、もはや地形さえも変わっていた。


 ヒィン

 ヒィン


「もしかして……サガン様じゃなかったからじゃない?」


 そう呟いたのはローザだった。皆、ハッとした。


「そうよ。クーリン様もフーリン様もサガン様を待っていたのよ。なぜだか知らないけれど、子馬様たちはあの魔族共をサガン様が帰ってきたのだと思ったのよ」


「だからか。そうか、それで、がっかりしたんだ」


「寂しくなったのか」


「パパかと思ったら、全然違ったうえに矢まで撃たれて悲しかったのか!」


「ああ、かわいそうなフーリン様、クーリン様!」


「おい誰かヨタルまで行ってサガン様をお連れしてこいよ!」


「いや、ヨタルに行く前にこのクーリン様とフーリン様の攻撃を越えてゆかなきゃいけないじゃないか、無茶言うなよ」


「死ぬよ」


 ローザはひらめいた。


「そうだ! サガン様の匂いとかするなにかを与えれば落ち着くんじゃない?」


 そしてサガン様の荷物が積まれた荷車まで走った。

 なにかないか、なにかないか。積まれているのは素人目にも分かるほどの財宝ばかりだった。様々な剣、盾、鎧のようなものもあれば宝飾品もある。どれもびっくりするくらい重たい。必死に動かし、腕を伸ばし、指先が布らしきものに触れた。

 これだ。

 服かマントかわからないけれど、匂いが染み込んでいそうな気がした。

 力いっぱい引き抜くと、それは見事な艶の、乳白色の布だった。

 これは最高に匂いがしそうだ。


「クーリン様! フーリン様! ほら! サガン様の、えっと、サガン様の布ですよ!」


 その布の正体がわからなかったのでちょっと濁してしまったが、ローザの声に天馬の子がピタリと止まった。

 くるっと振り返ると、空中でじっとローザを見下ろしてくる。

 ごくり。人間たちは息をのんだ。

 天馬たちはトコトコと空中を歩いた。そしてトコントコンと階段を下りるように大地に足をつけると、でこぼこの荒れ地を覚束ない足取りで歩き、ローザのもとにやってきた。


 ヒン

 ヒン


 目にはたっぷりの涙が浮かんでいる。そしてその涙をこすりつけるように、布に包まったのだった。

 助かった。

 村人たちは、布の中で眠りについた天馬の子にむかって、静かに平伏した。




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