第32話 副魔王 待ちわびられる

 ヒヨリ村に歓喜の朝がやってくる。

 魔物の活動時間は主に夜であるのは常識だった。そのため、ヒヨリの自警団や警察官は魔物を退治した後も集落の周りの警備に神経を尖らせ、一部の者は体脂肪を減らすために魔物の襲来を心待ちにしていたのだが、空が白み始め、水平線に一本の光の膜が張る。朝の到来であった。

 ゆっくりと姿を現す太陽は、ヒヨリ村の住人にとって勝利の証であった。


「夜が明けた!」


「やった! これでもう安心だ!」


 最悪の夜を乗り切りったのだった。

 避難していた人々もいっせいに建物から飛び出してきた。そして抱き合い、涙を浮かべながら抱き合った。

 朝だ。

 助かったのである。

 そして多くの人々は魔物が襲来した場所へと走った。この村を守った英雄たちを褒め讃えるためにだ。

 とはいえ、幼い子供や老人たちはまだ避難場所にいた。

 ローザはそのか弱い避難者たちとともに村役場にとどまっていた。


「ローザさん、もうお外はこわくなっくなったの?」


 子供たちが不安そうに固まって、ローザのそばにいる。


「ええ、朝が来たからもう安心よ。こわーい魔物は夜にしか来ないの」


 それでもまだおびえた様子の子供たちの頭を、ローザは微笑みながら撫でた。


「さ、朝ごはんを作るわよ。あったかいスープもね。魔物を退治してくれたおじさんやおばさんたちにもって行ってあげましょう」


「うん」


 備蓄していた食料を使う必要はなさそうなので、町役場に残っていた人々が一度家に戻り材料を持ち寄った。パン屋も急ぎ大量のパンを焼いてくれたので、焼きたてのパンを使った軽食をたくさん作ることができた。

 まずは老人と病人、子供たちに軽食とスープをふるまうと、ローザは


「さあ、いきましょう!」


 と部屋の隅の籠に声をかける。

 するとピョンと二頭の子馬が飛び出してきた。

 天馬の子たちはローザとともに役場に避難してから、おびえて泣く子供や癇癪を起こした寝たきりのご老人らを慰めて回っていた。

 愛くるしい姿のおかげもあるのだろうが、天馬の子は不思議と人の心を癒してくれる。ヒンヒンと語りかけると、皆一度はきょとんとし、そしてはにかむように笑って見せるのだ。見た目のかわいらしさ以外にも、絶対に不思議な力があるに違いないとローザは思った。

 その天馬の子たちは楽しそうにローザの周りを回った後、ローザを置いて役場の正面玄関を出て行ってしまった。


「あ、こら! はしゃがないの! 待ちなさい!」


 軽食を乗せた大きなお盆をもって追いかけたが、その姿はどこにもない。


「え、うそ……、どうしよう……」


 どこに行ったのだろう。ローザはさっと青くなった。

 けれどすぐにヒンヒンという声が聞こえて、その方向に顔を向ければ、子馬たちが空を飛んでいた。

 ローザはあんぐりと口を開けた。

 翼があるから飛べるのだろうとは思っていたが、本当に飛べるとは思っていなかった。しかも、飛んでいるというよりも、空中をかっぽらかっぽらのんきに走っているように見える。小さな翼は動かしていない。


「な、なにやってるのー、おりてきなさーい……」


 するとフーリンとクーリンは、まるでそこに地面があるかのようにピタリととまり、そこに階段があるかのように下ってくるだ。

 飛ぶというよりも、足元に見えない地面を作って走っている。

 魔物や神獣とはかかわりのない生活を送っていたローザにとって、天馬の子の行動はどれも不思議に見えて仕方がなかった。


「……。さ、行きましょう」


 そう言ったが、子馬たちは全く話を聞いてくれず、役場の裏手に走りこんでいってしまった。


「ちょ、ちょっとー! なんで私の言うことは聞いてくれないわけ?」


 仕方なく追いかけようとすると、キコキコと音がする。

 音の正体は、大きな荷車だった。それはたしかサガン様が持ってきた荷車であり、まだ金銀財宝がロープでぐるぐる巻きにされた状態で乗せられている。

 子馬たちはそのハンドルを咥えてキコキコとひいてきたのだった。

 そしてローザの前で一度置き、顔を後ろに軽くふる。


 ヒン


 乗れ。


 そう言われた気がした。

 荷車には小さな鞍のようなものが付いていた。それはよく見れば美しい細工が施され、小さな宝石で絵が描かれている。見事な宝物だったが、それ以上に魔力のようなものも感じた。

 ローザはあまり魔力がない。そんなローザにさえも感じ取れるほどの魔具なのだろう。

 サガン様って本当に何者なのかしら。


「運んでくれるの? ありがと。じゃあ、……この鞍をつければいいのね?」


 そういうと、子馬たちはヒヒんと首を振る。すると勝手に荷馬車が動き、鞍のようなものが勝手に子馬の背に乗った。すると鞍から美しい紐やらアタッチメントが勝手に飛び出してきて、勝手に子馬たちの体に装着されたのである。


「す、……すごーい……」


 ローザにはそれしか言えなかった。子馬たちが誇らしげに胸を張ったように見えた。


 ローザは金銀財宝の横に、スープの鍋と食器、手拭き布、そして軽食を大量に積み込んだ。


「大丈夫? 運べる?」


 ヒン

 ヒン


 任せて。そんな声が聞こえる。

 子馬たちはカポカポと歩き出した。金銀財宝と料理を積んだ荷馬車は、きっと大きな馬にとっても重たいだろう。しかし子馬たちは苦も無く運んでいる。

 こんな小さいのに。

 大型犬の子犬くらいの大きさしかないのに。

 不思議。


「ありがとね」


 ヒン!

 ヒン!



 褒められて嬉しいみたいだった。どうってことないさ。そんな声も聞こえた気がした。



 集落の正門が見えてきた。そして人だかりと、巨大な犬の死体。猪もいる。あんなのが襲ってきていたのかと少しぞっとした。

 犬は本当に大きい。サガン様の小屋よりも大きいかもしれない。


「お疲れさまでした! 軽食とスープ持ってきました! お水は足りてますか?」


 ローザの声に人々が嬉しそうに振り向いた。

 鞍が外れた子馬たちは興味津々といった様子で魔獣の死骸の周りをうろうろし始めた。


「変なの食べないでよ?」


 はらはらしながら、自警団の人たちに差し入れを渡してゆく。

 スープを受け取った巡査長が言った。なぜ上半身裸なのかはあえて聞かなかった。


「まさかあれを食べはしないだろうさ。ニンジンとの違いくらい分かるだろう。あっはっは」


 そうか。みんな知らないのだ。あの子馬たちが肉も食うことを。


「それにしても、あの大きな犬はなんなんです? 猪も」


「犬のほう、あれは死獣だろうな。死獣にもいくつか種類があるが、犬の死獣は群れで行動するから手強い。幸いにも五頭と少なかったが、一桁違えば……どうしようもなかったな」


 ぞっとした。


「どうしてそんな魔物が……」


「ヨタルを襲ったというのはきっとこれだろう。群れからはぐれてきたのかもしれない。群れの残りか来るかもしれないから、柵を強固にして、森にも罠をしかけよう。明るいうちにやれるだけやって、夜はいつでも避難できるように準備を……」


 その時だった。


 ウォーーーーーン

 ワォーーーーーーン


 ぞわりとする遠吠えが聞こえた。

 皆、瞬時に声のする方向を見た。

 荒れた畑の向こう、森の中から、巨大な犬が五頭ほどかけてきたのだった。

 死獣だ。

 その背に魔族が乗っている。

 そしてその後ろには巨大な馬。厳めしい鎧をつけた戦闘馬だ。数十頭に近い軍勢のすべてに魔族が騎乗して、こちらに向かっているのだった。


「民間人は下がれ!」


 巡査長が素早く前に出た。

 そして自警団も銃と弓を構える。


「来るぞ! 防御魔法の準備を!」


 巡査長の合図とともに、魔法の教科書や魔術書を手にした人々が詠唱に入った。普段使っていない魔法だからたどたどしい。その中でも自警団と巡査長の手さばきは見事だった。

 特に巡査長はすごかった。昼寝ばっかりしているおっさんがよく警察官になれたな、なんて普段は思っていたけれど、ローザはその考えを改めたのだった。

 あっという間に風の壁を作り、そして拳に炎をたたえると突き出すようにしてそれを発射するのだ。まるで炎の大砲だった。弾丸は迫りくる魔物に当たるまでは至っていないが脅威にはなるだろうし当たれば相当な威力だろう。

 けれども相手の魔族はとんでもなかった。

 槍の先から放たれた不思議な光はまっすぐに村の入り口に伸び、風の壁を簡単に壊した。


「逃げろ! 次が来る!」


 巡査長の声に一般人は悲鳴を上げて逃げ出した。


「光の壁よ!」


 と声がしたのと同時に、眩い光がさく裂した。

 光の壁が魔物の得体のしれない攻撃で破壊されたのだった。


「来る!」


 その巡査長の声とともに、ドン、ドン、ドン、と周囲の畑に大穴が開いた。そして、正門の目の前にも、ドン。


「きゃあ!」


 ローザは荷台の影に隠れた。

 それでもすさまじい衝撃になすすべなく地べたに倒れこんだ。痛い、けれど、逃げなくては。

 必死に起き上がると、巡査長が迫りくる巨大な犬に向かって走っていた。

 駄目だ、死んじゃう。

 自警団が援護するために銃を撃っていた。魔法を唱えているものもいるけれども、劣勢は明らかだ。

 戦闘馬に騎乗している魔族が矢を放ち始めた。それが雨のように降ってきて、ローザは考えるよりも先に逃げ出していた。

 恐い。

 コワイ。

 殺される。

 こわい!

 みんな、死んじゃう。

 走って走って走って、気が付いた。

 自警団のみんなは、巡査長は、大丈夫だろうか。

 私は村長の娘なのに、見捨てて自分だけ助かろうをしている? けれど、私は足手まといだから仕方がない。仕方がない?

 ローザは立ち止まった。

 村長の家の者は、村民を助けないといけないのに。

 逃げてしまった。

 戦えなくても、できることはあったかもしれないのに。例えば、怪我をした人たちを起き上がらせたり、逃げ道に誘導したり。

 コワイ。けれど、行かなきゃ。

 仕事にもつかずに家事手伝いなんかしているんだから、こんな時にくらい村長の家の者として働くくらいしなきゃ。

 ローザは下唇を噛み、恐怖を飲み込んで、振り返った。

 その先には、降る矢を炎の魔法で焼き消しながら必死に村を守っている自警団と、遠くで魔族たちに立ち向かっている巡査長の姿があった。


「矢避けの板を! これを使って!」


 ローザは近くの薪小屋にあった板を何枚も重ねて自警団のもとへ走った。


「ローザ、逃げろよ!」


「逃げるけど、これ、盾に使って! 怪我をしている人はいない? 届かないところまで運ぶから!」


「さっきが石が当たって動かなくなったやつがいる! 誰かは見えなかったけど、助けてやってくれ!」


「わかったわ!」


 板を頭に掲げながら、倒れている青年のところへ走った。肩を痛めているらしかったが死んではいない。けれど意識がない。なんとか肩で起き上がらせて近くの建物の影へ移動させた。

 矢が刺さった人も同じく建物の影へ運び、板を立てかけて隠れる場所を作ると、魔法を使える人間を呼び寄せる。そこから魔法を放ってもらうのだ。

 ローザはできる限りのことをした。そして自分にできることが本当になにもないのだと痛感した。


「ローザ。……あの子馬、……大丈夫?」


「え?」


 板の陰で魔法の教科書を必死でめくっているかつての同級生の言葉に、ローザは瞬きをした。


「あそこにいるけど……、逃がさなくてもいいの?」


 サガン様の子馬ちゃんは、死獣の死骸のそばに佇み、じっと魔物たちのほうを見ていたのだった。

 幸い矢にも魔法にもあたっていないようだが、さっきから爆風が子馬たちの鬣を揺らしている。


「あ、……、あ……、クーリンちゃん、フーリンちゃん……」


 こっちにおいでと言いたかったが、それでも安全ではない。


「こっちはどうにかするから、あの子馬を連れて逃げろ。サガン様の大事なペットだ。頼んだ」


 きっとこれは、この同級生が逃げろと言ってくれているのだ。


「けど」


「こっちは任せとけ。お前は未来の村長だろ? 今は不安になっている大勢の村民を見ていてやれ」


「……分かった。そうするわ」


 未来の村長。

 その言葉はローザの心にピンと芯を張ったのだった。


「フーリンちゃん、クーリンちゃん、こっちにおいで!」


 矢の雨が途切れた瞬間を狙ってローザは子馬たちを呼んだ。

 子馬たちはくりっとローザを見たが、すぐに魔物たちのほうに顔を向けてしまった。もしかして同じ魔物同士、なのか感じるものがあるのだろうか。

 どうしよう、天馬の子が敵について行っちゃったら。

 いや、それよりも、サガン様の子馬ちゃんが誰か別のものになったりなんかしたら。

 サガン様が、……どう思うだろう。


 まずい。


 魔族に村が襲われることよりもさらにまずいことになると直感した。

 言葉で説明ができないが、まずいのだ。それはまずい。


「フーリンちゃん、クーリンちゃん、おいで! おいでってば!」


 けれどローザの声が届かない。全くこちらを向いてくれない。


「逃げろ! 撤退だ!」


 巡査長の声が響く。

 集落の正門から数十メートルとう間近にまで、魔物たちが迫っていた。

 黒い犬に騎乗した魔族が見えた。


 青い肌に、長く美しい黒髪。


 一瞬目を奪われる美貌。


 美しさは強さであると聞いた。


 あの魔族は、ただの魔族じゃない。


 ローザがぶるりと震えたとき、


 ヒン!


 ヒン!


 と子馬たちが嬉しそうにいなないた。


 パパ!


 そう言ったような声が聞こえた。聞こえたときには、もう子馬たちは駆けだしていた。


「違うそれ違う!」


 ローザはわけもわからず叫んでいた。


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