第31話 副魔王 大いなる何かの力

 ヨタルの街からずいぶんと離れた場所に小さな集落がある。

 住民は主に魔族であった。

 魔族がのんびり平和に暮らしている、何の変哲もない集落だ。

 この大陸に多いのは人間と精霊族で、魔族はあまり多くない。

 しかし、魔王が住むのはこの大陸だと言われている。

 魔族の国が多く存在する大陸に魔王がおらず、どうして魔族の少ない大陸に魔王がいるのか、ちょっと考えればとても不思議なことなのだが、ほとんどの者たちは疑問にすら思っていなかった。

 しかし、十日ほど前、事態は変化した。


「魔王の座をいただこうと思う」


 そのように発言した魔族がいた。集落の長だった。

 青い肌をした冷たい面差しの青年である。青年と言っても、人間に比べればかなり長い年月を生きている。二百年ほどだろうか。

 人間と違い、魔族や精霊族は、待つ力によって寿命が長くなる。


「この世界の理が変わったようだ」


 長は時代の変化を瞬時に感じ取っていた。


「お頭様、どういうことでしょうか?」


 長の館に集められていた集落の人々が訊ねた。


「この世には不文律とういものがある。それが崩れたんだよ。君たちには感じられないかもしれないが、私は感じた」


 ごくごく一般的な魔族は首をかしげたが、中には閃いたように顔を上げたものもいた。


「お頭様、それはもしかして……、この解放感でしょうか」


「なにか感じたのか」


「はい。なんというか、これまで押し込められていた野心というか、抑圧というか……、それが解放されたのです。……一つの集落に留まっていなくてもいいのでは? と思ったのです。他の集落に攻め入って勢力を拡大させるのは禁忌でしたが、なぜ禁忌であるか。なぜ、自分たちが勢力拡大をしてはいけないのか、と」


「そうだとも!」


 長は声を上げた。


「その通りだ。それが不文律だった。この世この世界この星のありとあらゆる生き物には、これをしてはいけない、という絶対的な考えが魂に刻まれている。けれども、それが今まさに崩れ始めた。我々は国境を持たない。国はあってもその境目はない。しかし、どの辺りからが他の種族の縄張りかが分かる。……それが不文律だ。縄張りの境目には野生の魔物や神獣が多く住むだろう? 野生生物たちはその境目に住むべきだと魂に刻まれているのだ」


 長は立ち上がり、集落の人々を鼓舞するように声色を徐々に上げてゆく。


「私たちはこの狭い集落から出るぞ。目指すのは魔王」


「お頭様、では……魔王打倒の兵をあげるのですか?」


「いや、違う。魔王の勢力を我々のものにするのだ。私たちが、この世界を、制するのだ!」


 なんとも突拍子もない話だった。

 平和な大陸の自然豊かな田舎でのんびりと暮らしていた魔族たちには戸惑いしかなかった。周囲の集落から差別を受けているわけでもないし、麦の生産と清流で採れる高原山菜の栽培でそれなりに名をはせていた。少し遠いが、ヨタルという大きな砦の学校に通う若者もいるし、大陸中央の都市で新規事業を旗揚げした経営者も輩出している。


「今が目を覚ます時だ。この機を逃しては、私たちは次の不文律に飲み込まれていしまう」


 今が好機であると長は思っていた。

 同時に、今しかないと焦っていた。


「遥かなる高みから見物している者たちに、これ以上操られるつもりはない」


「魔王を倒し、英雄となるのではなく、魔王にとって代わるということですか?」


「皆、勘違いしているのだ。英雄だとか勇者だというものは、単なる不安分子でしかない。施政者ではない。目の前にあるなにかを打破するだけに過ぎない。勇者? 英雄? そんなものになって私たちが栄えると思うか? 私たちは繁栄するためにこの世に生まれ、今もなお生き、種を残している。この世で最も栄えるために、私は魔王の座をいただく。私たちが最も繁栄するためにだ! 手始めにヨタルを落とす。魔獣使いの技を持っている者は手をあげろ!」


 すぐに数十名の魔族が手をあげた。

 魔獣使いの技というのは、魔獣を飼育する酪農家であれば必須の技術である。そして催眠や洗脳の能力があれば簡単に習得できた。

 長ももちろん、その能力に長けていた。


「これよりヨタルに攻め入る。そして、その近辺の村や町を吸収し、魔王城へ侵攻するための準備に入る!」


「は!」


 集落の魔族たちに、いつしか野心の炎がともっていた。


「今ここに、我がアルマスの名において、この世の不文律を破ることを宣誓する! 我らの繁栄のために!」


「我らの繁栄のために!」


 長アルマスは小さな集落から巨大な玉座を目指し、戦旗を翻したのだった。

 目覚めたアルマスの民は、その持つ能力さえも同時に覚醒したようだった。

 あっという間に集落周辺の魔物を配下におさめ、コボルトやピクシーたちが極端に減って縄張りが途切れた場所に、その勢力を広げた。

 強まった魔獣使いの能力により、野生の魔獣はもちろんのこと、遠い山脈から死獣の群れを呼び寄せることまでもやってのけた。

 これには長アルマスも驚きと喜びの笑い声が上がった。

 死獣の犬は主を選ぶ。

 いかなる戦闘魔族であっても、服従させられずに食われるものもいる。

 調伏に失敗し一族郎党が逆に駆りつくされることもある。

 その死獣を手にすることができたということは、たとえそれが十体ほどの小さな群れであっても、魔族の一個師団を手に入れたに等しい。

 魔物たちが作り上げている境目は、アルマスの勢力範囲をものすごい速さで広げてゆく。

 翌日には巨大な城砦都市ヨタルに迫っていた。

 ヨタルはの砦は堅かった。

 しかし、思ったほどではなかった。死獣の活躍はめざましく、一晩でヨタルを奪うことまではいかなかったが、着実にその中央に迫っていた。

 その間、アルマスたちは他の魔獣を調伏し続けた。

 怪鳥の群れが手に入った。

 巨大なトロールも配下におさめた。

 小さな村を襲い、人間や妖精たちを五百名ほど従え、新たな拠点も手に入れた。

 アルマスの魔族たちは自分たちの強さに気が付き、自信を持ち始めていた。これならば本当に魔王の逆座を得ることができる。

 もっと強くなれる。

 野心は燃えに燃え上がった。

 しかし、不思議な場所があった。

 どうやっても、調伏した魔獣たちが向かわない場所がある。

 ヒヨリ村だ。

 アルマスの集落の魔族のほとんどが聞いたことがない村。数名だけが、あそこの花畑はなかなかの絶景だと知る程度の、地味な村。しかしその村がある方向へは、魔物が一切向かおうとしないのだった。

 さして欲しいとも思わない場所であるが、アルマスの魔族たちは今『手に入るものならば何でも欲しい』という状態だった。

 そして、決して魔物が向かなわい村というものが酷く気になった。

 アルマス自ら死獣の背に乗り、兵を率いてヒヨリ村を目指した。

 しかし、ヨタルからの森を抜けたあたりで、死獣はピタリと足を止める。


「どうした! 何を怖気ずいている! 行け!」


 命じて何とか進ませるが、今度はアルマス自身がぎくりとした。

 この先に行ってはいけない。

 心臓が激しく高鳴り、体の中心が震えた。

 目の前にはまさに田舎の村という風景が広がっているのに、目に見えない何かに恐怖している。

 しかし、目の前を平然と小さな狐が駆けているし、小鳥たちが遊ぶように空を飛んでいた。

 海が近いため、海鳥も遠くに見えた。

 生き物はいる。

 幸せそうに生きている。

 しかし、自分たちは立ち入ることができない。

 攻め入ってはいけない。

 野心をもって、害をなそうと思って、近づいてはいけない。

 ここは、……


「一旦、引くぞ……」


 アルマスは、死獣の群れと率いていた魔族たちに命じ、引き返した。誰も文句を言わなかった。同じく恐怖を感じていたからだ。



 そして、とある夜だ。

 ヨタルに攻め入ろうとしていた。あと少しでもう一つの砦を破ること出来そうであったし、それさえ越えてしまえば中枢に攻め込むのは容易い。計画通りだった。

 しかしだ、その夜アルマスはまたもや恐怖を感じたのだった。

 ヨタルの砦に、ヒヨリ村で感じたあの恐ろしさがあったのだ。

 死獣も近寄るのを拒んだ。

 アルマスだけではなく、兵士たちもその恐怖を感じ震えた。


「お頭様……、お頭様……、あの砦の中から異常な圧力を感じるのですが、あれは、あれは何なのですか」


「わからん。しかし、あれを感じられるのは一部の者たちだけのようだ。あとは力のある魔獣。……、弱い者はなにも感じていないらしい」


 つまり、一定以上の強さがあるからそこ恐怖を感じるのであり、強さの証明でもあったが、逆に弱さの証明でもあった。

 ヨタルの中に、絶対に敵わない何かがいる。

 絶対的強者がいる。

 それが分かってしまった。


「……今宵は、やめておこう」


「しかし士気が下がります!」


 ひとりの兵士が声を上げた。まさしくその者の言う通りだった。恐怖を感じない者たちは興奮状態である。取り止めを告げれば不満が爆発し、暴走しかねなかった。

 であれば、とアルマスは一つの考えを口にした。


「可能性として、昨日までヒヨリにいた何かの力が、ヨタルに移動したのかもしれない」


「何かの力、……ですか?」


「ああ、この不文律が崩れた状態にある今だからこそ、もしかしたら遥かなる高みにいるはずの得体のしれない力が下界に降りてきたのかもしれない」


「……それは、どんなものなのですか?」


「知らん。見たことがないからな」


「……それは、そうですが……」


「しかし、なんともタイミングが良いとは思わんか? 不文律が崩れ、得体のしれない圧倒的な力が出現したというのは」


「というと?」


「潮目か変わった証拠だとは思わないか? 世界が変わる節目。私たちはそれを見定めることができたのだ」


「……た、確かに……。では、私たちは世界変貌の流れに乗ることができたということでしょうか?」


「その通りだ。あの大いなる力と思しきものが、ヒヨリからヨタルに移動した。ヒヨリには今、あの得体のしれない力は無い。今がヒヨリの攻め時なのだ」


「では、今宵はヒヨリ村に攻め込むのが吉、と?」


「そうだ。そして、ヒヨリを手中におさめた頃には、大いなる力はヨタルから別のどこかに移動しているだろう」


 そのアルマスの考えに、兵士たちはすぐに納得がいった。我らが長には先見の明があると誰もが思った。

 アルマスの青い肌はこの数日でより鮮やかとなり、目の光は強くなっている。魔族としての力が刻々と強くなっている証拠であった。


「目標変更! 死獣をヒヨリ村へと向けよ! ヒヨリ村を制圧し、ヨタル攻めの基盤を作る! 第一陣として死獣の半分を放ち、第二陣に魔法使いと魔獣を中心とした大隊、第三陣で残りの死獣を騎獣とした連隊で攻める! また、怪鳥を中心とした部隊でヨタルを監視し、大いなる力が移動したと同時に空から攻め込む!」



 アルマスたちはすぐさま目標を変更し、ヒヨリ村へと向かった。

 第一陣の死獣は怖がることなく森を抜け、まっすぐに村の中心に向かってゆく。

 思った通り、大いなる力はヒヨリに残っていなかった。これは陥落も容易いと思ったが、人間たちの猛烈な抵抗は想定外だった。

 死獣と、死獣によって調伏された野獣たちは人間たちによって倒されてしまったが、第一陣に過ぎなかったので兵力の半分も失っていない。

 撤退しつつも、アルマスは全く意に介していなかった。


「お頭様、どういうことでしょうが、ヨタルの兵士よりもヒヨリの住民のほうが手強く感じます」


「案ずるな。人間たち中にも私たちのように力が目覚めたものいるのかもしれない。しかし、死獣が少し減ったとはいえ、私たちにはまだまだ戦力がある。人間たちが油断したころに一気に畳みかけるぞ。それと、あまり田畑を荒らすな。これから私たちの食料を育てる大事なところだ」


「は! かしこまりました」


 アルマスたちは一度森に身を潜め、ヒヨリ村の住民が警戒を解くであろう夜明けを待つことにしたのだった。


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