第30話 副魔王 痩せる理由になっている

 その時、ヒヨリ村の巡査長の眠気はピークに達していた。

 丸一日以上寝ていない。部下である巡査が戻ってきたら帰宅して眠れると踏んでいたのに、まさか帰ってこないとは。それほど村の周囲は緊迫しているのだろうか。首をかしげてしまうほどに、ヒヨリ村は平和である。

 平和である村では、たびたび交番が警察官不在になる。巡査長も巡査も、同時に休憩に入ったり帰宅することが週に三回以上ある。そうでないと回らないし、なによりも村は平和なのだ。警察官の必要性がほとんどない。

 しかしながら、村の周りが厳戒態勢の中で、まさか帰宅してぐーすかと眠りこけるわけにはいかなかった。

 巡査長は必死で眠気を堪えていた。とっくに日が沈んでいる。空には星が輝いていた。

 眠い。

 眠ったら死ぬぞと脅されても眠ってしまう気がする。

 目を開けているだけでも褒めてほしい。

 もはや目を開けたまま寝ていた。


 ジリリリリリリリリリ!


「ふぁ!」


 突然のけたたましい音に巡査長は目を覚ました。目を開けたまま寝ていたせいで目玉が転げんばかりだった。


「なんだなんだ!」


 目覚まし時計の音に似ているが、このタイプの音の物は所持していないはずだったし、電話の音にしても音量が大きすぎる。

 それが緊急警報だと思いいたるまで、眠気で壊れかけた頭ではたっぷり一分を要したのだった。

 そしてサイレンが鳴る。

 部長が緊急警報の音を切り、アナウンスをするために、普段は使っていないマイクの電源を入れた。


「緊急警報。緊急警報。ヒヨリ村の疑似境界線を特定魔力を持った生物が通過した。緊急警報、緊急警報。村人は速やかに避難をしてください」


 眠い。

 頭がぼんやりする。けれどそれが良かったのかもしれない。巡査長は冷静だった。

 ヒヨリ村始まって以来の大事件が起こっているのに、心が全く乱れることがなかった。


「さてと、魔物ね……。トーマもいないのに、全く……。退治しに行くか……。はぁ……」


 心が乱れないどころか、面倒で仕方がなかった。

 村長から電話がかかってきた。

 不思議なことに自警団も青年団も婦人会もやけに行動が早く、老人や病人や子供を最優先に、町の中心にある役所や学校、そして教会へと避難の誘導を始めているらしい。

 平和ボケしている村だが、いざという時はやる村民なのだと巡査長は感心した。

 村長の権限で、村の柵に電気を流すことを許可された。普段は猪用の電気だが、今回は電圧を最強にまで上げた。

 交番に設置されている電光板によれば、村の周りにある畑などのさらに外、森や林のある自然の部分に、魔力を持った動物の群れがいる。

 電光板に無数に光っている点は、魔力を持った生き物に反応しているのだ。

 ピクシーのような一般的に害のないとされている魔物や妖精には反応はしない。魔力が弱いからだ。反応して光るのは、危険と判断される量の魔力を放出している生物ということになる。魔物だ。

 魔族や精霊族、また魔法を使える人間も危険とされるだけの魔力を持っているが、反応することは稀だ。無意識のうちに魔力を抑えているからだ。しかし獣に分類される生き物は、魔力を抑え込むことがあまりないのだ。特に臨戦態勢に入っている場合は、一際魔力を放出する。

 巡査長は顎を撫でた。


「……臨戦態勢の魔物ではないことを願うが……」


 光の点の動きから、群れで狩りをするタイプの魔物だろう。


「あー……、これ無理だな、はは」


 しかも動きが素早い。

 狼のような魔物であればたった一人では太刀打ちができそうもない。

 しかし、そうこうしているうちに魔物は集落の柵の近くまで迫ってきている。

 巡査長は、ふっと息を軽く吐いてから村の出入り口へと向かって駆けた。

 走りながらも、中年の巡査長は迫りくる魔物の気配を捕らえていた。電光板で見るよりも、実際に肌で感じるほうがその動きがよく分かった。

 無数に光る眼が見えるのは、気のせいではないだろう。

 ヒヨリ村に配属される前には何度も経験した現象だ。向けられる殺気や魔力を感知して、その先にあるものを透視する。魔力を魔法に変換するよりも、魔力と肉体が一体化しているタイプにたまに出る体質の一つだ。千里眼とも言われる。

 巡査長は身体的能力が高かった。魔力も警察官の試験に受かる程度には一般人より多いのだが、その半分以上が肉体の中を巡っている。

 とはいえ、千里眼能力は警察官の中では平均よりも少し高いくらいだ。

 なにか特出した能力があるわけではないが、警察学校の訓練と繰り返された実践経験によって、必要な時に千里眼に近い能力を無意識に使うことができる。

 大きな黒い獣。

 犬に似ている。

 目は赤い。

 俗にデスドックと言われている獰猛な魔物の群れだ。

 死獣に分類されている。影魔法に似た能力を持っていて、夜闇に紛れて獲物を捕らえ、生命力を奪い、肉を食らう。

 野生の死獣はこの辺りにはいない。いるとすれば、それは人工的に作られた群れだ。

 魔族と精霊族の戦争では、飼いならした死獣を使うことは多い。けれども、人工生命や人工繁殖であっても、人間にはなかなか飼いならせることができない。

 おそらくどこかにこの群れを操っている魔族がいる。

 睡魔に侵されている脳も、仕事となれば的確に情報を処理し、一番可能性の高い答えをはじき出した。

 そして、もう一つの答えもはじき出す。

 自分には、その魔族を探し出し捕らえることはできない。目の前の魔物を村に入れないことが最優先であり、それに集中するためには、魔族などに気を取られている場合ではないからだ。

 そして、この魔物の群れを己一人で退治することは無理である。

 けれども、逃げ出すことはできない。


 私は警察官だからだ。


「はああああ!」


 巡査長は手にしていたナイフにありったけの魔力を注いで、渾身の力を込めて、村の外に向かって刃を振った。

 ナイフの刃から白い光の斬撃が放たれた。

 それは横に孤を描きながら大地を破壊した。

 二体の魔物がそれに巻き込まれたのがわかったが、少ない。せめて五体はいきたかった。


「はあ!」


 魔力を込めながらさらに走り、今度は下から刃を振る。

 先ほどよりも小さい光が放たれた。小さいが、それは斜めに闇を裂くように魔物に向かって飛んで行く。そしてやはり弧を描く軌道によって三体の魔物にダメージを与えて、大地に突き刺さった。


「せやっ!」


 最後。

 一番力と魔力を込め、重たい一撃を払う。

 それは見事は一直線の光の刃となり、大地と水平に空を滑っていった。

 一掃。

 とまではいかないが、先陣を切って迫っていた群れは薙ぎ払うことができた。ナイフの刀身と引き換えに。

 容量オーバーの魔力を込められたナイフはぼろぼろであった。刃が半分以上、腐食したようにかけている。柄のコーティングも風化でもしたかのように変わっていた。

 巡査長はそれを捨て、今度は銃を構えた。

 二百発の小さな弾丸が充填されている。数を増やす代わりに弾は小さく、魔力を含ませることはできない。完全に物理攻撃のみである。

 遺伝子操作で生まれた死獣は、魔力が強い代わりに、野生の動物よりも若干毛皮の強度が弱いらしい。それを信じるならば、銃でも戦えるはずだった。

 気配が近づいてくる。

 巡査長は銃を構えた。

 平均よりちょっと上程度の千里眼がそれを捕らえるのをじっと待つ。

 赤い目。

 見えた瞬間引き金を引いた。


 パン


 軽い音とともに、ギャウン、という声が届いた。しかし死んでいない。焦りそうになったが、そのまま引き金だけを連続で引く。パパパパ。軽い音が連続して聞こえ、獲物に命中した微かな音もそれに重なっている。しかし死んではいない。思ったよりも死獣の皮が厚く、この銃の弾が小さすぎる。

 舌打ちしそうなのを堪えて、さらに引き金を引く。

 しかしその時、視界にさらに三体分の赤い目と、それよりも低い場所に黄色く光る無数の目が入り込んだ。

 なんだ、あの黄色い目。

 そしてその目の持ち主の輪郭。

 見たことがある。


「猪……」


 ただの猪に見えるのに、魔力がある。


「あの犬が影で乗っ取ったのか?」


 死獣の持つ影の呪い。

 生命力を奪い、傀儡にしたのか。巡査長はそう考えた。なくはない。眷属を増やすのは、魔力の使い方として王道だ。

 しかし、これでは銃では足りない。


「ああ、もう……。本官は左遷された身で、もう第一線からは退いたんですがね! ははは!」


 エリート街道を捨てて田舎に戻ってきた部下とは違い、巡査長は若くして実戦部隊に配属されたものの、ミスが続いて内勤になり、窓際を経て田舎に飛ばされた落ちこぼれだ。最初はくさったが、今はこののんびりとした生活を気に入っていた。

 若いころは格闘技だ何だと必死だったが、あんな忙しない生活にはもう戻りたくない。

 戻らなくていい。

 そう思っていたのだ。


「なんで今更、たった一人で、こんな魔物の群れと対峙しているんだろうね!」


 これは死ぬと思った。

 実戦部隊で、死獣もどきと戦ったことはある。けれどそれは十数名の部隊だったし、万全の装備と計画だった。傀儡された魔物を駆除したこともある。けれどやはりそれも、巨大な武器や重機に、人海戦術。こんな一本のナイフと魔力も込められない銃だけで、一人で挑むなんてことはなかった。

 千里眼により、大きな三体の犬が同時に駆け出した瞬間が見えた。

 巡査長はとっさに後ろに走り出した。

 絶対に追いつかれる。

 それは分かっている。しかも左右と真上から飛びかかられる。


「火よ!」


 二本の指を立て、ぐるっと体の周りに円を描けば、一瞬だが炎の輪があらわれて犬たちが僅かにひるんだ。しかし左側の大きな犬が軽く一吠えすると、得も言われぬ衝撃が左肩を襲ったのだった。

 ぐじゅっ。

 何かが染み込んでくるような気色の悪い感覚と衝撃、そして痛み。


「ぉあっ」


 巡査長は意識を失いかけ、そのまま崩れるように転んだ。幸い失神するまでには至らなかったが、三半規管がおかしい。

 影魔法か。

 優秀な部下が得意とする影の魔法は、地味だが地味に威力があるのだ。魔物の使う魔法は、小細工がない分ダメージがさらに強い。

 左腕の感覚がない。

 もしかしたら魂をかじられたかもしれない。

 精神を奪うというのは、こういうことなのか。

 最初に魂を食われ、動けなくなったところで肉を食らうのか。

 意識があるままむさぼり食われるのか。

 コワイ。みじめだ。いっそのこと頭から食らってくれればいいのに。



 こんな死を迎えるために警察官になったわけじゃない。もっと、人々から感謝されるために警察官になったのだ。学生時代、勉強はあまり得意ではなかった。取柄は運動神経くらいで、格闘技にはまって、それを生かす職業といったら軍隊か警察官。人に感謝される職につきたくて警察官を選んだ。

 誰かのために。

 笑顔を向けられたかった。

 自分のために。

 自分のために、誰かを守りたかった。

 自分の為でもなくていいから、誰かを守りたかった。

 それが警察官なのに。

 警察官として失敗続きで、窓際で、辺鄙な村に左遷されて、しかも故郷ですらない。

 縁もゆかりもなければ守るためのやる気もない場所だ。けれど、警察官として、結局誰も守ことなく、ただただ犬に食われて死ぬのか。そして、この犬たちは村人も食うだろう。


「……せめて、それだけは……」


 巡査長は右手で銃の引き金を引いた。

 パン、と何かに命中した。きゃうんと声がして、声がした方向に体をずらし素早く起き上がる。

 そして連続して銃を撃った。

 最後の最後くらいは、目的を成し遂げてから死なせてくれ。

 何もない人生だったなんて御免こうむる。


「私は、ヒヨリ村の、警察官だ。この村を守るのは役目だ。役目は果たさなければならん」


 最後くらい。


「本官をなめないでいただこうか!」


 巡査長は千里眼の能力を瞬間的に高めた。赤い目と黄色い目がどこにあるか、一気に見える。しかしそれはすぐに消えた。目を死獣の影魔法に食われたのだろう。それが分かったが、すでに大体の頭数は把握した。


「ふん! お前ら犬は私を食らうため私に襲い掛かってこなければならんのだろうが! 来い! 大口開けた瞬間瞬間お前らの頭を口の中からぶち抜いてくれるわ!」


 挑発して銃を捨てた。

 そして上着を脱ぎ捨てる。


「はあああああ!」


 ドクン。

 筋肉が魔力にっよって一回り膨らんだ。

 そして拳に魔力が集まってゆく。


「せあ!」


 腰を回転させ、空に向かって気合いの正拳を一突き。

 その瞬間、眩い光とともに、目の前に迫っていた巨大な犬の頭が吹っ飛んだ。


「お腹にぽっちゃりお肉が付いたとて、このラファエル、かつては格闘技三大陸大会二連覇した男! たかがでっかい犬になどただで食わせる肉はない! はあ!」


腹の肉がぶるんと揺れた次の瞬間、その奥にいた犬の右半身が吹っ飛んだ。


「細かい作戦? 知ったことか! ぶちのめせるのはぶちのめせ! それでミスった左遷組!」


 上段横蹴上げが迫っていた猪を蹴り飛ばし、そのまま駆けて跳躍すると、より大きな死獣の頭を回転蹴りで蹴り壊す。

 すちゃっと着地して、さらに体に魔力を込めた。


「はあああああああ! ぶちのめしてやる! この筋肉が力尽きるまで、ぶちのめしてやるぞおお! 沸き上がれ筋肉! うなれカロリー! 燃えよ体脂肪! せやああああああ!」


 巡査長の体が発光していた。湯気さえも上がっていた。

 二徹目であった。

 おかしなテンションであった。


「ふははっ、ふははははは! そうだ燃えろ体脂肪! 隠している美しき筋肉を浮き上がらせろ! お腹についているお肉よ消えろ! サガン様に見てもらうのだ! この! 筋肉を! 痩せる! 痩身! 来い魔物ども! 痩せてやるぞ畜生どもが!」


 ダイエットォオオオオ!


 奇怪な雄たけびが村中に響き渡り、同時に炸裂する閃光と魔物の吠える無数の声に、遠巻きに武器をもって集まっていた自警団の人々が近寄れずに固まっていたのだった。

 そして、どこかの誰かがぽつりと言った。

 誰かは分からないが、女性であった。


「そうよ。……ダイエットよ」


 天啓を得たような声だった。


「そうよ、サガン様がお戻りになる前に、痩せなくちゃ」


 村人たちはハッとした。

 あのサガンというエルフに似た青年を思い出すと、なぜだか村人たちはそわそわしてくるのだ。

 奇妙な力が働いているのは誰もが感じていたが、それに対して悪い気が全くしない。むしろ楽しくなってくる。幸せになるのだ。


「サガン様に、たるんだこの姿を見られたくないわ」


「あの大きな犬を倒せば、痩せるよね、きっと」


「しかも村も守れて一石二鳥」


「あんな犬やら猪やらが暴れている村になんて、サガン様が戻ってきてくれるかしら」


 その言葉に村人たちは再びハッとしたのだった。


「こんな何にもない無個性の村にいらしてくださっただけでも奇跡。それが犬やら猪やらにぐちゃぐちゃにされたら、愛想をつかしてしまわれるかしれない」


「それはだめ!」


「それは回避!」


「あの犬、……許さん」


「イノシシめ……許さん」


「行くぞ」


「やるか」


「お巡りさんにだけ痩せる素を独占されちゃ困るってもんよ」


「全くだ!」


「みんな武器は持ったか! 魔法使えるやつ! 魔法の教科書持ってきたか! 変な落書きは消しとけよ! 行くぞ!」


 おおおおおお!


 燃えよ体脂肪!


 自警団の人々は心を一つにし、孤軍奮闘する巡査長のもとへと走ったのである。

 そうして、魔物たちは約三分の一が駆除され、残りは撤退して行った。

 夜中の三時の終結だった。

 村人は一人も欠けることなく、多少の魔力と体力と、ちょっと多めの体脂肪を失っただけで済んだ。そして、ヒヨリ村の絆がより強くなった出来事でもあった。


「さあ、サガン様がお帰りになる前に、犬どもの死体を処理するぞ!」


「おー!」


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