第29話 副魔王 尊まれる
サガン様は帰ってこないのか。
ローザは受話器を置いてからしばらく言葉が出なかった。さっきまでヒンヒンと受話器の向こうと会話していた子馬たちが、ローザにぴったりとくっついて顔を上に向けている。
サガン様を子馬たちが意識してしまった。
ちょうちょに夢中だった子馬たちが、サガン様のことを思い出してしまった。
しかし、サガン様は一晩帰ってこない。
ローザの脳裏に浮かぶのは、激しく夜泣きをする子供。それが二頭の天馬の子と重なった。一晩、どうやってなだめよう。サガン様を探して村の外に出られたら完全に見失ってしまう。けれど、あのスピードで走り去られたりパッと消えられたりする子馬をどうやって確保しておけばいいのか見当もつかない。
子馬からの視線が痛い。
パパいつ帰ってくるの?
そんな目でみられている気がするのだ。
「……、フーリンちゃん、クーリンちゃん、……遊びに行こうか!」
ともかくサガン様から気をそらさなくては。ローザは村の中で子馬たちがはしゃげそうな場所にかったっぱしから連れて回ったのだった。
ヒヨリ村はそれなりに広い。
海岸線沿いと森と、畑の広がる平野や棚田。花園もある。花園というよりは花畑と言ったほうがいいかもしれない。塀に囲われているわけでもない。季節の花が植えられていて、その季節になれば一面に咲き乱れるのだ。見ごろになると、そこの周りに屋台を出して、ちらほらとやってくる観光客を相手にちょっとした商売をする。
今は背の低い赤い花が一面に咲き乱れている。蜘蛛の巣のように歩道が作られていて、緩やかに隆起しているために、夢中になって歩いていると気が付けば息が切れている。そんなところにベンチと飲み物の販売機があったりする。しかし子馬には疲れなど関係ないようで、カポカポと楽し気に走り回って一向に止まる気配を見せてくれなく、ローザは真綿で首を絞められるように疲弊していった。
ヘレネはとっくに店に戻っていた。
次に行ったのは砂浜だった。
サガン様は基本的に小屋の近くの波止場で遊ばせているようで、砂浜の感触は子馬には初めてのものだったらしい。不思議そうに足元を見ながら歩き回っていた。
そして楽し気にかっぽらかっぽら駆けだした。
けれども寄せては返る波に恐怖して、よせばいいのに波にむかって恐る恐る近寄ってゆき、波がやってくるとヒィンと声を出して逃げるのだ。それを繰り返す。
風が出てくると砂が舞い、目や口に入って大変だった。
空気が乾燥しているようだ。
ローザは子馬を呼び寄せたが、なかなか言うことを聞いてくれない。
「帰ってご飯にしましょう! ニンジン! ニンジン!」
結局ニンジンで釣った。
けれども帰る途中に幼稚園の前を通ると、子馬はあっという間に子供たちに囲まれた。教会でも同じだった。教会は孤児院も併設されていて、子馬は近隣の村や町からやってきた身寄りのない子たちの癒しとなった。
そしてこの子馬、どうやら読み書きができるらしい。
ローザも教会の司祭も大変驚いた。
子馬たちは小さな枝を口にくわえて、地面に絵を描き始めた。それだけでも驚愕なのに、ちょっと不細工ではあるが、文字も書き始めたのだ。
書き出されたのは、童話だった。
有名な切り株の小人というもので、森の中の教会が出てくる。どうやら子馬たちは、村の教会を見てそれを思い出したらしい。教会の絵と、物語の一文を書いている。
「この子馬たちは……なんなんです?」
司祭が唖然とした顔でローザに訊ねた。
「……私もわかりません」
ローザもそう答えるしかなかった。
「けど、そういえば、……飼い主のサガン様と電話で会話していました。……サガン様はエルフの血が混じっているらしいんです。……もしかしたらエルフと天馬は普通に会話ができるのかもしれません」
「では、この子馬たちは……会話のできない私たちとどうにかコミュニケーションをとろうと、文字を書いたのでしょうか……。私たち人間よりも、上の目線から」
「……かも、しれません……」
その考えはローザにとって、いや、人間にとって衝撃以外のなにものでもない。
自分たちが動物をペットだと思って、言語を持たない一つ劣った存在だと思って接していることと同じことを、馬にされているのだ。
教会の鐘が鳴った。
それは夕方の奉仕を告げる鐘であり、子供たちが家に帰る合図でもあった。
子馬は顔を上げ、小枝を捨ててローザのところにやってきた。
ヒン
ヒン
なんと言っているかローザにはわからないが、帰ろ、と言われている気がした。
そして日が沈んだ。
ローザは自分の家に子馬たちを連れて帰っていた。
「まあ! かわいらしい!」
母が満面の笑みで子馬をなでまわし、仕事から戻った父も
「ほー、近くで見るのは初めてだけど、こりゃかわいいな」
と、にこにこ顔だ。
「ローザ、この子たちは庭でいいのか? テラスのほうがいいのか?」
「うーん……、馬だったら庭とか、もしくは馬小屋でもいいんだとは思うんだけど……」
馬と同じように扱っていいのかわからない。
人と同じように扱うべきかもしれない。サガン様はどのように世話をしていたのだろう。
首を傾げたローザに、村長である父が言った。
「村のお客人のペットだ。テラスで世話をしようか」
と提案し、
「あと、砂ぼこりにまみれているから、シャンプーもしてあげたらどうだ」
とも言った。それを聞いて、子馬は嬉しそうにいなないた。
庭に突き出した広めのテラスで、ローザと父と母の三人がかりで子馬を洗った。子馬は嫌がることは一切なく、石鹸を泡立てると、きゃっきゃとはしゃいで喜んで桶の中に入った。
「これはどうやら随分と箱入りで育てられているなぁ」
父は子馬の背を柔らかなブラシでこすりながら言った。すると母も、子馬の耳を指でこすりながら同意した。
「たてがみもこまめに切られているし、つやつや。むしろこの石鹸で荒れないか心配になっちゃうわ。ブラッシングの時にオイルでお手入れしてあげようかしら。ほら、みて、かわいいひずめ。お手入れもばっちりね」
シャンプーを終えるとふかふかのタオルでふいて、甘い香りのするオイルを鬣やしっぽに刷り込んでブラッシングをした。その間、子馬は大人しく、ちょっと気持ちよさそうに目をほそめている。そして甘えるようにローザにすりすりと頭をこすりつけてきた。
かわいい。
そして母にも父にも甘えてすり寄っている。母も父も目じりが下がっていた。
「かわいいなぁ。天馬の子っていうのは、噂通りのかわいさだ」
父が子馬を抱き上げ、膝の上に乗せた。
「お父さん、天馬の子を知ってるの?」
「爺さんがいろいろ調べていたからな。子供のころから耳にタコができるくらい聞かされていたよ。実際に見るのは初めてだが、うん、噂にたがわぬ可愛さだ。しかし、……天馬を手に入れることができるなんて、どんなお人なのだろうな、サガン様っていう方は」
「やっぱりお高いの? この子馬ちゃん」
「お高いなんてレベルじゃすまないよ。世界征服を目論む頭のおかしい王様が、血眼になって探しまわるレベルだ。ここに二頭もいるなんてばれたら、こんな小さな村一晩で滅ぼされてしまうだろうね」
「……、まじで?」
「まじだよ。あっはっは、……。しかし実際、ただのエルフ様じゃないな。……どれほどの権力をお持ちだったのだろうか……。ローザ、その後、サガン様はどんなお仕事をされたいと言ってたんだい?」
ローザは父からサガン様の内職の希望を聞かれていたのだった。
「……ごめん、まだちゃんとはきけていないの」
「そうか。……できればあまり目立つようなお仕事はしてほしくないのだよね」
「なんで?」
「ここにいるとばれてはいろいろと困るお人だと思うんだよ。村としても、そしてサガン様ご自身としても」
「……。トーマ曰く、どこかの貴族の方で、政略結婚でもさせられそうになって逃げてきたんじゃないかって」
「貴族で済むかなぁ? もっと上だと思うんだよ、……」
「王族?」
「……、うーん……、もっと……、根幹にかかわる人なんじゃないかな? 良く知らないけど、……国みたいな一つの集団の中で収まるだけの方が、天馬なんていう思想的に危険な存在を飼えないからね」
「なんだっけ、アーリー王の伝説みたいに、王の証みたいになってるから?」
「そう。あ、もしかしたら、伝説の王の資質を持っていて、けれどそれを放棄するために姿を消したっていう可能性もあるかな」
ローザはサガン様の姿を思い浮かべた。美しく麗しい顔、さらさらと音がするかのような輝く金髪、柔らかさと張りがある白い肌、甘いお顔立ちなのに長身で男性らしい体躯。優雅な物腰と艶っぽい声。
それに加えて、伝説の王の資質がある。
良い。
「それ、良い」
いきなり背後で声がした。自分の心の声が漏れたのかと思ったが、発したのは母だった。
頬に手を当て、うっとりした表情で
「良い。尊い」
などとつぶやいている。
「伝説の王になれるのに、姿を消したっていうところも良い。素敵」
「もしかしたら、伝説の王の資質のために殺されかけて、家臣に逃がされたのかもしれないな」
「ああん! それも良い! だとしたら絶対にここにお隠れになってることを知られてはいけないわ! あなた、サガン様を全力でお守りしましょう!」
「そうだな。お守りするにはこの村はちょっと役不足かもしれないけれど、村長としての頑張りどころが来たって思って頑張るよ」
「あら、役不足ならばレベルを上げればいいのよ」
母がよく分からないことを言い出した。
「自警団の人たちに連絡網を回しましょう。婦人会にもね。あと青年会でしょ、教会と商店街組合にも。サガン様をお隠しするために、外からやってくる敵を村民の総力を上げて返り討ちにするのよ」
「なるほど、そういうことね」
ローザは納得した。
「ヒヨリ村って平和だから、いまいち村の守護とかに本気になれなかったけれど、いい機会かもしれないわね」
「確かにな。何か敵がいないと団結しずらいからな」
父も子馬たちをなでながら言った。
「さっそく連絡網で回しておくわね」
乗り気な母は行動が早く、さっそくいろいろなところに電話をしはじめた。子馬たちはうとうととしはじめ、結局はテラスではなくリビングのラグの上で丸まって眠り、父はその上に毛布を掛けてやっている。
ローザも子馬たちのためにニンジンと水を用意した。目が覚めたらきっとおなかが空いているだろう。
そして家族そろって夕飯を食べ始めたとき、サイレンが鳴り響いたのだ。
同時に緊急時にのみかかってくる電話がけたたましく鳴った。
「どうしたんだ?」
父がすぐさま電話に出た。
ローザと母は不安に肩を寄せ合った。
「……村のはずれに……魔物が集まっている?」
受話器を手にした父の言葉に、ローザはごくっと息をのんだのだった。恐怖というものを生まれて初めて感じていた。
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