第25話 副魔王 にぎる



 その部屋にいたのは四名の人間と、一体の魔物だった。

 人間のうち一人は魔鏡の預言者であり、壁に磔にされている。

 その正面に黒い装束をまとった三名の男たちがいた。一人だけ明らかに身なりが良く、手には槍を持っていて、切っ先を老婆の首元に向けていた。


「聞こえなかったのか! その槍を置け!」


 トーマは叫んだが、身なりの良い男は応じない。

 残り二名の男たちは、魔導騎士のようだった。

 そして魔物は、黒光りする鱗と蝙蝠のような羽のある、ぬるりとしたトカゲ。ドラゴンに似ているが、それにしては小さい。

 その小型ドラゴンは赤い目をトーマに向けた。

 トーマはぎくりとして息をのんだ。

 その瞬間、ドラゴンはクッと顎を引いたかと思うと、目にもとまらぬ速さで突進してきた。


「!」


 鋭い牙のある口を大きく開き、今にも頭をかじり取られそうになった直前で


「待て」


 と声がかかり、ドラゴンはピタリと止まった。


「………………っ」


 冷や汗が噴き出した。

 警察の紋章を手にしていなければ、腰を抜かして失禁しながら気絶していただろう。心臓が爆発しそうなくらいにドキドキしている。


「貴様ら、どうやってここまで入ってきた?」


 身なりの良い男が問う。

 その顔に見覚えがある。最近領主になったクロードに似ている。いや、クロード本人だった。

 そしてトーマとロクシャーヌが侵入した騒ぎを知らないようだ。人払いをしていたのだろうか。それとも、ここにいることは周りに秘密なのだろうか。

 さて、どう立ち回ろう。


「……これはこれは、もしや領主様ではありませんか? クロード様、まさか拷問の主犯はあなた様だったとは」


「私の質問に答えられぬということは、侵入者か。殺せ」


「さあどうでしょう。私は警察官。この紋章に偽りはありません。ここで私が死んだとして、もしくは失踪したとして、……さて、警察は誰を疑うでしょうか」


「……、誰の命令でここに忍んできた。中央か?」


「答えるとお思いで?」


「ならば答えさせてやるまでだ」


 合図と共に、横に控えていた魔導騎士の一人が呪文を素早く唱え、トーマに向かって放った。

 自白魔法だ。

 まずい!

 そう思ったが遅かった。避けられない。あの魔導騎士はトーマよりもずっと腕がたつ。

 しかし、魔法が当たるかと思った瞬間、鼻の先で魔法がかき消えたのだった。


「え?」


「は、弾かれた……」


 トーマも魔導師騎士も、驚きを隠せなかった。なにが起こったのだろうか。防御呪文も補助呪文もかけていなかったはずだ。

 それともなにか結界をはっていただろうか。いや、それはない。

 そして思い出した。

 サガン様の魅了魔法らしきものを除去するために、魔法耐性強化の腕輪をつけていたのだった。しかも対テロリスト用のめちゃくちゃ強力なやつだ。警察官に支給されている最高級のアイテムである。

 あれ、ちゃんと効いてたんだ。

 サガン様の魅了魔法らしきものに全然効かないから、効果無いじゃん役立たずって思ってた、ごめん。

 トーマはそっと心の中で腕輪に謝罪をした。

 ともあれ、ネタが分かったらもう怖いものなどない。

 大抵の攻撃魔法は無効化できるし、トーマのもともとの魔法耐性能力は高いほうだった。


「……今、なにかしましたか?」


 にこっと笑って一歩前に出れば、魔導騎士たちは剣を構えてじりっと後ろにさがった。


「こちらが自白魔法をかけて差し上げてもよろしいのですが、どうしましょう? 魔法での自白は、自首にはなりませんがよろしいですか?」


 トーマは強気に出た。領主の眉が僅かに痙攣した。


「お前に魔法が効かぬなら……、そちらのお嬢さんに聞いてみましょうか」


 その命令とともに、魔導騎士が再度自白魔法を唱えた。まずい。


「鏡で弾け!」


 トーマは叫んだ。


「きゃあ!」


 ロクシャーヌは抱えていた鏡で魔法を受けたが、跳ね返すことまではできなかった。

 パシパシと瞬きをしたかと思うと、目の焦点が揺らいだ。

 魔法にかかってしまった。


「くっそ……」


 しかしだ、奇妙なことが起こった。

 魔法を受けた鏡の表面がぼんやりと光り、その魔法の呪文文字を浮かび上がらせたのだった。


「女、答えろ。お前たちの目的はなんだ」


 領主の声にロクシャーヌと鏡が反応する。


『そこのおばあさんを助けに来た……』


 うつろな表情でロクシャーヌが答える。そして鏡にも変化があった。


『120 119 118』


 鏡に数字が浮かび上がっている。それは一秒ごとに減っていった。なるほど、魔法を解析し、その効果が続く時間を表しているらしい。

 領主が次の質問をしようと口を開きかけた瞬間、トーマは素早く遮った。


「おい、お前の好きな食べ物はなんだ?」


 ちぃっ、と領主が舌打ちをしてトーマを睨んだ。


『ヒリ麦パンのレーズンバタートースト。お母さんがよく朝ごはんに作ってくれてたやつ』


「好きな音楽は?」


 次の質問を領主がする前に、トーマが先んじる。


「嫌いな食べ物は?」


「好きな本とかあるか?」


「こいつっ、お前たち、なにをボーッとしている!」


 魔導師達が一斉に魔法を放ってくる。それをトーマは魔法の盾で遮り、その隙をついて突進してくる魔導騎士へ氷のつぶてを大量に放って対処する。


「その本の好きな一文を教えてくれ!」


「どんな夜が好きだ?」


 しかしながら魔導騎士はかなりの実力者で、トーマは自分が追いつめられているのが分かった。


「どんな色が好きだ?」


「何の花が好きだ?」


 トーマは早口で質問し続けた。領主が口を挟む隙など与えはしなかった。


「あの者を殺せ!」


 領主がドラゴンに命じた。待ってましたとばかりにドラゴンは口を大きく開けて威嚇すると、その口から火を吹いた。


「バカか!」


 トーマはとっさにロクシャーヌを抱え、その火を避けた。炎はカーテンに燃え移った。防音と透視防止の魔法が一枚消えた。

 ロクシャーヌは必死に質問に答え続けている。自白魔法は強制的に言葉を発せさせる魔法だ。息継ぎも自分の意思では行えない。酷く苦しそうだ。

 燃えている火は魔導騎士がかき消したが、ドラゴンの興奮はおさまらないようだった。低いうなり声と一緒に、薄く開けられた口からヒュウヒュウと炎を吐き続けていた。

 百二十秒が経った。

 かばうようにロクシャーヌの前に立つと、領主を睨む。


「さあ、魔法は切れたようです。今度はこちらの質問にお答えください。何をしていたのです? これは……リンチですか?」


 これ以上長引かせるのはまずい。どうにか隙をついて魔女を壁から下ろさなければ。

 壁ごと影に引き入れるのは流石に無理だ。


「……」


「拷問も私刑も禁止されていますよね。現行犯で逮捕いたします」


 トーマは強気を崩さずに言った。領主とのにらみ合いが続く。

 きっと領主は折れないだろう。

 本格的に戦闘になったらトーマは絶対にかなわない。ロクシャーヌに戦力は期待できなかった。


「……」


 トーマはふっと表情を緩めた。


「……クロード様。……、分かってますとも。ええ、もちろん。こうしましょう。私は何も見なかった。ということにして、この老婆を解放するのはどうですか。私はここに突入したが、ここではなにも行われていなかった。拷問なんてただの噂。ね、こうしましょう?」


 ゆっくりと領主と老婆のそばへと歩み寄ってゆく。老婆はまだ生きているが、口をだらしなく開けて、空気が喉に引っかかっているような声をか細く吐いていた。


「リンチなどしていない。被害者も加害者もいない。どうでしょうか?」


「は、ははは、はははは、……なるほど、お前わかってるじゃないか」


「でしょう?」


「なにが欲しいんだ?」


「……と、いいますと?」


「貴様はこれを見逃す見返りとして、何か欲しいものがあるんだろう? なんだ? 昇進か? それとも引き抜き、もしくは借金の肩代わりでも望むか?」


「いやいやいや、まさか。仮にも警察官ですよ? なにもいりませんよ。こちらの老婆を解放するのであれば、それでいいんです」


「これは取引だ」


 領主はにやりと笑った。


「この場を見なかったことにするには、何を望むんだね? 地位か? 名誉か? 金か? 全部か?」


「いえ、待ってください。この場を見なかったことにする……?」


 話の筋がずれ始めている。


「そうだ。この現場を見なかったことにするための、賄賂だ。望むものを言え」


「……必要ないですよ。今すぐこの老婆を解放するのであれば」


「解放はしない」


 領主の顔から笑みが消えた。


「この地を襲い続ける魔物を呼びよせたのはこの魔女だ。どんな手を使ってでも、その方法を吐かせる。拷問? 生ぬるい」


「なんの証拠があって」


「証拠など探している場合か! この魔女のせいでどれだけの命が奪われ、どれだけの人間が怪我で苦しみ、どれだけの人間が家族の不幸に悲しみ、どれだけの人間が住処と職を失ったと思っている? そして今夜もまたこいつのせいで命が失われるのだ!」


「しかし今夜はまだ魔物は来ていない」


「それはこの魔女がここにいるからだろうが! 私が、この魔女の悪事を止めているのだ!」


 ぐうの音も出なかった。


「し、しかし、拷問は禁止されている。そして証拠がない。この老婆が魔物を呼び寄せたという証拠はどこにあるんですか? 冤罪で苦しみを与え死に至らしめる可能性を考えたのですか?」


「疑わしきは罰せよ。緊急事態での常識!」


 そして領主は老婆に向かって槍を突いた。


「ぐぅううっ」


「止めろ! クロード!」


「警官風情が出しゃばるな! いいか? この魔女はいくら槍で刺しても死なない。まともな生き物ではない!」


 ぐりぐりと槍をねじる。そのたびに老婆は血を吐きうなり声をあげた。

 呼応するようにドラゴンが喉の奥から低い音を響かせている。


「ふんっ。そして、三十年前にこの砦を飛竜に襲わせた張本人だ」


「……何の話を?」


「知らぬのに口を出していたのか」


 領主は軽蔑のまなざしをトーマに向けた。


「この魔鏡の預言者という魔女は、先々代の領主の密命で、この砦に飛竜の群れを呼び寄せ、多くの人間を死に至らしめたのだ。そう、このトカゲの親たちをな」


 牙をむき、その隙間から火を噴き出している小型のドラゴン。それは懐いた猫のように領主の体の周りをするりと回った。


「数百の人間を食った飛竜の群れを退治したのは、先々代の領主だ。ふん、退治などしていない。この魔女に命じてまるで退治したかのように見せかけただけ。このヨタルを守った英雄として認められるために、領主の地位を手に入れるために、魔物を操り人を殺めた悪王の、その手先だ!」


 領主は槍を抜き、もう一度刺した。


「ぐぅううううう!」


「どうだ? 今回の魔物襲撃の首謀者とみなすのは、なにかおかしいことか?」


 トーマは今度こそ言葉が出てこなかった。


「疑わしきは罰せよ。過去の状況から鑑みて、まず疑い罰すべきはこの魔女だ」


 突き刺している槍をグリグリと埋め込んでゆく。


「ぐぅ、ううがああああ!」


「さあ吐け! 魔女よ! 今度は誰の命令で魔物を呼んだ! 今すぐにその呪詛を解け!」


「ぐうううう、し、しらぬわ、ワシは、やっておらん」


「まだ言うか! おい、もっと強い魔法をかけろ!」


 魔導騎士たちがその命令に一瞬ためらった。


「おい、領主クロード。いったい何回自白魔法を重ねたんだ?」


「さあな。吐くまでかけ続けるさ」


「待て、あまりかけすぎると精神が、脳がやられる。あれは強い魔法なんだ」


「だからなんだ! そのようなこと! おい! なにをしている、さっさとこの悪魔に口を割らせるんだ!」


 ひるみながらも魔導騎士たちは自白魔法を唱え始めた。


「やめろ! もうこれ以上は危険だ!」


 トーマが止めに入ろうとすると、ぬるりとドラゴンが前に立ちはだかった。小さく火を吐きながら首を小刻みに傾けている。


「……く、……」


「待って! もうやめて!」


 割って入るように、ロクシャーヌの声が響いた。

 トーマも領主も、少し驚いて振り向いた。


「もうやめてよ。おばあさん苦しそうじゃん! そんなことしたって、本当にやってないなら自白もなにもしようがないじゃん!」


「小娘、黙っていろ」


「おばあさんはやってない!」


「なにを適当なことを」


「だってそう占いで出たんだから、やってない!」


「は? 占いごときになんの意味がある」


「これでも!?」


 ロクシャーヌは必死になって鏡を見せた。

 そこにはこのようなことが映し出されていた。


《鏡よ、鏡よ、魔鏡の預言者はヨタルに魔物を呼び寄せたのか?》


《はい。魔鏡の預言者は、三十年前に翼のある黒いトカゲの群れをヨタルという街へと呼び寄せました》


「……」


《鏡よ、鏡よ、魔鏡の預言者は、昨日の夜、ヨタルの街に黒い犬の魔物の群れを呼び寄せたのか?》


《いいえ。魔鏡の預言者は、昨日の夜、ヨタルの街に黒い犬の魔物の群れを呼び寄せてはいません》


「なんだそれは」


「これは、……魔法の鏡。知りたいことを教えてくれる占いの道具よ」


「……信じられるわけがないだろうが、そのような怪しい道具の言うことなど」


「で、でも、三十年前のことは、当たってたじゃない?」


「先ほど私が言ったことを真似しただけに過ぎない」


「ならほかの質問もしてみてよ! 当たったなら信じてよね!」


「……」


 領主はおもむろに鏡へと向き直り、少し顎を撫でてから、このように訊ねた。


「十八年前、先々代の領主が殺された。その犯人は誰だ?」


 その言葉に鏡は反応しなかった。

 慌てたようにロクシャーヌが鏡を指で撫でる。そうすることによって、鏡の中に文字が刻み込まれていった。


《鏡よ、鏡。十八年前、ヨタルの先々代の領主を殺したのは、誰?》


 もしかして、それは魔鏡の預言者だろうか。トーマは不安になってきた。領主の余裕の態度が怪しい。


《はい。ヨタルの街の先々代の領主を殺害したのは、ヨタルの先代の領主です》


「なっ!」


 なんだと。

 トーマは驚いて領主を見た。

 領主は無表情だ。しかし、左右にいる魔導騎士たちは目を見開いている。ゆっくりと鏡に目を戻すと、ロクシャーヌが青ざめていた。


「まだ信用に足らんな。娘、もう一つ質問をしていいか?」


「え……、」


「ヨタルの領主が一年前に代替わりした。その理由は、なんだ?」


 ゴクリ。トーマもロクシャーヌも息をのんだ。


《鏡よ、鏡。一年前にヨタルの領主が代替わりをしたけれど、その理由は?》


《はい。一年前にヨタルの領主が代替わりをしたのは、先代領主が急死したためです》


「死因は?」


《鏡よ、鏡。ヨタルの先代領主の死因は何?》


《はい。槍で刺殺されました》


「誰に殺された?」


 ロクシャーヌの指がかわいそうなくらいに震えていた。


《鏡よ、鏡。ヨタルの先代領主は誰に殺された?》


《はい。今の領主に殺されました》


 ロクシャーヌがじりっと後ずさった。

 トーマは剣に手をかけ、やはりじりっとわずかに下がった。


「その鏡、信ぴょう性は……あるようだな」


 領主がにやりと笑う。

 トーマは剣を鞘から抜きさった。


「ロクシャーヌ! 影に隠れろ!」


「この魔女は魔物を呼び寄せてはいないかもしれないが、貴様らはヨタルの秘密を知った」

 

 領主がスッと手をあげると、ドラゴンが雄たけびを上げた。


「秘密を知った者を逃すな! 殺せ!」


 号令とともにドラゴンが大口を開けて飛び出した。

 その口からは巨大な炎。避けようと思ったが、背後には槍で串刺しになった魔女がいた。

 避けられない。


「光の盾よ!」


 魔法耐性と急拵えの魔法でなんとか炎はこらえたが、目の前にドラゴンの口が迫っていた。


 駄目だ。


 無理だ。


 死ぬ。


 殺される。



 ぐおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ…………!



 …………


 ……




 いつの間にか強く閉じていた目を、ゆっくりと開けた。

 一瞬、自分の目がおかしくなったのかと思った。

 また、黄泉の国は世界が歪んで見えるのかと思った。

 目の前には、メキメキと音を立てながらいびつに体を捻じ曲げて、断末魔を上げるドラゴンがいたのだった。

 まるで、目に見えない巨人に握りつぶされているかのような、異様なカタチになっている。


「……、」



 何が起こっているのだ。

 分からない。

 領主が尻もちをついて、異様なカタチに変貌を遂げつつあるドラゴンを見ていた。


「に、逃げるぞ!」


 トーマ急いでロクシャーヌの手を引いた。そして老婆のしなびた手を握ろうとした。

 このまま影の中に潜って逃げる。

 しかし、槍がやはり邪魔だった。そして鎖も邪魔だった。壁とつながっていては、その壁ごと影に引きずり込まなくてはならない。


「ああっ、ダメだ、槍を抜かなきゃ、入れない! くそ!」


「抜こう!」


「鎖もだ!」


 トーマとロクシャーヌは、深々と刺さり、貫通して壁にも達している槍を思いっきり引っ張った。

 すると、老婆がかすれた声で言った。


「……いいんだ、……ワシのことは……、ほっておいてくれ……」


「ダメです! この件に関してあなたは無実だ!」


「そうよ! こんなの絶対ダメ、逃げなきゃ!」


「いいのさ……ワシはここで、死ぬのさ……殺しておくれ……。やっと、呪いから……解放される……」


「殺させないですから!」


「そーよ、絶対に死なせない!」



 やっと一本の槍が抜けた。

 血が噴き出るかと思ったが、ほとんど出なかった。もうこの老婆の肉体には、ほとんど血が残っていないのかもしれない。


「もう一本! いっせーの、」


「せ!」


 声をあわせて二人で槍を引っ張った。

 背後ではドラゴンがまたもや苦し気な断末魔を上げている。

 ああ、早くしなくては。

 焦った。


「な、なにをしている! そいつらを止めろ! 魔女を逃がすな! 全員殺せ!」


 我に返った領主の声がした。


「は、はい!」


 魔導騎士が剣を抜く。魔法剣だった。

 稲妻が走る長剣は、トーマにはどうすることもできそうにない。


「お行き。あんたたちはまだ生に希望がある」


 そう、魔女がはっきりとした声で言った。


「死ねえええ!」


 魔導騎士のやや狂気じみた声を聞き、トーマは目をつぶった。


「……すみません……」


 そしてトーマはロクシャーヌを連れて影に潜ったのだった。







 副魔王は、ほっとして、握った手を開いた。

 しかし、間違えてトーマをつぶさずに済んでよかった。

 副魔王は、自分の手のひらを握ったり開いたりと繰り返してみた。

 遠隔で自分の力を飛ばすのはやることがあるが、小さな個体一つに狙いを絞るという細かな技はあまり試したことがなかった。

 鏡を見ながらなんとか、間一髪でドラゴンをつかむことができたのだった。

 成功してよかった。

 しかし、全く、かみ殺そうなどと許されぬ。

 死後にはクリスタルスケルトンにする予定なのだ。変に砕けてしまったらみっともないではないか。

 骨が。

 まったく。

 けしからぬ。

 しかしこれでトーマは骨ごと無事で帰ってくる。

 きっとあの魔女を助けられずにしょげていることだろう。元気づけてやりたいが、副魔王はトーマとロクシャーヌが魔女を助けに行ったことを知らないことになっているのだ、下手に声はかけられない。


「知らぬふりをしておくか」


 そろそろ夜が明けるころだ。

 結局、この夜、ヨタルの街に魔物の群れはやってこなかった。

 そして空が白み始めたころ、トーマが隣の部屋に戻ってきた。

 疲れたであろう。ご苦労だった。お前はよくやった。頑張った。悔いるな。ゆっくり休め。心も体も休めるがよい。

 副魔王は心の中だけで、労いの言葉をかけてやったのだった。


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