第24話 副魔王 見物する

 副魔王は二本目の酒のボトルを空にしていた。人間の作るぶどう酒はとても軽い。水のようにすいすいと飲むことができる。三本目は少し渋みの強いものを選んだ。肴に何か欲しいと思ったので、鶏肉のワイン煮を頼んだ。鳥の様々な部位が煮込まれていて、卵も入っていた。チーズも頼んだ。白っぽく、中からトロリと中身が出てきた。これも口当たりが軽い。はるか昔に自分で仕込んでいたチーズもいろいろな種類があったが、このように舌の上をつるつると滑るような食感のものはない。

 時代とともに作り方や材料が変わったのかもしれない。

 村に戻ったら新しくぶどう酒やチーズを仕込むのも悪くないと思いながら、鏡の中の続きを眺めた。

 いつも上のほうで書類とばかりにらめっこをしていたので、このような下々で起こる出来事を見るのはめったにないのだ。

 とても良い見世物だった。


「頑張るのだ、トーマよ」


 副魔王は鏡の前で応援の声をかけてみた。届いている気配はなかった。






 トーマとロクシャーヌが入り込んだ部屋には、これまで嗅いだことのない異臭が充満していた。それが血の匂いだとはすぐにひらめいた。あの老婆の血だ。臭いももちろんだが、ゾワゾワとしたもの肌の下を這い上がってきて、たまらずに顔をしかめた。

 部屋の中はすぐに見渡すことができない。暗いし、なにやら分厚いカーテンが天井からいくつも垂れていたからだ。けれども、そのおかげでトーマとロクシャーヌは部屋の内部へと移動することが容易にできた。


「なんか、防音の魔法か何かがかけられてるみたい」


 と、鏡を見ながらロクシャーヌがささやいた。緞帳のようなビロウドのカーテンのひだに隠れ、二人は一度しゃがんだ。


「この部屋にかけられてる魔法を調べてみたんだけど」


 トーマがそれを見せてもらうと、そこには補助系呪文がいくつも重ね掛けされているのがすぐにわかったが、同時に異常性も感じ取った。この部屋がなんの部屋かはわからないが、音消しや透視遮断といった類の魔法が必要な部屋なのだろうか。警察署などでは頻繁に使われる魔法ではある。重要な会議や話し合いがされている場所では、必須の魔法かもしれない。

 となれば、この部屋は、何をやっているのかを絶対に外に知られてはならない場所。

 拷問部屋。

 しかも監獄の中ではなく、領主の城にある。


「私刑……」


「え? 今なんて言ったの?」


「いや、なんでもない。な、この補助系呪文だけを除外して映し出すことはできるか?」


「補助系呪文って例えば?」


「あー、これとかこれとか」


 映し出されている呪文を指で示してゆくと、ロクシャーヌは鏡面を指で撫で始め、うなったり唇を突きだしたりしながらなんとか補助系呪文を削除してくれた。


「はい、これで部屋にかけられた補助系呪文は外れたよ」


 見取り図上に残ったのは、火の魔法と自白魔法。そして奇妙な円形の魔法陣だ。

 火の魔法はおそらく壁にともった明かりの火だろう。そして自白魔法は魔女にかけられているものだと思われる。

 しかし、この大きな円の魔法陣は見たことのないものだった。


「この部屋の中に何人の人物がいて、どこにどのように配置されているかとかわかるか?」


「うーん、……さっきみたいに魔力を超消費しちゃうと思うけど、多分できる」


「そっか……。いや、じゃあ無理せず行こう。ゆっくり進むぞ」


「うん」


 トーマとロクシャーヌはカーテンの影を飛ぶように移動しながら、見取り図の中心部へと進んでいった。

 そしてすぐ、斜め向かいのカーテンの向こうに、壁に磔にされている老婆の姿をとらえた。


「っ」


「……ひっ」


 声にならない悲鳴を二人は上げた。

 老婆は小さな体をさらに細くやつれさせ、さらには五つの槍を生やしている。しかしまだ目は開いたままだった。焦点は合っていない。

 何かをぼぞぼそとしゃべっているようなので生きているようだが、声は防音の魔法の為かまったく聞こえない。


「この防音魔法を解呪できないの?」


「無茶言うな。っていうか、解除したら俺たちの声もあっちに丸聞こえだぞ」


「そっか。じゃあ、どうすればなにをしゃべってるか聞けるようになるの?」


「そりゃ……このカーテンの向こうに行けばいいんだよ。……かかっている魔法の内側に入れば、当然聞こえる……」


「……」


「……」


 しばらくはじっとしているしかなかった。

 次の行動を考えていた。けれど行動のしようがない。向こう側が分からないし、私刑の場に勢いよく出てゆくほど無謀にもなれない。

 どうしようか。

 いつまでもじっとしているわけにはいかない。

 なにかきっかけがないか、そう思いながらトーマはちらちらと老婆の姿を伺っていた。


「読唇術でもできればなぁ」


「っていうかさ、トーマ。今更なんだけどさ……」


「なんだよ」


「こういったら不謹慎なのはわかってるんだけど、……あのおばあさん、なんで死んでないの?」


 トーマが思っていたけれども言えなかったことを、ロクシャーヌが言い放った。


「……それな」


「……もしかして、助けなくても大丈夫だったりするんじゃ?」


「……。……、いや、……万が一、死なないのかもしれなくても、この状況で助けないってのは……」


「……ないよね」


「うん、だろ?」


「うん。……。……。……。ねえ」


「なんだよ」


「あのおばあさんってさ、……本当に、無実なのかな」


「……。しらん」


「槍で刺しても死なない人間だよ? もしかして、本当に魔物を呼び寄せてたりしてたり……しない?」


「してないとは言えないけれど……」


 しかし、昼間に会話した感じでは、あの魔女がわざわざ魔物を呼び寄せるようには思えなかった。

 決して魔女が正義の人間だから、という理由からではない。どちらかというと、悪のほうの人間かもしれない。けれど、悪寄りだからといって、メリットのないことを喜んでやるような愉快犯ではない気がする。


「けど、してるとは思えないんだ。得にはならない。もしも、誰かに仕事として依頼されているならやるかもしれないけどさ、……」


「……依頼、されてたら? 実は依頼されてて、実際に呼びよせていて、その依頼した黒幕を自白させるための拷問だったりしたら?」


 トーマの耳元で、ロクシャーヌが悪魔のようなことをささやき始めた。しかしどれも違うと否定できない。どれもトーマの心の中にも浮かんでいた疑問だったからだ。浮かんでいたけれど、見て見ぬふりをしていたものばかりなのだ。


「……そうかも、……しれないな……」


 そうかもしれないけれど、今の状況を目の当たりにして引き返せるわけがない。

 あの老婆は助けなければならない。

 なぜか。

 なぜ自分は助けたいと思っていたのか。

 トーマは次の行動を起こすための理由が必要だった。そして思わず、自分を笑ってしまった。

 まだ子供のころ、警察官ってカッコいいと思って純粋に憧れていたころ、正義は理屈ではなかった。直感だった。悪いと思ったことは悪かった。大人となった今は、そんな直感などなくなってしまっている。すべて、理屈や法律、そして常識に当てはまるか当てはまらないかで判断をしている。

 でもここまで来た。

 投獄された犯罪者を逃がすなんてことは、正義じゃない。

 悪だ。

 それを警察官であるにもかかわらず、逃がしに来たのだ。

 サガン様にも、一番に優先すべきことをしろと言われたのに、一番ではないはずのこの犯罪を選んでしまった。

 ここまですべて、あの子供のころと同じ無邪気な正義に掻き立てられて行ってきたのだ。


「ははっ」


 トーマはなんだか面白くなってしまった。虚しさが突き抜けると面白くなるのか。そして思考もカラッと晴れた。


「でもそれも推測じゃん?」


「ま、まあね」


「ここまで来ちまったんだし、俺は直感に従うよ。それに、犯罪者だったとしても、拷問も私刑も禁止されている。警察官としては、見過ごせないね」


 そう言って、トーマは上着の下に手を忍ばせてから、カーテンをガバっと開いたのだたった。


「警察だ! ここで違法な拷問が行われているという情報があった! 全員武器を置き手を上げろ!」



 トーマはと高らかに命じ、警察の紋章を掲げた。

 その場にいたすべての人間と、そして得体のしれない魔物が、いっせいにトーマを見たのだった。


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