第23話 副魔王 見続ける



 鏡を体から遠ざけるようにして、ロクシャーヌがそろりと目を開けた。そしてすぐに目を閉じる。一方トーマは顔をしかめながらもその鏡面を凝視していた。鏡面から血の匂いがたちこめてきそうだった。やがて血液の痕はゆっくりと消えてゆき、老婆の姿が克明に映し出される。

 五本の槍をその身に生やし、大量の血液を流しながらも魔女の目がらんらんを光を放っていた。

 声は聞こえなかった。

 もしかしたら声を聞こうと思えばできるかもしれないが、ロクシャーヌにそれを頼むは酷だったし、きっと消費する魔力量も膨大だろう。

 そしてトーマは迷っていた。

 自分はどう行動すればいいのか、分からなかったのだ。

 もちろん、助けに行くのが一番の正義だと思うのだが、乗り込んだとしてどうすればいいのか全く見通しが立たない。

 監獄にいるのではなかったのか。

 もしかして、情報が盗まれると踏んでのダミーだったのか。

 魔女が監獄にいるのであれば、自分が持っている魔法や知識でどうにか逃がすことができると思っていたのだ。

 けれど、まさか領主の城。

 そして、今まさに拷問を受けている。

 助けなければいけないけれど、助けに乗り込んだとしても助けられる気がしない。よしんば助けられたとしても、どうやって逃げよう。自分だけなら、いやロクシャーヌがいたとしてもどうにか逃げ切れる可能性は十分ある。しかし、この瀕死の老婆を連れて逃げられるだろうか。

 無理だ。

 そう思った。けれど、無理だと思った瞬間、ゾワっと恐怖が背中に生まれた。

 無理だと思ったら無理になる。できると思ってもできないときはあるが、できるときもある。しかし、できないと思ったら絶対にできない。背後に感じる恐怖は、死が忍び寄る気配だ。

 できないと思うな。

 できないと思うな。

 無理だとは絶対に思うな!

 死は遠ざけなければならない。

 トーマは奥歯をかみしめて鏡を睨んだ。


「ロクシャーヌ。行くぞ」


「え……」


「もう後戻りはできない。だから行く」


「……」


 ロクシャーヌは石のように固まっている。


「安心しろって。これ以上はどうしようもできないと思ったら即退避するから」


「え、じゃ、じゃあ、おばあさんは見捨てるってこと?」


「自分のできる限界は見定める」


「でも、それって……」


「わかってる」


 言いたいことは分かってる。

 トーマはロクシャーヌの言葉を遮り、鏡が示していた方向を思い出した。影の中に潜んでいた時、うっすらではあるが周囲の様子を探っていた。きっとあそこだろうというアタリはつけられる。


「鏡、しまって大丈夫だぞ。帰るときのために魔力の節約をしといてくれ。……、魔鏡の預言者のところまでは、……走る」


「う、うん、わかった」


 ロクシャーヌが鏡をそっと抱え込んだのを見届けると、トーマは小さくうなずいた。

 そして、向かう方向に目配せをしてから走り出した。




 走り出してすぐだった。

 気配を察して警備の人間が飛んできた。


「何をしている! とまれ!」


 と前に立ちはだかったが、トーマは止まることなくその警備兵めがけて突進した。そして間髪を入れずに懐に入り警備兵のみぞおちを肘で突いた。そのまま手のひらのつけ根を上に突き上げると警備兵の顎を打った。

 そして意識を失い倒れこむ体をするりと避けて走り続ける。


「ロクシャーヌ、ついてこれてるか」


「だ、大丈夫!」


 通路の角を曲がるとそこにも警備兵がいた。二人だ。異変をすでに探知していて、トーマに向かって魔法の杖を向けている。制止などせずに攻撃するつもりだ。


「光の盾よ!」


 トーマの行動が一瞬だけ早く、目の前にできた丸い光が警備兵の放った何らかの攻撃魔法を弾いた。すぐに盾は消えてしまったがトーマは気にせずに走り続ける。そして目の前に立ちはだかる警備兵を気絶させ、さらに走った。


「トーマ!」


 少し遅れだしたロクシャーヌが叫んだが、それは遅れに対しての不安の叫びではなかった。


「上!」


 という、後ろから見ていたからこそ分かった危機の知らせだった。通路の天井に、黒い装束を身にまとった警備兵が潜んでいた。

 それがまるで蜘蛛のように降りてきて、トーマの腕をからめとってそのまま関節をキめに入った。


「くっそ!」


 肩の筋が悲鳴を上げそうになっている感覚。それをおして思い切り膝蹴りを入れて、力が緩んだところで振り切った。

 急いで体勢を低くとって腰の剣を抜いた。

 細身で、通常の剣よりも短い護身用の剣を、逆手に構える。

 相手もナイフを取り出して同じく逆手に構えた。

 トーマは体術があまり得意ではなかった。剣術も貴族層出身者に比べればそんなに強くない。幼いころから訓練されてきたものにはかなわないが、一般人よりは強い自信はある。

 しかし、目の前でナイフを抜いているのは何者だろう。当然、一般人ではない。貴族出身の警察官でも警備兵でもない。

 もっと厄介な相手だ。

 暗殺者。

 絶対に勝てない。

 そう思った瞬間に、ゾワっと背中が冷たくなった。

 そして目の前にナイフが迫っていた。


「トーマ!」


 ロクシャーヌの声を声だと認識できたのは、暗殺者から三歩飛んで退いた通路の角だった。

 とっさに相手の影を縫い付けていた。考えるよりも早く飛びのいて、自分でも思いがけない生存に心臓がバクバク高鳴っている。

 変な汗が噴き出していた。


「影使いか」


 そう暗殺者の声がした。

 次の瞬間には、暗殺者を縫い付けていた魔法が解かれていた。

 まずい、こいつは自分よりもずっと能力の高い影使いだ。

 そう思って慌てて迎え撃つ。剣撃を一つ受けて蹴りを出したがいなされ、代わりに脇腹に一発食らった。

 そのまま壁に叩きつけられたが、気を失うことだけはこらえて、剣を大きく一振りして間合いを取ると、壁側から通路側に滑るように逃げた。

 影魔法はもう使えない。

 考えてみれば暗殺者は影を操ってなんぼの職業だ。相手の主戦場で戦えるわけがない。

 戦えるわけがないが、


「氷よ! 貫け!」


 体術よりも剣術よりも、魔法のほうが得意なのだ。

 トーマは氷の刺を無数に作り出し、暗殺者めがけて勢いよく放った。


「ロクシャーヌ来い!」


 氷をよけきれなかった暗殺者が膝をついたのを見て、トーマは叫ぶ。そして返事を待たずに全速力で駆けた。

 迷路のような通路、いくつもの角を曲がりやっと見えた鋼鉄の扉。


「あった! ロクシャーヌついて来てるか?」


「う、うん、なんとか!」


 息も絶え絶えの声がした。それでもちゃんと振り切られずに後ろにいた。


「あの扉にかけられている魔法を解析してくれ!」


「ま、かせて……!」


 すでに慣れた手つきで鏡を操っている。そして鏡面に浮かびだされた呪文を見て、トーマは低くうなった。


「無理そう?」


「いや、……できる。けど……これは、企業秘密なんだよな……」


「……え?」


「泥棒ができることは、警察官も……できるってことさ。誰にも言うなよ?」


「え、」


 ロクシャーヌがぽかんと瞬きしている前で、トーマは極秘解呪を唱えた。

 そして、ベルトについている小さな鞄から、一本の金属の紐を取り出す。指をすり合わせてから、その金属の紐を握ると、それはうねうねと動いて、奇妙な形で固まった。

 それをスっとドアに差し込む。


「ちょ、……トーマ、もしかして……」


 カチっと音がしたので金属紐を取り出し、続いて別の形に変えて固めた。それを今度は扉の別の位置に差し込んだ。


 カチ


 もう一度同じように金属糸を変えて、差し込み直す。


 カチ。


 ぎぃい。


「開いた」


「……それって、……」


「盗賊がやるピッキングだ。秘密な」


 ひひっと笑ってから、人差し指を唇に当てた。

 そしてゆっくりと扉に力を入れる。


「……、の前に、だ」


 開けるのをやめて、トーマはロクシャーヌを見た。


「念のため聞いておきたいんだけどさ、……これまで解析した魔法の情報って、……その鏡で検索しなおすことってできたりする?」


「……え、さあ? やってことないからわかんないけどお、やってみよっか?」


「ああ、この城に入るときにあった光の結界のが見れるとありがたいんだけど」


「了解」


 あまり時間がかけられないから早くな、と言うよりも早く、ロクシャーヌの指の動きは高速で、あっという間にそれらしいものを出した。


「あまり過去までは遡れないけれど、明確な目的なあって調べたものは残るみたい。でもそれも術者の能力次第だから、早くしないと消えちゃうかも」


 と言って、トーマに見せてくる。

 トーマは急いでそれを目で追った。


「いやお前最高、ありがと。なんとかなりそうだわ」


 トーマはロクシャーヌの肩をポンと叩いてから、ベルトの小さな鞄から今度は携帯式のガラスペンを取り出した。ペン先に螺旋状の切込みがいくつも入っていて、通常はそれにインクを吸い上げさせて書くのだが、別の使い方もある。

 ガラスに魔力を込めて書けば、魔法文字をかけるのだ。

 トーマは扉のほんの一センチ手前の床、扉の端から端に向かって魔法文字を書き始めた。光の魔法結界だ。全部書くには相当な時間がかかるけれど、思いっきり短縮して主要な部分だけをつなげて作り上げた。


「よし! 行くぞ」


 ペンを鞄に差し込んで、今度こそ扉を開けた。

 そしてトーマとロクシャーヌが中に入り、扉が閉まった瞬間、その向こう側には光のカーテンが閉められたのだった。



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