第21話 副魔王 見送る


 まさか魔物に襲われているとは思えないほどに、ヨタルの夜はにぎわっていた。

 副魔王が泊まる部屋から通りを見下ろせば、そこにはには夜の屋台が並び、また少し遠くでは鮮やかなネオンが輝き、そして泊まるホテルでは楽隊の演奏を聴きながら酒が飲める催しがある。


「この近くには夜通しやってる劇場や音楽ホールがあるんですよ」


 そう、向かい側で食事をするトーマが言った。レストランではなく部屋での食事だ。人間の料理はやはり優しい味わいだった。


「あ、サガン様はワインは飲まれないんですか?」


 お好きなんですよね? とトーマがワインリストなる冊子を渡してくれたが、そこに載っているどの銘柄も副魔王の知らぬ種類であった。


「これはどこで作られたぶどう酒なのだろうか。知らぬものばかりだな」


「へー。多分有名どころのだと思うんですけれど、……きっとサガン様は別の大陸からいらっしゃったんですね」


「かもしれぬな」


「あとで世界地図でも探してきましょうか」


「いや、いらぬ。私は自分がどこにいるのかを意識したくはない。逃げ出してきた場所の方向に顔が向くたびに、ああ……あそこに帰らなければならぬのだな、などと思いたくはない」


「……。よほど病んでいらっしゃる……。……では、本官はそろそろ休ませてもらいます。もしも用事があったら、ホテルの人を呼んでみてください。すぐに来てくれますから。ドリンクの注文もずっとできるそうですんで」


「うむ、今日はご苦労だったな。ぶどう酒もいくつか楽しませてもらおう」


「はい。今日はありがとうございました。サガン様、お休みなさい」


「ああ、お休み」


 副魔王が微笑んで言えば、トーマは嬉しそうににっこりと笑い部屋を辞していった。

 それから副魔王はホテルメイドを呼んで済んだ食器を下げさせ、ワインリストに載っているいくつかの酒を頼んだ。届くまでは風呂に入り、風呂上がりには窓を開け放って、眼下の往来を眺めながらぶどう酒を飲んだ。

 人間の作るぶどう酒は、はやり優しい口当たりだった。

 昔、このようなぶどう酒を飲んでいたような気がして、懐かしさを感じたのだ。各方向から様々な音楽が聞こえる。耳をすませれば歌も聞こえる。

 意識を広げれば、この砦の隅々まで見通せる。

 誰がどこでどんな愛をささやいたのか、盗み聞きしようと思えば容易にできる。見ようと思えば盗み見ることもできる。それをしないのは、ひとえに興味がないことと、必要のないことだったからだ。やろうと思ったら、意識だけを魔王城に飛ばして、今あのアホがなにをしているのかだってわかるし、なんならこの星全体に意識を広げてしまうこともできた。

 けれど、度が過ぎると、逆に魔王に見つかる。でなくとも、誰かに監視されていると気が付く者も出てくるだろう。そして、すべての物事を見渡そうものなら、得られる膨大な情報に埋もれ、この体が溶け、輪郭のない精神体になってしまうのだ。


「それもいい」


 ふと、副魔王は精神体に戻ることも妙案に思えてきた。そして魔王のことを包み込むように覗き見て、くすくすと笑おう。


「するわけがないがな」


 自嘲してから副魔王は窓の縁にゴブレットを置いた。

 そして少し緩んで広がった意識の端に、よく知る気配が入り込んだのに気が付いた。

 トーマだ。

 ホテルのある通りにトーマの気配があり、そしてロクシャーヌの気配もある。視線を走らせれば、そこには闇に紛れるように黒いマントを頭からかぶった若い男女がいた。

 副魔王は目を細めた。

 ずいぶんと緊張感のある逢引きである。

 二人は周囲を気にしながらホテルから離れ、そして路地に走りこんでいった。


「なにを見届ける気でいるのやら」


 窓際から離れず、副魔王は部屋の反対側に置いてある化粧台の引き出しを開け、中から楕円形の手鏡を浮かび上がらせた。

 手鏡を自分よりから少しだけ離れた場所に浮かせて、次にワインボトルを浮かべる。それは副魔王の手元、窓の縁に置いてあるゴブレットのそばにすすーっと飛んできて、丁寧に中身を注いだ。


「魔鏡ねぇ……。ふふ」


 ゴブレットを持ち上げて口にぶどう酒を含み、なんの変哲もない鏡に、自分の姿ではないものを映し出した。

 そこには、二人の男女の姿が映っている。

 片方はトーマ、もう片方はロクシャーヌ。

 二人はどうやら、第三の砦を目出しているようだった。







「ロクシャーヌ、人のいない方向は?」


「そっちの路地に入って、次の角を右」


「了解」


 ヨタルの第四層は娯楽の層だけあって、夜になっても、いや夜こそ人でにぎわっていた。この賑やかさは、魔物の脅威にさらされているとは思えない。

 少し路地にはいれば人の通りもなくなるかと思っていたが、路地には路地で小さな飲み屋や音楽バーがあるらしく、なかなか誰もいない空間というものが見つからない。


「まってトーマ、誰か来た」


 ロクシャーヌの一言にトーマは足を止めて、壁にはうパイプの陰に隠れた。


「その鏡使いこなせてるのか?」


「大体はね」


 ロクシャーヌの手には一枚の古びた鏡がある。


「かなり万能な鏡よ。望んだものを見せてくれる。けど、ちょっと言語が古臭いのよね」


「古語?」


「そこまでじゃないけど」


 その時、トーマとロクシャーヌの隠れるパイプのそばを酔っ払いが千鳥足で通り過ぎていった。


「……。行ったか……?」


 ロクシャーヌが頷いた。


「今なら、この辺りに人はいないはず」


「よしっ」


 二人は走り出し、一気に第三の砦までの距離を詰めた。しかし問題はそこからだった。砦には当然のように衛兵がいる。特に今は警備が厳しいようだった。

 砦の出入り口は当然のように閉ざされていた。


「ロクシャーヌ。砦にどんな呪文がかけられているか、その鏡で探れるか?」


「えっと……、ごめん、私、魔法とか呪文とか知らないから調べ方がわからない」


「使いこなせてねーじゃん。解呪とかできるんじゃないのかよ」


「呪いならなんとかなる。でもきっちりとした魔法っていうのは無理」


「んー……」


「あ、でも、そっか、これなら……」


 そう言って、ロクシャーヌは鏡面を指で撫でた。


「ちょっと見てくれる?」


 トーマが覗き込むと、そこには文字と数字がびっしりと羅列されていた。


「なんだこれ」


「対象物を鑑定したの。鑑定魔法。私が使える魔法ってこれくらいだからね。普通は自分の感覚にだけ浮かんでくるんだけど、この鏡を使えば言語化できるみたい。でも、読めない、これ全然意味わかんないわ」


 トーマはそれをじっと見つめた。


「あ、これ呪文だ。ここ」


「わかるの?」


「これ強度上昇印だ。あと破魔と破聖に似てる呪文と、索敵印だろ、えっと……監視と……、魔力吸収だ」


 見覚えのある呪文部分を指でなぞってゆく。


「……よくわかるね……」


「いや、これでも真面目に勉強していたほうなんで」


「もしかしてそれ嫌味?」


「ま、これだけわかればなんとかなるだろ。……、衛兵の死角になるような場所が近くにないか探してくれるか?」


「それならまかせなさい」


 そして二人は闇に紛れて一気に壁まで詰めた。そして


「よっし! これより解呪に入る」


 とトーマは両手を合わせ、ほんのり光る手のひらを壁につけたのだった。


「は? え、ちょっと解呪って、そんな簡単に……」


 ロクシャーヌは困惑を隠せなかった。呪文というものは基本的に解除できない。それを専門にした解呪師が存在するくらいの難しさだ。占い師も解呪を商売にしているものの、ピンからキリまでおり、そうとうの実力者でない限り魔法を解くなどできやしない。快楽主義者や解呪が趣味の人間が面白半分に非公式解呪法を編み出すこともあるが、それが成功する保障はどこにもないのだ。

 しかも、公的にかけられた術を解呪するというのはれっきとした犯罪だ。

 しかし今まさにロクシャーヌの目の前で、まるでドミノが気持ちよく倒れてゆくかのようにあり得ないはずの解呪が進んでいた。

 トーマの手の平から美しい光の紋が広がり、そこに浮かび上がった幾何学模様に似た文字をからめとって反転させ、分解し、他の文字に作り替えてゆく。その作り替えられた新しい文字がアーチ状に組まれていった。

 そして人一人分が通れるほどのドアがそこにできたのだった。


「二十秒だ。行くぞ」


 トーマがドアを開けてその中に飛び込んだ。しかしロクシャーヌは動けなかった。


「なにやってるんだ、早く来いって!」


 再び顔を出したトーマに腕を引っ張られてロクシャーヌが壁を通り抜けたとき、ドアが消えた。


「うっわ、ギリギリ。二十秒しか持たないって言ったじゃんか、もたもたするなって」


「……、あんた……、すごいのね」


「別にすごくねーよ。魔法が使える男子っていったら、これくらいの裏技なんてとーぜん使えるだよ」


「なにそれ」


 呆然と、しかし素直に凄いと思ってくれているのがトーマには分かり、だから余計に心が痛んだ。

 これは魔法が使えるアタマのワルイ男子ならかならずやる、女子更衣室に忍び込んだり女子寮に忍び込んだりするアレだ。

 だいたい失敗して先生にばれたり寮監にとっつかまったりするのだが、極めればこれくらい余裕でできるのだ。

 それまでに何度捕まり叱られ呆れられてきたかしれない。

 あの青春時代の黒歴史がこのように役立つ日が来るとは思わなかった。

 我に返って、俺は阿呆か、と夜空を仰いだ高校時代は無駄じゃなかったのだ。女子寮の屋上で。夜。寮監に追い詰められながら。





 第三の層。目の前には畑がある。

 夜なので、ほとんど灯りがない。光にあふれていた第四層とは別世界だった。ヨタルで一番面積の広い層である。

 畑や果樹園、牧場のほかに巨大な工場などがたちならぶ。そしてその中に、監獄があるのだ。


「本当にあのおばあさんは監獄にいるの? 結構領主が直々に城の牢屋につないでたりするんじゃないの?」


「それなら確認済みだ。魔鏡の預言者はヨタル監獄の独房に監禁されている」


「どこで調べたのよ」


「これでも警察官なんで。問い合わせれば意外とすんなり教えてくれた」


「……うっそぉ……」


 その警察官が先陣きって情報を悪用しようとしているのは笑えたが、表情に出すのを堪え、ロクシャーヌに聞いた。


「監獄までの地図は出る? あと、鑑定魔法だかでなにか結界が貼られていないかも調べてほしい」


「まかせてちょうだい」


 そのようにしてトーマとロクシャーヌは忍び込むべき場所を特定した。のだが、


「遠いじゃん。円の反対側じゃん。ドーナツの反対側じゃん」


「文句言われてもどうーしよーもないんですけど」


「歩いても走ってもこれ半日以上かかるじゃ所じゃん」


「しょーがないじゃん、この砦広いんだもん。砦の中だけでいくつの定期馬車があると思ってんの。それに監獄なんて、人のいる場所に作るわけないんだから、行きにくいところにあるの当然でしょ」


「朝までに帰れるかなぁ。サガン様に秘密できちゃったんだよね」


「あの奇怪な人外に頼めば一瞬で魔女くらい逃亡させられる気がするんだけどね」


「……」


「……」


「それな」


「なんでしないのよ」


「……なんだか、頼みにくいだろ。こんなことにお手を煩わせるわけにはいかない」


「人一人の命がかかってることよ?」


「……なんていうか。……人間ごときこのとで煩わしい思いをさせたくないというか……。それを頼んでは行けない気がするんだよな。……なんつーか、禁忌に手を染めるような感覚?」


「……、ねえ、ほんとにいいの? あの人の正体を調べなくて」


「いいんだ。もう決めたことだし。きっと村のみんなもそう言うよ」


 トーマはロクシャーヌに伝えていた。

 あのサガンという青年の正体は、調べなくていい。

 調べるのは、盗品として没収した金品だけでよいと。


「解呪はできないけど、正体がなんなのかでもしかしたら対応ができるかもしれないんだよ? 魅了魔法でも、服従魔法でもさ」


「いいんだってば。……サガン様が嫌がることはしたくない。前にいらしたところで随分嫌な思いをされていたようだし、うちの村には静養しに来たんだ。盗品かどうかは、逮捕軟禁した手前は調べなきゃいけないけれど、本人が隠したがっている正体を無理やり聞き出す必要はない。ゆっくりのんびり、気兼ねなく過ごしてもらいたいからな」


「……すっかり手遅れね」


「うっさいな。今の問題は、どうやってこの距離を移動するかって……。…………、うーん、無謀かな?」


「なにを思いついたの」


「いや、このドーナツを半周するよりは、ドーナツの穴の部分を突っ切っていったほうが、早いよなって……思って」


「……、第二第一の砦を突っ切ってゆく気?」


「ああ」


「いや、ちょっとそれって無謀にもほどがあるよ? だってあっちって高級住宅街とか城とか裁判所とか警察とか、それこそやばい結界や警備が何重にも張り巡らされているとこだよ?」


「まかせとけって。それくらいの難易度があったほうが、人間やる気出すってもんじゃん?」


「いやムボームボー! だったらなんか高速移動呪文とか飛行魔法とか使ったほうがいいよ?」


「そんなん使えたら馬車なんて使わないけど?」


「え? あんた使えないの? 移動魔法」


「短距離なら使えるけど。あと……ああ、あれは使えるか。影魔法」


「まって、ねえ、あんたって本当に警察官? さっきから使える魔法の方向性がちょっとあやしいんだけど?」


「影魔法ったって、影に潜って移動するとか、影と影を瞬間移動するとか、影の中に人を引きずり込んで移動するとかしか使えないよ」


「不穏」


「あんま使い道ないから全く使わないけどな」


「もしかして、あんたって警察官じゃないほうがもっと活躍できたんじゃ。職業選択間違ったんじゃ」


「うっせ。……でも、考えてみればこの辺りって闇ばっかりだ。影には困らないな」


 トーマは久しぶりに思い切り遊べそうな予感がして、唇をなめた。

 ヒヨリ村に戻ってきて数年。全く平和でつまらない幸せな日々だった。そこでは魔法なんて使うことはなかった。剣も振るうこともなかった。

 それを求めていた。

 争いごとも権力も嫌いだった。

 けれど、魔法を思いっきり使うのは好きだったのだ。


「さてと、ちょっと楽しんじゃうかな」


 トーマは黒い手袋をはめて笑った。

 そしてロクシャーヌの手をつかんで、影魔法を唱える。

 次の瞬間、トーマはロクシャーヌとともに、足元から螺旋状に伸びた影に絡め取られていた。当然、闇に紛れていたのでトーマにもロクシャーヌにも見えなかったのだが。


 副魔王だけはそれがはっきりと見えた。


 ちょうど酒のボトルが空になったところだ。新たなボトルのコルクを抜いて、外から聞こえてくる軽快な音楽を聴きながら、鏡の向こうの続きを待った。


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