第20話 副魔王 一つだけ提案する
しかしながら、馬車は出なかった。
三時十五分をまわり、商工会館にいた搭乗者を集めて第五の砦まで急いだが、そもそも第四の砦が閉鎖されていたのだった。
「なんとかなりませんか? ……村へ薬を運ばないといけないのです」
そうトーマが薬問屋を横に据えてお願いをしてみたが、衛兵は全く聞き入れてくれなかった。
そして追い返され、一行は再び商工会館へと戻ったのだった。
「ではみなさん、一度解散……ということで。明日、砦があいたらすぐに出発しましょう。ですが、どうにか今日中に発てないか交渉はしますんで。すみません」
搭乗予定者たちは口々に「気にしないで」「無理しなくていいから」と言ってくれていたが、疲弊がはっきりと見てとれるのだ。
警察官であるトーマは、彼らを早く家に帰してやりたいのだろう。
それぞれが仮泊まりの部屋に戻って行くのを見届けてから、トーマは呟いた。
「どうにか抜け出せないかな……」
それに答えたのはロクシャーヌだった。
「無駄だと思うよ、トーマ。それに抜け出したとしても馬車はどうするの」
「なんとか借りれないかな」
「……魔物の問題は今のヨタルではかなり敏感なのよ。これ以上は死人を出せないから、抜け出したのが見つかったら厳しく処罰されるかもしれないし、その手助けしたなんてバレたら巻き添えで捕まっちゃうじゃん。今夜は諦めましょ」
ロクシャーヌの意見は至極真っ当なものだった。
だが副魔王はわめいた。
「しかし私は帰らねばならぬ。フーリンとクーリンが待っておるのだ。あの子らは私がいない夜など過ごしたことがないのだぞ。寂しがるに決まってるだろうが!」
「フーリンとクーリンって誰? 子供?」
ロクシャーヌが聞いてきたので、副魔王は答えてやった。
「子馬だ。天馬だ。かわいいぞ」
「なんだ馬か」
「なんだとはなんだ貴様」
「馬なら平気でしょ。子供かと思って心配して損した」
「嘘つけ心配などしておらぬくせに。それにフーリンとクーリンはとても繊細なのだ。あと絶滅危惧種だ」
「えっ!」
と声を上げたのはトーマだった。
「珍しい種類だなとは思っていたんですが、そんなに希少なお馬さんだとは思っていなかったです」
「そもそも生まれる数が少ないしな。……何個かつぶしてしまったし……」
百年に一つ生まれるかどうかの希少な卵だ。幼体も今は二十もいないはずだ。成体は二千頭くらいだったはずである。人間よりははるかに長寿とはいえ、戦場に多用されてきた種類の為、ひとたび戦争となれば一気に激減してしまう。
その馬をどうにか手に入れたいと交渉に交渉を重ねて二回も譲ってもらったのに、結局無駄にしてしまい、もう二度とやらんと言われて数百年。
やっと二個の卵を譲り受けることができた。
そして大事に大事に温めて、大事に大事に世話をしてきたのだ。
仕事中は庭に放していたが、片時も一緒だった。
「あああ、心配だ。心配だ。早く帰りたい」
「どうしましょう。そんな希少な馬だたなんて、……盗まれたりしないか心配です」
「盗むだと! そんな輩がいたら許さぬ。殺す。いや、生きたまま一センチ角に切り刻んでくれる」
「あなたたちねぇ、そんなに心配なら村に電話したら? 盗難が怖いならしっかりした馬小屋で保護してもらえばいいじゃない」
ロクシャーヌが冷静に当たり前のことを言ってくれたのだが、副魔王は
「馬小屋だと! ほかの馬にいじめられたらどうする! あの子たちは完全なる箱入りなのだ……」
と、自分がいかに甘やかして育ててきたかを思い出し、途方に暮れた。
戦闘馬にするならば生まれたときからきちんと教育しなければいけないし、野生に戻すのであれば相応の訓練が必要だ。
副魔王はどちらもしていなかった。
ほかの天馬との交流もさせてこなかったし、そもそも庭からほとんど出したことがない。
魔王城の外に散歩に出させた時も副魔王はぴったりとそばについていた。
「ダメだ……、あの子たちはきっとパニックになる。城の中庭しか知らぬのだ……。ああ、どうしよう、きっと寂しくて泣いている……」
副魔王はさめざめと泣いた。
それを見てロクシャーヌが呆れたように腕を組む。
「泣いてるのは子馬じゃなくてあなたじゃないの。しっかりしなさいよ」
「うう……、冷たい女だな……お前は」
「なっ、ちょっとひどくない? なんでこんなことで冷血って評されなきゃなんないわけ?」
「冷血などとは言っておらん」
「口にしてなくてもわかりますー。どーせ心の中では思ってるのよ。そーよ。ふーんだ」
副魔王はくすりと笑った。布をかぶっていたためにロクシャーヌには見えていないようだった。このように突っかかってくるような相手は久しくいなかった。
「いーわよ、親からもそう言われているし。でもね、これでも……気がかりなことくらいあるんだから」
「ほう」
「意外そうにしないでよ、もう」
「気がかりなことは親か?」
「それもあるけど……、でも今は……。あのおばあさんかな」
そう言って僅かにうつむいた後、ロクシャーヌはトーマと視線を合わせ、二人共も同時にため息をついたのだった。
それからトーマが言った。
「サガン様……魔鏡の預言者は……このままだと冤罪なのに処刑されてしまうんでしょうか……」
「私も鏡を受け取ったのは良いものの……、すごく……なんか……、……もやもやするのよね……」
では、どうしたいというのだろうか。
副魔王にはあの魔女を正当な方法で助ける術はない。
そしてそれはトーマもロクシャーヌも同じだ。二人ともそれを分かっているだろう。だからこそ、この場でうじうじとしているのだ。
「……では、見届けるか?」
副魔王は唯一できることを提案した。
「……処刑を……ですか?」
トーマの声は低く、そして掠れていた。
「もう馬車も出てはくれぬし、無理やり出て行って規律を破ると、今度はこの街で逮捕されてしまうしな。私はトーマと部長に軟禁されている身なので、これ以上はもう捕まる体がない」
「何言ってんのこの人」
ロクシャーヌが横から口を出したが、説明も面倒なので副魔王は聞き流した。
「分身でもすればいいのだろうが、今はちょっとな」
「トーマ、この人何言ってるの?」
「俺も理解はしてない」
「私もそろそろ、フーリンとクーリンの成長のために我慢もしなければならぬしな。これであの子らが天馬として一つ大きくなってくれれば嬉しい」
「いや、馬のほうじゃなくてあなたのほうのだと思うの、成長すべきなのは」
「今夜はおとなしくこの街に留まり、私はフーリンとクーリンの成長をここから見届ける。お前たちは、あの魔女の命の行方を見届けるがよい」
「……」
トーマは唇をぎゅっと結び、ロクシャーヌはそれを横目で見ながら、何も言わなかった。
夕刻になり、トーマは宿をとった。トーマの心境としてはサガン様と一夜を一緒に過ごすには緊張ものだった。つまり、これはめったにない好機、と考えていたのだ。その己の考えに深刻にならざるを得ない。
さすがにやばい。
同じ部屋にすれば本格的にやばい気がしたので別々に部屋をとった。
商工会館に借泊まりをしていた者たちは、そのままそこに一泊するらしい。トーマは資金に余裕があったので、商工会館の近くの、大通りを眺められるホテルを選んだ。
サガン様を眺めのよい部屋に案内してから、ドキドキ高鳴る胸を押さえて、なるべく平静を装った。
「本官は隣の部屋におります。なにかあったらすぐに呼んでくださいね。それとこれから村に連絡を入れます。クーリンちゃんとフーリンちゃんは村長の家の庭で預かってもらうようにお願いしようと思うのですが、それでいいですか?」
「それでかまわぬ。しかし電話をするのであれば私もする。クーリンとフーリンと話がしたい」
馬が話せるかな。
そう思ったが口にはしなかった。
さっそく交番へ電話をかけると上司が出た。
「部長。お疲れ様です、トーマです」
「ああ、お疲れ様。どうだ。合流できたか?」
「はい。村人と、村へ行く予定の人たちと無事に会えました。しかし、ヨタルが交通規制をかけてしまったので、帰りの馬車がでず、明日の午前の馬車で向かいます。ですので、今夜はヨタルに一泊ます」
「サガン様とか?」
上司の声の血相が変わった。
「お、お、お前、サガン様と一緒に泊まる気か! な、なんという、なんという……、だめだ、帰ってこい! 死んでもいいから帰ってこい! いや死ね! その場で舌を噛み切れ!」
「ふはははは、なんと言おうと俺は帰りませんね! 今夜はサガン様と一泊するんですからね! へっへーんだ、どーだ羨ましいかじじい」
「いいか小僧、サガン様に指一本触れてみろ、警官の職を投げ捨ててでもお前を殺す」
「うっわー、嫉妬に狂ったじじいは恐いっすね、きっもーい。まあそんなことは良いんです。サガン様の子馬ちゃんたちを、今夜一晩村長の家で預かってもらえませんか?」
「おやすいごようだ」
「いやあんたが預かる訳じゃねーだろーが」
「ちょうどローザやその友達たちが世話をしてくれていたところだから、そのまま頼んでみよう」
「へえ、ローザが」
家事手伝いの幼馴染を思い浮かべた。魔鏡の預言者から、村長の孫に伝えてほしい言葉を預かっていた。
きっと村長が代替わりをしていることを預言者は知らなかったのだろう。前の村長はすでに亡くなっている。しかしいずれにしても、村長の孫とは、今の村長の娘であるローザに違いないのだ。
「部長、ローザと代わってもらえます?」
「ああ。わかった」
すぐにローザが出た。
「もしもし、なに?」
「おー、ローザ、あのさぁ、……」
魔境の預言者。妖怪ばばあ。
あのばあさん、処刑されるんだってよ。
魔境の預言者とヒヨリ村は縁が深い。なにかしらの催しには必ず預言者は呼ばれ、また人や家畜が生まれたときは名付けもするし厄除けや祝福もしてくれる。災害の予兆もこと細かく教えてくれるし、孤児院に寄付をしてくれていることも大人になって知った。
子供の頃は、奇妙で怒りっぽい胡散臭いババアだと思っていたが、今はそんなことはない。
胡散臭いけど馴染みあるばあさんだ。
そのばあさんとどこよりも親交が深いのは、村長一族だ。
預言者が必ず泊まるのは村長の屋敷だし、ローザは村長の娘だ。
あのばあさん、処刑されるんだってよ。
なんて、言えなかった。
しかも遺言めいた予言まで託されている。
今、その言葉を伝えることもできた。
だが、それをすると魔鏡の預言者の死が決定してしまう気がした。
できればあの予言は、預言者自身の口から伝えてほしかった。
「ちょっとトーマ? なによ?」
「……クーリンちゃんとフーリンちゃんの面倒見てくれてるんだって?」
「そーよー。魔獣の図鑑を見つけんだ。昔の本なんだけど、ないよりはいいよね。それを見ながら色々と頑張ってるよ」
「へー。今日さ、俺サガン様とヨタルに一泊するからさ」
「はぁあああああ? なになになになに? どーゆーこと? ちょっとふざけるんじゃないわよ! お前外で寝ろよ! サガン様に指一本触れるんじゃないわよ! わかってんの?」
反応が早くテンションが高い。
「やーだねー、やーだね、へっへーん! いーだろいーだろ!」
「ぶち殺したい」
「ぜーんぜんこわくないしー。それより、クーリンちゃんとフーリンちゃんどうしてる?」
「ああ、さっきまでお昼寝してたんだけど、今は起きて、ちょうちょ追いかけて遊んでる」
「了解。サガン様に代わるから、ちょっと話してやって」
そう言ったとたん、待ってましたとばかりにサガン様に受話器を奪われた。そしてサガン様は嬉しそうに話し始めた。
うむ、そうか、そうか、よし、ほー、それはよかった、うむ、ほほー、声をきかせてはくれぬか。フーリンか? いい子にしておるか? クーリン、寂しくはないか? 一晩頑張るのだぞ、私も我慢するからな、うん、うん……
もしかして会話できてる?
そんなまさか。
トーマはサガン様の電話の様子を眺めつつ、そっと窓の外に視線を走らせる。下にはロクシャーヌがいた。目が合うと、少し手を上げて合図をしてきた。
トーマもそっと手を上げる。
では、夜に。
そのような意味合いを込めて。
トーマはこの窓の反対側にあるであろうヨタルの中央を思い浮かべた。ヨタルの刑務所は第三層、つまり隣の層にある。
サガン様は言った。
魔鏡の預言者の命の行方を見届けろ、と。
しかし、見届けるだけでは気が済まないのだ。
警察官として、いや、人として間違っているとは思う。けれども、トーマとロクシャーヌは決めた。
処刑される前に、魔鏡の預言者を逃がそうと。
冤罪で殺されるのをおめおめと見過ごすことはできない。けっして。
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