第19話 副魔王 懐かしむ



 しかしカードか。

 副魔王は懐かしさを禁じ得なかった。

 これまで何度も世界は滅びかけ、そして発展してきた。勃興を繰り返す中で、様々な技術が廃れ、そして新しい技術が生まれた。また、新たな文明であっても、前の文明と非常に似たような技術が生まれることもあった。誠に不思議で、面白くもあり、副魔王も魔王も新たな文明が芽吹くとどのように育つのかを楽しみに見ていた。

 このカードも幾度となく生まれては廃れ、そしてよみがえってきた技術だった。そして毎回同じような活用をされる。

 貨幣制度が必ず生まれるように、貨幣の数字化は必ず行われるのだった。

 時には、己の持つ能力が貨幣とあることもあった。魔力であったり念力と呼ばれるそれは、強い力の者は富を得て、弱い者は貧しく虐げられる世界は多かったが、今回の文明はそのような傾向はない。むしろ、生物の持つ魔力が強まっているにもか関わらず、それを特別視していないようだ。


 商工会館へと戻れば、トーマがいた。そしてあのロクシャーヌという占い師もいる。顔から薄い布は取り払い、鏡を括りつけた四角い鞄を持っていた。

 副魔王はびくつきながら、布の合わせを強く握った。


「あ、サガン様、……魔鏡の預言者の代わりとして、ロクシャーヌが村に行ってくれることになりました」


「そ、そうか。うむ」


 ロクシャーヌが


「よろしくお願いします」


 と頭を下げたが、副魔王はやはりびくついてしまって、反応ができなかった。しかし、沈黙が訪れる暇もなく、ロクシャーヌが話しを続けた。


「あの、サガンさん、さっきは失礼なことを言ってしまってすみませんでした。けっして、サガン様のお顔が変っていうわけではありません。むしろお美しいお顔です。私が、つい口にしてしまったのは、その……サガンさんのオーラみたいなものが、……尋常ではなかったからです」


 ロクシャーヌの言うオーラが一体何を指しているのか副魔王にはわからなかったが、もしもそれが生命力のようなものであれば、他者とはまるで違う姿かたちをしているだろう。


「では私の顔相とやらが奇怪で気色が悪いというわけではないのだな……?」


 恐る恐る訊ねた。


「はい」


「そ、そうか……。……本当か?」


「はい」


 ロクシャーヌはうなずき、その横でトーマも激しく顔を上下に動かしている。

 それで副魔王はやっと安心できた。


「そうか。であれば、別に良いのだ。……しかし本当か? この顔は大丈夫だろうか……」


 するとトーマがずいっと前に出てきた。


「大丈夫です! 大丈夫です! 大丈夫です! 俺はサガン様のお顔もお声も大好きです! 他の誰が何と言おうと、サガン様は世界で一番素敵ですよ! ロクシャーヌだって気色悪いだなんて一言も言っていませんでした。よく思い出してください」


 確かに気色悪いとは言っていなかった。


「けれども常軌を逸していると言っていたが。やばいとも……」


「それは今さっきロクシャーヌが言ったじゃないっすか、顔のことじゃないって。オーラのことだって!」


「そ、そうか……?」


 今度はロクシャーヌが激しく顔を上下に振っている。


「……そうか。よかった……」


 そうしてやっと、副魔王は安堵することができた。しかし布はとらなかった。やはりまだちょっと怖かったのだ。


「あのな、トーマよ」


「はい、なんでしょうかサガン様」


「もう村へ行く馬車は来るのか?」


「もうちょっとありますよ。三時半の予定なので」


「そうか。あのな、先ほど、銀行に行ってきたのだ」


「え!」


「それでな、口座のある銀行と取引ができたので銀行のカードを作ったのだ」


「へー、よかったですね! これで色々い買い物ができますし、一安心ですね」


「うむ。みなにぶどう酒が振る舞える。それでだな、……村で留守番そしているフーリンとクーリンに土産のニンジンを買いに行きたいのだが、行ってよいか?」


「もちろんっすよ!」


「お前にもなにかプレゼントをしたいのだが、何が欲しい?」


「……え……。お、俺に……プ、プレ、プレゼントを?」


「うむ。村で一番世話になっているのはお前であるし、なにかを贈りたいのだ」


「ほ、ほんとうで、すか! おれに、さがんさまがっ、おれにっ」


 なにやらトーマの様子がおかしい。


「プレゼントを!」


 そう叫んで、顔を手で覆うと膝から崩れ落ちたのだった。


「トーマ! どうしたのだ!」


「あんた大丈夫? いろんな意味で」


 副魔王とロクシャーヌがほぼ同時に駆け寄ったが、


「うああああ! もうだめだあ! もうだめだあ! すみませんちょっと一人にしてください! うあああああ!」


 と叫んで飛び起き、目にもとまらぬ速さでどこかに走り去ってしまった。


「……」


「……」


 そして十分ほどたって戻ってきたトーマは、


「飴が欲しいです。サガン様」


 と、どこか悟りをひらいた聖者のような顔で言った。

 




 ロクシャーヌは商工会館で待機すると言ったので、副魔王はトーマと共に買い物をすることにした。


「やっぱここで生活してるロクシャーヌに案内してもらえばよかったでしょうか。本官もよく遊びには来るのですが、八百屋とかは気にしてみたこと無かったんですよね」


 すぐそばの通りには様々な店が連なっていたが、あまり野菜などは売っていないようだった。食べ物は売っていても、調理済みの屋台か目の前にで調理してくれる屋台、そして大衆食堂や少し格式が高そうなレストラン。

 どうやらいくつもある通りや区画によって住み分けされているようだ。一番賑やかなのは大衆の娯楽が集まる通りで、劇場や映画館があった。


「ほう、映画」


 これも懐かしい。一時廃れてしまった。今回の文明では映写機のようなものが発明されたのだろう。しかし、車だとか列車というよな移動に関する技術はあまり発展していないようだった。


「なにか観ますか?」


「時間があれば観てみたいが」


「今は八百屋を探すのが優先ですしね。うーん、ここみたいな観光客とか遊びに来る人が集まる場所じゃなくって、もっと住人が集まるような場所にあるんですかね、やっぱり」


「そっちはどっちなのだ。一番最初に見たあの死臭のする層か?」


「……。その可能性は高いですが……、あそこは新しい居住者用の街だと思うんすよ。もっと昔から住んでる人は砦の中央層にいるはずなんで……、あとこの層には仕事関係の人が多く住んでるんじゃ? どこにでも居住者はいるんで、八百屋もあるはずっす」


「ふむ。層によって住人の階級が異なるのか」


「安全面でも、中央のほうが高いですから。上流階級やお金持ちは中央に。ずっと昔から住んでいる一族とかも中央ですかね。第二層が一番広くて、畑や果樹園があるそうです」


「なんと。砦の中に畑が」


「はい。最初は中央の壁一枚だったんですが、周りが危険になってきたので、畑の周りにも柵を作ったことにより、第二層ができました。そしてその周りにも集落ができ始めて、それを守るために壁ができて第三層。そして他のところからの冒険者が集まるようになり、歓楽街などができた、今いる第四層。そして午前に見たのが……他の場所から移住してきた人たちや若い家族が住みはじめた第五層」


「おお、巨大な街なのだな、ここは」


「そうなんす」


 これは一種の国だろうと副魔王は思った。今の世界には国境はもうない。境界線の代わりに、魔物が巣くっている。

 そのようにしたのは、副魔王自身だった。

 土地に線を引くのではなく、魔物の群れという強き勢力を敷くことによって、目に見えない線を引いたのだ。

 魔物にも自我がある。知性もある。文明もある。魔物がその地を制することもあるし、人間や魔族、精霊族が魔物を滅ぼしてその地を手に入れることもある。けれども、新たに手に入れた土地の周りにも、魔物がやってきて目に見えぬ線を作るのだ。

 縄張り。

 それはいかなる生物にも必ずある習性だ。砦をつくるのも縄をはるのと同義。

 この地を襲う黒い巨大な犬の魔物も、己の縄張りを広げに来ているだけに過ぎないのではないだろうか。

 コボルトたちがいなくなったその空白地を狙い、人間が勢力を広げる前に国境線が自ら動いた。そして目の前の大きな勢力地を食おうとした。


「この地は昔から強大な魔物に襲われてたのだな」


「いや、この周りには弱い魔物しかいないはずですけど」


「コボルトだとかピクシーだけならば、こんなにも重厚な砦を作らなくともよかったであろう」


「……、まあ、そういやそうっすね。うちの村も、柵という名のただの木の棒をぶっ刺しただけですし。ピクシーに牛乳をおすそ分けして、お返しにお菓子に使う木の実とかをもらったりしてます」


「では、お前たちが安全だと認識するくらいの時間は、強い魔物がやってこなかったというわけだな。この砦は、周りの外敵から身を守るためではなく、収容している生物をまとめるためのもの、と」


「それもあるかもしれないっすけど。あとはほかの砦や町に対する見栄とか? 俺の街ってすごいだろ? 最先端だろ? みたいな」


「見栄か」


「はい。俺のいっていた大学は中央にあるんですが、そこでもヨタル出身者は一目置かれていますからね。まあ、始まりの砦っていう名前なので、最弱だろって言われることもありますけれど、歓楽街は中央にも匹敵するかもしれません」


「中央とは?」


「この大陸の、人間の国の中心都市です。ヒョード中央都市って言われてます。八つある大陸のうち、魔王城があるとされているのはこの大陸なので、魔法学園だとか軍隊養成大学だとかの最高峰ですよ」


「なに! この大陸に魔王城があるのか!」


 であれば魔王城までめちゃくちゃ近いではないか。

 遠いはずだと聞いたのに、なんたることだ。


「は、はい。そうっすよ。知らないんですか? あ、サガン様は魔法でテキトーにうちの村に来たんでしたっけ?」


「魔王城まで遠いと言っていたのはトーマではなかったか?」


「言いましたよ。でも実際に遠いんです。いくつもの山脈を経由しないといけませんし、途中に大きな川とか魔物の森とか、精霊族が管理する霧の国とかもあるんで。直線距離でいくと最難関ですし、難関個所を迂回してゆくと遠い。けど、魔物を倒して腕を上げながら進むには一番効率がいいとされているんですよ。それでほかの七つの大陸から打倒魔王を掲げる人間が来るわけです。人間だけじゃなく、魔族や精霊族も」


「ほかの七つの大陸はどんな場所なのだろうか」


「旅行でいくつか行ってみましたけれど、ヒヨリほど安全ではないですね。魔王城のあるこの大陸のほうが安全な気がします。安全っていうか、ちょっと、……平和? あはは」


 それはお前の村の人間だけだろうと副魔王は思った。


「……ところで、サガン様は……どこからいらっしゃったのですか?」


「私か?」


「いえ! 言いたくなかったらいいんです! すみません!」


「私は職場にいた」


「……不穏な空気」


「仕事を辞めてきた。職場に縛られていて、長いこと自分の家にも帰れておらず、もう嫌になって飛び出してきたのだ。自分の家に戻れば、そこに職場のやつらが押しかけてくるかもしれないと思い、フーリンとクーリンに、どこか遠くで、あいつらが追いかけてこなくて、のんびりできるところに行けたらよいな、と言ったらお前のいる村に着いたのだ」


「そ、……そうなんですね。選んでいただけて光栄だなぁ」


「昔は森に囲まれた城に住んでいた」


「お、お城に……」


 城ができる前は、森に棲んでいた。

 それを言ってしまえばトーマは混乱するだろう。まだこの世界が今のように文明に侵食されていないころ、副魔王もまだ副魔王ではなかったころ、魔王が魔王ではなかったころのはなしだ。魔王は山に棲んでいた。海王は今と同じく海におり、天王は今と同じく天にいた。


「城など必要なかったのだがな、必要だろうと言われ、……、それでも作らずにいたら、みなが作ってくれたのだ。ここの主はお前だと言ってくれた。どうやら格式というものが必要だったようだし、その格式を与えることが一番の贈り物だったらしい。私はそれを理解して、嬉しく思った。そして喜んでその城に住むようになった。その城は実に美しく、私の好みにそっていた。いろいろなものが城の維持に従事してくれたし、私の生活をよりよくしようと尽力してくれた。幸せだった。まあ、はるか昔のことだ。最近はもう帰れておらぬし、みな私のことなどどうでもよくなったのだろう。だから、もう良いのだ。私はのんびりすると決めた」


「……。サガン様がよろしければ、気が済むまで、ヒヨリ村にいてください。そうですよ! ヒヨリ村にいてください! それがいい! クーリンちゃんとフーリンちゃんが選んだ村ですよ、サガン様がのんびり過ごしやすいように選んだ村なんです! のんびり過ごしましょう!」


「よいのか?」


「あったりまえです! 俺たちはサガン様のことが大好きなんですから」


「そうか」


 副魔王の頬が勝手に緩んだ。涙腺も緩みそうだった。

 その時だった。

 いいのか悪いのかわからないタイミングで、砦全体に響き渡るような鐘の音が人々の顔を天へと向けさせた。

 すると、砦の壁の上から、細い緑の布が一斉に垂れ提げられ、それが風によってたなびいた。


「あれはなんだ?」


 と副魔王がトーマに訊ねたとき、まるでそれに答えるように音声が響いた。


《ヨタルの市民たちへ、ヨタル領主クロードの名において伝える》


「領主がいるのか」


「ええ、最近代替わりがありしました。クロード様はなかなかの辣腕だとか。まあ、興味はないっすが」


《魔物をおびき寄せあまたの死傷者を出した魔女を捕らえた》


「……魔鏡の預言者のことですね」


「そうであろうな」


《拘束し、今宵魔物が出なければ、この魔女が大罪人であるという証拠とし処刑することとなった。よって、今午後三時から明日の午前十時まで砦を閉鎖し、状況を吟味する》


「……処刑……」


「一晩で決めるとは、早計ではないか?」


「ですよね! もしも本当におびき寄せる犯人がいるとしても、設置型の呪術でしたら術者が死んでも設置した呪具や魔具を破壊しないと効果は続きますし。もしかして、魔物がまたやってきたら、今度は呪具を作ったということにして処刑するつもりですかね」


「かもしれんな。……変に勘ぐってしまえば、むしろ領主が魔物をおびき寄せてるのではないか?」


「えっ」


 副魔王の他愛のない戯言に、トーマは目を丸めて見上げてきた。


「ん?」


「クロード様が……わざと? ……なんでそう思うんです?」


「魔物が来る犯人をでっちあげたいのであれば、自分の罪をなすり付けて処刑させ、この件を終わりにしたいということだ。死んでしまった後も、呪具を理由にしておけば、魔物が来続けても不審には思われず、いけにえとなった魔女をさらなる極悪人として崇め奉れる。憎しみをそちらに永遠と向けさせることによって、領主は好き勝手出来る」


「……」


「相当のアホな悪人にしかできないことだ。クロードとやらが辣腕でありながらもまともな施政者であればやらぬだろう。辣腕ではなく頭の足りない暴君であればやるかもしれんがな」


「……」


「いずれにせよ、私たちの気にすべきことはそこではないだろう」


「では、サガン様はなにを気にすべきだというのですか?」


「決まっておる。砦が閉鎖されるということは、村へ戻る馬車が出ぬということではないか? さっさと帰るぞ」


「は! そうでした! 閉鎖される前に馬車を出してもらいましょう!」


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