第17話 副魔王 ため息をつく


 副魔王は地下から地上へと出た。すぐそばには先ほど村人と合流した商工会館があった。

 中に入り、ロビーで待っていればトーマが来てくれるだろう。けれども副魔王は中に入る気分にはなれずにいた。

 思い浮かぶのは魔王城での視線の痛さばかり。

 誰かに見られるというのが酷く苦手だった。執務室で独りで作業に没頭すると際限なく仕事が投げ込まれていたが、誰かに見られるという苦痛がなかったのは確かだ。庭で子馬をなでてやってる時ですら視線を感じた。テラスでぼんやりしているときでさえもだ。

 誰にも見られない森の中で動物と戯れたい。

 どこかへ行きたい。

 帰りたい。

 心が擦り切れた副魔王は、建物へとは入らずに、少しだけ散策をすることにしたのだった。

 布を頭からかぶっていれば顔を見られることもないだろうと、副魔王はしっかりと布を握った。もしかしたらまた誰かに布をはがされてしまうかもしれないからだ。

 しかし一生懸命に姿を変える練習したというのに、なぜ駄目だったのだろうか。

 顔形を替えていないから駄目だったのだろうか。しかし変身というものは苦手であった。

 はるか昔に白鳥に姿を変えて世界中を散策したことがあったが、すぐ疲れてしまい、泉や湖でうっかり元の姿に戻ればなにやら大問題になってしまった。女に姿を変えていろいろな集落で色んな者たちとふれあってみたが、やはり途中で疲れて元に戻ってしまい大問題になった。

 今の姿は、長い年月をかけて付け加えられた強さの象徴をすべて取り払った、いわば素材のようなものである。疲れたからといって副魔王の姿に戻ることはない。むしろ、これが一番楽な姿である。全裸である。何もかも解放された姿で、逆にやる気を上げたり気合いを入れたら副魔王としての姿に戻るだろう。

 これですら気色悪いのであれば、もうそれは存在自体が気色悪いのだ。


「かわいいウサギにでも生まれておけばよかったのか……」


 そうすればクーリンやフーリンと仲良くニンジンを食べあえる仲になれたに違いない。


「そうだ、フーリンとクーリンにニンジンを買ってゆく約束をしたのだった。お留守番をしているご褒美を買ってやらねば~」


 副魔王は楽しいことを考えることにした。

 だがすぐに自分が無一文であることを思い出した。寂しくなった。しかしここは大きな街であるので、大きな銀行があるかもしれない。資金さえあればニンジンが買えるし、村の人間たちへ振る舞うぶどう酒も買えるのだ。

 すぐに大通りに出ると、一際にぎわう雑踏の中で看板を探しながら歩いた。銀行や病院のシンボルマークは世界共通のはずで、それは勃興を繰り返してきた文明の中でも変わらなかったはずだった。ここ数千年を引きこもっていた副魔王でもすぐにわかるに違いないのだ。

 けれども商工会館のそばにはそれらしい看板が見つからなかった。


「うーむ、困った」



 それから副魔王はあてのない散策を続けた。

 賑わいの中には様々な生き物がいた。主に人間と精霊族と魔族である。

 魔族の国にも人間もいれば精霊族もいる。同じように、精霊族の住む国にも人間も魔族もいる。

 けれども、住む場所によって見た目が少し違ってくる。魔族の国に住む人間や精霊族は魔族に少し似ているし、精霊族の住む国に住む魔族や人間も精霊族に似てくる。人間の国に住む魔族や精霊族も、人間に少し似ている気がする。

 さて、今の自分はどれに属しているのだろうか。

 エルフに似ているらしいので、妖精族だと思われるのかもしれない。魔族の国に住む精霊族だろうか。

 であれば、銀行の場所を訊ねるには、いかにも魔族と思われる者にすべきだろうか。それとも、魔族の雰囲気のある精霊族のほうが良いだろうか。しかしそれらはこの街では観光客である可能性が高い。人間の国に住む少し人間っぽい精霊族のほうがいいかもしれない。

 考えているうちに、面倒になってきた。

 適当に声をかけてしまおう。

 そう思っているときに、通りの向こうから集団がやってきた。

 体の大きさや肌の質感、顔形から十中八九魔族であり、しかも魔族中の魔族であった。副魔王にとってはとても見慣れた雰囲気だった。

 その集団は周囲を威嚇しながらやってくる。言葉遣いも粗暴であり、態度も横柄だ。

 ああいうのが暴れるから、魔族の評判が落ちるのだ。

 副魔王はため息をついた。

 それを見られたようで、一番中央にいた一際体格の良い魔族が副魔王を睨みつけた。


「お前、今俺たちを笑ったな?」


 魔族たちは、現れた瞬間から敬遠されていたが、標的を定めたことにより周囲の一般の者たちがが一斉にその場から離れた。十歩前後の間隔を空けて、いびつな円が出来上がる。その中心に据えられたのが副魔王だった。


「笑ってはおらぬ。ため息をついただけだ。あまりにも恥ずかしくてな」


「はあ? どーゆー意味だてめぇ!」


 前にいた小柄な魔族が甲高く叫んだ。それを制止するように、しかしニヤニヤとその横の魔族が言う。


「おちつけよー、はは、こいつは自分のことを言ってるんだよ、布で隠してなきゃ恥ずかしい顔なんだよ」


 そして魔族たちは副魔王を取り囲んだ。布を奪って笑い者にしようと企んでいるのはみえみえだ。


「お前たちはどこから来たのだ?」


「俺たちか? 俺たちは魔王様のいらっしゃる魔都からやってきた、魔物中の魔物だ」


 リーダー格がそう言えばの取り巻きたちが下品な引き笑いを上げた。


「魔都とはどこのことだ?」


「お前のような田舎者は知らないだろうな!」


「魔王の知り合いか?」


 副魔王の問いに、魔族たちは腹を抱えて笑い出した。


「魔都は遠いのか?」


 副魔王の質問は魔族たちの笑いのツボにはまってしまっていて、一向に返事が来ない。


「まあどこでも良いのだが、あまり嘘をつかぬほうがよいぞ」


 しかし、その一言で、魔族たちの笑いはピタリと止まった。


「てめえ、嘘だと?」


「なにいちゃもんつけてきてんだコラ」


「俺たちを嘘つき呼ばわりしてんじゃねーぞ」


 などと言いながら副魔王に詰め寄ってきたのだった。そして、


「お前どこ出身だよ、あああん? この田舎モンがイキってんじゃねーぞ」


 と、耳元でささやかれてしまった。


「いや、ちょっと近すぎぬか、お前」


 さすがに耳元で野太い声が聞きたくはなかった。

 獣であろうが魔物であろうが、耳元で野太い声を出して許されるのは、濃厚な交尾の最中くらいだ。


「ちょっと退け」


 副魔王はシッシッと手を振った。その瞬間、魔族は勢いよく吹っ飛んでいった。そして建物の壁に背中から激突し、動かなくなった。取り巻きたちも同じようにどかそうと思ったのだが、全部を気絶させてしまっては意味がないのだった。

 にしても、思ったよりも強く力が出てしまった。

 トーマや部長たちにはこれまで影響がでないように力をゼロに近く絞っていたが、魔族が相手だと思ったら気が緩んでしまったのかもしれない。気を付けなければ。弱き者は天馬の卵の殻より脆いのだ。


「お前たちがどこから来たのかはどうでもよいし、誰にどんな迷惑をかけても気にも留めないのではあるが、可能ならば魔族の評判が落ちるようなことはしないでほしいものだ。それと、魔王の名前を出したり、その魔王がありもしない場所にいるなどと吹聴すると、魔王を本当に愛し信奉しているものたちが怒るであろうから、やめたほうが良い」


 魔王自体は気にも留めないであろうが、問題はその側近たちだ。

 あれらは魔王を魂の中心から愛し尊敬している。服従をしている。どんな些細なことでも、魔王を侮辱したとをみなせば怒り狂うであろう。


「まあ、死にたいのであれば、好きにすればよいが。では」


 副魔王が去ろうとすると、


「てめぇ……ちょっと待てや!」


 とかなんとか、無礼に声をかけられたので、副魔王は振り返った。


 お前ごときになぜ呼び止められねばならぬ。


 そう思いながら。

 すると、呼び止めた魔族が一瞬で砕けて散った。

 パァン、という微かな音だけが残った。


 あたりは水を打ったように静かになったので、副魔王は今度は誰にも邪魔されずにその場から離れることができたのだった。

 まったく。

 無礼千万な上に評判を落とすような魔族は迷惑である。



 そしてうろうろすることしばらく、やっと銀行の看板を見つけることができた。しかもかなり大きい。これは期待ができる。

 そして期待通りの巨大銀行だった。随分と混雑していたが、高額貯蓄者用の階段があったのでそこから二階に上った。

 だいぶそこは静かで、すぐに品の良いゴブリンがやってきた。

 村のゴブリンは副魔王を見て悲鳴を上げていたが、ここのゴブリンは冷静沈着で、


「お客様、ご用件を承ります」


 と丁寧に対応してくれた。さすが大きな街の巨大銀行だ、高位魔族や高位精霊族の対応も慣れているのだろう。

 副魔王は布を取った。


「うむ。魔族の国での資産を確認したいのだが、ここは取り扱いがあるだろうか」


「……」


 ゴブリンは微笑をたたえたまま動かなくなった。


「おい、どうした? おい」


「……」


 動かない。

 すぐさま人間が飛んできた。


「お客様、うちの者が申し訳ございません。私が変わります!」


 名乗りを上げたのは、やはり品の良いいでたちの人間の男性で、モノクルをつけている。

 動かなくなったゴブリンは他のゴブリンたちに運ばれ、窓口や相談口にいたほかの銀行員も全員人間にかわってしまったのだった。


「……私はゴブリンたちの気分を害してしまったのだろうか……?」


「いえ! 違いますお客様! ゴブリンは我々人間よりもその方の本質を見抜く目が強く、特に最初に対応したものは、モノクルを使わずとも鑑定魔法を使える能力持ちでしたので、見ただけであなた様の魅力にあてられてしまっただけでございます。けして、けっして気分を害したわけではございませんので、どうかご容赦を!」


 そのように言いながら、額を床にこすらんばかりに人間は頭を下げた。


「嫌われているわけではないのか?」


「嫌うわけがございません!」


「なら良いのだが……」


 とは言ったものの、やはり布を取れば嫌われてしまうのだろうか。悲しい。

 この顔をやめてしまいたい。

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