第16話 副魔王 傷つく


 常軌を逸している、やば。

 そう、占い師のロクシャーヌが言った瞬間の副魔王の見開かれた瞳を、トーマは一生忘れられないだろう。


「あ、あの、サガン様……」


 副魔王はめくられた布をぱっと引き、ゆっくりと頭にかぶりなおした。そればかりか、両手でぎゅっと前にひき、せっかくの美しい顔を完全に隠したのだ。


「よい」


 そう副魔王は言った。なにが、よい、のか最初トーマは理解ができなかった。


「よい、慣れているぞ。ずっと気色悪いと陰口を叩かれていたからな。慣れている。うむ」


 それを聞いたときにトーマはなにやら小さく悲鳴を上げそうになったし、胸がギリっと痛んだ。涙も出そうになった。


「部下からひそひそ言われていたし、笑われていたし、疎まれていた。だから誰にも見られぬように過ごしていたし、クーリンとフーリンは私を笑ったりしないし、よいのだ。うむ」


 うむ。

 その一言にトーマの心臓が張り裂けそうになった。


「サガン様は気色悪くなんてないですよ! むしろ誰よりも美しいし誰よりもかっこいいです! 俺は大好きですよ! クーリンとフーリンだけじゃなく、俺も部長も、村の人間はみんなサガン様が大好きなんですから!  そんな悪口言う奴らのことなんて気にしないでください!」


「うむ」


 布の下で副魔王がうなずいたようだが、トーマは自分の言葉では傷を癒すことはできないのだと悟った。


「トーマよ、私は先に外に出ている。考えてみればこれはトーマの仕事だ。私の仕事ではない。先ほどの建物に戻っている故、仕事を済ませたらすぐに参れ。では」


「あ、ちょ、ちょっとサガン様! 待ってください!」


 さっさと部屋を出てゆく副魔王を追おうとしたが、その背中から拒絶を感じ取ってしまった。二の足を踏んでいる間に、ドアがバタンと閉じた。


「……おい、……お前サガン様になんてこと言いやがる!」


 トーマの怒りは当然占い師ロクシャーヌに向かった。振り返ってそ胸ぐらをひっつかんだ。相手が女だとか関係なかった。返答によってはぶんなぐってやろうと思っていた。


「お前にはサガン様がどんなふうに見えたか知らないけれどな! あんな失礼な言い方をしていいと思ってんのかよ!」


 が、すぐに様子がおかしいことに気がついた。目を見開いたまま、魂が固まったかのように生気が硬直していた。


「お、おい。おい! しっかりしろ!」


 胸ぐらを掴んだまま前後に強くよさぶると、ロクシャーヌはいきなりトーマの手首を握った。


「あれはただごとじゃない!」


 かなり力が込められた声に、トーマは僅かに怯む。そしてゆっくりと手を離した。


「ただごとじゃないって……、どういう意味だよ」


「あれは、……あの人はなに? エルフっぽいけど全然違う。これまで、いろんな『変な』顔を見てきたけど、あそこまで常軌を逸した顔は初めてなんだけど!」


 ロクシャーヌの目はまっすぐにトーマの目を見ていた。ふざけているわけでも、何も考えていないわけでもない。真剣な目だった。トーマは手を離した。


「つまり? なにがいいたいんだ? ……説明しろ」


「……説明ができない。ただ、分かるの。あれは異様なの。誰よりも異様。美しさも、感じる……威圧みたいなものも、纏っている光も、全部普通じゃない。ねえ、あなたはそばにいて変だと思わなかったの? あなたにとって特別な人なんでしょ?」


「と、特別って、どういう意味だよ!」


 トーマは真っ赤になって叫んだ。


「惹かれているように見えるけど?」


「……」


 そこを突かれると非常に痛い。ここ最近の一番の悩みがそれである。しかもそれが自分だけではなく部長もそうであるし、なにやら村の子供たちもそうである。むしろ、自分以外にもいるからこそ、これは同性に対する恋ではないと安心できているくらいだった。

 あの美しい青年のそばにずっといたい。

 でもこれは明らかに魅了魔法にかかっている。だから解呪したい。けれど解呪したらサガン様のそばにいれなくなる。それ嫌だ。解呪しなくてもいいのだ。いや、解呪しなかったら自分はこの先どうなってしまうのだ。恐ろしい。解呪しなければ。けれどずっと一緒にいたい。これはおかしい。まずい。

 そのような堂々巡りのような悩みにさいなまれている。


「その話をするには、まず仕事の話をしようか」


トーマは冷静に戻ろうと努め、客でありながらも店主であるロクシャーヌに椅子に座るように促した。


「仕事? ……占いの依頼じゃないの?」


 不審がりながらもロクシャーヌは椅子に座り、トーマも最初に座っていた白い椅子に座りなおした。

 そしてさっそく、魔鏡の預言者から預かった古い鏡をテーブルに置いた。


「この鏡を使い、正体を探ってほしい方がいる」


「それって、」


「お察しの通り先ほどの青年だ。名前はサガンというが、本名ではないようだ」


「……惹かれているけど、それに対する危機感はあるってこと?」


「そうだ。俺はヒヨリ村で警察官をしているトーマという。一週間ほど前のことだ、あの青年が突然村に現れた。言葉通り、空が光って、そこから突然現れたんだ。びっくりした。だから捕らえたんだ。あっさり捕まってくれたんだけど、まず持ち物がおかしかった。どう見たって一般人の持ち物じゃない金銀財宝で、それを荷馬車に一杯積んでいたんだ。あの通り見た目がすごいきれいだし、物腰にも気品があったから、貴族のお坊ちゃんが魔法で家出でもしてきたんだろうと思ったんだけど、……、綺麗な見た目だろ? サガン様」


「え、ええ。綺麗すぎる」


「気色悪くないよな?」


「気色悪くはない」


「だよな?」


「ええ。……、なに? 一体」


「いや、いいんだ。それで……、俺は、あの財宝は本当にサガン様の持ち物なんじゃないかと思ったんだけれど、うちの上司は盗品だと疑った。だから、まずはその金銀財宝が誰の持ち物で、一体どれくらいの価値のあるものかを調べてほしかった」


「鑑定魔法ならちょっとは使えるけど、……鑑定士とか質屋にお願いしたら早いんじゃない?」


「そう、それで、俺たちは昔から村長が贔屓にしている預言者に依頼することにしたんだ」


「なるほどね。……で、なんでそれで私のところに?」


「その預言者がさっき捕まった。で、預言者からこの鏡を預かった。お前になら使えるんじゃないか、と」


「えぇ……、困る……。っていうか、誰、その預言者って」


「この地下街にいた、魔鏡の預言者っていう魔女だ」


「あ、知ってる。胡散臭いおばあさんだ。けどたまにすっごい身なりの良いお客さんが店に入ってくの見てた。でも、なんでその人が? 私に? っていうか捕まったの? なんで。もう、なにもかもが意味不明なんだけど」


「この街を襲う魔物を呼び寄せたと疑われて捕まった。その直前に、この鏡を預かったんだよ。自分は投獄されてしまうから、仕事は受けられない。この鏡を使えるかもしれない占い師を紹介する。使えるようなら、その者に依頼しろ、ってね」


「それが、……私」


「そう。見どころがあるってよ」


「……」


  ロクシャーヌは鏡をじっと見降ろして黙った。

 トーマはつづけた。


「もしもこの魔鏡が使えるなら、ヒヨリ村より占い師ロクシャーヌの正式に依頼をしたい。あの不思議な青年の持ち物を調べてほしい。そして……あの青年の正体も、探ってほしいんだ」


「……、あの人の正体を?」


「そうだ。あのサガン様が来てから、村が少し……おかしくなっている」


「特にあんたが?」


「あんた呼ばわりされる筋合いねーんだけど」


「ホモ?」


「よせ」


「あ、ゲイ?」


「言いなおすな!」


「いいんじゃない? 私、そーゆーの見てるの好き」


「うっせえ!」


 他人事だと思ってこの女。

 頭の血管が切れそうなのを、なんとかこらえた。


「……そうだ、正直言えば、……今の状態なら俺はホモでもゲイでもなんでもいいからサガン様に愛されたいって思っちゃえるのも事実」


「認めちゃえー」


「うっせえ!」


「ひゅーひゅー」


「だから黙れ! ……、俺だけだったら別にいいんだよ。これはマジな恋かな? って思えてたかもしんないんだけど。そうじゃないんだ」


「ほうほう? なになに? 恋愛占いしよっか?」


「まじな話してるんだけど?」


「相性占ってあげよっか?」


「あー、それはすっごいしてほしいんだけど、まず俺の話を聞け?」


「してほしいんだー、へー、そうなんだー」


 トーマは心の底から、この女とは仲良くなれねえな、と思った。


「お前もプロなら真面目に話を聞けないのか? それともこの店はごっこ遊びの部屋なのか?」


 トーマは睨んだ。


「村人の大半がそんな状態なんだ。老若男女関係なくな。んで、特にサガン様と過ごす時間の多い俺とかうちの上司とか、あと最初から懐いていた子供たちなんかがかなり酷い。子供たちはもしかしたら普通に懐いてるだけかもしれないけれど、俺や上司はちょっとおかしい。明らかにおかしい。恋や愛とかで済まされないような行動に出ることがある」


「なに、夜這い?」


「こっち真面目に話してるんだけど? さっきからなんなんだ?」


「え? 真面目に返したんだけど?」


「あー、もー、お前苦手」


「大丈夫、私は結構楽しんでるー」


「いや大丈夫ーじゃねえよ」


「それでそれで? 続きどうぞー」


「お前あとでしばく。おかしいっていうのはさ、……命令に従うんだよ」


 警察官としてあるまじき秘密を、トーマは吐き出した。


「命令なんてだいそれたものじゃないかもしれない。けど、サガン様に「こうしろ」っていわれると「はい、よろこんで」って答えてるんだ。その時に自分の意志なんてどこかに消えている。はい、仰せのままに、ってね。あなたのお好きなように、あなたのお望みのままに、……、あなたが喜んでくださるならなんでも、……。エスカレートしていく気がしてならない」


「操られているってこと?」


「……たぶん。いや、そうは思いたくないんだけど。上司は、魅了魔法か服従魔法だと言っている。でも実際はなんなのか分からない」


「魔法耐性のアイテムつけたら?」


「もうとっくにつけてるんだよ!」


 トーマは腕を見せた。


「つけてるし、毎日のように解呪と魔法耐性強化の薬湯を飲んでる。それでも日に日に酷くなってる。今じゃ、あの人のおそばにいれるなら魔法にかかったままでいたいと思ってる始末だ。にこれはおかしいってわかるけど、もう少ししたらこのおかしさすらわからなくなる気がする……」


 この一週間幸せだった。毎日が楽しかった。けれど、じわじわと毒に侵されて行っているような恐怖もあった。


「もう、ホモでもなんでもいいから、これが普通の恋であってくれたほうが助かるんだ。そうじゃないと……俺も、上司も……村人が、……サガン様に乗っ取られる気がする……」


 この状況はごくごく自然に起こるものであってほしい。トーマは願いを込めて鏡を見た。そして、ロクシャーヌを見る。

 ロクシャーヌは眉間にしわを寄せて鏡を睨んでいた。


「それで、……正体がわかったら、どうするつもり?」


 ロクシャーヌの問いは、トーマには解けない。


「わからない」


「なにか魔法をかけている悪者だったら、中央に報告するとか?」


 悪者であってほしくない。


「……そうだな」


「それとも、魔法を解く方法を探すとか?」


 解いたらこの想いはなくなってしまうのだろうか。だとすると寂しい。


「……私、ただの占い師なの。未来や真実を見通す預言者でもないし、魔法使いでもないし、ましてや魔女でもない。ただの占い師。恋愛占いが得意。それだけ」


「魔鏡の預言者は見どころがあると」


「かもね。でも、興味なくて。魔法とか、あんまりまじめにやってこなかったし。ただ占いは好きなんだ。カード占い。魔力を込めて配ったカードは、相手の魔力に反応して、その心や運命を引き寄せる。その出たカードから私は様々なことを読み解く。想像する。言葉に落とし込んで、表して、伝える。なるべくその言葉が相手の妙薬になるように願って。けど魔法はぜんぶはっきりしてるから。逃げ込む余地がない。そんな風に作ってるんだよね、魔具って。この鏡もさ、……占いを究極に正確化させちゃってる」


 ロクシャーヌが鏡を指でなぞった。すると、鏡面がまるで水面であるかのように波紋が広がった。


「お前、その鏡使えるのか」


「そうみたい。……、探ってほしい? あの人の正体」


 息をのんだ。

 探ってしまえば、もうこれまでのようにそばにいられなくなるかもしれない。けれど、正体が知りたい。


「つついちゃいけない藪な気がするよ? あの人」


「……」


「あと、私じゃ太刀打ちできないよ、アレ。百パー言える。解呪は期待しないで。だから、場合によっては絶望するかもしれないよ。……どうする?」


 さて。どうしようか。

 トーマは瀬戸際に立たされていた。


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