第14話 副魔王 魔女に会う
部屋にはホワイトセージが炊かれている。浄化の煙が天井に白くこもっていた。その煙は壁に開いた小さな穴に吸い込まれてゆくが、どやらその通気口の許容を超えているようだ。
トーマがフードを取った。
「こんにちは、お久しぶりです。ヒヨリ村の警察官、トーマです」
「ああ、すまないね、行けなくて。たまたま乗っていた馬車が魔物に襲われて、馬が食わてしまったんだよ」
しわくちゃの老婆はすぐに目的が分かったらしい。もしくは預言でもしていたのかもしれない、預言者なのだから。副魔王はフードを取らずに、やり取りを眺めることにした。
「大変でしたね、ご無事でなによりです」
「いいや、せっかくの死ぬ機会を逃してしまってがっかりしているよ。ひひひ」
「死ぬ機会って、あはは」
「で、村に早く来いっていうのかい?」
「はい、お迎えに来ました」
「迎えねえ。あの魔物は退治されたのかね?」
「さあ、……たぶん、退治されていないと思いますが……あはは」
「だろうねぇ。あれを退治するには骨が折れる。まあ、お座りよ」
老婆がいうや、真鍮の山がガタガタと揺れて、中から二脚の椅子が出てきた。それがテーブルの前まで移動し、早く座れとばかりに小刻みに動いている。
副魔王が先に座ると、トーマも隣に座った。真鍮の山は崩れずに積みあがったままだ。
「さて、どれだけの人間が気付いているのか定かじゃないが、つい最近、この世界の生命の勢力図が変わったんだ」
老婆は背後から一枚の板を取り出した。それは古びた大きな鏡のようで、老婆は鏡面を指で撫で始めた。
「弱い者たちが消されたようなんだ」
「弱い者が、消された、とは?」
トーマがオウム返しに訊ねた。
「そのままさ。消されたのさ。跡形もなくね。主に弱い魔物や妖精たちだね。動植物もだ。人間も病人や赤ん坊や老人が一気に死んだ。精霊族や魔族も同じ状況だね」
「なぜわかるんですか」
「だてに二百年も魔女はやっとらんさ。ひっひっひ。しかしその原因までは流石にわからん。ワシじゃ太刀打ちできんのだろうな、……、ひひ、そう、ワシなどが手足も出ぬ上の存在の仕業……。……例えば、魔王とかな」
魔王。
「ま、魔王……ですか」
「例えばじゃよ、例えば。トーマよ、またこのババア胡散臭いこと言いやがって、などと思っとるな?」
「っな! んなことないですから!」
「ひっひっひ。二百年以上生きとっても、実際に魔王が何かをしたなどという話は聞いたことがないね。魔王などいるのかさえ、実のところ誰もわからんのさ」
魔王はいるのだが。
いるし、意外と仕事にいそしんでいる。
だが、それは人間にとっては知る由もないことなのだろう。それに事実、魔王は直接はなにもしない。するのはその部下たちであるし、実際に表に出てくるのはさらに下の者たちだ。
また、このような普通の人間が暮らす場所では、魔王の息のかかった魔族がいるとは思えない。魔族の国に住まう一般の魔族が悪さをするかもしれないが、それが直接魔王につながっていることはまずないだろう。それに、多くの魔物は野生の動物と存在位置は変わらない。知恵を得た魔物が集落をつくることはあるものの、魔王とは関係のない現象だ。
「魔王はおとぎ話ってことなんすか?」
「いや、魔王は……実際にいるのだろうね」
「さっきと話が違うじゃないっすか」
「ひっひっひ。ワシら下々の人間には分からぬことじゃ。権力の上の者たちや勇者なんぞはしっているのかもしれんが」
魔女はしきりにひっひっひと笑う。今の状況を楽しんでいるように思えた。
「ワシら下々の者は難しいことなど考えず、ただただ目の前の出来事だけを見とればいいのさ」
「……それは、なんだかムカッとしますねぇ」
「起こっていることの奥をみたけりゃ、権力を持つことだね。トーマ、お前はそれが嫌でわざわざ自分の田舎に異動願いを出したのだよね? お前の大学と警察学校の成績であれば、幹部候補生として中央に行けたはずだ。入っていた派閥も大きいし、上からの覚えもめでたかったはず。それなのにお前は一般職を選び、その上ヒヨリ村などという左遷候補地の中でも下の勤務地に異動願いを出した。違うかい?」
するとトーマは目を見開き、口をあんぐりと開けて固まってしまった。
「好んで地べたを選んだのだから、上への文句はお門違いだよ」
「……なんで、分かるんすか……」
「これでも魔鏡の預言者、魔女だからね。大抵のことは分かる。例えば、今ワシは人生の分岐に立っていることとかね」
「分岐点に? どんなですか?」
「ひひひ、ワシはこれから、お前とたちとすぐにこの街を出るか、それともここに留まるか、これを選ばねばならない」
「え、めっちゃ今じゃないですか? しかも俺たちも関係ある? うそでしょ」
「嘘なものかね。どちらか片方は破滅があり、もう片方は、この老い先短いおいぼれに、人生最後の波乱万丈な娯楽を提供してくれるようだ」
「破滅?」
「ああ、そうだとも。まあ、もう二百年も生きているので、破滅なら破滅でも構わないのだがね」
「どっちを選べば破滅を免れるんすか?」
「……」
魔女は答えず、爛々と光る眼を鏡に向けているだけだ。
副魔王は口を開いた。
「私たちとすぐにこの街を出ると、どんな運命が見えるのだ?」
「何も見えん」
「つまりそれが破滅ってことじゃないですか!」
トーマが叫んだ。
副魔王は静かに訊ねた。
「では、ここに留まる選択には、運命は見えるのか?」
「ちょっとだけならのう」
「ほう、どんなだ?」
「聞くのかい?」
「答えたくなければよい」
「ひひ、……ワシは投獄される」
それを聞いてトーマが立ち上がった。
「投獄って、なんで!」
「ほう、なにか犯罪をしたのか?」
「いや、ワシは何もしておらんよ。この件に関してはな」
「この件とは?」
「魔物が街を襲った件じゃ」
まあ座れ、と魔女はトーマをなだめた。トーマが椅子に座ると、魔女は爛々と光る眼を細めた。
「魔物が街を襲ったのは、魔物をおびき寄せる術者がいるからだ、……そのような噂がはびこっておる。混乱時には必ず発生する類の噂だ。しかし、噂が噂のままで終わらないこともあってな、今回は終わらないようだ。術者は魔族だと言われている。確かに魔族は人間とは仲が悪い。しかし全部がそうだろうかの。この街には魔族の観光客や冒険者も来るし、精霊族も来る。みな、普通の者たちだ。人間には都合の悪い思想を持っているが、悪さをするものは少ない。悪さをするかどうかでいえば、人間だって悪さをする。どっちも同じじゃ。であるから、上はこう考える。魔族を悪者にするのは簡単だ。街の人間の留飲も下がる。しかし、魔物に襲われ、しかも魔族と仲たがいするような結果になれば、魔物が襲わなくなっても、今度は魔族から攻め込まれるかもしれない。……、流布されている噂を街の者たちは信じている。それが単なる噂だとしても、なにか行動を見せなければ今度は施政者たちへの不満が膨れ上がる。誰か、怪しいモノを見つけよう。ひひ、ワシは十二分に怪しいからのう」
「それで、お前は実際になにかやったのか?」
「いいや、なーんもしとなんよ。この件に関してはの」
「他には何かをしたのか」
「長い人生、いろいろな仕事をしてきたのでな。誰かを呪ったり、禁書の封印を解いたり、地下に魔物を呼び寄せたり、罠を仕掛けたり」
「前科は十分というわけか」
「どれもこれも権力者からの依頼だったのだがね。しかしこの三十年は、のんびりと……こうやって占いのようなことをしてひっそりと生きてきた。昔にだいぶ稼いだから、料金も手間賃くらいでよいし、おなごの恋の相談だの、農作物の来年の出来具合だのを見てやるくらいでよかったのだが。なにより、一日に一回、誰かと話せればそれで十分じゃったわ」
急に副魔王は親近感を覚えた。
こやつも自分と同じ隠居者だったか。それであるのに、ややこしい事件に巻き込まれて不憫でならない。
のんびりと暮らしたいだろうに。
「すぐに俺たちと街を出ましょう! 捕まってしまう前に!」
その正義感にあふれたトーマの誘いを、魔女はやんわりと退けた。
「しかしのう、お前たちと一緒に行くとどうなるか、全く見えんのだよ」
それを聞いてトーマはぐっ下唇をかんだ。
破滅だ、と先に言ったのはトーマであった。
その姿を目のはしにおき、副魔王は老婆へたずねた。
「どんなものも、大抵は自分の未来など見えない。それでも生きているぞ?」
「ワシは臆病なのじゃよ」
「では投獄を選ぶのか?」
「……、投獄を選ぶかのう」
「投獄された後、お前は自分がどうなるのか見えているのか?」
「さあ、それが見えぬのだ。不思議なことだ。投獄した後の運命が見えぬ。しかし、その先には破滅か、波乱万丈の運命か、どちらかが用意されているのだ。どちらの選択がどっちにつながっているのかが見えない。しかし、投獄されれば、ワシは処刑されるだろう。予測だ。預言はできぬが、予測は易い」
「それで、お前が処刑されれば、ここを襲う魔物はどうなるんだ? いなくなるのか?」
「ひっひっひ、いなくならぬ!」
魔女は心底愉快そうに笑い声をあげた。
「お前は投獄を選び、間違った選択をした人間たちのその後を楽しみたいのだな?」
「まあそう批難するな。それくらいの妄想をして楽しむくらい良かろうて」
「批難などしておらぬぞ」
「そうかね? 無責任だとは思わぬのかね? 不謹慎だとは?」
「特に思わぬな」
「そうか、……」
「お前は魔物が襲ってきた原因を知っているのか」
「さっきも言ったであろう。勢力図が変わったのだ。この辺りにいた弱い魔物が消えた。強き魔物が、その空白地帯にやってきた。それだけのことだね」
「預言で見たのか?」
「いいや、ただの予測じゃ。困るかね? 預言のほうがいいかね?」
「いや、預言などいらぬ」
「そうか……」
「ただ話はまた違ってくるが、困ることならば、一つある」
副魔王は自分にとっての最優先事項を伝えた。
「私は世話になっている村に、お前を連れてゆかなければならない。しかしながら、お前を連れてゆく理由は、私の持ち物の鑑定なのだ。つまり鑑定さえできれば、最低限の目的は果たせられる。お前が投獄を選ぶのならば、代わりの預言者を連れてゆきたいが、心当たりはいるか?」
「さて、占い師やら魔法使いは、この地下街にたくさんおるがのう……」
すると魔女はその赤い瞳で副魔王をじっくりと見てきた。ふしばった指が鏡の表面をゆっくり撫でている。
「大抵のことならば、真贋視力を持つものならば誰でもよかろうが……ふぅむ……」
「真贋視力とはなんすか」
「警察官でありながら知らぬのか」
「いや知らないっすよ」
トーマはいら立ちを隠そうともせずに即答した。
「そうか。まあ、人間には高い能力をもった者はあまりおらんからな。そうだな、銀行や鑑定所にいるゴブリンが身近かのう。物の価値というか、正体をなんとなく感じ取れる能力が高い者がいる。かつ、魔力があり、鑑定魔術を会得していれば物の正体くらいは簡単にわかるだろう。ワシほどではないかもしれんが」
「お前は真贋視力があるのか」
「ああ、人間にしては能力は高いほうだ。鑑定魔術を作りだしたのは、ワシであるし。一家言あるつもりだね。魔鏡も使えば、その者の能力や強さ、称号や正体までも見ることができる」
「その手にしているものがそうか」
「うむ、これは実に優れた古代魔具でな、浮かび上がる言語が古語である故、現代には適用できぬ場合があるがありとあらゆる真実を写し出す鏡だ。……吉であるし、長い間相棒として大事にしてきたが、投獄されれば壊されてしまうかのう」
魔女はいとおしそうに、また名残惜しそうに鏡を撫でている。
「弟子はいないのか」
「ワシは異端だったからの」
「そうか」
魔女は力なく笑った。
「そうだな、……この地下街に、ちょっとばかり見どころのありそうな占い師がおる。このさらに奥に進んで、突き当りを左に曲がったすぐの扉だ。蓮璃の館という看板を提げている。まだ若い娘だが、魔力が高い。この魔鏡も使いこなせるだろう。壊されるのも癪だから、その娘に餞別として渡してやってくれぬか。鏡が使えたら、その娘をワシの代わりに村に連れて行ってくれ」
そういって、魔女は大きな楕円形の鏡をトーマに押し付けたのだった。
「え、ちょっと、」
「こう言えばよい。これはお前の転機だ、ついて行け、外に出ろ。運命が目まぐるしく変わってゆくぞ、と。さあ、行け。村長の孫によろしくな。あの子は珍しい職に就ける運命であのに、まだ家事手伝いをしているのだろう? きっかけはすぐそこに転がっている。臆せず進めと伝えてくれ」
座っている椅子がグリンと半回転し、目の前のドアが勝手に開いた。帰れということだ。
トーマはマントを着なおすと
「……今からでも、考え直しません? 一緒に村に行きませんか?」
逃げませんか、そう言った。しかし魔女は微笑んだまま首を振るのだ。
「ワシはそろそろ死にたいのだ。それが、一番の本音だ」
副魔王はそっとトーマの肩を押した。この魔女の決意はそうそう揺らぐものではない。副魔王はトーマを連れて、開け放たれた扉をくぐった。
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